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2016年9月11日日曜日

名もない花たちの《笙と語り》のチャリティー・コンサート

「名もない花たちの《笙と語り》のチャリティー・コンサート」 に、行ってきました。


今回のプログラムは、雲走範子さんの語り『雨月物語』より「菊花の約」と、笙YUUさんの笙の雅楽曲のコラボでした。
「菊花の約」は季節柄ピッタリの話しです。
また雨月物語の世界観と笙の曲はさすがに合っていました。

その後は笙YUUさんによる笙の演奏でした。
様々なジャンルの曲の演奏がありました。
17音しかないのでアレンジに工夫が必要だということでしたが、パイプオルガンのような複雑な和音を出すことのできる笙の可能性の広がりを感じました。




中央、向かって左が、笙YUU(しょう・ゆう)さん
向かって右が、雲走範子(くもそう・のりこ)さん 




場所は上杉の喫茶店、「純喫茶星港夜(シンガポールナイト)」でした。
珈琲が美味しかったので、別の機会にも行ってみようと思います。









「名もない花たちの会」は、東日本大震災からの復興を支援するとともに障害者の社会参加を促すために2011年3月に立ち上がった会です。

代表の山下剛さんは、私の古くからの友人です。

彼らの思いは、以下の文章にこめられています。

「私たち一人一人は非力な〈名もない花〉にすぎないが、それでも被災者のために何かせずにはいられない。」この思いを共有する者たちがジャンルを越えて一つになり、このチャリティー・コンサート実現の運びとなりました。私たちは、演奏会を通して聴衆に義援金への協力を呼びかけることに致しました。収益金は全額を宮城県を通じて被災地復興に役立てていただきます。」



一発勝負の大きなイベントの企画も難しいけれど、小さなイベントをぶれずに継続していくことも、とても難しいことと思います。
続けていることは障害者の皆さんによる東日本大震災からの復興支援です。派手なことはできません。大きな会場を借りるのも難しいでしょう。
今回も参加者は30人程度でしょうか。お店の中は一杯で椅子が不足するような状態でしたが、それでもこの会を継続するなら、更なる集客が必要でしょう。


彼らを支援することも、障害者の支援になり、間接的に復興支援になります。

次回は10月8日です。
会場は仙台市福祉プラザ2階ふれあいホールです。
定員は302名です。








2015年10月26日月曜日

オペラ座の怪人 25周年記念講演inロンドン

「オペラ座の怪人」何度観たでしょうか。
大好きなんです、この作品。

もともとは、ガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」です。
それが映画やミュージカルになりました。

過去9回の映画化がなされています。
他にもロック版や中国版があったようです。

私は昔、この作品のホラー色の強いバージョンを観て、とても嫌な思いをした記憶だけがあるのですが、今となっては何年版だったかも覚えていません。
その後、大人になってからミュージカルを観てから楽しめるようになりました。
ミュージカルは劇団四季で観ました。

映画では2004年版が一番新しいバージョンですね。
これは映画館でリアルタイムで観ました。
映画は舞台と違って制約が少ないので、また違った演出ができます。
シャンデリアの落ちるシーンなどは圧巻でした。
ミュージカルベースのこの作品も良かったです。


でも「オペラ座の怪人」と言えば、やはりこれが一番でしょう。



「オペラ座の怪人 25周年記念講演inロンドン」

舞台の公演を映画に撮ったものです。
舞台ならではの制約の中での演出と緊張感、
そして客席では望めない演者の表情の詳細、
これらがとても素晴らしいのです。

ファントムはラミン・カリムルー、クリスティーヌはシエラ・ボーゲス。
この二人の歌は最高です。

更に舞台挨拶の最後にはサプライズ・プレゼントがありました。
サラ・ブライトマンが各国の歴代のファントム役と歌うのです。
これは凄かった。

何度観ても聴いても感動します。
ここ3年程、このDVDを観続けています。
更に最近iTunesでもダウンロードして事務所の残業の友になっています。
BGMのように歌を聴きながら図面を描くことが多くなりました。

ミュージカルが生理的にダメでなければ、このバージョンを一度観て聴いて欲しいです。
あらすじの解説は不要でしょう。
誰でも聴いたことのあるドラマチックな曲を聴き、この作品が気に入ったなら、それから物語を調べ始めても良いと思います。





2015年6月14日日曜日

楽章間の拍手について〜ライプツィヒ弦楽四重奏団演奏会にて

東日本大震災以来、被災地のために現地に来て演奏をしようとする演奏家は、先日紹介したイヴリー・ギトリスなど、本当にたくさんいます。多くの演奏会が開催されました。ありがたいことです。

ライプツィヒ弦楽四重奏団も毎年被災地で復興支援音楽会を開催してくれています。
先週も仙台で演奏会が開かれました。



ライプツィヒ弦楽四重奏団は、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者たちが結成した弦楽四重奏団であり、現在のメンバーは以下のとおりです。
シュテファン・アルツベルガー、ティルマン・ビュニング、イーヴォ・バウアー、マティアス・モースドルフです。今回は第一ヴァイオリンのシュテファン・アルツベルガーが来日できず、コンラド・ムックに変更になりましたが、さすがに素晴らしい演奏で、美しい響きでした。良い演奏会だったと思います。

この演奏会で、一曲目のモーツアルト17番「狩」の第一楽章直後に拍手が起こりました。そして第二、第三楽章の後にも拍手が起こりました。
次の楽章に入ろうとしている彼らはイライラしているようでした。チェロのモースドルフは、手を振って拍手を止めようとまでしました。

楽章間の拍手は演奏会ではよくある問題です。
そしてこの話題、書くと嫌われたり批判されたりしそうな話題です。
しかし、これからクラシック音楽を楽しむ後輩の為にもあえて書きます。

基本的に楽章の間には拍手をしないのが基本です。
礼儀ではありません。基本と思っています。
楽章と楽章の間はそのまま音楽の一部です。
前の楽章の余韻を感じるように間をおいてゆっくりと次の楽章に入ったり、ほぼ間を空けずにすぐに次の楽章に入ったり、この間も音楽の一部です。ですからそこを拍手で止められたら、極端に言えば、音楽にならなくなります。

