2015年5月24日日曜日

すべて皆様に感謝

お陰様で22日の宮城県土地家屋調査士会総会で6年間の会長を無事に退任致しました。

前回も申し上げましたが、あの東日本大震災が無かったら私は4年前に会長は終わっていたはずです。被災した方々には申し訳ないくらい小さな事ですが、その点でも東日本大震災を恨んだこともあります。
しかし、振り返るとあの東日本大震災の時に、宮城の仲間が勝手に集まって「チーム宮城」を体験できたこと、全国の仲間が連絡を取り合って支援物資をリレーで運んでくれたことなど、あの時会長でいたことは、私の人生でとても貴重な経験になりました。

また先日の総会の後の懇親会でも「普段総会後の懇親会には出ないのだけど、鈴木会長に挨拶したいから懇親会に来た」という会員さんがいました。
この方も私とは違う支部に所属していますので、会長をやっていなかったら会えなかったかも知れない人です。

全国にも会長をやっていなければ会えなかった人達がたくさんいます。
本当にたくさんの人々と友人になることができました。
2年の会長のつもりが6年やったので、3倍の友人ができました。

そう考えると会長も悪くなかったと思います。

新しい宮城の会長は菅澤賢一さんです。
ご存じの方も多いと思いますが、とても素晴らしい人格の方です。
良い会長になるはずです。
私同様に応援をお願い致します。


さて、私個人のことですが、私は会長を離れても、今後も宮城や全国の新人達に、研修を通じて応援していきたいと思っています。
全国必要とされればどこにでも行きます。この活動はやめません。

今私達はどこを目指すべきなのか。
 努力の方向性を教えます。
何故そんなことをしなければならないのか。
 努力の必要性を教えます。
明日何から始めれば良いかを教えます。
 努力の具体的な一歩目を教えます。

全国の新人の意識が変われば、10年後この世界は変わります。
宮城はすでに変わりつつあります。


そして、6年間好き勝手書かせて戴いた「会長ブログ」を終わります。
会長という公の役職を冠しながら、個人的なことを書き続けたブログでしたが、多くの皆様が読んでくださいました。感謝しております。
ブログをやめると思ったら、多くの伝えたいことが残っていることに気が付きました。
どなたかのお役に立てるなら、もう少し個人の立場でも何か書かせて戴こうかと考えています。方向性が決まったらまた報告させて戴きます。

すべての皆様に感謝します。
ありがとうございました。







2015年5月21日木曜日

このブログについて

明日22日の宮城県土地家屋調査士会総会で私は会長を退任します。
只今明日の準備の打合せを終えました。

皆さんのお陰を持ちまして、会長としては悔いを残さずに退任できます。
次期の執行部もよろしくお願いいたします。

さて、私は会長を退任するので、明日で「会長ブログ」は終了になります。

以前も書きましたように会長を辞めるときには、このブログを当然に辞めるつもりでした。
これは、公式書類だけでは伝わらないニュアンスを会員の皆さんに伝えるつもりのブログでした。
そして、会長と会員との話題の接点を作るつもりのブログでした。

しかし毎日平均300人程の閲覧と、通算76万6千弱の閲覧数がありますし、今では宮城会以外の土地家屋調査士の方や、土地家屋調査士以外の方も閲覧してくださっているようです。

先日のブログ以降、また皆さんからの「続けるように」というありがたい励ましを戴き、私自身もまだ書きたい気持ちも残っています。このような考えは始める前にはまったく無いことでした。

また、私は会長を辞めても全国の新人達の研修を辞めるつもりはありません。
むしろ会長の立場を離れることで、講師はやりやすくなると思っています。
このブログは、そうした各地の研修会でお会いした新人達へのフォローの役割も持っているとも思っています。

だから、これからも何らかのブログは続けることにします。 

ただ土地家屋調査士に関する記事に限っては、今のままの書き方で良いのか、迷います。
会長だから書くことができることもあります。
一会員の立場では書きづらいことがあるのではないか、そこが一番難しいことです。

また形式についても、このブログのタイトルを変えるだけで良いのか、
会長の立場で書いた過去の記事との整合が取りにくいのでこのブログを放置して別のブログを立ち上げるべきなのか、
放置するだけだと「会長がまだ鈴木?」と誤解されそうなページがネット上に残ると言うことですし、どうすれば良いかまだ決まりません。

