2013年9月3日火曜日

三遊亭竜楽独演会

本日は三遊亭竜楽師匠の独演会に行ってきました。

竜楽師匠の独演会を聞くのは今日で2回目です。
5代目三遊亭圓楽の弟子で、最近は7カ国語落語でも知られています。

演目は、まず「ふぐ鍋」でした。いわゆる滑稽話ですね。
今日は最初から演目を決めずに始めて、客席の様子を見ながら演目を決めたようです。
最初の枕を聞いていると、どうも怪談話に持っていくはずと思いましたが、観客の様子で急遽変えたように見えました。さすがです。

そしてその後は、人情噺の「浜野矩随」でした。
とても素晴らしい芸でした。

この噺の浜野矩随は江戸後期の実在の彫金家です。その彼が先代と比べられながら、どのように名人になったかという噺です。
古くは志ん生、近年では圓楽、志の輔でしょうが、私は圓楽のものは聞いていません。
矩随の母親は、立川志の輔の噺では一命を取り留めるのですが、圓楽も含めて主流は母親が絶命する噺になります。今日の竜楽師匠の話でも、母親は絶命します。この噺の母親の絶命のくだりは、私にはどうも違和感があります。この違和感は私だけでは無いと思います。おそらく昔の信心と現代の私達の感性がかなり違っているからでしょう。
この違和感をどこまで感じなく受け容れさせるかが、噺家の腕でしょう。
そういう意味では、今日の竜楽師匠の噺はとても良かったと思います。

竜楽師匠の芸を見ていると、物事に対する向き不向きを改めて考えさせられます。
師匠は顔立ちも芸もとてもまじめな方です。
近年コメディ芸人から落語家になる人達も多くなりましたが、師匠はまったく雰囲気が違います。着物を着ていなければとても落語家とは思えない雰囲気です。昔は噺家には向いていないと言われたそうです。
だからこそ、キャラに頼らない稽古の積み上げの芸がそこにあります。

7カ国落語で世界をまわっている人です。
通訳無しで現地語で落語をしています。
日本語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、英語、ポルトガル語、フランス語ですよ。凄いですね。もともと外国語に堪能だった訳でも無いようです。日常会話ができる訳でも無く、努力で現地語落語を完成させたそうです。

面白い個性の人が必ずしも噺家で大成するとは限りません。
むしろ努力できる人が噺家として大成するのでしょう。
物事の向き不向きは、皆そうなのかも知れません。