2012年2月29日水曜日

訃報-大槻正利会員御尊父様


大槻 正利会員(気仙沼支部)のご尊父様が2月27日にご逝去なさいました。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

葬儀等は以下のとおりです。

<通 夜>
日時 平成24年3月1日(木) 午後6時~
場所 「ご自宅」
気仙沼市本吉町津谷松岡34番地

<葬 儀>
日時 平成24年3月2日(金) 午前10時~
場所 「浄勝寺」
宮城県気仙沼市本吉町津谷桜子74
TEL 0226-42-2515

<喪  主>
大槻 正利 様

2012年2月28日火曜日

ふんばろう東日本プロジェクト

東日本大震災もまもなく一年が経ちます。
おそらく3月11日には各地でイベントが催され、大きなニュースになるのでしょうが、それ以降全国的にはほとんどニュースになる事は無くなるでしょう。本当の被災地は何も復興していないのに。

さて、東日本大震災被災者をを支援する様々な人や組織があり、とてもありがたい事だと思っています。すべての人々に感謝していますが、個人としては機会がある度に震災支援プロジェクト「ふんばろう東日本プロジェクト」を紹介しておりました。
このたび、そのプロジェクトについて、その主催者西條剛央氏が自ら書いた書籍が出版されました。



「人を助けるすんごい仕組み」
「ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか」
(ダイヤモンド社)1429円+税

これは、すべての人に是非読んで戴きたい本です。
西條氏はボランティアの専門家ではありません。もともと早稲田大学大学院MBA専任講師です。
彼は被災地の宮城県出身、私と高校が同窓です。
地元被災地を歩いて、支援物資がまったく届いていない箇所が無数に有る事を知り、既存の支援組織では行き届かないことをやろうと立ち上げたプロジェクトです。
とても素晴らしい仕組みで、初めて知ったときからその発想と行動力に感動しておりました。この本で再度この仕組みを読み、更に感動しています。

まだ知らない方は是非このページを見てください。
また西條氏と糸井重里氏のこの対談も読んでください。

土地家屋調査士の皆さんにとっては、今まで日調連の義援金口座がありましたが、来月でこの口座が閉鎖されることになりました。これからは個人的に、この「ふんばろう東日本プロジェクト」に支援先を変更されるのも一つの方法かと思います。

ふんばろう東日本プロジェクトでは、被災地に必要物資を送る仕組みが本当に素晴らしいのです。
必要なものを、必要な数量で、必要なところに、早く確実に送ることができます。実名主義で、被災者に物と心が届きます。
ツイッターで拡散してホームページで制御するこの方法が、本当に早くて確実で素晴らしいのです。
今年の1月時点で、約3000か所以上の避難所、仮設住宅、個人避難宅に計15万3000品目に及ぶ物資支援を行ったそうです。

また、被災地は物だけで無く、職場も無くなりました。
そこで「ふんばろう東日本プロジェクト」は、物を送るだけで無く、本当に被災地のために何ができるか考えて、次々にプロジェクトが立ち上がります。このプロジェクトが立ち上がる度に喝采をしていました。

そこで当面の仕事を確保するということで「重機免許取得プロジェクト」が立ち上がりました。これはなんと昨年のゴールデンウィーク明けには実現しています。

他にも
ミシンでお仕事プロジェクト
学習支援プロジェクト
ガイガーカウンタープロジェクト
PC設置でつながるプロジェクト
冬物家電プロジェクト
物資支援プロジェクト
おたよりプロジェクト
ハンドメイドプロジェクト
手に職・布ぞうりプロジェクト
エンターテイメントプロジェクト
うれしいプロジェクト
いのちの健康プロジェクト
等々、知るたびに嬉しくなります。

西條氏は、ご自身の専門である「構造構成主義」という考え方が、未知の状況で変化の多いこの災害支援にも有効に使える事を示していて、とても参考になります。

ちなみに、皆さんにこの本を買っていただければ、印税その他それも支援になるそうです。




2012年2月26日日曜日

「震災」地籍シンポジウム

もうすぐあの3、11から1年経ちます。
被災地はもちろん、全国で「震災」に関するイベントが開催されてきました。

土地家屋調査士の世界でも、愛知会、神奈川会、滋賀会、北海道ブロックと、シンポジウムや公開講座が続きます。今年のテーマはいずれも「震災」です。
また会員向けの研修会として「震災」を取り上げてくださった土地家屋調査士会も多数有ります。

私たち被災地からもお招き戴き、震災時の様々なご支援に対する御礼を言う機会、また被災地責任として、被災地で無ければ分からなかったことをお伝えする機会を与えて戴き、とても感謝しております。