とにかく5月一杯は休ませて戴き、何か考えてみます。
6月1日を目安としてまた何らかの形で始めさせて戴きたいと考えています。

ありがとうございました。
また今後もよろしくお願い致します。


*総会後、もう一度だけ書かせて戴きます。



じめんのボタンのナゾの寄贈

私達の業界では大変有名な本、
「じめんのボタンのナゾ いちばんえらいボタンをさがせ」を、
本日(5月20日)に仙台市教育委員会に寄贈してきました。
近いうちに仙台市内の各小中学校の図書館に届くでしょう。





左は、仙台市教育局 学校教育部 教育指導課課長 坂本憲昭 氏、
右は、宮城県土地家屋調査士会 三浦幸治副会長


「じめんのボタンのナゾ いちばんえらいボタンをさがせ」は
平成23年度、第29回全国小中学生作品コンクール生活科部門で
最高賞「文部科学大臣奨励賞」受賞した作品です。
当時、富山県富山市立蜷川小学校2年せいの本吉凜菜(もとよし りんな)さんの自由研究です。
読んだことの無い人は是非このリンクを見てください。
「じめんのボタンのナゾ」

改めて読んでもとても素晴らしい研究です。
全国小中学生作品コンクールホームページには以下の解説があります。

通学路で地面にたくさんのボタンがあるのを見つけた凜菜さんが、そのボタンの正体を探りまとめた作品です。
ボタンの目的や誰がどうやってつけたかなどの疑問を解決すべく、ボタンに書いてある「土地家屋調査士会」に行って、 ボタンが土地の境界を示す「金ぞくびょう」などであることを知ります。
さらに、もっと大事なえらいボタンがあることを教えてもらった凜菜さんは、国土地理院まで出かけ、 『街区三角点』などの基準点があることも知り、その街区三角点がなんと凜菜さんの小学校の屋上にあるという嬉しい発見に至ります。
ボタンそのもの以上に「そのち点にふかいいみがあるんだなとわかりました」というしっかりした結論が見事です。
日常のふとした疑問を深く探究する姿勢、そして読み手を引き込む工夫のあるまとめ方が大変素晴らしい作品です。

その後日本土地家屋調査士会連合会でも、この本を題材にした書籍や特別番組を作りました。

書籍    ←日調連がこの研究を題材に新たに解説を加え編纂したもの

特別番組 ←宮城会のホームページの真ん中に動画へのリンクが有ります。

この書籍は、土地家屋調査士会の中部ブロック協議会が、被災地の子どもたちのために役立てて欲しいと贈ってくださったものです。
まだ他にも届けるお約束が有り、一冊も無駄にしないように致します。
本当にありがとうございました。






2015年5月18日月曜日

22日は宮城県土地家屋調査士会総会です

今週の22日金曜日は宮城県土地家屋調査士会総会です。


東日本大震災により総会会場として使えなくなったメルパルク仙台から、急遽総会会場捜しからはじめた2011年総会から早4年、震災後5回目の総会です。

私、本来1期2年のお約束で会長になりながら、大震災対応等の事情で結局3期6年を勤めて参りました。私としても予想外のことでしたが、私に与えられた運命なのだろうと理解し、ここまで参りました。

大震災時に、自分たちも被災しているのに、しかも招集もかけていないのに勝手に集まっている役員達。まだ余震が収まらない数日後から宮城の沿岸部の仲間に支援物資を届けたいという会員達。もちろんこれを支えてくださった全国土地家屋調査士の仲間達。
このブログの2011年の3月の記事を読み返して、それらを思い出す度に、熱い思いが蘇ります。

「チーム宮城」
私の人生の中で、とても大切なものを戴いたと思っています。

東日本大震災は決して忘れずに、専門家として語り継がなければなりません。
また震災復興は、今後も会員全員で全力で向かわなければなりません。

しかし一方、私達が被災地で東日本大震災対応に追われている間も、世界や日本の技術や制度は待ったなしで動いております。この20年様々な外圧や技術革新から、ここに来て日本政府にも行政の枠組みにも、私達の資格制度にも大きな変化が現れ始めています。この変化の顕著な時期に私達の眼は震災だけを見ているわけにもいきません。

不動産登記制度も世界の潮流と独立して永遠に変わらないではいられません。
平成16年及び17年の不動産登記法改正と平成19年の地理空間情報活用推進基本法が無関係なはずがありません。
地籍情報の中の登記情報と捉えて考えれば、地積測量図の公共座標化や分筆時の全筆測量や、筆界未定を払拭するための筆界特定やADR等々、当たり前に地籍情報の方向性が見えてくると思います。

