2012年3月28日水曜日

復興に命をかける


今日は宮城県の村井嘉浩知事が書いた書籍です。
「復興に命をかける」です。



第一章 後世に伝えたい大震災の教訓
第二章 私の政治スタンス
第三章 豊かな将来をつくるための復興のビジョン
第四章 政治に求められるリーダーシップ
第五章 政治家としての原点
第六章 日本の将来のために今なすべきこと

陸前高田の戸羽太市長の本は、まさに被災地のど真ん中の小さな街で、市庁も市職員も失いながら、混乱の中で覚悟を決めて動いた7月までのことが書いてありました。
混乱時の地域のリーダーとしての公私にわたる決断と行動が、直接的に伝わるものでした。

今回の村井宮城県知事の本は、県全体の知事の立場なので、もう少し政治家としての視点から書かれています。
書いた時期も戸羽市長よりも落ち着いてからなので、大震災を教訓として、今後の復興のビジョンを示していますし、日本の政治という大きな視点から書いています。

どちらの本も、立場が違うだけで、それぞれのリーダーとしての決意が込められています。
おそらく陸前高田市民も宮城県民も、震災時にこのリーダーで良かったと思っているでしょう。
私自身も、大震災での宮城県知事の動きは評価できるものだったと思っています。


被災地のどちらのリーダーも書いていることは、政府や省庁の動きの悪さです。
昨年の復興大臣の発言や、先日の復興庁とのやりとりなどでも知事は苦労しました。
日本のシステムは、官民とも平時に合わせて作られているので、危機管理がとても弱いようです。
この点は、私もつくづく感じております。
日本全体にも地方にも、官にも民にも、どちらにもまともなリーダーがいないと復興はできません。

平時のリーダーは誰でもできます。官僚もしくは事務部隊にお任せしていれば、そつなく終わるからです。危機の時こそ、そのリーダーの真価が分かります。

東日本大震災のようなことは、今後日本中で起こるかも知れません。
官民とも、今のようなリーダーの選び方で良いのか、再確認する必要があると思います。
「政治は個人生活に関係ないから誰でも良い」のでは無く、災害時には命取りになるのですから。

時間があれば読んでみてください。



2012年3月27日火曜日

被災地の本当の話をしよう

「陸前高田市長が綴るあの日とこれから」という副題がついた書籍、「被災地の本当の話をしよう」を読みました。著者はあの陸前高田市の戸羽太市長です。



あの3、11の東日本大震災で奥様を失いながらも、陸前高田市長として復興当日から7月までの復興に向けた戦いの日々を書いたものです。

第一章「あの日、陸前高田市が消えた」
ドキュメント3、11 地震、そして津波はいかにして襲ってきたのか?

第二章「被災地が直面した日々」
悲しみを乗り越えて 3、11以降の困難な道のり

第三章「ふるさとは必ずよみがえる!」
陸前高田発、ゼロから始める復興プラン

第4章「特別対談 佐藤正久*戸羽太
被災地を救うリーダー論

被災者として、夫として、父として、そして市長としての肉声が書かれています。
被災地の最前線で陣頭指揮を執っていた人だからこそ、心に直接伝わります。

陸前高田市が一瞬で壊滅状態になりました。
死者、行方不明者がたくさん出ました。
市庁が使えなくなりました。
あらゆるライフラインが止まりました。
鉄道も道路も寸断されました。
大量のがれきが出ました。

復興計画の中で障害になったのは、やはり既存の法律と役所の壁。
妻を失い、子供の側にもいられない状態でも、戦い続ける市長の行動と考えが書かれています。

何故この本を出したのか。
この問いに市長は答えます。

「大切なのは『忘れられない』こと」

是非皆さん、読んでください。

2012年3月26日月曜日

訃報-森徹会員のご母堂様ご逝去


仙南支部の森 徹会員のご母堂様が3月24日にご逝去なされました。
葬儀等は下記のとおりです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


