先日、このブログに書いたとおり「葉月の会」で高知にお伺い致しました。
始めての高知行きですが、伊丹経由と飛行機を乗り継がなければならないので、その飛行機内の退屈しのぎに、「高知と言ったらこれでしょう」ということで「坂本龍馬」黒鉄ヒロシ著を買いました。あの黒鉄ヒロシの大作で、第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で大賞を取った作品とのことでした。ちなみに黒鉄ヒロシは高知県出身だったんですね。
著者は龍馬について以下のような分析をして、「閉塞の時代に余裕を持って対処できるのは、多元的なタイプである。」と結論付けています。
あの時代からまた時代が進みましたが、今はまた日本中の価値観が変わる平成維新の時代とも言われています。やはり閉塞の時代になりました。
龍馬の時代から何が進んで、何が変わらなかったのでしょうか。
現代は、その社会が細分化され過ぎたかもしれません。
とすれば、あの時代よりも、更にもっと多元的な視点を求められる時代なのかも知れません。
スペシャリスト・専門家といわれる業界は、とかく「孤高の立場」を理想としがちですが、努力を怠っているからそれがどんな存在かわからず、細分化されしかも閉鎖された小さな世界でちょっと尖っているだけかも知れません。
高い山は裾野も広いはずです。
以下、黒鉄ヒロシ「坂本龍馬」より
人を観察する際に用いる物差しの種類は多いが、目盛りが「価値観」だと判り易い。
権力型か、経済型か、芸術型か、理論型か、宗教型か、社会型か。
何れにせよひとつの型に一元論的に大きく傾いでいる御仁ははた迷惑の場合が多い。
さて主人公の龍馬さんにも価値観の物差しを当ててみる。
権力型か。
皆無とは言えないだろうが、新政府の名簿から自分を外したぐらいだから、パス.
経済型か。
世界の海援隊として貿易をするつもりだったようだが、専らの目的は金銭そのものではなかったであろう。一応はチェック。
芸術型か。
発想の変化と飛躍ぶりから、これは○。
理論型か。
小龍や海舟の先進的な意見を聞いて、「これは」と思えば屈託なくその理論の上に座ってしまう。○。
宗教型か。
反迷信的、反宗教的である。×。
社会型か。
ボランティアに汗するタイプとも思えないが、俯瞰的には天下万民の為を考えるところもあるので、チェック。
以上の結果から、龍馬さんの価値観はバランンスが取れていることが判る。
龍馬さんの行動範囲が広かった理由は、宗教型を除いては、相手のキャラクターが何れの価値観の上に立っていても対応できたからであろう。
閉塞の時代に余裕を持って対処できるのは、多元的なタイプであることを龍馬さんは教えてくれる。