2011年9月30日金曜日

全国一斉不動産表示登記無料相談会


明日10月1日は「法の日」ですが、私達土地家屋調査士会は、全国一斉の不動産表示登記無料相談会を開催します。
本日の読売新聞の全国版で告知致しました。ご覧いただけたでしょうか。

このブログは、土地家屋調査士の方以外も見てくださっているようですので、ここでも告知させていただきます。

宮城県土地家屋調査士会では、宮城県土地家屋調査士会館で相談会を開催します。
会館の場所は以下のとおりです。地下鉄北四番町駅のすぐ近くです。

登記や境界の相談については、実際に資料等を見ないとお答えできないことが多いのですが、どうしてもいらっしゃれない方のために電話相談(022-225-3961)も受け付けます。
明日、相談担当の土地家屋調査士の方は、ご苦労様です。
よろしくお願いいたします。

2011年9月29日木曜日

藤原光栄先生講義in福島

9月17日に福島会で研修会が開催されました。これは会員の皆様にも事前にお知らせしたものです。
内容は、以下のとおりでした。

(1) 土地家屋調査士倫理規程について
野地 良宏 顧問

(2) 放射能と今後の対処について
独立行政法人 日本原子力研究開発機構(JAEA)
福島支援本部 福島事務所長(上席技術主席)
  石田 順一郎 先生

(3) 大震災からの復興と土地家屋調査士の業務
(阪神・淡路大震災から学んだ調査士業務と制度)
        “あの日から16年~筆界特定制度もADRもみんなコレから始まった”
兵庫県土地家屋調査士会

           藤原 光栄 先生

2番目の放射能のお話は、まさに被災中の福島の皆さんにとって大きな関心事です。
一時間だけの研修でしたが、事故概要と今後の対応ということで説明が有りました。
質問についても、実際の放射能の影響と、除染についての話題が中心でした。

3番目の藤原光栄先生は、阪神淡路大震災の際に、神戸支部長として活躍した土地家屋調査士で、今までも全国でその時の体験等をお話ししてくださっている先生です。
公嘱協会主催で一度宮城でも講義をしてもらったことが有りますね。

藤原光栄先生(首タオル無しです)

震災後半年で、そろそろ現れ始めた地域の問題に対応するために、阪神淡路大震災では、土地家屋調査士がどのような判断基準で、どのような行動をされたかをお話になりました。

既に宮城会会員の皆様にはお知らせしたように、宮城でも藤原先生の講義をお聞きする研修会を開催します。10月28日です。

今回の東日本大震災の被災状況と、阪神のそれは全く違います。
地図の在り方も、国の政策も違います。
それでも土地家屋調査士の専門性は変わりません。
これから役所とタイアップして、地域の問題を解決するには良い指針となると考えます。
是非参加してください。



ちなみに、研修会場の会館の掲示板に上記の案内が貼ってありました。

当施設の放射線量測定値    
                    
 9月12日(月)測定          
                    
(0.09)マイクロシーベルト/時間 


自分たちで計測して、来館する人たちへこんなメッセージを書かなければならないなんて。
こんなことを、いつまでやらなければならないのでしょうか。

被災建物滅失調査

被災建物の滅失調査について、先日の説明会後、各班が動き始めました。
私の所属する班も、昨日建物の調査に入りました。

被災地を何度見ても、毎回津波の恐ろしさを感じます。
今日の晴天の元、青い穏やかな海が、あの日こんなにも暴力的な破壊をしたのかと思うと、とても信じられず、とてもとても恐ろしくなりました。

私の担当した場所は若林区の井土地区です。
ほとんどの建物は形も有りません。
残っている建物でも、このような有様です。





この地区でも2階まで波が来ています。


この地に再度建築ができるのか、仙台市の方針は出たようですが、まだ確定はできていません。
地権者にとって、お気の毒な状態です。




以下は井土新橋の写真です。
増水で水面が高く見えるようですが、実は周辺一帯の地盤が1mほど沈下したので、このような状態になっています。

2011年9月27日火曜日

9月常任理事会

前回に続き、遅くなりましたが9月の会議の報告をします。

9月13日に常任理事会が開催されました。
9月の常任理事会は、東日本大震災より半年経った今、やっと土地家屋調査士の専門性が発揮できるステージになったとの認識から、各部の動きを再確認し、また今後の動きを検討しました。