<通夜>
日 時:平成24年3月27日(火)午後6時~

場 所:「フローラ メモリアルホール桜」
宮城県柴田郡村田町大字沼辺字千刈田96-1
電話0224-53-9009

<葬 儀>
日 時:平成24年3月28日(水)午後1時~

場 所:「フローラ メモリアルホール桜」
宮城県柴田郡村田町大字沼辺字千刈田96-1
電話0224-53-9009

<喪 主>
 森 徹 様

2012年3月25日日曜日

あしたのジョー

最近映画館に行けませんねぇ。リアルタイムで新しい映画を観る回数は減っています。
最近はwowwowなどで古い映画を見ているだけです。
私は、それでなくても面倒な映画は見ないタイプですが、忙しいときは尚更ですね。
学生時代は深刻で重い映画を好んで見ていましたが、今は「ああ.楽しかった」という感覚以外何も残らない映画が一番良いですね。

そこで「あしたのジョー」ですよ。
あの名作を実写で映画化すると聞いたときは「やめなさいよ」と思いました。
あれは漫画の世界だから名作でいられたのです。
あの濃いキャラクターが皆存在できるのは漫画の世界だからです。
原作は高森朝雄、又の名を梶原一騎ですし。
寺山修司作詞、八木正生作曲、尾藤イサオ歌のあの強烈な主題歌。
すべてがあの時代です。

昭和のドヤ街を舞台にしていたあの情景を、平成の今映画でどうするのか。
それで主役が山下智久だと・・・。
ボクシングの物まねの安易な映画を作って山Pのファンで収支を合わせるのか。
彼の女性ファンが、戦後、ドヤ街、ケンカ、少年院、ボクシングこの世界をどう見るのか。
そもそも泪橋を理解できるのか。

それじゃあのキムタクを主役にして大失敗の「宇宙戦艦ヤマト」の後を追うのかと思いました。

それでも原作で育った私としては、やはりとても興味が有ったので、結局今頃見ました。
いやあ頑張っていました。思ったよりあの世界観を出していました。
正直、冒頭のシーンから引き込まれ、知っているテーマ曲のイントロが流れたときはとても嬉しかったです。

ドヤ街もボクシングも知らない山Pファンにも、昔の原作にワクワクしたおじさん達にも納得させられる演出と配役だと思いました。

山下の帽子とコートが、そして戦う姿が、私たちの知っている昔のジョーのシルエットそのままでした。
そして、あそこまでメイクしたら香川照之でなくても良いじゃないかと思う丹下段平の配役。でもやはり香川の演技が必要でしたね。

特筆するのは力石徹役の伊勢谷友介です。
これは本当に良かった。この物語の配役で一番難しいのは力石役だと思っていましたので。
この配役で、原作のイメージを忠実に作りました。

そして山下と伊勢谷の二人は、よくここまで身体の作り込みをしましたね。
元々細い身体を体脂肪率5%前後まで絞ったとのこと、特に伊勢谷は過酷なボクサー並みの減量だったと思います。ボクシングシーンもCGの力も借りたとはいえ、よくやりました。

あの長い原作から、短い映画として、どこを切り取るか。
この命題にも、一番適切なチョイスだったと思います。

とても納得しました。
安心もしました。
でも今この映画を作る意味が有ったのか。

まあ今の時代、映画は意味が有って作るのではないのでしょうね。
そこそこ儲かれば、その意義が有るのでしょう。
そうでした。余計なことでした。
私の主義は、難しい事を考えずに「ああ楽しかった」と言える映画を見れば良いのでした。

ちなみに、私は10年程前、新人土地家屋調査士からの相談に対してアドバイスをするときのメールに「あしたのために その1」と書いていた記憶が有ります。(笑)

2012年3月22日木曜日

重機免許取得プロジェクト


各地で開催されるシンポジウムでも、このブログでも、何かと機会ある度に紹介している西條剛央氏が始めた「踏ん張ろう東日本支援プロジェクト」ですが、今「重機免許取得プロジェクト」の第3弾が始まっています。

このプロジェクトのすばらしさは、物や金を送るのでは無く、東日本大震災の被災者に、就職の機会を渡し、生活と生き甲斐までも渡すことができる企画です。
詳細は下記のとおりです。
できる範囲で協力しませんか。金額はいくらでも良いと思います。

またこの踏ん張ろう東日本支援プロジェクトのホームページのトップページの「プロジェクト一覧」を見てください。支援はアイディア次第であることと、ものを送るだけで無いことが良く分かります。