オペラのアリアなどはその度に拍手が起きます。
それは良いでしょう。そのようにできています。
でも交響曲や今回の弦楽四重奏曲などの楽章間はそれとは違います。

プロの音楽家の中でもそこを寛容に語る人もいます。
ルールを知らないのに拍手が自然と出たのだから、聴衆は感動したはずです。ですから、拍手をもらって悪い気はしないでしょうし、ヨーロッパでも楽章間の拍手はよく有る話と聞きます。
でもそれが音楽家の本当に心からの発言なのでしょうか。それともプロとして諦めての発言なのでしょうか。

「そんな面倒なことを書くと、クラシックの演奏会に初心者が行かなくなるかも」という人もいるかも知れません。
私はそうは思いません。
あらゆるジャンルにこのような心得はあるはずです。
サッカーを観に行くとき、大相撲を観に行くとき、ラーメン屋に行くにもルールのある店があるでしょう。
行くのなら、そこの文化やルールを尊重すべきです。
誰かが、そのジャンルの楽しみを伝えて、そしてほんの少しだけのルールを事前に教えれば良いだけです。できれば最初は連れて行ってあげれば良いですね。
初心者は周りの人の空気を読んで一緒に行動すれば、それだけで十分楽しめるはずです。

ただし逆に作法を知っているのかも知れないけれど、終わった瞬間ブラボーを叫び続ける空気読まない人や、楽章間のわざとらしい咳払い、アンコールの際のおきまりの手拍手などは逆に興ざめだとも感じています。

今回の演奏会では休憩の後で「次のシューマン弦楽四重奏曲第3番は全部で30分程の曲です。全部終わってから拍手をお願いします」とアナウンスが入りました。
珍しいことでしたが、会場に笑いが起こり、それだけで解決しました。
私はクラシックコンサートの冒頭に「携帯の電源を切るように」とか「会場内の飲食をしないように」などのアナウンスと一緒に、このようなアナウンスをしても構わないと思います。

もちろん、このコンサートは良かったですよ。
そこだけは再度強調しておきます。





2015年6月2日火曜日

オーヴォ シルク・ド・ソレイユ

全国で大評判の「オーヴォ」行ってきました。
仙台公演は全国ツアーので最後とのこと。


2010年の「コルテオ」も感激しましたが、今回も期待以上の素晴らしさでした。
シルク・ド・ソレイユは、1984年に誕生したカナダの大道芸から始まった小さなサーカスでした。今や世界を魅了する5000名のスタッフを抱える集団になりました。

シルク・ド・ソレイユのショーは、サーカスを単なる個々の肉体パフォーマンスから芸術に昇華させた素晴らしいものです。
サーカス全体を一つのストーリーに仕上げ、美しさにこだわった最高のパフォーマンスと
生演奏、照明、舞台美術、衣装、振付すべてに最高水準のこだわりを見せてくれます。
どれも素晴らしいのですが、特に音楽が素晴らしかったことが印象に残りました。

「オーヴォ」は卵のこと。
今回は、草木の下の生き物たちの世界。
様々な虫たちに扮した素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられます。

さなぎから蝶へ羽化する演目「バタフライ」の息を呑む美しさ。
見事な一糸乱れぬ集団演技の演目「アンツ」の正確さ。
空中ブランコを芸術に高めた演目「フライング・アクト」の緊張感。
蜘蛛の巣の中で蜘蛛が踊る演目「ウェブ」の妖艶さ。
壁のセットを効果的に使ったトランポリン演目「ウォール」のスピード感。
などなど。

生の肉体のパフォーマンスの美しさに見とれ、間の狂言回しに笑い、スリルとスピードに感動した2時間でした。

6月7日までとのこと。
もう時間は有りませんが、機会があったら見て欲しいです。
本当に老若男女誰にでも楽しい舞台です。

サーカスの世界は勝ち組と負け組に分かれました。
自分が既に持っている技術だけにこだわって世界の潮流を見失ったサーカス団は消えていきます。
どこかの業界にも見て考えて欲しいと思いました。



2015年5月2日土曜日

イヴリー・ギトリス ヴァイオリン・リサイタル

イヴリー・ギトリス 20世紀最後の巨匠

4月26日多賀城文化センターでリサイタルが開かれました。
多賀城文化センターでは「仙台で開催されずに何故ここで?」というコンサートがたまに開催されます。チェックしておかなければなりませんね。



イブリー・ギトリスは1922年イスラエル生まれの92歳。
現役最年長の世界的ヴァイオリニストです。

年齢に着目されて語られることも多いですが、純粋に現役の音楽家として素晴らしいです。とても美しく、とてもおしゃれな演奏をします。

4年前の東日本大震災の直後にも仙台・石巻で慰問演奏をしてくれました。
多くの音楽家が来日をキャンセルした中で、彼は自ら日本に行かなければならないと考えて、予定もなかったのに動いてくれました。
当時でも88歳。あの不自由な時期によく被災地に来てくれました。

当時の記事です。

被災地にバイオリンの調べ=ユネスコ大使、88歳奏者-宮城・石巻
(時事通信 011/06/01-16:40)

東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市で、ユネスコ(国連教育科学文化機関)親善大使でバイオリン奏者のイヴリー・ギトリスさん(88)が1日、避難所の石巻市立女子高校を慰問し、約200人の被災者や生徒を前に演奏した。

イスラエル人のギトリスさんは、これまで二十数回来日している親日家。海外の演奏家が大震災を受け訪日を見合わせる中、被災者を見舞った。
同校の体育館で、エルガー作曲の「愛の挨拶」と日本の唱歌「浜辺の歌」を披露。
テンポを変えたり、即興を交えたりしながら、演奏の合間には「私の心は皆さんと一緒にいます」と語り掛けた。被災者は、ギトリスさんが奏でた30分間の柔らかな調べに聞き入っていた。

また翌年3月11日に再度来日し、東日本大震災の津波で流された流木から作られたヴァイオリンを最初に弾いてくれました。

今回もコンサートの前日、児童館や災害住宅にアウトリーチ・コンサートをしに回ってくれたそうです。子供には子供向きの、お年寄には震災時に駆けつけた話をしながら演奏してくれたそうです。