各々の企画で若干のニュアンスの違いは有りますが、各々東日本大震災を取り上げて、現地の被災状況と調査士会としての対応、地籍における問題点、そして専門家としての対応方法などが取り上げられています。
全国各地、今何が起きてもおかしくない状況です。東日本のあの惨状が他人事で無いと思うからでしょう。

実はこの一年、振り返ってみると、被災地ではここまでは生きるか死ぬかの問題で有り、その時には人々の関心には「地籍」はほとんど何も無いのです。
地籍としてはこれからが問題であり、専門家としてはここからが正念場だと思います。復興の方針が決まれは、やっと土地の境界等に眼が向き始めるのですから。

私たちには、土地に関して、建物に関して、区分建物に関して、既に見えている問題があります。地図に関して、地籍に関しても提言したいことが有ります。
突き詰めれば私たちの専門分野では無いけれど、おそらく総合的に地籍を見ている私たちでなければ気がつかないこれからの問題が存在します。
まだ問題が起こる前に、これらの問題とその解決のための提言を世間にお伝えして、事前に解決を図ることがとても大切だと思うのです。

各地で開催されたシンポジウムの担当者の皆さんは、事前の準備に大変ご苦労されたことを、私はよく知っています。おそらく今、終わってホッとされている方も多いことでしょう。
でも、各地で開催されるシンポジウムを、一度のイベントに終わらせないで、ここから専門家としての新たな役割が始まるという位置づけにしないと、シンポジウムの意味が無いと思います。

我々も被災地として、気付いたこと考えたことを発信し続けたいと思っています。全国の皆さんのご理解とご協力をお願い致します。



2012年2月22日水曜日

前例主義

よく役所は前例主義であると言われます。
「仕事の指針は前例にないことは基本的にしない。」と言われます。
それだけではないと思いますが、民間よりはその傾向が強いでしょうね。

でもこれは役所だけではありません。
日本人の大半に刷りこまれている意識かも知れません。
日本人は、もともと集団から特殊な個が生まれることを嫌い、個が村社会から飛び出すことを防ぎます。
ですから各々の判断基準も集団の中で無難な選択になります。
その典型が前例主義です。
前例主義は、こんな村社会では一番安全な判断でしょう。

仲良くすることと、意見が違うのに妥協することは意味が違います。
「和をもって貴しとなす。」ということも、妥協することではないはずです。

お互いに主張しないと、ある意味思考停止ですが、出てくる答えが前例と同じとなります。
何も問題ない太平の世には前例主義でも良いでしょう。
なにしろ問題ないのですから。

でも前例主義も時と場合によります。
この大震災の非常時にも、官民あちこちに前例主義が見られます。
これがとても復興の妨げになります。
「1000年に一度の・・・」
「未曾有の・・・」
「想定外の・・・・」
等々の文字が並ぶだけで、前提条件が違うと誰もが認めているのに、前例主義がまかり通ることには、呆れてしまいます。

前例を選べば、選択した本人が責任追及されるリスクは大変少なくなります。
失敗したときにも「前例どおりやったのですが、想定外のことが起こり・・・・」と言い訳できます。
これが前例からはみ出た選択した上で失敗したら、間違いなく勝手に判断したとその人の責任にされます。

でも、そんなに責任にされたくないなら、責任のある立場にならなければ良いのです。

総理大臣から地法政治家まで、中央官庁から各地方自治体まで、身近では日調連から各土地家屋調査士会の役員まで、なぜあなたはその立場にいるのか、再度考えてください。

前例で良ければ、あなたでなくて、前任者のままで良かった筈ですよね。
前例で良ければ、人間でなくてデータベースを置いておけば良いかも知れませんね。

責任を持って自分の頭で考えましょう。

2012年2月21日火曜日

不動の絆 ベガルタ仙台と手倉森監督の思い

皆さんご存じのとおり私は長年のベガルタ仙台サポーターです。
まだブランメル仙台と言われた頃から見始めています。
昔は弱いクラブでした。
それでも別に強くなくてもサポーターとしては納得していました。
それが今やJ1のチームとなっています。

昨年は、Jリーグが開幕し、ホーム開幕第2戦の前日3月11日にあの東日本大震災が起こりました。たくさんの人が亡くなり、建物が流失し、いたるところ瓦礫だらけになりました。
こんな状況で、本当に仙台でサッカーの試合が再開できるのか、誰も疑問だったでしょう。