普段お世話になっていた地域住民の方達が困っています。
現場を見ている私たち土地家屋調査士だからこそ浮かぶ新しい支援アイディアもあるかも知れません。

金があれば募金を、力があればボランティアを、どちらも無ければ知恵と工夫をしてみましょう。


「重機免許取得プロジェクトとは」


重機免許を取得し、がれき撤去、街や生活基盤の再開発などの復興事業を通じて発生するであろう雇用拡大から、安定的な収入を得て頂くための取り組みとして、西條剛央代表らが、2011年5月に立ち上げました。


重機免許は、数万円という安価な費用で、かつ数日間で取得が可能なうえ、実務経験が無い方にも就職可能な仕事もあり、効率的な被災者の生活支援が期待できます。


生活費としての3万円はすぐになくなってしまいますが、3万円で重機免許を取得して、今後被災地で必ず生じる建築事業に携わることができれば、年収300万円を稼ぐことも可能になります。
人は義援金や失業保険をもらうだけで、本当に生き甲斐をもって生きることはできません。自分の手で一生懸命働き、自分の大切な家族においしいものを食べさせてあげたい、たまには好きなものも買ってあげたい、子どもたちにが生きたいように生きたいという思いを実現するために、望む進路に進学させてあげたいというのは、すべての親の共通の願いのはずです。


本プロジェクトは、被災地の復興に直接貢献しつつ、被災者が自立して新たな生活のスタートを切るための“力”を与えることにもなります。また被災された地元の教習センターにて開催するため、取得のための支援そのものが被災地の地域経済の活性化につながるという何重もの意義がある画期的なプロジェクトなのです。


今後も支援金が集まり次第、第四弾、第五弾を開催することができます。被災された方々の仕事につなげられるよう、皆様の温かいご支援をお願い申し上げます。

2012年3月21日水曜日

写真家としてデビュー

「ー女性こそ主役に!ー」
「災害復興 東日本大震災後の日本社会のあり方を問う」
日本弁護士会編が出版されました。



第一部は特別寄稿によるものです。

寄稿1 大沢真理(東京大学教授)
危機や災害にタフな社会を構築するために
ー「男性稼ぎ主」からの脱却を

寄稿2 林 陽子(第二東京弁護士会)
震災復興とジェンダー
ー国連の取り組みを中心に

寄稿3 竹信三恵子(和光大学教授)
災害時の女性支援はなぜ必要なのか
ー被災地の女性に起きていること

寄稿4 小島妙子(仙台弁護士会)
「人間の復興」とジェンダー
ー真のコミュニティ再生と「ショック・ドクトリン」

第二部は昨年9月8日に開催された「女性こそ主役に!」をまとめたものです。

第三部は関連資料を掲載しています。


私も震災後、被災地や避難所を歩きましたが、ジェンダーの問題を明確に意識はしていませんでした。
確かにこの本を読むとたくさんの論点が有ります。
復興の中での男女の差。雇用、介護、復興参画・・・、実際に存在する差別。

震災対応時点で、この視点が薄かったことは反省です。
いろいろな人の話を聞いて、いろいろな視点を身に付けておかなければなりませんね。
各地で震災に関するシンポジウムが開催されています。
私たちの「震災における地籍」にフォーカスしたシンポジウムも有るし、このようにジェンダーにフォーカスしたシンポジウムも有るんですね。
自分たちの専門もしくは関心の中心をテーマに据えたシンポジウムは、それぞれとても大切なことだと思います。

さて、この投稿のタイトル「写真家としてデビュー」って何かって?
いや実は、表紙の真ん中の写真(アパートの屋上に車が乗っているもの)は、たまたまこのブログで紹介した南三陸町志津川で撮った写真が採用されたのです。

二度とあり得ない「photo: Osamu Suzuki」の記載は、ちょっと嬉しかったり・・・。




2012年3月20日火曜日

特別研修考査指導

土地の境界問題は根が深いですね。
境界侵害は財産権の侵害のようで、実は気持ちの問題が大きいのです。
ここを取り違えて対応しようとすると、何の解決にもならない事があります。

隣接者のゴミの捨て方が悪いということや、道で会ったときの挨拶が悪いとかの理由が、何故か境界問題に形を変えて現れる事があります。

純粋な境界問題だとしても、「20cm境界を侵害した。」と言って争いが始まり、だんだんエスカレートして、時価20万円もしない土地の争いに、200万円も300万円も裁判費用をかけ始めます。
財産侵害の話から、いつの間にか「金の問題ではない」という話に変わってしまいます。
この話は、機会が有るたびに解説していますが、ここが大事な事です。