各部が精力的に動いていますが、今回は以下のとおり震災関連のものを中心に報告します。


1.被災建物滅失登記調査プロジェクトチームについて

業務部が中心のPTですが、公嘱協会や日調連と打ち合わせの上、滅失調査の仕様と段取りを詰めています。
各自治体との資料の折衝も含め、精力的に動いてくれています。
各地域のリーダーを選任し、その方たちと現場でサンプル調査をするなどの動きもしておりました。
その内容は先週21日の作業説明会で報告したとおりです。
宮城県土地家屋調査士会の組織力で、県内のお役にたちましょう。

2.法テラス・被災地臨時出張所設置について 

法テラスが被災地に臨時出張所を設置することは、9月7日のブログで報告しました。
その詳細を法テラスと打合せし、内部の調整をしました。
法テラスへの相談員協力要請はADRセンターに来ています。
そこで、法テラス派遣の相談員は、「ADRセンター登録相談員かつADR特別研修認定調査士」の方にお願いすることになっています。
お声がかかったらご協力をお願いいたします。
10月2日南三陸町で開所しますが、その後山元町に開所する計画です。

3.まちづくり協議会への参加について(災害復興支援士業連絡会)

災害復興支援士業連絡会で、具体的にまちづくり協議会に参加する計画が有ります。
さっそく準備委員会が開催されました。
資格業者の集合により、別の視点でまちづくりを研究し、提言することを目的にしています。
宮城県土地家屋調査士会としても積極的に関わっていきたいと考えています。

2011年9月26日月曜日

ADRセンター評議委員会・運営委員会

9月の各種会議の報告が出来ていませんでしたね。
すみません。まったく余裕がなかったのです。
遅ればせながら、これから少しずつ今月の会議の報告を致します。

9月1日にみやぎ境界紛争解決センター(以下ADRセンター)の評議委員会と運営委員会が開催されました。

評議委員会とは、ADRセンターに関する重要な事項を決定する組織です。
これは仙台弁護士会からもお二人の弁護士にも参加していただいております。
以前からお力を戴いている菅野修弁護士と、斉藤睦男弁護士に代わって新たに阿部弘樹弁護士に加わっていただきました。

運営委員会は、実際にADRセンターを運営する組織です。新たに中村一彦会員(古川支部)が入りました。

ADRセンターのセンター長は舟山政明相談役、副センター長は千葉三郎副会長にお願いいたしました。

さてADRセンターについては、毎月の相談者数は総会で報告しているとおりです。
相談はありますが、実際に調停まで進む人は少ないです。

面談する前の電話だけで納得して、終わる方もいます。
それも解決です。
私たちはそれで良いと思っています。
件数にこだわっていません。

どうせ件数が少ないからADRを設置しないという議論をしている会もあるようです。
どうでしょうか。
私はこう考えます。

皆さんの住んでいる町に病院ができたら嬉しいでしょう。
皆さんが今病気でなくて、今診察してもらう必要が無くても、病院ができたら嬉しいでしょう。
だって何か病気になったら、そこで治してもらえるんですから。安心ですよね。

同様に、「何か境界でお困りなら、解決をお手伝いできる機関がここに有りますよ」ってメッセージは嬉しいはずですよ。
宮城県民皆がいつでも境界問題を抱えている訳じゃないですから。

むしろ境界問題の専門家である土地家屋調査士が日常業務をしっかり積み重ねていけば、境界問題は事前に解決できているはずです。
そこからはみ出た問題も、境界問題の専門家である土地家屋調査士の組織内で解決できる機関を持つことは、とても大切な事だと考えています。

2011年9月25日日曜日

福島青調会の気持ち

風評被害で東北が、特に福島が、苦しんでいます。
東北産の食べ物が受け容れられないだけでなく、人もあらゆる物が、東北産は受け容れられません。
おくり日や花火大会など各地で支援しようと考えてくれたイベントが、風評で中止になり、かえって辛い思いをしています。
風評だけを一概に「心ない」と決めつけることは出来ません。
これは科学的な判断が求められる場面ですが、政府の発表が信用できない状況では、皆風評に踊らされてしまいます。
地震で被害に遭い、津波で被害に遭い、原発で被害に遭い、風評で被害が続いています。

東北の住民は何も悪いことはしていません。
風評を流す人たちもすべて悪い訳では有りません。
東電と政府の発表が信用できないことがすべてです。

東北のものを受け容れるかどうかを、自己責任の問題にしてることが悪いのです。
東北の人たちが個人で放射線測定器を買わなければならない不条理さ。
これらは政府が責任持った発表があれば不要の物です。