その後、4月23日にJリーグ再開が決まり、ベガルタ仙台も準備を始めました。
しかし、練習場は被災し、避難所暮らし、エースとして来たばかりのマルキーニョスも帰国してしまいました。それでも練習の合間のボランティアをしながら、被災を乗り越えて、試合に臨みました。

Jリーグ再開幕のアウェー川崎戦の劇的な勝利と感激。あの時は泣けました。

再開日程の都合で、平日デーゲーム開催になった、ガンバ大阪戦で1万5千人もの観衆がユアテックスタジアムに集結しました。私はあの試合の日に、網膜剥離で緊急入院しました。自分よりも試合が気になってしようがないことを思い出します。


最終的にはJ1の4位になったのが昨年のシーズンでした。
さすがの贔屓目のサポーターでも想像できない好成績でした。
「復興の光になる」の合い言葉で勝ち進んだのです。





その昨シーズンのベガルタ仙台と手倉森監督の思いを書き込んだ本が「不動の絆」です。
被災し、周りが大変な状況の中、練習場の提供を受け、被災地を離れ関東に行くことになりました。「俺たちはサッカーなんかしていて良いのか」という葛藤を持ちながら、チームが結束していく様を描いています。

この本は監督が何を考え、選手にどう接して来たかを中心に描かれていきます。
選手を採るときの判断基準。選手個人に不満が出たときの対応。
勝てない時機に何をして何を言っていたのか。
試合に出られない選手に何を言っていたのか。

なぜこれだけのハンディを課せられた弱いはずのチームが、勝ち進んで結果を残したのか、この本を読めば良く分かると思います。

サッカーサポーターなら読んで欲しいし、そうでなくても、危機管理やマネージメントの本として読んでも、楽しめる本だと思います。

*私はAmazonで買いましたが、今は初版本が売り切れたようです。その後増刷されたので仙台市内の本屋では平積みされていましたが、本日現在Amazon等では買えないようです。







2012年2月19日日曜日

3.11前と後の組織の責任


「3.11の東日本大震災が想定外だ」ということは、ある程度仕方ないと思っています。

「過去の先人達が残してくれたメッセージに真摯に耳を傾ければ本当は想定外ではなかった。」と、私は機会がある度に全国に訴えているのですが、それでも、ある程度想定外だったことは仕方ないと思っています。

ですから、3.11当時の各組織の役員達が狼狽えて、現実逃避したり、意味のない行動をしたりしたことがあったとしても、そこについては責めてはいけないと思っています。
各土地家屋調査士会会長や各会社団体トップ、町内会会長や各家庭のお父さん等々はそこまでも覚悟してはいなかったはずです。

(これには、絶対に総理大臣を含む国の機関は入りませんが。)

ですから、非常時の他人の行動について、平時になった人間が評価を加えるのは、止めておこうと思っています。

ただし、3.11以降に就任した各組織団体とそのリーダーには、震災対応の責任は免れないと思っています。

被災地であれば、震災復興を覚悟したリーダーであり、被災地以外であれば、被災地支援と万が一の地元被災の際の対策を覚悟したリーダーでなければなりません。
もう日本全国、想定外という言葉は何の免罪符にもなりません。


私は3.11の時点では実際に想定外だと思いました。でもその後の5月の総会を経て再任されたからには、前期とは意味の違う就任だと思っています。


何度も言いますが、「明日来る!」という意識がなければ、防災はできません。
4年後でも30年後でもまったく同じことです。

これからは一切想定外という言葉は使えません。
私もそんな覚悟でおりますので、会員の皆様のご協力をお願いします。


以下は2月17日に仙台支部総会にお招き戴いた際の私の祝辞です。


 本日は、仙台支部総会にお招き頂きまして有り難うございます。


  平素から支部長はじめ役員の方々や支部会員の皆様にご協力戴いていることに感謝しております。お陰様で本会の会務が無事に運営できておりますことをこの場をお借り致しまして、厚く御礼申しあげます。


さて昨年は、あの3月11日の東日本大震災により、会員の皆様は大変辛い一年をお過ごしになりました。ご家族や補助者やご友人を失った会員もいらっしゃいますし、高野会員をはじめ、事務所の被害に遭われた方もたくさんいらっしゃいます。その中で仙台支部の会員の皆様が一人も欠けることのなく、この支部総会を無事開催できましたことは、不幸中の幸いでございます。


宮城会としましては、震災後すぐに対策本部を立ち上げて、会員の皆様の安否確認と支援をさせていただきました。その際の皆さんの献身的な働きは一生忘れられません。
会長として一度も招集しないのに、勝手に集まってくる役員達、毎日炊き出しを持ってきてくれる仲間達、自分の自宅や事務所の中がメチャクチャなのに、仲間の支援を優先してくれる会員の皆様。毎日県内を支援で走りまわりながら、涙腺が緩くなりました。