私たちは毎日土地の地権者の悩みを聞いています。
その地権者の皆さんの言葉の裏に、本当は何を望んでいるのか、一番分かる業種だと思っています。
境界に関する法的能力はもちろんとして、一番境界問題でお役に立てる部分がこの能力だと思うのです。
ですから、私たち土地家屋調査士がADRを担当する事が一番地権者の為になるのです。

本来土地家屋調査士を一生懸命やっていれば、他人の話を聞く能力も、その言いたい事を法的に分析する能力も、持っているはずです。
しかし、それだけでもいけません。ADRという新しい制度の中で、当然に身につけるべき新しいノウハウも必要です。
そこで土地家屋調査士特別研修があり、その能力検証としての考査があります。

その一年に一度の特別研修の考査が今週末にあります。
そこで昨日、宮城の受講生たちに、考査対応の指導をしました。
さすがにここでは、あまり細かい事は書けませんが、内容は以前のブログに書いたものが基本です。
受験等の勉強(対策)と、物事を極める勉強とは、まったく違うと割り切るべきです。
その割り切りができないと、どちらも上手く行きません。
考査合格は最小限のエネルギーで終わらせて、安心して高みを目指す勉強に切り替えて欲しいと思います。

そうでないと「認定調査士」になっても、世間のお役に立てません。







2012年3月18日日曜日

新人調査士へのお返事

はじめまして。
メールありがとうございました。

そうですか。〇〇会で開業2年目ですか。
調査士業務のちょっと嬉しいところと、ちょっと怖いところを経験した頃でしょうか。
いろいろ悩みますよね。

私も、最初の数年は「いつこの業界を辞めようか」と毎日悩んでいました。
若くしてこの業界に入会したので、当時は他の業界から転職のお誘いが来ていました。
やはり仕事が無いと、フラフラ迷いました。

でも30才頃でしょうか、転職を諦めたころ、調査士として仕事が廻り始めたような気がします。
「この仕事でやっていくと腹が据わった」ことが顔に出るのでしょうね。
自分の中でフラフラしているうちは、世間からもそう見えるのかもしれません。

メールで戴いたように、仕事の電話が鳴らない毎日は確かに焦りますね。
でも冷静に考えたら、新人の事務所に、毎日電話が来ることが、あり得ないでしょう。
それは仕方ないのです。

あなたはまだ知られていないのですから。
とても自然な事です。

でも新人として知られてもいないのに、紹介もなしに電話が来たら気をつけた方が良いかもしれません。

それは、他の先輩方からいろいろな意味で断られた仕事か、新人の足下を見てくる仕事かもしれません。

新人の足下を見てくる業務に、土地家屋調査士としての魂を売ると、10年後土地家屋調査士でいられないかもしれません。

私たちは公務員でないのでアルバイトしても良いのです。
私も最初はバイトしながら頑張っていました。
変な仕事を断っても効率の悪いアルバイトをしていました。

調査士業だけで食べていこうと焦ると、目の前の仕事を何でも受けたくなります。
やって良い事と悪い事が有るはずですが、「今回だけだ」と思って受けてしまいます。
それをやったら今回だけにならないのです。

私たちが守るべき本当のお客様は、地権者であり、建物の施主であり、変な紹介者ではありません。
そこを考えれば、専門家として今何をすべきか判断できると思います。

総合的な実力を付ければ、必ず生きていけるようになります。
以外と狭い業界ですよ。
営業しなくても、いずれ実力は知れ渡ります。
あの調査士に実力が有ると知れ渡れば、いずれ仕事は来ます。

新人の皆さんは、忙しい先輩から見ると羨ましい程の時間があるはずです。
その時間で早く実力を付けるのです。
先輩を追い越すのです。先輩も負けませんけれど。

何か困ったり迷ったりしたら、またメールください。
お返事は遅いかもしれませんが、必ずお返事致します。







2012年3月16日金曜日

ペリカンM205 DUOとハイライターインク

ペリカンにスケルトンボディのデモンストレーターという限定シリーズがあります。
スケルトンボデイの中のインクの流れが見えて人気のシリーズです。
そのシリーズにイエローボディと専用ハイライターインクが2010年に発売されました。このインクはとても画期的で蛍光イエローのインクです。いわゆるマーカーとしてのみ利用する万年筆となります。
インク粒子の大きさの関係と、限定用途の関係で、ニブはステンレスBBのみの太さです。