11月19日(土)に「青年土地家屋調査士会全国大会in福島」が開催されます。
全国の青調会を中心にした任意の勉強会です。
昨年は愛知で、一昨年は兵庫で開催されたものです。

さてこの全国大会ですが、震災前の昨年から福島開催で決まっていました。
震災後、福島開催で問題無いのか、福島青調会も考えたようです。
でもこんな時こそ「福島は大丈夫だ」と発信したいこともあり、開催することになりました。

以下はその福島青調会からの発信です。
全国の皆様をお迎えしたい気持ちと、参加する方々の気持ちへの配慮が表れています。
私は放射線は問題ないと思っていますが、上記の状態ですから、誰を信用するかという問題でも有ります。
このような苦しいメッセージを書かなければならない福島の状況は、いつまで続くのでしょうか。

安部正伸@福島青調会です。
いよいよ全国大会まで2ヶ月を切りました。当初はどうなるか不安でしたが全国大会へ向けての準備が着実に進んでおります。
来週には実行委員長の渡部より皆様に正式案内を配信します。


正式案内を出す前に皆様に福島県の現在の状況をお知らせしたいと思います。
3.11の大震災後、福島では福島原発の事故で大量の放射性物質が大気中に拡散いたしました。
大気中に拡散された放射性物質は雨により地表に落ち、地表が汚染されました。
原発事故当初、福島県の殆どの人は放射性物質から出てくる放射線について意味がわかりませんでした。
毎日テレビの画面の下に1時間ごとの放射線量が表示され、天気予報と一緒に放射線量情報が流れ異常な状況でした。
放射線量についてはテレビや週刊誌、新聞、インターネットなどから情報を得て、やっと冷静に理解できたのは事故から約1ヶ月ぐらい経った頃だと思います。
それから簡易放射線量計を購入し、自宅や子供達の通学路、事務所の周りなど計測して、どう行った場所の放射線が高いのか確認してまわりました。
現在は事故当初に比べれば放射線量は低くなってきています。
ただ大量に拡散した放射性物質の中に含まれていたセシウム134とセシウム137が地表を汚染しており半減期が長いため、全国大会を開催する郡山市では0.86マイクロシーベルトと他の県に比べれば放射線量は高いです。
専門家の間でも低線量の放射線を浴び続けたときの体への影響について意見が分かれており、専門家でない私も正直分かりません。
全国大会を開催するにあたり、前回のメーリングにも書きましたが放射能については福島青調会のみんなが相当悩みました。
もし放射能の影響で少人数での開催することになったとしても「福島復興のためにやろう」と福島青調会みんなの気持ちであります。
郡山市の放射線量に対する安全宣言は出来ませんが、全国から来る皆様の判断にお任せしたいと思います。家族の居る方、独身の方もいるかと思いますので。
参考になるか分かりませんが、福島県で掲載している「福島県放射能測定マップ」のURLのリンクを貼ります。
http://fukushima-radioactivity.jp/


長々と書いて終いましたが、全国の皆様にお会い出来ることを楽しみにしております。
福島青調会では全力で皆様をお迎えします。

2011年9月21日水曜日

ライバルは想定されるもう一人の自分

一昨日、トライアスロン世界選手権横浜大会のライブをテレビで見ました。
トライアスロンを見るのは本当に久しぶりでした。

最近会った人は誰も信用しないかもしれないけれど、私昔トライアスロンをやっていた時期があります。

以前も書きましたが、当時は、夜中しかトレーニングをする時間がなかったので、夜中にプールでスイミング、夜中に室内のローラー台に乗せた自転車でトレーニング、そして夜中にランニング、日に焼ける機会が有りませんでした。
沖縄の宮古島のレースに出たときに、スタートラインの浜辺で、周りの選手と肌の色が違うので、ボランティアと間違われそうになったことも有りました。

当時、土地家屋調査士の仕事をしながら3種目のトレーニング時間を確保することは大変難しく、半年かけて身体を造り、ロングレースに出てボロボロになり、半年かけて身体を戻すような一年を過ごしていました。レース前の半年は、内臓のために酒を控えたりして、ずいぶん頑張っていましたね。

当時考えていたことですが、十分時間のある他人を羨んでも仕方ないということです。
時間が無いのに、その種目を選んだ自分の問題です。

当時の自分のライバルは「想定されるまったく同じ環境のまったく同じ能力のもう一人の自分」でした。

他人と比べても仕方ありません。
自分の立場、環境、能力、その他すべての条件の中で、自分はベストを尽くせたか、を考えていました。想定される別の自分なら、もう少し先に行けたのではないか、それを常に考えていました。