 震災で忙しいのは今だけです。近視眼的にならず先を見て行動しなければなりません。私達専門家と言われる資格者は、どんな流れになっても、我々を頼りにしてくれている国民の皆様のお役に立つために、生き残らなければなりません。
もう昭和の時代の成功体験を懐かしんでいても、物事は前に進みません。
調査士会としても把握した情報は積極的にお知らせしますので、会員の皆様も震災でお忙しいことは重々存じておりますが、明日のための行動も宜しくお願いいたします。

今総会は、そのような背景を考えながら、新しい執行部を選んで戴く総会でもあります。
会員全員が22日の総会に出席して、意義ある御議論をお願いしたいと考えます。

また今年も懇親会を準備しております。
こちらも是非ご参加ください。




訃報-中嶋秀会員のご尊父様ご逝去

中嶋秀会員(仙台支部)のご尊父様が5月13日にご逝去なされました。

ご葬儀・告別式については、近しい親族のみで家族葬としてすべて執り行われた旨、ご連絡をいただいております。

謹んでお悔やみ申し上げます。

2015年5月17日日曜日

伊達な地図づくり in 宮城

5月30日(土)に今年も開催されます!

「伊達な地図づくりin宮城」
~未来へ続く地図づくり~

公益社団法人宮城県公共嘱託登記土地家屋調査士協会の主催で、宮城県土地家屋調査士会も後援しているイベントです。

1.土地が動いた?
~震災が土地境界に与えた影響~

2.城下町仙台と城下絵図
~絵図から探る城下町の移り変わり~

3.伊能忠敬の奥羽測量と伊能地図
~50歳からの地図づくり~

面白そうでしょ。
会場は仙台メディアテークです。

アトラクションとして落語があったり、お子さん達のために歩測のコーナーがあったりします。
お米やお菓子のプレゼントも用意していますので、土地家屋調査士でない方々も、お散歩の途中などで結構ですから、ご遠慮なくお立ち寄りください。

*実はこのお米がとても美味しい農家からのものなんです。



2015年5月14日木曜日

Apple Watch は時計だった

Apple WatchについてはApple社による詳細発表の5時間前に書いたブログで書きましたとおり、当然に買いました。
今も私の左手首に位置しています。

Apple Watchが「必要か、不必要か」という議論は、とても難しいです。
少なくても3月まではこの世に存在しないグッズです。
それがなくても世の中は動いてきました。
だから無くても問題はありません。

私の場合は、もう半月以上使っていますので、今無くなったらちょっと不便に感じるかも知れません。しかし、スマホと出会って、今更スマホ無しの生活は考えられないという程の便利さではありません。

結局、正解は「欲しいか、欲しくないか」ということに尽きると思います。

世の中にはApple信者と呼ばれる人達がいます。
Apple様が授けてくれるなら、何でも受け容れたい。
定期的にお布施をして、その御札のように神がかったグッズを手に入れなければならない。
そんな人達を言います。
私も今までそんな行動をしています。
大抵のApple製品は初日に入手しています。

実は、それでも今回はちょっと購入を迷いました。
何故なら、前回も書いたように、それが時計だからです。

最近は時計をしない人が増えてきました。
携帯を持っていれば正確な時間が分かるからということです。
しかし、私達世代で腕時計無しは少数派です。
私は手首に何も無いと、むしろ不安な感じすらあります。

そして、この年齢まで生きてきますと、好きな時計も数個持っています。
それらをお蔵入りにして左手首を明け渡すほどの美しい時計をAppleが用意できるかどうか。
しかもそれはビジネスでも使える品の良さも必要としています。
私にとってのApple Watchのライバルは、他のスマートウォッチではなく、既存の時計です。

ですから、この時点で私はWatchの機能を問題視していません。もちろん世間が言うバッテリーの持ちなども、さほど気にしていませんでした。
私の関心はAppleが創るWatchはどれほど美しいのか、そこ1点が問題でした。
四角いフラットな形状は、正直私の時計の好みからは外れています。
写真で見る分には、Apple Watchはやはり「ガジェット」であって、私の中の「時計」ではないと思えました。























それでも結局買ったのです。
私はスーツに合わせるために、黒革ベルトの38mm Watchモデルにお布施をしました。

実際に手にしてみると、その形状は確かに時計として大好きな種類ではありません。
しかし思ったよりは、はるかに工業製品として質が高いです。造形はとてもきれいです。
形状としては大好きではないけれど、嫌いではない、少なくても私の左手首に有っても悪くないと思います。