土地家屋調査士は組織だから動いているのではなく、仲間だから動いているのだと、心から実感致しました。私は土地家屋調査士という職業と仲間に、更に誇りを持ちましたし、正直土地家屋調査士という職業を選んで良かったと思いました。


私たちを含め宮城県はこれから急いで復興しなければなりません。私たちはいつまでも被災者でいてはなりません。復興支援の立場にならなければなりません。
具体的にはこれから増大するはずの専門的な相談への対応や復興支援の業務等が待っています。
これらは儲かるからやりたいとか、儲からないからやりたくないとか、言う問題では有りません。
いつもお世話になっていた地域のお客様である宮城県民の皆様のためにも、専門性を生かして頑張るだけのことです。


私は東日本大震災の際は、偶然就任していた会長でしたが、昨年の総会で会長に再任した際には震災復興を覚悟した会長となります。逃げは許されません。もう少し頑張ります。
仙台支部におかれましても、どうぞこれからも宮城会をご支援とご協力をお願い致します。


本総会のご盛会と仙台支部のご発展、支部会員皆様のご健勝をお祈り致しまして、ご挨拶といたします。


     平成24年2月17日
              宮城県土地家屋調査士会
                   会長 鈴木 修

2012年2月15日水曜日

フリクションボール3

インク色がハッキリ出て、しかも消そうと思えば綺麗に消えるペン、フリクションボール」はもう手放せないペンの一つになりました。
最初の衝撃的デビューから時も経ち、今や世界中を席巻しているとのこと。

私は特に予定表の記載には無くてはならない存在です。
私の場合、何かと予定が動くのです。

今までは鉛筆か、付箋で対応していました。
鉛筆で書いた予定は確かに消すことができるのですが、鉛筆の芯で周りが汚れることがあります。
また、筆圧が強いと芯の色は消ゴムで消えても、跡が残ります。

付箋に予定を書いて、手帳に貼り付けることも結構やっておりました。
これは予定が移動する際に張り替えれば良いので、重宝しておりました。
ただ欠点として張り替えやすいので、簡単に予定を移動したくなることです。
やはり予定の基本は、意味が有ってそこに入れた予定なのだから、できるだけその時点で消化することだと思います。

フリクションで書くと、しっかりとしたインク色なので、付箋に比べて、動かそうかなと言う気持ちに少しの歯止めになります。

最近動かせない予定は水性ボールペンで、もしかしたら動くかも・・という予定はフリクションノックで、書き込みます。

また私は、予定も記録も、その種類毎に色を変えて書いています。
ですから、私のノートは女子中学生のノート並みのカラフルさです。
そこでフリクションボールを各色持ち歩いているわけです。
消えないペンとしてのCOLETO Lumioも常時2本持っているし、ペンケースに入りきらなくなってきました。

そんな状況もあったので、フリクションノックの他色ペンが出ないかずっと待っていましたところ、先日やっと発売になりました。

下の写真の一番左です。3色ボールペンです。
右の単色と比べると太軸ですね。
またその間にあるのが替え芯です。構造上仕方ないことですが、従前のリフィルと比べてみるとかなり短い芯です。
もともとフリクションシリーズはインクの持ちが良くないのですが、これは結構インク交換が早いかも知れないと思いました。


まあ、若干の不経済なところは我慢しますが、それより、このデザインがどうにかならないのかと思います。
私は本来美しいペン以外は持ちたくないのですが、この機能性で仕方なく持っているのです。
最近はやりの厚いものにも挟めるクリップを持っていることは加点ですが、全体のデザインがチープすぎます。
といいながら、この3色ペンは常時携帯になりそうです。

パイロットはそういう面倒な人のために、ビジネスシーンでも取り出せるフリクションとして、フリクションビズシリーズを出しています。
しかし、あれでも私は、デザインとしてイマイチと思っちゃうのです。
あの消すための専用ラバーの存在がデザインを行き詰まらせるとは思えません。
パイロットのデザイナーは本当にあのデザインが好きなのでしょうか。