私は万年筆好きで、ペリカン好きですし、当然にこのペンには興味が有りましたが、なかなか手に入れる機会が無くここまで来ましたところ、先日、友人から思いがけずにプレゼントされました。
気になっているグッズを戴いたので、とても嬉しくて、すぐに使い始めました。

イエローのボディに蛍光イエローのインクを入れるので、外から見ているとほとんど透明の水を入れているように見えますが、これはこれで他のインクでは味わえない趣です。



インクの発色が良いですね。
思った以上に鮮やかで、ラインだけで無く、このまま文字を書いても構わないと思う程、鮮やかな色です。
単なる万年筆によるマーカーではなく、新しい用途に使えるかも知れません。
少し工夫してみます。



スタンダードなゼブラの蛍光ペンOPTEX CAREとラインの色比較してみましたが、それよりもはるかに鮮やかな発色です。(写真を載せようとしましたが、写真では比較が難しかったです。)
これは良くも悪くも目立ちます。
私は、しばらくこの蛍光ペン独特の強い発色が気になり、大人のマーカーとして「マイルドマーカー」をメインに使っていました。
しかし、ここまでインパクトのあるグッズが手に入ったので、今とても意味が無くラインを引きたくなっています。

またまた手段が目的と勘違いしそうなグッズが増えました。

そして、これで常時持ち歩くペンが増えました。
今にバッグの中がペンケースだらけになりそうです。




訃報-田中吉之会員のご母堂様ご逝去


田中吉之 会員(仙台支部)のご母堂様が、昨日ご逝去なされました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

告別式等は以下のとおりです。

<通夜>
平成24年3月17日(土)午後6時~
 「光壽院 喜雲閣」
   宮城県仙台市若林区新寺 3 丁目 7-1
     電話 022-256-5775
    

<葬儀> 
平成24年3月18日(日)午後1時~
  「光壽院 喜雲閣」
   宮城県仙台市若林区新寺 3 丁目 7-1
     電話 022-256-5775


<喪 主>
冬室 正雄 様(田中吉之会員の奥様のお父様)

2012年3月15日木曜日

東北ブロック新人研修終了

東北ブロック新人研修会の3日間の日程が3月11日に終了致しました。

3日間は長いか短いか、人それぞれかも知れません。
でも先輩達が長年蓄積したノウハウを凝縮してお渡しする機会なのです。
講師をする側では、とてもとても短い時間です。
私たちが苦労して身につけたノウハウを、新人にできるだけ苦労させずに伝えたいという趣旨ですから。
基本的に土地家屋調査士会は面倒見が良い組織ですよ。






研修を終えた会員に修了証書を渡す菅原東北ブロック会長です。



宮城県土地家屋調査士会の新人代表で修了証書を受領する藤田高徳会員です。


以下は集合写真です。
頼もしい顔が並んでいます。

新人研修でも申し上げましたが、この同期は大切な仲間です。
おそらく一生付き合う仲間になるでしょう。

ただ一つ申し上げておきたいことは、何か分からないことがあれば、必ず先輩に聞いてください。
何かあると、どうしても話しやすい同期の仲間に聞きたくなるでしょう。
確かに同期でも補助者が長い方は何でも知っているように見えます。でもそれは補助者が長いだけです。土地家屋調査士が長かったわけではないのです。
その方は、重要な判断はやってないはずです。

ですから、何か迷ったら土地家屋調査士の先輩に声を掛けてください。
誰に声を掛けて良いか分からなかったら、私、役員、もしくは事務局にご相談ください。
もう一度言いますが、この業界は面倒見が良いですよ。


2012年3月14日水曜日

ベガルタ仙台開幕

J1リーグが3月10日に開幕しました。

我がベガルタ仙台はホームで鹿島アントラーズと対戦しました。
被災地同士の試合ということで、NHKが地上波で全国放送し、注目された試合でした。

3月10日は東北ブロック新人研修会が開催されていたのですが、私は何故か朝一番に講義担当だったので、午後が空いており、無事にスタジアムに間に合いました。

昨年のベガルタ仙台は、チームそのものに被害があり、クラブハウスも練習場も壊れ、練習場所がなく、併せてエースになるはずのマルキーニョスがブラジルに帰ってしまうなどの風評被害もありました。
私は震災当初、2011年の間にサッカーを見ることが有るのだろうかと思っていました。