最初Apple Watchは時計じゃないのだから、そこは仕方ないだろうと思っていました。
液晶ディスプレイは当然四角形でフラットが合理的なものですし。
でも、使ってみてわかりましたが、やはりこれは「時計」なのです。
Apple社に言わせれば「時計の再発明」なのでしょう。
現代人のライフスタイルの中の「時間と人間関係に関わる部分を再度掘り下げて再構築した時計」なのだと思います。

使ってみて分かりますがiPhoneとの連携が高度に考えられています。
iPhoneをバッグ若しくはポケットにしまっているとして、腕に巻いているWatchに何を通知して、何をさせて、どの場面でiPhoneを取り出すのか、この作業はどちらでやらせれば良いか、そんなことが本当によく考えられています。

Watchで始めて実現した機能もあります。しかし私の使い方からするとそこは大した問題ではないです。むしろ連携が重要です。

その掘り下げた部分の機能や使い勝手ですか?
それは他のブログでいくらでも書いているでしょうから。
そちらを参考にしてください。

ここでは、「欲しいか、欲しくないか」だけで書いていますから。






文字盤をミッキーにするときはいつか?って、
「ほーら、Apple Watchだよ」って、ドヤリングするときです。




2015年5月13日水曜日

今朝の地震も大きかったですね

今朝宮城県沖で大きめの地震がありました。
久しぶりに携帯がアラーム音を鳴らしました。

以下気象庁の発表です。


地震情報(地震の活動状況等に関する情報) 平成27年5月13日08時24分気象庁発表

「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第76報)
-平成27年5月13日06時13分頃の宮城県沖の地震-
13日08時10分現在の概要を以下のとおりお知らせします。

*** 地震の概要 ***
発生日時:5月13日06時12分
マグニチュード:6.8(暫定値)
場所および深さ:宮城県沖、深さ46km(暫定値)
発震機構等:東西方向に圧力軸を持つ逆断層型 (速報)
※今回の地震は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」の余震と考えられます。

*** 震度の観測状況 ***
【最大震度5強】岩手県花巻市(はなまきし)で震度5強、岩手県滝沢市(たきざわし)、遠野市(とおのし)、一関市(いちのせきし)、宮城県気仙沼市(けせんぬまし)、石巻市(いしのまきし)など8の市町村で震度5弱を観測したほか、東北地方を中心に、北海道から中部地方にかけて震度4か
ら1を観測しました。

*** 余震活動の状況 ***
 13日07時50分現在、震度1以上を観測した余震は発生していません

*** 防災上の留意事項 ***
 この地震による津波の心配はありません。揺れの強かった地域では、落石や崖崩れなどの危険性が高まっているおそれがありますので、今後の余震活動や降雨の状況に十分注意してください。

*** 緊急地震速報の発表 ***
 この地震に対し、地震検知から5.8秒後の06時13分14.6秒に緊急地震速報(警報)を発表しました。

*** 高層ビルの状況 ***
 以下の地域の高層ビルの高層階では、立っていることが困難になるとか、固定していない家具が移動することがあり、不安定なものは倒れることがあるほどのかなり大きな揺れになっている可能性があります。

長周期地震動階級3 宮城県北部

 
東日本大震災の余震なんですね。
今後、1週間程度は最大で震度5弱程度の揺れを伴う余震が起きるおそれがあると発表されています。
震度が少なくても今日の地震で地盤が緩んでいる可能性もあるので、皆で気をつけましょう。

さて、今日の地震ですが、瓦が落ちたり、窓硝子が割れたりしたところもあるようですし、鉄道も止まったようですが、大きな被害はなかったようです。
これをどう考えるかです。
確かに震度5は大きな被害までにはならないことが多いです。
ですから震度5を取り上げると大袈裟だと考える人もいるでしょう。
でも高いところで作業をなさっている方や海辺に出ている方にとって、震度5は命の危険が有ります。

被災は人数ではないのです。たった1人の被害でもその方にとっては100%なのです。
災害を前にして、決して大袈裟ということはありません。
そこはつまらない批判をしないようにしましょう。


あの東日本大震災の前にも地震がありましたね。
2011年3月9日のブログ でも余震に気をつけましょうと書きました。
日本列島に住んでいる限り、地震からは逃げられません。そうであれば、毎回真摯に受け止めた方が良いと思います。その度に身のまわりの防衛を確認していくしか有りません。

さて、震度7まで経験している宮城県民は震度5弱なんて慣れているだろうと、世間は思うかも知れません。
いえいえ、とても逆に怖い思いをしていますので、小さな地震にでも敏感になります。
今日の地震、まだ沿岸には仮設住宅にお住まいの方々は、特に怖かったでしょうね。
ご家族やお住まいを失ったという辛くてとても怖い思いがあるでしょうね。