実際に気に入ったペンにフリクションのインクリフィルを入れていたこともありましたが、消すための専用ラバーが無いので、若干意味が無いことになっていました。

万年筆愛好者をもうならせる質感の良い軸があったら、高くても買うんですけれどねえ。



2012年2月14日火曜日

訃報ー中村邦夫さん 福岡会

福岡会名誉会長の中村邦夫さんが2月10日にご逝去なさったそうです。福岡会の山本幸伸さんから教えて戴きました。

突然の訃報で信じられない思いですが、事実だそうです。ご本人の希望で、ご家族のみのご葬儀だったそうです。中村さんらしい話です。

中村さんは、誰の前でも、どんなときでも、変わらない姿勢を見せてくれていました。言葉も行動もブレのない方でした。穏やかに見えましたが、土地家屋調査士にとても熱い気持ちを持っていた人ですし、とても広い視野も持っていた人です。
昨年、日調連の副会長に立候補されたときも、名誉等が目的ではなく、心から土地家屋調査士をどうしたいのか、しっかり考えていた人でした。もともと派手なことが嫌いで、全国行脚のような選挙活動もしませんでした。

お付き合いした人でないと、良さが分からない人だったかも知れません。
業界にとって、とても惜しい人を亡くしました。
私は、葉月の会などで昔からお付き合いをさせて戴いておりましたが、常に物事をまっすぐに考えている方で、ご自分より後輩達を大切に考えて指導してくれる方でした。

そして他人を真っ向から否定することはせずに、優しく良い部分を見て伸ばすことを考えていた方です。これも誰にでもできることではありません。
今年は時間を取って福岡にお伺いし、中村さんとゆっくりとお話ししたいと思っていました。とてもとても残念です。とてもとても悲しいです。

まさか中村さんに言う言葉になるとは思っていませんでしたが、
ご冥福をお祈り申し上げます。

ありがとうございました。

2012年2月13日月曜日

訃報ー岡田拓会員のご尊父様

岡田拓会員(石巻支部)の御尊父様がご逝去なさいました。
葬儀等は以下のとおりです。
岡田会員とは10日の支部総会でお会いしたばかりでした。
御尊父様のご冥福をお祈り致します。

<通夜>
日時:平成24年2月15日(水) 午後6時30分~
場所:ご自宅
石巻市飯野字中山28
電話 0225-61-1442

<葬儀>
日時:平成24年2月16日(木) 午後2時~
場所:光厳寺
石巻市飯野字寒風沢内田55
電話 0225-62-1333

<喪主>
岡田 拓

2012年2月12日日曜日

ALWAYS 三丁目の夕日'64

昨年の大震災後、日本人の価値観は変わったと言われました。
故郷が戦後の焼け野原のような光景になったのですから、知人友人をたくさん無くしたのですから、そして人と人との絆をたくさん実感したのですから、価値観も変わります。

でも、まもなく一年を経過する今、また日本人は喉元が過ぎて、元に戻りかけているような気がします。
もちろん元に戻ってても良いのです。悪いとは言いません。
ただ少なくても私自身は、あの震災を経験して少し変わったと思います。

幸せって何でしょうか。
人間として、家族として、日本人として、何を幸せと感じるのでしょうか。

昨日久しぶりに休みを取りました。
そして、妻と映画を観てきました。
「ALWAYS 三丁目の夕日'64」です。
この映画、三作全部映画館で観ています。
今回はせっかく映画館で観るのだから3Dを選択しました。

今作は1964年が舞台です。いつもの馴染みの三丁目の皆の5年後の話です。
戦後の焼け野原から、日本人は立ち直り、高度成長期を迎え、東京でオリンピックが開催された年です。
私の年代には、あの時代の空気感はすっぽり嵌まります。
皆が夢を持って、一生懸命で、優しくて、そして貧しくても幸せで。
でも、おそらくあの時代を知らない人にも、この映画は響くことでしょう。

実は前回も前々回も、映画を観ながら泣いているのですが、今回もやられました。
間違いなく安心して先が読めるストーリーですよ。
またまた、これは無いでしょうと思うようなくどい演出もありますよ。
でも映画通ぶらずに批評家のような眼を捨てて、この世界にどっぷり浸かってみたら、すごく幸せになれますよ。

3.11以降、図らずも東北は、この昭和の焼け野原からの戦後復興と同期することになりました。
もう一度、この優しさとたくましさを持って、幸せに生きたいと素直に思えました。

2012年2月11日土曜日

石巻支部総会で紹介されたメッセージ

2月の宮城は、全国でも珍しい支部総会シーズンに入っています。
今年に関しては、私個人、他会の講師などが重なって各支部総会に副会長の代理出席が多くなり、大変恐縮しております。
ただ、全国からご支援戴いた宮城会として、今できるお礼はこれくらいかと思い、被災地責任として「震災」の話をしております。ご理解をお願い致します。

さてその中で、石巻支部総会にお招き戴き、昨日出席して参りました。
昨年は2月10日の開催でした。まさかその1ヶ月後にあの大震災が来て、石巻の土地をここまで変えるとは誰も思っていなかったと思います。様々な想いで、途中の被災地を通過しました。