リーグは1ヶ月遅れで再開しました。まだアウェーにまでの交通手段が不自由な頃です。

実際にリーグが始まってみると、年間指定席にずっと空いている席がありました。
ホーム開幕の3月12日の一日前に、年間指定席を買ったサポーターが被災したかも知れません。

「スポーツが被災地に勇気を与える」という言葉に戸惑いを覚えながらも、試合が始まると勇気ではないと思うのですが、涙が止まりません。これは現実なのかと思いながら試合を見ていました。
観戦中だけはとても幸せな時間でした。

そして我がベガルタ仙台は、一年間を「負けない」という鬼気迫る気迫で乗り切り、クラブ史上最高順位の4位という成績で終わることができました

昨年は全国の友人がベガルタ仙台に注目してくれたり、ついにはベガルタ仙台サポーターになってくれた遠隔地の友人もいます。これも重ねて嬉しいことでした。

さて今年の開幕戦の結果は、我がベガルタ仙台が1-0で鹿島アントラーズに勝ちました。
アントラーズは常に優勝争いに絡んでくるチームですから、そのチームから勝利を奪えたことは今年の自信になります。
90分間集中を切らさない選手を褒めたいと思います。
昨年の守備意識に、高い位置の守備からのカウンターが加わり、進化していることが分かりました。
今年も楽しみです。

地域の復興も、全国の支援も、ベガルタ仙台も、1年目は緊張感で結果を残すことができます。
問題はこれからです。

一年過ぎましたので、「負けない」から「勝つ」に変わらなければなりません。



2012年3月12日月曜日

愛媛会被災地視察


震災から一年経つ3月9日~11日の行程で、愛媛県土地家屋調査士会から末光健二会長はじめ6名の方が視察にお見えになりました。

仙台空港に降りてから、レンタカーで、大津波被害の陸前高田から気仙沼、南三陸石巻、女川、仙台市荒浜等々を廻り、その後大地震被害の折立地区等を廻り、詳細に視察されました。

愛媛会の皆様は、9日の朝から11日の夜中まで目一杯使って視察されたので、かなりの強行軍だったと思います。お疲れになったでしょう。

私は昨年末愛媛に伺って様々な被災地の写真をスライドで紹介しましたが、愛媛の皆さんは、やはり実際に現地に来るとまったく印象が違うと言ってくださいました。
これがとても重要です。

被災後いつも申し上げていますが、「防災」は実感が伴わなければ、絵に描いた餅のような役に立たない計画になります。
ですから全国の皆さんに少しでも実感を持って欲しいのです。

私は当日東北ブロック新人研修会に行ってましたので、被災地のご案内はできませんでしたが、11日の午後に、愛媛会の皆さんと情報交換の会議をさせて戴きました。
愛媛会の皆さんは事前に沢山の質問をまとめられていて、本当に問題意識を持って来てくださったことが分かりました。

ありがとうございました。

震災から一年経ちました。
東北はいつまでもメソメソしているわけではありません。
頑張っています。

でも全国の皆さんに、忘れて欲しくは無いのです。
東北のためにも日本のためにも。


2012年3月11日日曜日

一年・・・

あれから一年です。
あまりにも様々な事があり、あの震災がとても昔の事のような気がします。
節目にいろいろ書こうと思っていたのですが、今日の思いは文字にできません。





黙祷








2012年3月10日土曜日

東北ブロック新人研修会

9日から3日間、東北ブロック新人研修会が開催されます。


東北地方の各地から、新人が集まってくれました。
東北ブロックでは新人研修会は毎年会場は持ち回りです。
昨年は福島で、今年は宮城で、来年は岩手で開催されます。

私は新人研修を大切にしていますので、毎年たくさんの新人の皆さんとお会いします。
全国どこでも毎年いつでも、新人は皆同じです。
夢を持って入ってきます。良い調査士になりたいと思っています。
それなのに入会して1年経つ頃から、少しずつ初心を忘れます。

どこまでも、まっすぐ生きて欲しいと思うのです。
姑息な手段ででも生き残ろうと思って、逆に調査士人生を誤る人がいます。
調査士としてまっすぐ王道を歩んで行く方が最終的に生き残ることを、分かっていません。