以前の彼の言葉「たとえ音程が間違っていても美しい音は、1000の正しい音より、遥かに価値がある」は心からそのとおりだと思います。

確かに、今回の演奏でも楽譜通りの予定調和的な音楽ではなく、彼にしか生み出すことができないとてもとても美しい音楽に触れることができました。
とてもエネルギッシュでとても甘美な音楽と、彼の暖かい言葉に酔わされるひと時でした。


5月6日に東京で、5月10日に高知でもコンサートが開かれます。
興味とお時間の有る方は彼の音楽の世界に触れるのは如何ですか。
感動と喜びをもらえるはずです。





2014年2月5日水曜日

佐村河内守のもう一つの闇

このブログで、現代のベートーヴェンとまで言われた佐村河内守の書籍を紹介したのは、昨年の10月16日「交響曲第一番 佐村河内守」でした。

『交響曲第1番《HIROSHIMA》』
本当に感動して聴いていました。
この曲は、現在全国ツアー中でもあります。
私も4月の仙台公演を楽しみにしていました。

その佐村河内守が本日弁護士を通じて、この曲などを別の作曲家に頼んで作ってもらったことを発表しました。驚きと共に残念な思いです。

最初のゲーム音楽を作曲していた頃には、ここまでの騒ぎになると本人も最初は思わなかったでしょう。ポップスには良く有る話ですし。
その後、メディアにあまりにも取り上げられて、CDも売れ、本人も精神的に辛くなってきたのかも知れません。
またゴーストライターのT.A.氏が、金銭等で何か言ってきたのかも知れません。
それについてはいずれ明らかになるのでしょうが、私はそこには興味はありません。

正直、初めてHIROSHIMAを聴いたときは、心から素晴らしいと思いました。
「素晴らしさ」と言うより「凄み」と言った方が良いような感じでした。

でも初めて聴いたのが、作曲者が聴覚障害者と聞いてからです。
あの頭の中で鳴り止まぬ轟音の「闇の中で見つけた小さな光」。
それを感じて作曲したというシーンと重なって聴きました。

私の感性の中でこの曲を公平に評価できたのか、それともあのプロフィールが曲の凄さにどれだけ加算されたのか、今となっては分かりません。
でも、交響曲として空前の大ヒットになったのは、やはり佐村河内守のプロフィール無しには成立しなかったでしょう。

そのCD出荷が停止になるようです。
仙台公演が中止になるかも知れません。
なにしろ著作権料が誰に行くのかが不明ですし。

先程仕事をしながら、また聴いてみました。
交響曲HIROSHIMAは、やはりそれ自体素晴らしい曲です。
ニュースを聞いた直後の今でも凄みを感じます。
できあがった曲に罪がある訳では無く、良い曲か悪い曲かで判断されるべきです。

『交響曲第1番《HIROSHIMA》』仙台公演がそのまま開催されるなら、やはり聴きに行きたいと思っています。
また何らかの決着を付けて、いずれCDも再発売して欲しいと思っています。
それだけの力のある曲です。

とてもとても残念です。




*追記 2014/02/06
念のため追記をさせてください。

とても残念だと書いたのは、佐村河内氏に騙されたところではありません。これでこの曲が正当な評価をされなくなるのだろうなという想いで書きました。

*追記2 2014/02/06
全国ツアー(もちろん仙台公演も)が中止になりました。

2月5日NHKニュース

耳が聞こえない障害を乗り越えて作曲しているとして、CDが異例の売り上げとなっている、佐村河内守さん(50)が、代表作の交響曲などを別の作曲家に作ってもらっていたことを、5日未明、弁護士を通じて発表しました。

佐村河内守さんは広島県で生まれ、独学で作曲を学び、耳が聞こえない障害と闘いながら作曲活動を続けているとされています。
平成20年に初めて演奏された「交響曲第1番HIROSHIMA」は、「希望のシンフォニー」として、特に東日本大震災のあと注目を集め、CDが18万枚以上の売り上げを記録するなど、クラシックとしては異例の売り上げとなっています。
しかし、5日未明、佐村河内さんは弁護士を通じて、十数年前から別の作曲家に曲を作ってもらっていたことを明らかにしました。
これについて佐村河内さんは、NHKの取材に対し「平成8年ごろ、初めての映画音楽の作曲の依頼があったが、耳の状態が悪くなり、半分以上を作ってもらったことがきっかけだった」と説明しています。
その後も、このときに知り合った作曲家に、曲の構成や楽器の編成、曲調のイメージを伝え、作曲をしてもらう形で作品を発表し、報酬を渡していたということです。
佐村河内さんは「自分は楽曲の構成をしたが、作曲をゴーストライターに任せてしまったことは、大いなる裏切りであると思っています。ファンや深く傷つけてしまった方に、心よりおわび申し上げます」と話しています。
平成8年以降に佐村河内さんの作品として発表された曲としては、「交響曲第1番HIROSHIMA」のほか、東日本大震災のあと、被災地で交流していた少女のために作曲したとされる「ピアノのためのレクイエム イ短調」や、それを発展させた「ピアノ・ソナタ第2番」などがあります。
また、ソチオリンピックに出場するフィギュアスケートの高橋大輔選手が、ショートプログラムで使用する曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」も、おととし発表しています。
佐村河内さんの代わりに作曲していたとされる作曲家に対し、NHKは取材を申し込んでいますが、これまでのところ回答はありません。

NHKはこれまで、NHKスペシャルなどの番組やニュースで、佐村河内氏を取り上げました。
取材や制作の過程で、検討やチェックを行いましたが、本人が作曲していないことに気付くことができませんでした。
視聴者の皆様や、番組の取材で協力していただいた方々などに、深くおわびいたします。

2013年10月16日水曜日

交響曲第一番 佐村河内守

あまりにも凄まじい。

佐村河内守(さむらごうち まもる)の「交響曲第一番 闇の中の小さな光」を読みました。NHKのドキュメントなどで彼の存在も彼の曲も知っていました。
交響曲第一番を初めて聴いたときは、鳥肌が立ちました。
しかし、彼がここまで凄まじい人生を送ってきたことは、書籍を読まないと実感できませんでした。