今でもそのようなことを考えています。
無い物ねだりをしてもしょうがないし、自分に言い訳してもしょうがないですね。
自分で選んだ人生です。
たとえ他人に頼まれたにしても、了解したのは自分です。
せめて自分だけでも納得できる生き方をしたいものだと思っています。

2011年9月19日月曜日

ガイダンス土地家屋調査士報酬 来月出版


 昨今、土地家屋調査士の報酬額が分かりにくいということを、ユーザーである国民の皆様からだけでなく、土地家屋調査士自身からも聞きます。
 実際土地家屋調査士だけでなく、弁護士、司法書士など資格業界の報酬は分かりにくいということは否めません。

 一つの要因としては、国民の皆様から見れば、資格業者に何かを依頼する機会が一生に一度か二度と利用回数が少ないことが挙げられます。日常的な買い物と異なり、経験が無ければその報酬が適正か判断しようがないという側面もあるでしょう。ただし、その判断ができないと、手続きにいくらかかるか不安で、資格業者に依頼することを躊躇する要因となります。そのため手続き着手が遅くなり事態が悪くなるという問題も考えられます。

 もう一つの要因として、国による定額報酬の撤廃が挙げられます。あらゆる資格者は各々の専門分野で一定レベル以上の能力があると国が保証した人です。それらの資格者は、各々の専門分野を生かして国民の皆様のために様々な手続き代理等の業務を行いますので、資格者の業務は公共的な意味合いを持っています。よって、昔から資格者の報酬は公共料金に準じて、全国一定額の報酬額表を定められていました。土地家屋調査士の場合は法務大臣の認可によるものでした。

 この全国一定額の報酬額表が、国の方針で平成15年に撤廃になりました。この流れは土地家屋調査士だけでなく、司法書士や税理士等の他の資格業でも同様で、これらの全国一定額の報酬額表は撤廃になりました。長い間、法務大臣認可のこの報酬額を真面目に守ってきた土地家屋調査士自身が、突然「明日から報酬額は自由だ」と言われ、何を基準に報酬を考えて良いか混乱が生じたことにも、昨今の報酬額の分かりにくさの要因になっています。

 全国一定の報酬額について、長年「何が何でも守れ」と指導されてきたことが、平成15年を境に、一定額の報酬額を維持することは「独占禁止法上のカルテルにあたる」と突然言われたのですから、業界全体が混乱するのも無理はありませんでした。土地家屋調査士会主催の報酬に関する研修会も、長年全国一定の報酬額を守れという指導でしたが、この報酬額表撤廃後、どのように指導して良いか迷走した時期がありました。確かに、報酬額の研究や研修をするだけで独占禁止法に抵触すると恐れて報酬額を放置してしまった業界全体の責任もあると思います。更にそれに加え、バブル崩壊による社会経済の混乱が、この状況を分かりにくくしたことも考えられます。

 世の中の一般的な報酬額や物の値段に定額はありません。平成15年以前の各資格者の報酬額ように何をやっても全国一律という値段の付け方は、むしろ大変珍しい職種だったと言えましょう。もちろん、平成15年以前でも全国一律の報酬額は、社会経済や取引実態に合っていないという声もありました。でも当時は、何を言おうとも法務大臣認可の報酬額でそのように決められていました。

 その間に、資格業者以外の他の業界は、ごく一般的に原価計算や原価管理、事業所経営等の勉強をしていました。ですから、他の業界は売値が一定ではないけれど、すべての物の値段はその業種が潰れるほどの安値競争になっているわけではありません。
これは、サービスに対する適正な価格が合理的に示されて、消費者のニーズとバランスが取れているからでしょう。
 私は、土地家屋調査士業界の新人研修を長年担当しています。昨今の新人の中に「報酬額の計算が分からず、どんな報酬額が適正か分からないままに請求し、10年もかかって合格して、2年程度でリース代を払えずに廃業する新人」がいます。その方々を見て、私は大変悲しい思いをしています。

 また一方、業界内に安い報酬に合わせて「安かろう悪かろう」の仕事が見られることもあります。果たして国民の皆さんが我々資格者に与えた専門性はどこに行ったのでしょうか。お客様の安全を守ることが可能なところまで調査を重ねて、はじめて専門家として資格者を名乗れるはずです。
そこには社会に対する責任とお客様との信頼関係に基づいた適正な報酬が有るはずです。