被災地の人間は、それぞれ軽重の差があるにしても、何らかのトラウマを持ちました。
それがこのような切っ掛けで湧き上がってきます。


私は幸せなことに、東日本大震災では住まいも家族も失いませんでした。
しかし、会長を辞めようとしたときに大震災が起きて、結局その後4年間会長を続けなければならなくなりました。
今朝の地震で「まさか、勘弁してくれ」というトラウマが脳裏を掠めました。

最後は個人的でしかも小さな話しですみません。








2015年5月11日月曜日

会長を辞めたらこの会長ブログをどうするか?迷っています

以前からお伝えしているように、今月の総会で私は宮城県土地家屋調査士会会長を辞めさせて戴きます。素晴らしい後進が育った今、次の方にお願いすることが将来の宮城会の為になると信じております。

さて、会長を辞める際の挨拶は後日またさせて戴くとして、この「会長ブログ」の扱いをどうしようか迷っています。
最初は会長在任期間だけ会員とコミュニケーションを取る手段と、全国の若い土地家屋調査士の皆さんに対して講師をしてきた研修会のフォローの手段として、このブログを書き始めました。

文具や映画やスポーツの話題も入れているのも、私が新人の頃、会長が遠い存在だと思ったことがあるので、どの話題でも良いから新人が会長と話しができるネタを入れておきたいと思ったから書き始めました。
結局何を書いても土地家屋調査士のためのブログでした。

だから会長を辞める際には当然にブログは止めようと思っていました。
しかし、最近戴いているブログに対する感想を見ていると、迷いが生じます。
今後もまだ読んで戴けて何らかお役に立てる部分があるのなら、もう少し続けても良いのかなとも思ったりします。

そこで、止めるのは簡単だから、もし続けるならどうしようかと考えてみました。
可能性としては
「会長ブログ」を名前を変えて継続する
「会長ブログ」を閉鎖して、別のブログを立ち上げる
のどちらかですね。

閉鎖するとすれば、
過去の書き込みをどうするか
これが問題です。
閉鎖と同時に過去の書き込みも消してしまえば問題ないのですが、いまだに過去の書き込みに対する閲覧者数が多く、その過去の書き込みに対するお礼のメールが来ることがあるので、閉鎖しない方が良い感じもします。
しかし、会長を辞めてからも紛らわしい名称のブログが残っているのも問題です。
ちょっと迷っています。

これからの書き込みをどうするか

会長の立場で書いていた過去の書き込みのようなことは、辞めた立場では書きづらいし、しかし逆に今まで立場上書けなかったことを書くことができる可能性ができます。
でもそれはそれで、過去の書き込みを引きずったまま書くので、いろいろ誤解される可能性があります。
ここも迷います。

何を書くか

今まで一番書きたかったのは土地家屋調査士のこと。
特に土地家屋調査士になった若い人たち、または土地家屋調査士をめざす人たちに、制度を考えてもらい、専門家としての自覚と自信を持ってもらいたかったのです。
しかし上記のように会長ブログの続きとして書くと、私は何の立場でお伝えしているのかとても書きづらいかもしれないので、いっそのこと、文具や映画や書籍などの趣味だけのブログにしてしまおうかとも考えます。
でも、それだけなら私がブログを書く意味は無いのではないかとの葛藤もあります。

いろいろ考えると難しいです。
今まで名前もメールアドレスも顔写真も全部晒して書いてきたのに、今更匿名ブログもバレバレですしね。

ブログは少し休んで、あまりにも遅れている書籍執筆に集中するとしましょうか。

また報告致します。



2015年5月10日日曜日

バードマン (劣筆がもたらす予期せぬネタバレ)

話題の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観ました。

アカデミー賞の作品賞をはじめとして多数の賞を受けた映画です。



映画シリーズ終了から20年、今も世界中で愛されているスーパーヒーロー”バードマン”。
だが、バードマン役でスターになったリーガンは、その後のヒット作にも恵まれず、私生活でも結婚に失敗し、失意の日々を送っていた。

再起を決意したリーガンは、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、演出と主演も兼ねてブロードウェイの舞台に立とうとしていた。

ところが代役として現れた実力派俳優のマイクに脅かされ、アシスタントに付けた娘のサムとは溝が深まるばかり。
しかも決別したはずの”バードマン”が現れ、彼を責め立てる。
果たしてリーガンは、再び成功を手にし、家族との絆を取り戻すことができるのか?
(オフィシャルHPより)