ご存じの方も多いでしょう。被爆二世として広島に生まれ、4歳から母にピアノを師事し、10歳で「ソナタ」をすべて制覇、その後音大を拒否し、独学で作曲を学びました。35歳で全聾になり、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り響く頭鳴症と破壊的偏頭痛の発作に悩まされながら、絶対音感だけで作曲を続けました。
彼はしばらくの間、全聾であることを隠し続けていました。全聾の作曲家と言われることが、良くも悪くも作品への正当な評価をされないからです。
何度も挫折しながらも交響曲第一番「HIROSHIMA」を完成し、その直後自殺未遂をします。その後も発作と精神喪失(本人は発狂と書いている)を繰り返しながら創作活動を続けています。この交響曲第一番はクラシックとしては空前の大ヒットをしています。

この本を読んで、改めて佐村河内の交響曲第一番を聴いています。
聴きながら、彼の肉体的にも精神的にも闇の世界の中で、凄まじい苦悩の先に見えた「小さな光」を感じています。
以下は彼の本からの抜粋です。

自分を闇に突き落とした憎むべき相手と、真理への感謝を捧げる相手と、苦痛から救われるために祈る相手ー。その三者は「同一の存在」だったのです。

その三者が同一の存在だったと気づいたとき、私が”神”と呼んできたものの、その存在の大きさを嫌というほど思い知りました。
最終的に私が得たものとは、その大きな存在(神=運命)に身を委ね、ただ祈るほかないということでした。

運命に身を委ね、苦痛を忍び、祈りながら、「闇の音」を紡ぎつづけるほか道はないと知るばかりです。

誰にでもお奨めする曲でないかも知れません。
まして誰にでもお奨めする本ではないかも知れません。
辛すぎるからです。

でも興味があるのなら、一度読んでみてください。
また一度聴いてみてください。
「闇の音」が聴こえるかもしれません。



追伸)
フィギュアスケートの高橋大輔の今年のショートプログラムで、佐村河内守の曲「ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調」が使われます。
注目してください。

2013年10月2日水曜日

気仙沼さんま寄席

古典落語「目黒のさんま」を知っていますか。
「さんまは目黒に限る」という落ちの噺です。
まあ皆さんご存じでしょうね。

その噺にちなんで毎年秋に東京・目黒で「目黒のさんま祭」が開催されています。
そのさんまの全国的に有名な漁港と言えばご存じ気仙沼です。
そこで「目黒のさんま祭り」には、毎年気仙沼市の費用でさんまが提供されていました。
東日本大震災後も同じく提供するための費用を作りたいという気仙沼市長の相談を受けた糸井重里氏が提案したのが「気仙沼さんま寄席」です。
「慰問としての落語会ではなく、気仙沼の人がしっかり稼ぐイベントにしましょう。」という提案です。
気仙沼まで行っても是非聴きたいという寄席を企画して、全国からお客様を気仙沼に呼ぶツアーを企画するのです。
とても良い考えです。
昨年に第1回が開催され、今年が第2回目です。

先週末29日、その「気仙沼さんま寄席」に行ってきました。
出演者は、実力と人気を備えた立川志の輔師匠。
今、一番チケットの取りにくい噺家です。
まくらは、師匠得意の小咄を次々に重ねるもの。
小咄の落ちを知っていても毎回笑わせられます。
そして演目は「猿後家」と「新・八五郎出世」でした。

この「新・八五郎出世」は「妾馬」とも言います。
大工の八五郎の妹の鶴が殿様に見初められお世継ぎを生みます。
その八五郎が殿様に招かれるのですが、がさつな言葉使いで、案内してくれた田中三太夫をハラハラさせます。この部分が笑わせる部分ですね。そんな八五郎の態度が返って殿様に気に入られ、士分に取り立てられすのです。その後、侍となった八五郎が馬に乗ってまた一騒動起こすのですが、大抵は士分に取り立てられるところで噺が終わります。
そこで、この噺を「妾馬」と言わず「八五郎出世」と言うことがあります。
志の輔師匠の噺では、八五郎は士分に取り立てられることも断ります。出世もしません。
そこは泣かせる人情噺に仕立てられています。
志の輔師匠はさすがに聴かせました。

これなら新幹線や飛行機に乗っても聴きに来たくなります。
遠くからいらっしゃるお客様は、宿泊して、気仙沼で朝ご飯を食べて、気仙沼の海産物等のお土産を買ってもらいます。
糸井氏の「慰問ではなくしっかり稼ぐイベント」という発想は、とても素晴らしいと思います。






2013年9月3日火曜日

三遊亭竜楽独演会

本日は三遊亭竜楽師匠の独演会に行ってきました。

竜楽師匠の独演会を聞くのは今日で2回目です。
5代目三遊亭圓楽の弟子で、最近は7カ国語落語でも知られています。

演目は、まず「ふぐ鍋」でした。いわゆる滑稽話ですね。
今日は最初から演目を決めずに始めて、客席の様子を見ながら演目を決めたようです。
最初の枕を聞いていると、どうも怪談話に持っていくはずと思いましたが、観客の様子で急遽変えたように見えました。さすがです。

そしてその後は、人情噺の「浜野矩随」でした。
とても素晴らしい芸でした。

この噺の浜野矩随は江戸後期の実在の彫金家です。その彼が先代と比べられながら、どのように名人になったかという噺です。
古くは志ん生、近年では圓楽、志の輔でしょうが、私は圓楽のものは聞いていません。
矩随の母親は、立川志の輔の噺では一命を取り留めるのですが、圓楽も含めて主流は母親が絶命する噺になります。今日の竜楽師匠の話でも、母親は絶命します。この噺の母親の絶命のくだりは、私にはどうも違和感があります。この違和感は私だけでは無いと思います。おそらく昔の信心と現代の私達の感性がかなり違っているからでしょう。
この違和感をどこまで感じなく受け容れさせるかが、噺家の腕でしょう。
そういう意味では、今日の竜楽師匠の噺はとても良かったと思います。

竜楽師匠の芸を見ていると、物事に対する向き不向きを改めて考えさせられます。
師匠は顔立ちも芸もとてもまじめな方です。
近年コメディ芸人から落語家になる人達も多くなりましたが、師匠はまったく雰囲気が違います。着物を着ていなければとても落語家とは思えない雰囲気です。昔は噺家には向いていないと言われたそうです。
だからこそ、キャラに頼らない稽古の積み上げの芸がそこにあります。

