私の研修会でいつもお伝えしている言葉があります。
「何事も始めるのに遅すぎることはない。長生きすれば良いだけ。」
調査士は他の業界から入会する方が大半ですので、ある程度の人生を経てから新人となる方々が多いですね。
でも新たな人生にチャレンジする若い考え方を持っている方々を、私は本気で応援するつもりです。
他人より10年遅くこの業界に入ってきたなら、10年長生きすれば良いだけですから、諦めることも焦ることも無いのです。
問題は、調査士開業していながら「もう私は歳だから・・」と、おっしゃる方ですね。その人は事務所を、お客様を、どうするつもりなんだろうと思います。
日本の教育はこの道一筋ということが美徳とされ、学問でも理系文系と分けられ、スポーツでも一つのスポーツだけに絞らなくてはならず、途中で他の道に行く者を辛抱が足りないと断定することもあります。
私はそう考えません。多様な人生を生きればよいと思います。変更と捉えず拡大と考えれば良いと思うのです。
そんな時に思い出して欲しい人が「伊能忠敬」です。
彼は延享2年(1745年)1月11日に上総国山辺郡小関村に生まれました。18歳で下総国香取郡佐原村の伊能家に婿養子に入り、商人となりました。商人としてもかなりの才覚が有ったようで、伊能家を大きくしたようです。
寛政6年(1794年)12月、50歳の時に、家督を長男景敬に譲り隠居しました。
普通ここで人生を全うするはずですが、彼は翌年江戸に出ます。
それから江戸幕府の天文方・高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修めたのです。当時の50歳は今とは違います。
「今更、GPSは・・、オンライン申請は・・、筆界特定は・・」と言う人は恥ずかしいでしょ。
それからの活躍は皆さんご存じのとおりです。
寛政12年(1800年)、56歳の時に、第1次測量を開始し、以後18年第10次測量まで全国を隈無く歩いて伊能大図を作り、地球全体の外周がおよそ4万kmであることも計算しました。
文化15年(1818年)4月13日に74歳で死去しました。
2回の天晴れな人生を、生きた人です。
本日は「地図の日」だそうです。
寛政12年閏4月19日に、以後4000万歩日本国中を歩く伊能忠敬が、最初の一歩を歩き始めた日です。