2011年9月21日水曜日

ライバルは想定されるもう一人の自分

一昨日、トライアスロン世界選手権横浜大会のライブをテレビで見ました。
トライアスロンを見るのは本当に久しぶりでした。

最近会った人は誰も信用しないかもしれないけれど、私昔トライアスロンをやっていた時期があります。

以前も書きましたが、当時は、夜中しかトレーニングをする時間がなかったので、夜中にプールでスイミング、夜中に室内のローラー台に乗せた自転車でトレーニング、そして夜中にランニング、日に焼ける機会が有りませんでした。
沖縄の宮古島のレースに出たときに、スタートラインの浜辺で、周りの選手と肌の色が違うので、ボランティアと間違われそうになったことも有りました。

当時、土地家屋調査士の仕事をしながら3種目のトレーニング時間を確保することは大変難しく、半年かけて身体を造り、ロングレースに出てボロボロになり、半年かけて身体を戻すような一年を過ごしていました。レース前の半年は、内臓のために酒を控えたりして、ずいぶん頑張っていましたね。

当時考えていたことですが、十分時間のある他人を羨んでも仕方ないということです。
時間が無いのに、その種目を選んだ自分の問題です。

当時の自分のライバルは「想定されるまったく同じ環境のまったく同じ能力のもう一人の自分」でした。

他人と比べても仕方ありません。
自分の立場、環境、能力、その他すべての条件の中で、自分はベストを尽くせたか、を考えていました。想定される別の自分なら、もう少し先に行けたのではないか、それを常に考えていました。

今でもそのようなことを考えています。
無い物ねだりをしてもしょうがないし、自分に言い訳してもしょうがないですね。
自分で選んだ人生です。
たとえ他人に頼まれたにしても、了解したのは自分です。
せめて自分だけでも納得できる生き方をしたいものだと思っています。