7カ国落語で世界をまわっている人です。
通訳無しで現地語で落語をしています。
日本語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、英語、ポルトガル語、フランス語ですよ。凄いですね。もともと外国語に堪能だった訳でも無いようです。日常会話ができる訳でも無く、努力で現地語落語を完成させたそうです。

面白い個性の人が必ずしも噺家で大成するとは限りません。
むしろ努力できる人が噺家として大成するのでしょう。
物事の向き不向きは、皆そうなのかも知れません。






2013年6月14日金曜日

CATS





今日、久々の劇団四季で、CATSを観ました。前回CATSが仙台でロングランしたのは2003年でしたか、その際にも観に行ってます。私結構ミュージカルは好きで、ミュージカルを観るだけに四季劇場に行ったりしています。

キャッツのちらしには以下のストーリーが書かれています。
「満月が青白く輝く夜、街の片隅のゴミ捨て場にたくさんのジェリクルキャッツが集まります。自らの人生を謳歌する強靱な思想と無限の個性、行動力を持つ猫、それがジェリクルキャッツ。そして今宵は、長老猫が最も純粋なジェリクルキャッツを選ぶ特別な舞踏会。やがて夜明けが近づき、ただ一匹の猫の名前が宣言されます。その猫とは・・・」

あの名曲「メモリー」をはじめとした素晴らしい曲と素晴らしいダンスが繰り広げられます。

このストーリーは猫が主役ですから、セットが猫の目線により作られています。ですから東京エレクトロンホール宮城全体が巨大なゴミ捨て場になっています。
ステージ以外にもゴミがあるのですが、このゴミがご当地のゴミで作られていて、それがこのミュージカル鑑賞の楽しみの一つになっています。仙台公演では、巨大な「萩の月」や楽天イーグルスの帽子(裏に嶋のサイン)が有ったり、伝統こけしが有ったりして、とても嬉しいです。

そしてそのゴミの山も、このミュージカルのテーマとしての意味づけが有ります。

「ごみは、使った人の思い出のかたまり。その思い出をたどって自分が再生していく物語がキャッツなんです」

思い出のかたまりの震災のがれきの中からの復興と重なります。

「キャッツは再生と復活の物語。皆さまの心に明日への希望をともすことができましたら、これほどの幸せはありません」

講演の最後に被災地仙台へ、猫のリーダー・マンカストラップからのメッセージです。ミュージカルで感動し、最後のメッセージで少し泣きました。

千秋楽は8月20日だそうです。






2013年4月3日水曜日

トヨタ・ウィーン・プレミアムコンサート

3月31日「トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーン〜ココロハコブプロジェクト」「ウィーン・プレミアム・コンサート」が、仙台で開催されました。
トヨタ自動車により、被災地支援プロジェクトとして企画されたものです。
ウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場のメンバーで特別編成されたオケによるコンサートでした。

私は、以前も書いたと思いますが、中学校からブラスバンドに入り、30歳過ぎまで楽器を吹いていました。そんなこともあり、昔からウィーン・フィルに憧れ、嫁さんも巻き添えに新婚旅行もウィーンに行き、2晩続けてコンサートを聴いたりしたのでした。
自分へのお土産はウィーンの楽器店からヴァルトホルンまで買って来ました。
そんな私はこのコンサートをとても楽しみにしておりました。

ワーグナー「ジークフリート牧歌」、ブルッフの「クラリネットとヴィオラのための協奏曲ホ短調ホ短調」、ベートーヴェン「ロマンス第一番ト長調」ときて、メインはベートーヴェン「交響曲第7番イ長調」でした。
あまりにも素晴らしく、この感激をそのまま伝える程の文章力がないことを、とても残念に思います。

特筆すべきは、コンサートの冒頭で、東日本大震災の犠牲者に対する献奏として、カザルスの「鳥の歌」が演奏されたことです。久しぶりに鳥肌が立ちました。
ご存知と思いますが、カザルスの「鳥の歌』は1971年の世界国際平和デーに国連本部で演奏され、世界中に放送されたあの曲です。あの時にカザルスは、故郷の「カタルーニャの鳥は『ピース、peace』と鳴くのだ」と述べた事が印象的でした。今回、東北の被災者の為に、この曲を選んでもらったことが嬉しくて、そして演奏が素晴らしくて、感激しました。献奏後、観客も全員で立ち上がり黙祷しました。

東日本大震災の際には世界中にお世話になりました。
そして今なお世界は、継続して支援をしてくれています。
今回もこのような会場のコンサートだけでなく、学校への訪問コンサートも企画されているそうです。

また皆で頑張りましょう。
世界トップのプレイヤー達とスポンサーのトヨタ自動車に感謝。



2013年3月18日月曜日

多賀城第九コンサート



東日本大震災から2年経った3月17日に、多賀城市文化センターで「歓喜の歌 多賀城第九コンサート」が開催されました。アサヒビールホールディングスがスポンサーとなり、多賀城市が企画し、開催されたものです。

企画書には以下のとおり記載されています。

東日本大震災では多くの市民が犠牲になりました。多賀城市文化センターに避難した人だけでも3000人。その苦しみと涙を毎日共有していました。今こそ、市民みんなで笑顔になりたい。ステージと観客と心をひとつにして全員で歌いたい。震災で味わった、物質の有 無では埋めることの出来ない喪失感を、歌という形で満たしたい。会場全体で、勇気と元気 と感動を共有したい。そんな思いから、あらゆる苦難を乗り越えて歓喜へ向かう第九の歌詞 に復興への希望を込めてこのコンサートを開催します。

第一部では
秋川雅史氏が地元の子供達と一緒に「千の風になって」を歌いました。
東日本大震災では、とてもたくさんの方々が風になりました。

第二部では
ベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付」が演奏されました。
石川真也氏の指揮による仙台ニューフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。
ソリストは、ソプラノ佐藤 順子、アルト髙山 圭子、テノール 松尾 英章、バリトン 髙橋 正典の皆さんです。
合唱は多賀城第九合唱団と言って、この為に応募した150人の市民の皆さんによる合唱団です。この為に昨年から多くの時間を練習にあてたと聞いています。とても立派な合唱でした。