石巻支部の及川潔支部長も、会長としての私も、さすがに震災対応をする覚悟で役職に就いたのではありませんが、起こったときには頑張るしかありません。
中でも被災の大きかった及川支部長のご苦労は、計り知れないものが有ったでしょう。
お疲れ様でした。

石巻支部にも、事務所も自宅も流された会員もいらっしゃいますが、一人も会員が失われなかったことは、不幸中の幸いでした。そのような中での総会開催でしたので、今年の出席率はどんな感じなのだろうかと心配しながらお伺いしました。

しかし、石巻の結束はすごいですね。
支部会員24名中、出席が22名、委任状による出席が2名の全員出席であり、その委任状出席の方2名も、同時刻に法務局で相談員として派遣されている会員と、ADR特別研修に参加している会員の2名ですから、パーフェクトですね。

総会も活発な意見が出て良い議論だったと思います。その意見も特定の方だけではなく、たくさんの方が発言したことが印象的でした。良い総会ですね。

今復興のために、「忙しい、忙しくない。儲かる、儲からない。」にかかわらず、支部会員全員で復興業務に当たっていると、支部長から聞いて、とても嬉しく思いました。

総会の中で紹介された及川支部長と松本協会支所長の連名で発信された1月26日付「地図実態調査作業に関する説明会」の通知文の中の素晴らしいメッセージ(抜粋)を転載します。

拝啓
 日頃支部及び支所の活動にご協力賜り厚く御礼申し上げます。
昨年の3.11震災で石巻地方2市1町の犠牲者・行方不明者は全体の3分の1以上に達し、誰しもが大切な親戚や友人を失って悲嘆に暮れ、自然の猛威に驚愕した年でありました。未だに瓦礫が放置されたままのところも多く、復興の小槌の音はほんの一握りしか聞こえてまいりません。夜明け前の寒さがいくら厳しくとも、必ず日は昇ります。かつての日本は、数々の苦難を乗り越えめざましい復興を遂げて参りましたが、これからは、この震災によって体現した絆をつなぎ、地域経済の復興に歩みを進めていかなければなりません。
 さて、法務省から受託した標記の作業について当石巻支部、石巻支所の全員参加によって業務を行うことになりました。(以下略)





2012年2月9日木曜日

事前復興支援です

2月3日に「あいち境界シンポジウム」が開催されました。
そこで、岩手、福島、宮城と三会の会長がお招き戴き、お話しする機会を戴きました。

愛知会は長年に渡り、「境界シンポジウム」を開催されてきました。土地家屋調査士が境界の専門家であることを内外に伝え、実際に日本における大きな役割を為されていました。
私も過去何度かお伺いして勉強させて戴いておりましたが、私がステージに上がることが有るとは考えておりませんでした。

今年のテーマは「東日本大震災 その時とこれから ~土地家屋調査士による復興支援~」です。
現地は境界どころじゃない部分もありますが、その点をご理解なされながら、土地家屋調査士の視線から分かったことなどを発表する機会を作ってくださいました。

私は専門家でなくても分かる被災時の支援等の動きについての話、
次に菅原岩手会長が専門家に伝える被災地域における法的技術的なお話し、
最後に五十嵐福島会長による福島の原発と地域住民や土地家屋調査士の現状についてのお話しをさせて戴きました。

三会長で役割を分担し各々発表し、その後パネルディスカッションという形になりました。

もう、今の日本列島はどこで何が起こっても「想定外」ではありません。
それでも、全国の皆さんに緊迫感はほとんどありません。
頭では理解していても、心が認めていないようです。

被災した私たちでなければ知り得なかったこと。私たちでなければ伝えられないことがあります。
それをお伝えするのが「被災地責任」であります。
私たちは被災地として、うつむいて、何か支援を待っているわけでは有りません。
既に支援のお返しをしているつもりです。
他の地域に行って、震災が来る前に、対策や心構えをお知らせすることは、事前の復興支援と思っています。
ですから、本気で支援に行っているつもりです。
心をフラットにして、本気で話を聞いてください。

内容は、今村一正豊山町議のホームページに紹介して戴きました。
ここに掲載されていることは、他の方から教えてもらいました。
ここまでメモを取って戴いて、少しでもお役に立てたかと嬉しく思っています。





2012年2月7日火曜日

偽装被災者ですか?

