少し古い話題ですが、神奈川会が60周年記念事業の一環としての活動が、新聞等のメディアに取り上げられました。
一番良く書けている記事が以下の記事(4月19日神奈川新聞)だと思いましたので、転載にて紹介します。
国民の皆さんに分かりやすい活動も大切ですね。
江戸後期、小田原に生まれ、農村復興などに尽力した二宮尊徳(通称・金次郎)。小学校校庭でその像を見かけた人も多いはず。では一体、どれほどの学校が金次郎像を設置しているのか。そんなユニークな調査を県土地家屋調査士会(横浜市西区)が行い、報告書をまとめた。昨秋から半年かけて、県内の全公立小約860校を調査。果たして、その結果は―。
少年野球チームが練習をしている校庭の片隅で、そろいのジャンパーを着た大人が真剣な表情で金次郎像を取り囲む。「材質は石だな」「碑文はあるか」「あるけど、字が読めないなあ」。校長らから聞き取りを行い、さまざまな角度から像の写真を収めると、調査終了。同会に所属する土地家屋調査士が昨年10月から約半年かけ、4人程度のチームで公立の全小学校を回った。
国土調査や登記簿の申請手続きを行う土地家屋調査士の団体である同会は、今年で設立60周年。節目の年に何か社会貢献につながる事業をと、金次郎像の調査を発案した。広報部の高沢孝一さんは「県内出身で、土地改良を行うなど調査士の先祖とも言うべき人の像がどれだけあるかを調べれば、面白いと思った」という。
調査の結果、像があったのは計143校。ゆかりの県西部では54校中32校にあったが、川崎市は114校中わずか8校。高沢さんは「全体的に思ったより少なかった。特に新しい小学校が多い地区ほど、少ない傾向があった」と話す。確認できた中で、設置時期が最も古かったのは、大楠小(横須賀市)の1925年だったという。
一方、像の姿にも興味深いものがあった。「薪(まき)を背に、手には本」が一般的だが、田代小(愛川町)や豊川小(小田原市)の像は、薪を背負わず、何かに腰をかけて読書をしている。ほかには、菅笠(すげがさ)を背負い、金次郎が自ら編んで売っていたとされるわらじを差し出す姿の像もあった。
小田原市の尊徳記念館は「いわゆる定番の金次郎像は、作家幸田露伴が書いた金次郎についての著書に出てくる挿絵が基になったと思われる」という。一風変わった金次郎像として、魚を入れるびくを背負ったものや、祈っている姿のようなものもあるという。
調査士会は今後、像があった小学校を記した「金次郎マップ」を作製し、完成次第、調査に協力してくれた全校に配るという。高沢さんは「建て替えで校庭の隅に追いやられた金次郎像がいたり、金次郎自体を知らない児童もいるようだった。像を探しながら、その土地に興味を持ってもらったり、道徳や社会科の勉強に役立ててほしい」と話している。同会では今後も像の調査を続ける予定で、ホームページで情報を求めている。