 もちろん、報酬は高止まりが理想ではありません。資格業とはいえ、いわゆる企業努力で低廉なものにしていく努力は当然のことと考えます。しかし、この企業努力ができるのも原価計算を始めとする報酬理論が有るからです。

 また報酬の理論だけでなく、お客様への見積の仕方、請求の仕方、集金の仕方の実際も説明したいと考えて書きました。このようなお客様への丁寧な説明も資格業者の不得意のところですが、今の社会では大変重要なことです。

 報酬の理屈は分かったけれど、いざ、実務に直面すると、「そんなことを言っても、お客様が納得してくれない。」などと、社会に安易に流されて、粗悪な業務をしてしまうことを防ぎたいからです。それは本当の意味でお客様の為にならないからです。
 土地家屋調査士業務が適正に行われ、国民の皆様にとって重要な財産である不動産についての安全が図られる基盤には、高過ぎない、または原価を割らないような適正な報酬が有るはずです。

 適正な報酬とは、土地家屋調査士にとってもお客様に取っても適正であるということです。

 この適正な報酬について長年研修会の講師をしてきましたが、せいぜい2〜3時間程度ですべてを伝えることが難しく、また受講者の皆さんにお伝えできた部分も時間の経過とともに曖昧になってくることが問題でした。

 そこで、土地家屋調査士には個々の事務所の運営とその合理的な報酬のあり方を考える一助となるために、そして土地家屋調査士に業務を依頼する方にはその報酬体系を理解する一助となるために、仲間と本を書きました。


10月末に日本加除出版から発刊されます。CD付きです。
よろしければご覧ください。

2011年9月12日月曜日

パネルディスカッションが苦手です

震災後しばらく全国各地に講師に伺うことができませんでした。
そのお詫びと、ご支援のお礼を兼ねて、8月の大分会研修会から、また研修会の講師として活動始めました。

基本的にご依頼いただいたものは、日程が重ならない限り、すべて断らないことを原則にしています。既に3月までにたくさんのお約束が入りましたが、全国の皆さんに何らかお返しできることが嬉しいのて、全部頑張りたいと思っています。

さて土地家屋調査士が主催する研修会については、私は同じ土地家屋調査士として、言われなくてもその研修会は何を目的としたいのか概略は把握できるので、詳細な打合せ無しでも大抵は問題有りません。

しかし一番苦手なのが、パネルディスカッションや座談会の企画です。
「研修会もマンネリだし、ちょっとオシャレなシンポジウム的な企画でも・・」と担当者が考えはじめると、大抵この種のディスカッションが企画されるようです。

それは、パネラーやコーディネーターの力量も確かに問われるのかもしれませんが、ほとんどは企画に問題があります。

一つのテーマについて、立場の違う人に何をどの観点で話させるのか。
どこで対立して、どこで合意し、どの方向に議論が進むのか。
そして、それをどのようにまとめたいのか。

ただただ、それなりの人を並べても議論は成立しません。
例えば、6人パネラーがいて、各々自己紹介を兼ねて立場を10分説明しただけで、1時間が経過します。それから共通議論が1時間ではどうにもなりません。

主催者側である程度のストーリーが描けなければ、全体として「ぐずぐず」の時間になるか、それとも消化不良の時間になります。

受講者に何か「勉強になった、参考になった」と言ってもらうには、主催者として何を伝えたいのか。強い思いが無ければなりません。
そして巷には、それが感じられないパネルディスカッションまたは座談会が、あまりにも多いと思います。

もっとも、座談会の場合は、聴衆のいないところで長時間議論したものを、後でまとめて発表することが多いので、出てくるものはまだマシなのですが。

だから鈴木にはパネルディスカッションのパネラーは依頼するなと・・・。
いえいえ、私の原則どおり、依頼されたら決して断らず、喜んで受けますよ。
もう既にいくつか入っていますし。

でもその前に企画者としっかりディスカッションをさせてもらいます。
「ただ形だけ揃えた企画なら、あなた自身も聞きたくないでしょ。」と。

2011年9月11日日曜日

被災は半年前に終わったことではなく半年間続いていること

東日本大震災から今日で半年が経ちました。

「もう」半年か、「まだ」半年か、私自身良くわかりません。
おそらく被災地の人間にとって、半年前に終わったことではなくて、被災して半年間続いていることだから「もう」も「まだ」も無いのかもしれません。