ある支援団体の会合で、「長い間支援物資を送ってきた現地の支援団体には、偽装被災者も含まれるので、もうあそこには何も送らない。」というお話しをお聞きしました。

全国の景気は大変悪く、もう被災地支援はうんざりしてきたというところが本音でしょう。
テレビのニュースも、今更津波の映像もニュース性は薄く、別の角度からと言って、安易に「被災地バブル」などの報道がされているようです。
「全国が疲弊しているところ、バブルのところに何故支援しなければならないのか」当然そういう疑問になるでしょう。ちなみに現地ではこのような報道はありません。

確かに復興のための産業は、土木建設関係は忙しいでしょう。
それが現地の人間なのか、他所からの人間なのか、そして現地は潤っているのか、実際に来てみて欲しいと思います。
国分町などの繁華街は連日満員で、デパートは高級品が飛ぶように売れているんですって?
分かりません。
少なくても私には実感がありません。
震災前、年中無休だった大手百貨店が、最近休日を採り入れました。
本当はどうなんでしょうね。

先ほどの支援団体は、被災地に「何が欲しい?」と聞いてくださいます。
私たちはこの問いに答えにくいのです。
私以外の東北人は、我慢強く、遠慮も知っています。
でも遠慮して答えなければ「もう要らないんだ」と言われます。
下手に答えると「わがままだ」と言われます。

生きるか死ぬかのときは遠慮無く「水ください」などとお願いしましたが、今は生きてはいけます。
でも不自由さが変わらない方も多いのです。
その方々は、皆様にどこまで甘えて良いのか困っています。

避難所には物心両面で困っているたくさんの人がいます。

上記の支援団体の話ですが、支援品のお願いの中に、「プーマのジャージ」と「○○(ブランド)の口紅」の2点の要望があったようです。
「贅沢品だ!」
「何を考えているんだ。偽装被災者だ!」
「もうこんなリクエストを入れてよこす支援団体とは付き合わない!」となったようです。

気持ちは分かります。
でも何が欲しいと言われたから、子どもがジャージと言ったのでしょう。子どもだからどうせ戴けるなら「プーマに限る」と思ったのでしょう。その子にとってプーマは意味があるのです。
口紅も生きるか死ぬかのときを過ぎれば、女性は化粧したいでしょう。化粧品は何でも良いわけではないでしょう。「もし戴けるのなら、いつものこのブランドで」と思ったのでしょう。
それが支援者には気に入らないのでしょうね。
それなら、「このリクエストには応じられません」と言って戴いて、他のリクエストに応じて欲しいのです。偽装被災者とまで言わないで欲しいのです。

こんなことの積み重ねで、被災地は発信しにくくなります。

どんな支援物のお願いなら、お気に召すのでしょうか。
私たち被災地の人間は、発展途上国の経済難民ではないのです。
自分の子どもや孫が被災地にいて、「サッカーボールが欲しい」などと言ったら、本気で「偽装避難者だ!」と非難しますか?

ダメで結構です。
お願いですから、優しく「それは無理なんだよ」と言ってください。


2012年2月6日月曜日

パネルディスカッションも悪くない

主役級の役者が6~7名ほど出演し、筋書きがほとんど無い演劇があれば、どんな演劇になるでしょうか。
本当に力のある主役同士がジャズのように緊迫感のあるアドリブの応酬で面白くなることも希にあるでしょうが、それが主役6~7名なら、まずどうにもならないでしょう。
狂言回しの役者まで主役を喰おうと、目立ちはじめたら尚更です。

今までの私が見てきたパネルディスカッションはこのようなものです。
このメチャクチャな内容で成功した例は、初期の「朝まで生テレビ」ぐらいでしょうか。
この番組にしても、ディスカッションの内容よりも、格闘技のような攻撃防御の面白さだけでしたので、今はほとんど飽きられています。

本来、観客がいるときにパネルディスカッションの形式を採る意味は、一方的な講師の説明で終わるより、パネルディスカッションの会話形式で問題点をわかりやすくする効果が期待されるからだと思っています。
そして、これには綿密な筋書きと準備が必要だと思います。

ところが何も考えず、この人達を呼んで、まとめて話させれば何とかなると思っている企画が多すぎます。皆さん主役ですから、主役らしい演技をしたくなります。コーディネーターも主役だと思っている方もいます。もっと始末に負えません。

誰のためのパネルディスカッションなのか。出ている人達の自己満足や、個人的アピール。もっと問題なのは主催者側の安易な企画です。観客を集めて何を見せるつもりなのか、このイベントで何を伝えたいのか、それがほとんど無い企画が多すぎます。