この映画、アカデミー賞等受賞したくらいですから、とても興味深い映画ですが、万人向けの映画ではないと思います。

まず「バードマン」というタイトルで勘違いしないことです。
実際、スッキリしません。楽しくありません。
挫折を味わった主人公が苦労した先に成功を勝ち取るようなカタルシスはありません。
ブラックコメディと言うけれど、私にはとても笑えませんでした。
(もちろん、笑えたという友人もいます)

実はこの映画、連休前のかなり早い時期に観ていますが、今までブログに書くことを躊躇っていました。
この映画は、観た人の解釈次第で、何階層かの深読みができます。
それをどこまで受け入れるかで、映画自体の楽しみ方が異なるでしょうね。

アッケラカンとした面白さでは無く、解釈する面白さがある映画です。
そういう映画が好きならばお勧めです。

私はこの勝手な深読みをいろいろここで書きたいのですが、まだ観ていない人にはネタバレになるでしょうし、そこを書かなければ意味が無い映画と思えるし、どうしようかと思いブログを書けないでおりました。

そこで今回は、半分ネタバレになる可能性を残したまま書きたいと思います。
全部ネタバレにはしませんが、観た人とこの部分について私はこう解釈したということを話したいのです。
ですからこれから観るのだから止めてくれという人は、ここで読むのを止めてください。
少しは観るヒント程度なら構わないという人は、もう少しだけお付き合いください。

それにしても全部のネタバレにならないように書きたいと思っていますが、私の筆力不足でネタバレになるかもしれませんので、本当にお気をつけください。





「これから先入観無しに観たい」という人はこの下は読まないでください。
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誰でも受け入れられる部分ですが、この映画の構造から書き始めましょうか。

まずはこのキャスティングの二重構造です。
マイケルキートン(元バットマン役者)、ナオミワッツ(元長い間売れない女優)などを使って、売れなくなった俳優の復活劇を演じて成功したい、という二重構造であること。
これが映画で多くを説明しなくても観客が納得しやすい構造になっているのでしょう。

次に全編ワンカットに見える超長回し画面という緊張感の持続と、全編に響くドラムソロがメインのBGMというこれまた緊張感たっぷりの構造。
これが主人公リーガンの心象を表しているのだと思います。

このあたりはどこにでも書いてありますから、問題ないでしょう。

さて、何故カットをしない(していないように見せる)のかという問題ですが、
おそらく主人公リーガンが現実と幻想の境目が無い世界を生きていて、なおかつ現実と演じる劇中劇との境目が無い状況を現しているのだと思います。
例えば彼が空を飛んで会場入りした後からタクシーが来る分をカットなしで描いていたりする部分等で分かるように、彼の中でも境目が無いことを示しているのでしょう。

もちろん境目を行き来するのはリーガンだけではありません。
娘のサムも現実とマリファナの世界を行き来し、ブロードウェイの名優マイクについても名声と満たされない欠落した人間性を行き来しています。
このワンカット風の映像は意識してみる価値があります。

またサムとマイクが始めるトゥルーゲーム(真実か挑戦かゲーム)も、嘘と真の境目がわからない人生を暗示しているのだと思います。





この後はもっとネタバレに近い話しになります。
読むのは、この映画を観た人だけにして欲しいです。
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実際に観た人と議論したいのが、ブロードウェイの舞台で起こるとんでもない事件の後のシーンです。その後の15分程度の解釈がこの映画鑑賞のキモと思います。

あのワンカット風の映像が、あの舞台で起こる事件の後で誰にでも分かる大きなカットが入れられます。あのカットの意味が当然あるはずです。

直後のクラゲと流星の映像。
そしてベッド上のバードマンを暗示する包帯姿。
はたしてあの舞台でリーガンの「企て」は成功したのか、それとも映像で見せられている包帯姿のままなのか。
そして、包帯をはずしたときに見たトイレに入っていたバードマンは何を表していたのか。
リーガンが最後に窓から飛び出した行為は何を意味するのか。
最終シーンで娘サムは空を見上げて何を見たのか。

人によって解釈が異なると思います。
私もまだ迷っている部分があります。




以下は私の考えです。
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あえて書きますと、私は最後の15分程度の部分は現実ではないと思います。
リーガンの「企て」は当然成功したはずです。
あれで失敗する訳がないと思います。
だからこそ、わざわざ苦労して長回し風ワンカット映像で作ってきたこの映画に、あからさまなカットを入れたのだと思います。
あのカットで現実と幻想の混沌とした世界が途切れます。