楽章の間に拍手が起こったりして、復興コンサートだから普段クラシックのコンサートに来ない人たちも多かったのでしょう。その人たちが感激したから拍手していると思うので、マナー云々は語る必要も無いと思いました。

その後、第三部と言うべきかアンコールと言うべきか、
ステージと会場が一緒になって第九の「歓喜の歌」を歌いました。

個人的にはベートーヴェンの第九は何度もコンサートで聞いていますが、震災を体験して改めてこの曲を聴いてみて、「苦難から歓喜へ」を表現しているこの曲は、やはり特別な曲だと感じました。

そして最後に会場全体で「ふるさと」を歌いました。
久しぶりに歌詞を噛み締めて歌いました。


兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思ひ出づる故郷

志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

全体構成として情緒的に流れそうな企画を、ベートーヴェン第九の重厚さが押さえて、良いコンサートでした。





2013年3月4日月曜日

崔岩光ソプラノリサイタル

3月3日は私の開業32周年記念日です。
ということとはまったく関係なく、3月3日に崔岩光(サイ・イエングアン)さんのソプラノリサイタルを聴いて来ました。

私は、昔ホルンを吹いていたこともあり、コンサートには結構行っています。先月も諏訪内晶子さんのヴァイオリンを聴いて来ました。それでも歌曲はちょっとご無沙汰でしたので、とても良かったです。
崔さんは、小椋桂によるオリジナル曲を含む十数曲を歌ったのですが、やはりベルディやモーツァルトのオペラのアリアなどが圧巻でした。

そう言えば、昔オペラの楽団員としてオケピットに入ったときに、アリアを歌うヒロインに見とれて、自分の出だしを忘れてしまった事はナイショです。
そのときに慌てて楽器を構えるとみんなにバレバレなので、8小節待ってからおもむろにホルンを吹き出した事もナイショです。

それにしても私、何かと忙しいので、普通コンサートに行く時間が無いと考えるべき状況なのですが、そういう時こそ、予約したりチケットを買っておく事が大切ですね。
時間が空いたら・・・という考えでは、絶対に空きませんから。
やはり早めにお金を払ってチケットを買っておけば、その前後がキツいけれど、なんとか時間をつくるものです。
そうでもしないと、自分の為にまったく何もできずに毎日が終わってしまいますね。




2012年8月21日火曜日

大阪市の文楽補助金削減問題を見て感じたこと

大阪市の橋下市長が、伝統芸能である文楽に対しての助成を打ち切るという発言をしてから、様々な議論が出ています。いろいろ読みながら考えました。

文楽は保護しなければならないものなのでしょうか。
伝統芸能という言葉は長い時間をかけて、その素晴らしさで今の位置を獲得した芸能です。長い時間の中で、その時代時代に評価されるように努力を続けて来たものです。
最初から完成されていたものではなく、時代時代で変化したものです。
だから伝統を盾にしても仕方ありません。
各時代でそうして来たように、文楽は今の時代の観客に支持される様な努力の方向も当然必要で、後世に伝える義務が有るはずです。
「芸術が分からないヤツは来なくて良い。」という高みからの発言も聞こえますが、補助金が税金から出ているのなら、やはり納税者へのサービスを考えるのは当然と思います。

文楽の素晴らしさを語る人たちはたくさんいます。
であれば、助成金ではなく、素晴らしさだけで生き残るべきだと思います。
他の芸能はそうしているのですから。

実際にこの問題以降、技芸員達がPRに勤めたこの夏の特別公演は前年比4割増しになったとの報道が有りました。ある意味橋下市長の逆宣伝のお陰でしょう。この客は一連のニュースによる一過性の客かもしれないけれど、その一見の客を常連に変えるのは、その公演の努力次第だと思います。凄いチャンスでしょう。

これらの議論をみていると、我々土地家屋調査士などの資格の世界を考えてしまいます。
各種国家資格は、平成15年までは直接的にも間接的にも国に守られてきました。
これは日本の資格制度が、ある意味役所の下請け的な意味を持っているという理由もあったことでしょう。我々は守られていた中で発言をしていたのです。
でも司法制度改革等の規制改革の中で位置づけが変わりました。
専門家というものは、制度があるから残るのではなく、人の役に立てるから残るのです。
昔が懐かしいと嘆いていないで、我々の現代から未来に続く地籍のスペシャリストとしての様々な価値を、その時代時代に対応して磨いて行かないと、やがて日本にとって不要になるのでしょう。
もし我々土地家屋調査士が60年前の代書屋の域を出ないとすれば、伝統技能として役割を終えることが有るかもしれません。
今我々を取りまく環境の変化は、逆風ではなく、大きく変化できるチャンスと考えるべきです。

さて、とりあえず10月17日の文楽仙台公演でも見に行こうかな。
どれどれ、夜の部でも平日の18:30開演か。
好きならどうにでも調整して行く時刻かも知れませんが、一般的な社会人は無理しないと間に合わない時間帯ですね。これは。
「見てみようかな」程度の気持ちなら止める時刻かも知れません。私の好きなクラシックのコンサートなどもこんな開演時刻が多いのですが、他国ではもうすこし遅い時刻から始まります。
本当に素晴らしいのなら、こんな部分からでも、新しい客に見に来てもらう努力が必要だと思いますけどね。




2010年12月13日月曜日

自分のポジション

オーケストラには多種多様な楽器があります。
私も以前のブログでも書いていますように昔楽器を吹いていました。中学生の頃はトランペットでした。高校生になってフレンチホルンに転向しました。
サッカーで言えばフォワードからミッドフィルダーに転向した感じでしょうか。
トランペットは常に目立つ主役です。ホルンは和音等で中盤を支えながら、たまにスルーパスやミドルシュートを打つ感じでしょうか。
もっと低い音には、ほとんど主役になる事がないけれど、音楽全体を支えるためには無くてはならないチューバやコントラバスが有ります。またリズムパートとしての打楽器が有ります。

ですから、自分でこれらの多彩な楽器の中から一つの楽器を選ぶ時には、その人の性格が強く反映されます。
自分でヴァイオリンを選ぶ人とチューバを選ぶ人が同じ性格とは思えません。
團伊玖磨の「パイプのけむり」で各楽器毎にそれを選ぶ人の特徴が書かれていたと記憶しています。確か「ホルンはハゲが多い」とか書いていたような。これは性格じゃないか。