例えば、皆さんが困ったときにお願いしたい弁護士は、どんな人ですか。
姑息な生き方をしている弁護士よりも、弁護士の王道を生きている人ですよね。
値段でも、小手先のテクニックでもないですよね。

資格試験合格したときの心からの喜び。
開業したときの誇らしいワクワクした気持ち。
そのまま行きましょう。
調査士に合格してそんなに嬉しかったなら、調査士に誇りを持って、ワクワクのまま調査士を大切にして行きましょう。

大丈夫です。
新人時代から、そのままの気持ちでやり続けて、土地家屋調査士事務所を31年間潰していない事例がありますよ。


2012年3月9日金曜日

親鸞 五木寛之

五木寛之の「親鸞(上・下)」を今更ながら読みました。
2年程前のベストセラーですね。

私はこの手の歴史小説とでもいうジャンルは、昔からとても好きなジャンルです。
一冊読むと長編小説を次々に読みたくなり、睡眠不足の日々が続くことが眼に見えていたので、この本も気になっていたのですが、今の私の環境では控えておこうと思っておりました。しかし、ここのところ出張が続いて、その移動時間に若干本を読む時間を作れそうなので、ついつい買ってしまいました。

最近の五木寛之は精神性の世界に入っているので、「親鸞」も、もっと宗教思想色の濃いものかと勝手に想像しておりましたが、読んでみると思った以上に娯楽性の高いものでした。

冒頭からスリリングな展開です。まさか親鸞でこの展開とは思いませんでした。
読む前に、勝手に「出家とその弟子」のイメージを重ねていたのかもしれません。
五木氏の「親鸞」は、登場人物が皆しっかりキャラが立っていて、とても魅力的です。伝統的な大衆娯楽小説の王道を行きながら、そのストーリーと人物に親鸞の思想に繋がる伏線が張られています。
登場人物の個性的なキャラクター設定が、法然と親鸞の専修念仏と「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」にスムーズに繋がるのです。

何故、親鸞は比叡山から下りて、野の聖になるのか。
何故、法然の弟子になるのか。
法然の専修念仏とはなにか。
悪党とは何か。
念仏を唱えれば悪党も救われるなら、人は何をしても良いのか。
念仏は一度唱えれば良いのか。
親鸞と法然の思想の違いはどこか。

分かり難いこのあたりを、娯楽性たっぷりな展開の中で、しっかり納得させる筆力はさすがです。

文句は無いけれど、この続編を含め、久々に長編小説を次々と読みたくなりました。時間がないのに困ったものです。

2012年3月7日水曜日

復興庁に思う日本の仕組み

思ったとおりです。
一年も待って立ち上がった復興庁とは、復興の権限を与えられた庁ではなく、単なる窓口だったわけです。

この震災時、たくさんの課題があり、私の分かる範囲だけでも動いたつもりですが、平時と何も変わらない役所の壁を感じていました。
もちろんその背景には、政治と官僚の問題が有るのでしょうが。

東北人が東北のためだけを考えて発言しているわけではありません。
日本中が疲弊しているときに、いつまでも東北だけに税金を投入できないでしょう。
ですから、日本国家のためにも、ハンディを持った地域を背負っている期間を少しでも短くした方が良いに決まっています。
さっさと復興させて、その復興活力を日本経済復活に廻すことができれば、不幸を少しでも前向きに解決することになります。
この「さっさと」ということは、当然に税金投入は必要ですが、だらだらやるより集中させた方が総費用は安く済むということを考えています。

許認可王国の日本では、このような非常時でも省庁間の役割分担とその障壁が感じられます。これが二重の無駄になることが有ります。
だからこそ、そのための復興庁だったはずです。

今噂されている関東の大地震が来て、霞ヶ関にも大被害が生じても、こんなことをやっているのでしょうか。日本がとても心配です。


以下は河北新報の3月3日の記事です。
この後(昨日3月6日に)村井宮城県知事や奥山仙台市長達は「東京の」復興庁に要望書を届けに行きましたが、どれだけの効果があったのかは分かりません。