あれは、現実からもバードマンの幻想からも解放されたリーガンを描いたと思います。


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映画を観た人は声を掛けてください。
もっと具体的にお話ししましょう。




2015年5月5日火曜日

初めての女川観光

宮城県牡鹿郡女川町は東日本大震災後、私が定点観測的に通っている町です。
その女川に本日初めて観光目的で訪問しました。
支援や仕事を忘れ、できるだけ観光に徹して歩き、女川を楽しんで行ってきました。

まずはいつもの女川地域医療センターの敷地から下を見たところです。


高台の土盛りも出来てきました。
この敷地に石碑があります。
ここまで津波が来たという証です。


高低差がこの写真で分かるでしょうか。
石碑の言葉です。
「ここは津波が到達した地点です。もし大きな地震が起きたら、この石碑より上へ逃げてください。逃げない人がいても、ここまで無理矢理にでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。女川中学校卒業生」

さて、ここまではいつもの行動です。
しかし、今日は観光です。
いつも急いで動いていたので立ち寄っていませんでしたが、この女川地域医療センター敷地内に「おちゃっこクラブ」という店が有ります。


いつも急いで動いていたので立ち寄っていませんでしたが、この敷地内に「おちゃっこクラブ」という店が有ります。
さて、ここでこんな食べ物に出会うことができます。

「さんまパン」です

「ホヤ塩ソフトクリーム」です

かなりマニアックでしょう。

「サンマパン」はパン生地にサンマが練り込んであるもの。
「ホヤ塩ソフトクリーム」はホヤの細かなフレークがソフトクリームに振りかけてあり、塩味と甘みとの絶妙なコラボを楽しむものです。

女川に来たら食べて見ましょう。
えっ、美味いかって?
ええ.... 絶品とまでは言いませんが、悪くないですよ。
どちらにしても女川に来て食べなければダメでしょう。
それにネタには絶対になりますから。


新しい女川駅です。

東日本大震災で使えなくなったJR石巻線が今年の3月21日に開通しました。


きれいで温泉も併設されています。
次回は電車で来たいと思います。
駅前では数台の屋台が出ています。


「きぼうのかね商店街」にも行きました。




いつも忙しいので立ち寄れなかったのですが、観光としてはここは外せないでしょう。
たくさんの商店が長屋風に並んでいます。
交番も銀行も皆揃っています。

各商店の前には200枚以上のオリジナルのポスターが貼ってあります。
私はこのポスターが一番好きです。



先程の駅前の屋台でツブ貝を焼いていたオジサンのポスターです。
その他にもこんなものが有ります。



良いでしょう。
これらによる「女川ポスター展総選挙」がなされています。
皆さんはどれが気にいるでしょうね。
ここでは掲載しきれないので実際に女川に行ってみてください。

「きぼうのかね商店街」の中に「みなとまちセラミカ工房」があります。


スペインタイルの店です。
私はこの明るい色合いとポップな絵柄を見ているだけで元気になり、とても気に入っています。一つ注文しました。できあがるまでに3か月程かかるそうですが、楽しみです。



お土産はやはり高政の笹かまぼこです。
高政はあのコバルトーレ女川のスポンサーですね。


お店では、自分で手焼きをして、その場で食べることができます。
熱々の笹かまぼこも当然美味しいです。



女川だけでなく、被災地と言われるところには、もう何か構えて行く必要は有りません。被災地にたくさんお金を落とさなければならないという義務も感じなくて良いと思います。
単なる観光目的で、ご自分の楽しみのために気軽に行ってみてください。
元気になって帰ることができるはずです。




2015年5月2日土曜日

イヴリー・ギトリス ヴァイオリン・リサイタル

イヴリー・ギトリス 20世紀最後の巨匠

4月26日多賀城文化センターでリサイタルが開かれました。
多賀城文化センターでは「仙台で開催されずに何故ここで?」というコンサートがたまに開催されます。チェックしておかなければなりませんね。



イブリー・ギトリスは1922年イスラエル生まれの92歳。
現役最年長の世界的ヴァイオリニストです。

年齢に着目されて語られることも多いですが、純粋に現役の音楽家として素晴らしいです。とても美しく、とてもおしゃれな演奏をします。

4年前の東日本大震災の直後にも仙台・石巻で慰問演奏をしてくれました。
多くの音楽家が来日をキャンセルした中で、彼は自ら日本に行かなければならないと考えて、予定もなかったのに動いてくれました。
当時でも88歳。あの不自由な時期によく被災地に来てくれました。

当時の記事です。

被災地にバイオリンの調べ=ユネスコ大使、88歳奏者-宮城・石巻
(時事通信 011/06/01-16:40)