昨日の段階で警察の調べによる大震災による死者は15、781人、届け出のある行方不明者が4,086人とのことです。
まだ行方不明者のご家族はどのような思いをしているのでしょうか。

私は、運よく自分も家族も無事でした。これは以前も書きましたが、まったくの運でしかありません。
今回の被災で1分差で偶然生き残った人と、1分差で運悪く亡くなった人達の話をたくさん聞きました。生き残った人間にとっても、絶対他人事ではないのです。

あれから、私の周辺にはいろいろな変化が訪れています。
良くも悪くも、様々なことを経験しましたし、考えもしました。
これを全国に伝える義務も感じています。
本来なら専門家である土地家屋調査士の視点からたくさんメッセージを出さなければなりませんが、もう少し後になります。被災地はまだ不動産登記どころではないからです。
しかし専門家である前に、被災地の人間としての経験や考えを伝えることなら、今でもたくさんできます。

これは、「被災地責任」と考えています。

被災地も少しずつ復興に向けて動いています。
ただ義援金や支援物資を戴ければ復興できるわけではないのです。
先の希望が欲しいのです。
日本人は、もちろん東北人は、忍耐強く、頑張りもできます。しかしそれは、先に希望が有るときです。
仮設住宅に移って、衣食住がギリギリ安定して、はじめて先を見る余裕ができます。
そこで見た先に希望が無いと、生きている意味が分からなくなります。
実際に阪神淡路大震災の時も、仮設住宅に移ってから自殺者が多数出てきたと聞いています。

先の希望が見えないときに一番頼りにすることは、政府の方針と行政の動きです。

復興するためにも、まず避難所から仮設住宅へ、仮設住宅から自分の建物へ、という段階が有りますが、被災地の多くには建築制限が存在ます。
再度被災が有るかもしれない地域に建築を認めてよいのか、確かに自己責任とだけ言えない話とも思います。
そうであれば、早い決定が欲しいのです。
その決定には補助金や被災地の買上げ等の大きな国の方針決定が必要なのでしょう。
地域が死ぬか生きるかの時期に国会は空転していました。


そして先週、この建築制限が2か月延長されることになりました。

2011年9月8日木曜日

ペン型のり 消えいろPITほそみ

出先で「のり」が必要なことはありませんか?
私は必要なことが多いのです。

手帳ヲタクの私は、「鈴木は、手帳は何を、どのように使っているのか?」と聞かれることが多いのですが、詳細は後日まとめて説明しますが、結局A5版大学ノートを加工して使っています。一日4ページを使うスタイルはここ数年変わりません。

その4ページの中の1ページは、スクラップブックの機能を持っています。
そこに何でも貼り込んでいます。
貼り方は、美しくなくて良いのです。素早く情報を留めればよいのです。
手帳は絶対に他人に見せないものですから。

貼り込みたい資料は、持ち帰ってゆっくり加工するまでに無くしたりして、探す時間が無駄になることがあります。
ですから、出先でも情報を切り取って貼り付けたくなります。

そこで必要なものは「はさみ」と「のり」ですね。
以前は大きめなものを持ち歩いて鞄の中で邪魔になっていたのですが、最近はスリムなものがあります。

持ち歩く「のり」はこれ、「消えいろPITほそみ」です。


右は以前紹介した「はさみ」です。

この「のり」ですと、ペンケースに入ります。
ちょっと良いでしょう。
最近、ペン型のグッズがちょっと嬉しかったりします。
ペン型グッズって、探偵やスパイぽいでしょう。

ちなみに「消えいろ」とは、のりを塗った時点では青い色をしていて、紙のどこに塗ったかわかりやすく、実際に貼り付けると透明になるというものです。
最初から透明なのりは紙の隅に塗るときに分かりづらいものです。
この消え色機能も便利です。

ノートより大きい資料は基本的に縮小コピーをして貼り付けますが、出先で縮小ができない場合はそのページに折り込んで挟んでクリップ止めするか、ステープラーで仮留めして、帰ってから縮小して貼り付けます。

この紙でスクラップするものとevernoteに保存するものの区別と、その考え方については、後日書きましょう。

2011年9月7日水曜日

法テラス被災地臨時出張所

被災地は少し落ちつき始めています。
その様子は、震災直後から始めている無料相談についても、相談内容からも読み取ることができます。

被災直後は不動産どころじゃなかったからです。
阪神淡路の震災の際の話でも、専門的な相談内容になるのは被災してから半年過ぎてから、むしろこれからだとお聞きしています。