もっとも、中学でブラスバンドに入ったら、その楽器が手薄だったからやらされたということも多いので、必ずしも自分で選んだ訳ではないこともありますが。

ミスマッチのポジションとは、技術よりも音楽嗜好や性格にもよると思っています。
しかし、自分で自分の特性が分からない事もあります。
フォワードからディフェンダーにコンバートされたり、その逆だったりして、未だ見ぬ自分の発見が有るかも知れません。

さて、私たち「土地家屋調査士」の社会におけるポジションは、どこでしょうか。
華々しいトランペットやヴァイオリンでしょうか、中盤を支えるホルンやチェロでしょうか、縁の下の力持ちチューバやコントラバスでしょうか、打楽器でしょうか。それとも不動産プロジェクトのコンダクターという道もありますか。

土地家屋調査士の業務の中で、ある業務では主役、ある業務では脇役を期待されているのかも知れません。最近のサッカー界で重宝されるユーティリティプレーヤーなのかも知れません。
また、最近の土地家屋調査士は、ADRや筆界特定などの新しい業務を通して、新しい自分を発見したのかも知れません。

10年後土地家屋調査士がどのポジションを与えられていても、ステージに立ち続けていたいものです。

2010年12月10日金曜日

千住真理子withスーク室内オーケストラ

忙中閑有り・・・うーん、無いのだけど。
久しぶりにコンサートに行ってきました。

季節柄、クリスマス・コンサートと銘打ってのコンサートでした。
スーク室内オーケストラはヨゼフ・スークにちなんで結成されたチェコの室内オケです。
やはり室内楽は良いですね。
私、昔ホルンを吹いていたのですが、昔からホルンが出てくる曲は聴きたくなかったのです。
自分が一生懸命頑張っている楽器が出てくる曲を聴くと、どうしても音楽でなく、ホルンのテクニックばかり聴いてしまい、実際楽しくないのです。
ですからバロックやジャズばかり聴いていました。
今はホルンの出る曲も他人事で聴く事ができますが、でもやはり室内楽は安心できます。

千住真理子さんを聴いたのは、かなり昔で、今回はあまり期待しないで行きました。
いやあ、申し訳なかったです。凄く良かったです。
何と言ってもヴァイオリンの音色がこんなに凄かったのですね。
グノーの「アヴェ・マリア」で涙が出そうになるほど感動したり、バッハの「コンチェルト1番」では高い音楽性を感じたり、遊びすぎと思える程のサービス精神の籠ったクライスラーの「愛の喜び」で楽しませてもらったりと、良いコンサートでした。

何かと忙しかったので、1月前ならとてもチケットは買わなかったでしょうが、このチケットを買ったのは、半年前です。時間のある時、お金のある時と考えると、コンサートなんて行けないですね。

2010年11月19日金曜日

講演と落語

先日先日も書きましたが、私は落語好きです。
父親の影響で子供の頃から落語を聞いてで育ってます。
東京や大阪などでちょっと時間を潰さなければならない時の定番は、文具店か寄席です。
一時間だけでも寄席に入る事があります。
たまに良いですよ。

客の少ない時、多い時で、それぞれ噺家の演じ方が違います。
少ない時はマンツーマンに近い語り口をします。ピンポイントでこの人を笑わせるというテクニックを見せてくれます。
多い時は全体を掴まなければならないので、まったく違う語り口になります。

考えてみると私が各地に伺って講師をする際も、自然に寄席のテクニックを使っているようです。講師は何を伝えるのか、明確な目的があります。その目的を達成するために、講義時間をフルに使って伝える訳です。でも、どんなに良い事を言っても、受講者が聞く耳持たない事があります。それは、受講者が悪いのではなく、講師の話し方が悪いのだと思っています。ですから一生懸命工夫をするのです。どうすれば聞いてくれるかです。

まずツカミが必要です。
落語も講演も、最初の3分でコイツの話を聞く価値があるか、聞き手が判断してしまいます。
つまらなそうだと思われたら、その後何を話しても、ほとんど難しくなります。
もちろん講演のツカミは、笑いを取るという意味ではありませんが。

そのあとが枕です。
本論に入る前の場馴らしをします。
聞き手が意識しないうちに、本論に入る基礎的な考え方をこの時間帯に導入します。
会場の同調する気配で長短を調整します。

そして本論です。
会場を掴んでいれば大抵の事は聞いてくれます。

最後に落ちです。
もちろん講演の場合は落ちではマズいのでしょうが、落ちに相当する印象深い終わり方を考えます。
人間ラストが印象的だと全体も覚えているものです。

こんなことを考えています。
これを聞き手に媚びるという言い方をする人もあります。
でも講演は自分の自己満足では意味が無いのです。聞き手が共感して始めて研修になります。
これくらいの工夫、言い換えればサービスが必要だと考えています。

2010年10月24日日曜日

スロヴァキア放送交響楽団の選曲

私は中学のブラスバンドから始めて30歳過ぎまで20年程ホルンを吹いていました。オーケストラやブラスバンドなどの複数の楽団に所属して、毎月どこかのステージに乗っていました。
本当は音楽家になるはずだったのに、今は何故か土地家屋調査士をやっています。
当時は音楽の無い生活は考えられないと信じていたのに、今はあまりにも忙しいので、ゆっくりコンサートに行く回数も減りました。いつも間にか世間からは体育会系と誤解されているようです。

さて本日は久しぶりに妻とコンサートに行って来ました。イズミティ21で開催された「スロヴァキア放送交響楽団」のコンサートでした。
驚いたのはお客さんの少なかったことです。会場の半分まで入っていたでしょうか。
ついこの間までこのようなことは無かったはずです。

確かにこの不況の時代、入場料1万円は痛いかも知れません。ただこれを不況だけのせいにして良いのでしょうか。不況が終われば客は戻るのでしょうか。

問題は、客席を見渡して、ほとんど若い人がいないのです。
これは根本的な問題かも知れません。
ネット配信、欲しい曲だけダウンロード、シリコンオーディオで「ながらリスニング」。時代は変わっています。「良いものは良いのだ」それだけで付いてくる時代じゃないのでしょう。スロヴァキアのブランド力だけでは難しいでしょう。
クラシック界も、新しいお客さんを獲得する工夫と努力が必要です。(もともと「クラシック」というネーミングから問題だと思っていますが)