東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市で、ユネスコ(国連教育科学文化機関)親善大使でバイオリン奏者のイヴリー・ギトリスさん(88)が1日、避難所の石巻市立女子高校を慰問し、約200人の被災者や生徒を前に演奏した。

イスラエル人のギトリスさんは、これまで二十数回来日している親日家。海外の演奏家が大震災を受け訪日を見合わせる中、被災者を見舞った。
同校の体育館で、エルガー作曲の「愛の挨拶」と日本の唱歌「浜辺の歌」を披露。
テンポを変えたり、即興を交えたりしながら、演奏の合間には「私の心は皆さんと一緒にいます」と語り掛けた。被災者は、ギトリスさんが奏でた30分間の柔らかな調べに聞き入っていた。

また翌年3月11日に再度来日し、東日本大震災の津波で流された流木から作られたヴァイオリンを最初に弾いてくれました。

今回もコンサートの前日、児童館や災害住宅にアウトリーチ・コンサートをしに回ってくれたそうです。子供には子供向きの、お年寄には震災時に駆けつけた話をしながら演奏してくれたそうです。

以前の彼の言葉「たとえ音程が間違っていても美しい音は、1000の正しい音より、遥かに価値がある」は心からそのとおりだと思います。

確かに、今回の演奏でも楽譜通りの予定調和的な音楽ではなく、彼にしか生み出すことができないとてもとても美しい音楽に触れることができました。
とてもエネルギッシュでとても甘美な音楽と、彼の暖かい言葉に酔わされるひと時でした。


5月6日に東京で、5月10日に高知でもコンサートが開かれます。
興味とお時間の有る方は彼の音楽の世界に触れるのは如何ですか。
感動と喜びをもらえるはずです。





2015年5月1日金曜日

荒浜小学校が震災遺構に

昨日のニュースによると、荒浜小学校が震災遺構として保存されることが決定したようです。
被災した荒浜小学校は、全国の土地家屋調査士が仙台を視察される際には、ご案内した場所の一つなので、ご存知の方も多いでしょう。
震災2年目にも、私のブログでもご紹介しています。





このような震災遺構と決定するためには住民の方々のご意見がとても大切な要素です。
被災各地でこのような議論が起こっています。
「子々孫々までこの震災を伝えるために、このような遺構が必要である」という理由が賛成の大多数の意見でしょう。荒浜小学校については、賛成が7割を超えたそうです。
逆に反対する方の多くは「その遺構を見ると亡くなった方々を思い出して辛い」というお気持ちがあります。
そこを考えると、簡単に「多数決だから」ではないはずなので、反対する方のお気持ちに最大配慮をしながら、震災遺構を残す工夫が必要でしょう。




他に近隣の住宅基礎群の保存には反対票が上回ったようです。
反対するお気持ちはとてもわかります。
もっともっと自分たちの生活に具体的に密着しているからです。



現場を歩くと道路や側溝、建物の基礎が残っていて、間取りまでわかります。
間取りがわかれば、動線がわかりますので、生活が見えます。
ご自分が生活していた家だったり、そこで家族のどなたかが不幸に見舞われたりしたのなら、それらを見ることはとても辛いことでしょう。
遺構にするなら、じっくりと検討してほしいと思います。


さて震災後5年目に入り、最近「仙台市内は復興していますよね」という問いかけにどう答えたら適切なのかとても迷うことが多いです。
お聞きになった方が何を知りたくてお話しされているのかを考えながら、お答えしています。

確かに仙台市中心部は地震の傷跡が分かりにくいです。
また仙台市の周辺部は復興の工事が進んでいます。
しかし、それが東北の中心である政令指定都市の4年過ぎた状態かと考えるととても遅いものに感じます。

今年の3月7日に仙台市若林区荒浜の建設可能な地域に建築された建物新築の登記依頼を受けた際の動画を紹介します。

新築建物の2階のベランダから東南~南~南西側を撮影したものです。
最初に少し海側のまばらな防潮林が見えます。
このあたりは、震災前に住宅と豊かな水田が有った地域です。




まさに復興に向かって工事をしています。



その東側に従来の道路の脇に新たに堤防の役割も考えて「かさあげ道路」の工事が着工されています。
実際のかさ上げ道路がどの程度の高さになるかを住民に明確に示す工夫が成されています。







このパイプを組んだ形が完成時のかさ上げ道路の形状になります。

確かに復興は進んでいます。
一人一人は誰も手を抜いてはいません。
しかし4年が過ぎました。