宮城県内では、被災者のための無料相談だけでも、様々な組織とグループによって開催されています。宮城県土地家屋調査士会は、そのすべてに協力しています。
そのため、会員の皆さんにお願いして、たくさんの時間を相談員として協力願っています。

実はそれの相談のスキームをつくるため外部との打合せや段取りだけでも、役員としても大きな仕事量になっています。
それでも地域の復興のためです。私自身も自宅も津波に飲まれてはいません。それを考えて、できることをできるだけ頑張る時期と考えています。

それにしても、相談窓口がたくさん有っても被災者は同じ人なので、行きやすい場所に相談窓口を一本化できることが望ましいです。そうすればマンパワーを集中できるのですが、なかなか難しいことでしょうね。

官民すべての調整をしているだけで、時間は消耗していきます。
今困っている人がいれば、やはり「窓口はどうあるべきだ。」と言ってないで、すぐに動いて役に立つべきでしょう。

さて、そんな中で「法テラス」が被災地に臨時の出張所を出してくれることになりました。
臨時と言っても常設で、まずは3年間を目途に設置してくれるそうです。
最初に南三陸町に開設し、あと2カ所(山元町?東松島町?)を計画しているそうです。

宮城県土地家屋調査士会も、この件については、8月上旬から協力の打ち合わせをしておりました。
宮城県内で3カ所予定の常設出張所のうち、用地が確保できた南三陸町から開所することになりました。開所式は10月2日(日)です。

「また別の相談窓口ができた。」という見方も有るでしょうが、法テラスが常設の建物を持てば、かえって各相談窓口を整理できる可能性があります。

会員の皆さん、しばらく忙しくて大変でしょうが、長年お客様である宮城県民の皆さんのためです。ご協力をお願いいたします。



2011年9月6日火曜日

東日本大震災復興支援における地図実態調査の打合せ

昨日9月5日は、被災3会の土地家屋調査士会と公嘱協会とが、日調連や地図関連法人をお招きして、標記「東日本大震災復興支援における地図実態調査の打合せ会」を開催しました。

東日本大震災を被災して土地が地盤ごと大きく動きました。
実際にその大きな移動の際に、本当に土地の形状を正確に保ったまま水平に動いたのか、それともランダム方向に動いたのか、そこを把握しないと今後地図をどうすれば良いのか語ることはできません。
国は、あの大地震で「地殻が数メートル動いたけれど、各土地の辺長はまったく変わりない。」として、地図は変換のパラメータを与えただけで、そのまま継続利用する計画のようです。

「それではこのような問題が起こる」ということを、地元が調査して分析しまとめて、それを提言しなければそのままになります。

そこで、宮城県土地家屋調査士会と(社)宮城県公共嘱託登記土地家屋調査士協会は、日調連と相談しながら、各々協力して、少しずつ調査と分析をして参りました。
それを日調連を通して、国に訴えていただいておりました。
昨日の打合せでは、各々の経過と、これからの具体的な調査や分析、まとめ方について、協議を致しました。

今回の大震災について、何もしないままでいると「地元から何も要望が無いから問題は無いようだ。」と判断されるようです。
しかし、あらゆることで動かなければならない地元には、その調査や分析やまとめる時間が無くて困っています。
これはあらゆる被災分野で起こっているジレンマです。

このような評論をしている場合では無いのです。
被災地の人間は、体力と時間を振り絞って、気付いたことを提言しなければならないようです。


2011年9月4日日曜日

東京青調会研修会

9月3日は東京青調会研修会にお招きいただきました。
この研修会は東京青調会だけでなく、千葉、神奈川、山梨、群馬、埼玉などの関東の青年土地家屋調査士の皆さんも参加されました。


東京青調会にお伺いするのは、関東合同研修会を含めると4回目です。
他の関東の皆さん含めて、半分は知った顔、半分は初対面でしょうか。
10年もの間定期的にお伺いしていると、初対面の入会間もない初々しい新人が、だんだん成長して、その会の中堅になり頼もしくなっていく過程を見ることができます。
とてもとても嬉しいことです。


「新人の意識が変われば、土地家屋調査士の世界は10年で変わる。」そう信じて、私は新人研修を続けてきました。
全国に伺う度に新人の皆さんの成長を感じていましたが、最近特に手応えを感じています。おそらく全国の会長をはじめとする役員さんたちの意識も変わって来て、新人の登用が多くなっていることも加速要因として有るのでしょう。
頼もしくなってくる皆さんとお伺いするたびに私自身が元気をもらっています。