今日のプログラムは
グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー「ピアノ協奏曲1番」
ドヴォルザーク「交響曲9番新世界」
でした。

これは日本でお客さん受けする人気の選曲なのでしょうが、最近どこのオケが来てもいつも大抵同じ曲です。有名曲10曲程度を廻している状況です。本当にこれはお客様のニーズなのでしょうか。勝手にプロモータが思い込んでいるのではないでしょうか。工夫の方向が違うのかも知れません。
お客さんに媚びるのではなく、クラシックの良さを伝えるのは難しいかも知れませんが、やらなければ、クラシックは滅びます。

「勝手にニーズを決め込んでいる。」
どこかの業界にも通じることだと思いました。

*追伸
スタニスラフ・ジェヴィツキのピアノは大変良かったですよ。

2010年9月12日日曜日

落語「代書屋」

先日「代書屋」の話題を書きましたが、私落語が大好きです。
東京や大阪の出張で、少し時間の調整が必要なときはフラッと寄席にはいることもありますし、私のiPadの中にもかなりの数の落語が入っています。

この「代書屋」は生で聞いたことはありませんが、テレビやCDで何度も聞いています。
この噺を書いたのは桂米団治で、昭和14年頃だったようです。ですからこの噺は上方落語に噺手が多いですね。きっちりと演じた米朝、天衣無縫の枝雀等々、皆なかなか味わいがあります。

桂米団治は、本当に一時「代書屋」をやっていたようです。弟子の桂米朝によると次のような紹介が有ります。

 この「代書」といぅ噺は自分の体験を、いっ時、噺家やめて代書屋をやってたんです。
『上方はなし(kamigata-banashi)』てな雑誌を出すときに一生懸命になりまして「なんかこの時間の融通の利く、落語の仕事があったら行けるといぅよぉな商売ないか」ちゅうて。
 その時分の代書屋、今のよぉに難しぃもんやございません。国家試験やなんて、あんな大層なものはなかった。株を買えばなれましたんでね。で、やるんですけど、にわか勉強でやるさかいに通りまへんねやなぁ。
 区役所の窓口で「これ、違うやないか」「さよか」ちゅうて、書き直してもろて「また違うやないか」「あぁさよかさよか……」また書き直してもろて。
 「また違うがな、どこの代書屋へ頼んだんや?」「あそこの中濱や」「あんなとこ行ったらあかん、あんなとこ」区役所がよぉ知ってるといぅよぉな面白い人でございました。


『窓口で「これ、違うやないか」「さよか」ちゅうて、書き直してもろて「また違うやないか」「あぁさよかさよか……」また書き直してもろて。』耳が痛くないですか?

誰がやっても「代書屋」の枕は、陰気で偉そうで取り付きにくい代書屋を語ります。これが、いまだに「先生」と呼ばれる部分ですね。
以下は米朝の枕の中の最後の部分です。本題に入る直前の部分で羽織を正に脱ぐところですね。

 「儲かった日も代書屋の同じ顔」といぅのは、わたしの師匠の米団治の作でございます「割り印で代書罫紙に箔を付け」なんてな作もあるんですが、うまいこと言ぅたもんですなぁ。ホンにあの代書屋はんちゅうのは「今日は儲かったさかい」ちゅうて嬉っそぉな顔してニコニコと店番してるよぉなことはあんまりないんで、たいがい不精髭生やして陰気な顔してね。
 そこらに置いてあるもんでも、たいがい古びて錆び付いたよぉな文鎮やとか、後ろには大正時代のホコリ被った六法全書なんか並んどりましてね、でこぉ、暇なときにはコヨリを作ったりね、あんまり景気のえぇ商売やおまへん。

 この陰気そうに見せるのが、代書屋の権威付けだったのでしょう。ここに、上方で言う「ケッタイなもん」が履歴書の代書を依頼に来るのです。あまりにもケッタイなので、代書屋の権威なんか飛んでしまうところに、笑いが有る噺です。

現代の代書人の皆さん、時間のあるときに一度聞いてみませんか。



2010年8月22日日曜日

黄金の都 シカン

南米の文明には数々の魅惑的な謎が有り、私は子供の頃から、それらについて書かれた本を読み漁っていました。
私の子供の頃から今に至るまでのミーハー的冒険心を捉えて離さない様々な謎と言えば、
ナスカの地上絵(ペルー)、イースター島のモアイ(チリ)、マチュピチュ(ペルー)・・・
一度実際に見たいものです。

さてインカ帝国の前、9世紀中期から14世紀末にペルー北部に「シカン」という都市国家が有りました。
その展示が仙台市博物館で「黄金の都シカン」として特別開催されていました。
私はずっと見に行きたかったのですが、なかなか時間が取れませんでした。結局、7月2日から開催されていたこの特別展に、最終日の本日やっと行って来ました。

シカンは、大きな経済力と、周辺の異民族との交流を持つ政治力と、高度な冶金技術を持った文化でしたが、つい最近まで誰にも知られていない文化でした。
当時インカ文明の一部であるとされていた発掘物は別の文明に分類されるべきとして、30年もの長い間、このシカン文化を調査発掘して、ついに結果をだしたのが日本人の島田泉氏(現南イリノイ大学教授)でした。
日本人がペルーに渡り、調査しようとすると最初は盗掘者と間違われたり、理解されずに苦労したようですが、結果として世界の歴史に残る大発見をしたのです。
ちなみに「シカン(月の神殿、月の家)」という名前を付けたのも島田氏とのことでした。

考古学はここを掘れば何か出てくると保証されている訳ではないところにチャレンジするのですから、報われない事も多いでしょう。
この島田氏の偉大な業績は、運の良さに助けられた事も有るでしょうが、
「動き出して信念を持って継続しなければ、その運にも出会えない」
ことに気がつかなければなりませんね。

そんなことを考えながら、謎に満ちたシカンの美しい工芸品の数々を堪能してきました。