それで私は「パネルディスカッションが苦手だ」と言い続けてきました。

しかし、先週2月3日に開催されました「あいち境界シンポジウム」に参加して、以後「苦手だ」とは言わないことにしました。
やはりしっかり事前に打ち合わせをして、筋書きをつくり、お互いに役割を理解して、個人的に出過ぎずにお互いの役割をしっかり演じることで、一方的な講演では伝えにくい内容がお伝えできることが確認できました。

しっかり準備をした愛知会の皆さん、わざわざ被災地まで足を運んでイメージを共有してくれた愛知会長はじめスタッフの皆さん、皆さんが事前打ち合わせに時間を割いて、ギリギリまで内容を詰めてくださったことで、内容と進行が明確になりました。

特にコーディネーターの赤川美咲さんが、ご自分が土地家屋調査士だから当然知っていることも、知らないふりをしながら質問をしてくれたことで、論点が明確になりました。
プライドの塊のコーディネーターでは、これができません。

またパネラーも、岩手会長と福島会長と私という気心が知れた3名だけだったので、準備と役割分担も上手くいったと思います。

私は前言を撤回します。

パネルディスカッションも悪くない。

2012年2月5日日曜日

目標があるから研修がある


最近全国の研修担当役員から研修会のアイディアについて相談を受けることがあります。
そんなにお困りなのでしょうか。

個人でも組織でも、こうありたい理想の自分(達)があって、それには何が足りないのかを把握して、それを埋める作業、が研修だと思っています。

「何か事業計画で研修会を数回開催しなければならない、どうしようか。」そんな問題ではないと思っています。その程度の考えで研修をするなら、会費の無駄です。

私は新人の頃、分からないことだらけでした。なんとか一人前になりたいと思っていました。私が一人前の先輩と考える方と私とどこがどれだけ違うのかを考えて、そこを重点的に埋めることに集中していました。

「あの人と法律理解力はあまり変わらない。測量の力はあの先輩の方が上だ。」そう思えば、毎日公園で測量練習をしただけです。次に何を学ぼうかと考えるまでもなく、とにかく次々に課題がありました。
研修とはこういったものだと思います。

ですから、まずは個人として、または土地家屋調査士業界全体として、将来こうありたいという理想像を具体的に描くのです。次にその理想像に我々はどれくらい近いのか、どこが足りないのかを把握します。

その中で緊急性や重要性で分類するのです。そうすれば、少なくても数年先まで研修会のテーマで困ることはなくなると思います。

テーマが決まれば、理想と現実の力がどれだけ離れているのかという具体的現状把握です。それを研修会という形で埋めていくとすれば、どのような研修会を何回の計画でクリアできるのかを考えるのです。ここが甘いとフィットした研修になりません。どんな立派な講師を連れてきても、「難しすぎる」「聞きたいことと違う」等々、役に立たない研修会になります。

「我々の目標は何か」「10年後の土地家屋調査士はどうあるべきか」これらは、実は研修部の理事だけで考えることではありません。役員だけでもなく会員全員で考えて、それを皆の共通理解で進めなければなりません。
そして講師に何を目標に何を伝えて欲しいのかをしっかり伝える必要もあります。
良い研修とは、良い理想に近づける実感が得られた研修を言います。

2012年2月1日水曜日

研修会限定グッズ?

鹿児島県土地家屋調査士会が作成した防寒着です。
これは鹿児島会の谷口会長から送ってもらったものです。
色は黒、格好良いでしょう。


中にフリースが入って暖かいし、ポケットもたくさん有って、気に入っております。


胸と背中に「土地家屋調査士」のロゴが入っています。
背中のロゴはフードを上げたら見える位置に入っています。


右袖に土地家屋調査士マークが入っています。




かなり良いと思うので、鹿児島会と相談して、宮城会でもこの防寒着を企画しようと、先日の常任理事会に話題にも出しました。さすがにシーズンの真っ最中で、もう在庫がないと思っていたからです。

その後鹿児島の谷口会長からの情報で、まだ今シーズンに少し在庫があるとのことをお聞きしました。それなら少しでも早く皆さんに提供できると、先日の研修会限定で皆さんに募集したところです。研修会参加者にその日限定で申込みを締め切ったのは、ゆっくり募集をかけているとシーズンが終わってしまうからです。
それでもかなり反響が有りましたね。
あのときの着用モデルが良かったからでしょうか。

この「研修会限定グッズ」、つまり研修会に出席した人だけの特典、これを何か毎回続けると、研修参加義務やCPDポイント等よりも会員皆さんの参加モチベーションが湧くかも・・・。

いやいや、研修会は中身ですよね。
先日の研修会も出席率70%を越えました。
全員が出席したくなる研修会をこれからも企画しますので、ご参加ください。