今回の研修会に参加した青調会の皆さんから、支援の寄せ書きと義援金を戴きました。心から感謝しております。またまた元気を戴きました。











2011年9月2日金曜日

多機能ペンとジム・フェルプス

各方面からリクエストのあるご無沙汰の文具ネタを。
多機能ペンについては過去もいろいろ書きました。
昔はデザインがチープすぎて持つ気がしなかったのですが、最近は良くなりました。


最近の多機能ペンの楽しみとして、中に入れる替え芯を選べるというものが有ります。
代表的なものはPILOTのHI-TEC-C COLETOですね。
そのシリーズの中でもCOLETO Lumioを使ってます。


多機能ペンの中でも比較的細いので、例のペンケースにも入ります。
これがジェットストリームだと入りません。
ただしジェットストリームは持った感じに高級感があるので、気に入っております。






もともとHI-TECシリーズは細くて水性ゲルインクで、私の好みでした。
インク色がたくさん選べるので、手帳書き込みには多色使いの私は重宝していました。
実は私の手帳は女子中学生並みにカラフルです。


このHI-TEC芯を選べる多色ボールペンがCOLETOです。
であれば、当然買うことは決まります。


ちなみにインク色は、B(ブラック)・R(レッド)・L(ブルー)・G(グリーン)・V(バイオレット)・P(ピンク)・O(オレンジ)・CL(クリアブルー)・BB(ブルーブラック)・BN(ブラウン)・BP(ベビーピンク)・AO(アプリコットオレンジ)・CRP(チェリーピンク)・AL(アクアブルー)・AG(アップルグリーン)が選べ、それに芯の太さとして0.3mm、0.4mm、0.5mmの選択肢があるのです。

よって 15色*3種の太さ=45本 の芯があります。
他にシャープ、消しゴム、タッチペンも選べます。
この消しゴムのユニットは、前回も書きましたが、他になかなか無いユニークなものです。

問題は4本しか選べない芯に、何を選ぶかです。
1本105円の芯を前に長時間悩みました。


そのうちに気がついたのは、「気になる芯は全部買えばよい」ということです。
考えてみたら10本買っても1050円ですから。


たくさんの芯の中から、その日使いそうな芯を選ぶのです。
これが楽しいのです。
サンダーバード2号が、今回の救援にどのコンテナを積むかという、楽しみでしょうか。
ジム・フェルプスが、今回のミッションで誰を選ぶかという楽しみでしょうか。
そんな感じが有るのです。


ということで、本日の選択はアプリコットオレンジ、ブラウン、アップルグリーン、チェリーピンクでした。
えっ、今日はどんなミッションか?って。
ジム・フェルプスは決して口を割りません。

2011年9月1日木曜日

防災の日

台風が来ています。
昨日8月31日が二百十日でした。

先人たちは、アメダスも無い頃から、長年の経験で台風が来ることを知っていました。
私たちの時代、天気予報すらバラエティショー化されて情報が多くなった分、本質を見失っているのではないでしょうか。
シンプルにそろそろ台風が来ると信じて備えていれば良かっただけです。

大震災もそうです。
台風より周期が長いだけで、日本列島に住んでいる限り、必ず来ます。
先人の警告はたくさん有ります。
波分神社、蛸薬師、様々な警告文を書いた石碑等々。

それらをシンプルに信じないで、「それは迷信だ」と決めつけて生活を続けて、被災してしまいました。
嫌なことは考えずに、刹那的に生きているのでしょうか。
しっかりと防災準備をしている人を見て、「大袈裟だ」と笑ったりしていませんでしたか。

あの東日本大震災からまもなく半年経ちますが、被災地以外の人はもちろん被災地の人も含めて大半の人たちは、根拠無く喉元を過ぎた気分ではないでしょうか。
でも、まだ宮城県では避難所生活を続けている人たちが、昨日現在で3711人います。

このような状態を、先人に聞いたら、もう大丈夫と言うでしょうか。

1923年(大正12年)の今日9月1日に、あの関東大震災が起こりました。
その教訓を忘れないという意味と、台風が来る時期の備えを促す意味を込めて、今日9月1日は「防災の日」と定められました。

全国の皆さん
シンプルに考えれば、大災害は必ず来るのです。
それは今日かもしれないのです。
いつ来るかとバラエティの地震情報を見ている間に、防災チェックをしましょう。
せめて今日、災害時には連絡の付かない家族や仲間との連絡方法だけでも取り決めをしておきましょう。