河北新報 2012年03月03日土曜日


「復興庁ではなく査定庁」宮城知事、復興交付金に怒りあらわ


 復興庁が復興交付金の第1回配分額を被災自治体に通知した2日、要求額の5割しか認められなかった宮城、福島両県には動揺が広がった。村井嘉浩宮城県知事は県庁内で「復興庁でなく、査定庁だ。交付金なんかやめればいい」と怒りをあらわにした。


 宮城県は1月末の交付申請時、市町村分も含め2032億円を要求したが、配分額は1162億円と57%にとどまった。
 村井知事はぶぜんとした表情で「残念というよりは、大変あきれる結果だ」と指摘。6日に県市長会長の奥山恵美子仙台市長、県町村会長の鈴木勝雄利府町長と上京し、平野達男復興相に抗議する考えを明らかにした。
 「国が決めた40事業に該当すれば自由に使えるのが復興交付金。該当しても認めないのなら、全部を国庫補助金にしてもらった方が、よっぽど復興は早く進む」と知事。「自治体を信用しないなら、復興事業は全て国がやればいい」と述べた。
 復興庁との協議で「国庫補助金の申請時を上回る量の資料を求められ、県も市町村も混乱した」と明かし、同庁が掲げるワンストップを疑問視し「復興庁は被災地でなく国の側に立っている。復興のブレーキになり、期待した役割を全く果たしていない」と批判した。
 福島第1原発事故の対応に追われる福島県も、875億円の要求額に対し、配分額は58%の505億円だった。同県地域政策課の金子隆司課長は「使い勝手の良い交付金のはずが、実際は津波の直接的な被害に限定され、評価が厳しすぎる。柔軟な運用や制度の見直しを求めたい」と語った。
 一方、ほぼ満額回答の配分額となった青森、岩手両県は安心した様子。三村申吾青森県知事は「復興の取り組みが加速することが期待される」と歓迎のコメント。達増拓也岩手県知事も「緊急性を重視し、必要な事業を採択してもらった」と評価する談話を出した。



2012年3月6日火曜日

がれきの受け入れについて

私の机上は「いつも雑然としている」と言われています。
確かに綺麗に片付けられていることが、ほとんどありません。
これを片付けるには、まずゴミを捨てることです。
最初に不要なゴミを捨てて、他のものを整理するスペースを作り出し、そこから作業が劇的に進みます。

あらゆる作業はスペースを作り出すことから始めないと、なかなか進みません。

宮城県の震災によるがれき等の産業廃棄物は、通常宮城県で処理できる量の23年分出たと言われています。
まず、がれきを片付けて、道路や鉄道などのインフラや宅地、建物などを作るのです。
この産業廃棄物を分類仕分けして仮集積場に置くまでに1年、仮集積場から廃棄するのに更に2年と言われていました。
しかし、これは被災県以外の自治体にご協力戴けるものとしての計画です。
全国にご協力戴けないのなら、その片付けだけで20年前後はかかるということになります。

他所から東北にいらっしゃった方が、表だけ見て「もう瓦礫も片付いて問題ないね」っておっしゃることが有りますが、皆さんの歩く道から見えない裏の仮置き場にはたくさんの瓦礫が、積み重なっております。

この瓦礫の処理について、現在のところ、なかなか全国からのご協力が戴けない状況です。
これは放射能による風評被害です。

政府が、「国民の混乱を招くから」と事実を隠すから、もっと混乱しているのです。
このような非常時には、
基本的に事実を公表すること」と、
混乱しないように解説すること」が、
とても重要です。
混乱していたのは政府の方でしょう。

せっかく全国に支援の絆ができたのに、このような風評により何も進まないのはとても残念です。

以下河北新報の記事(2012年03月04日)の一部です


がれき受け入れ86%が難色

放射性物質の拡散懸念

東日本大震災をめぐり共同通信が実施した全国自治体アンケートで、岩手、宮城両県のがれきの受け入れについて、回答した市区町村の33%が「現時点では困難」、53%が「まったく考えていない」とし、全体の86%が難色を示していることが3日分かった。11日で震災1年を迎える中、放射性物質が拡散するとの懸念がくすぶり、広域処理は進んでいない。2014年3月末までに処理を終える政府目標の達成は困難な情勢だ。
 調査は2月、都道府県と市区町村の計1789自治体を対象に実施。がれき処理関連は、1742市区町村のうち1422市区町村(82%)が回答した結果を集計した。

2012年3月5日月曜日

震災遺児に奨学金制度

震災に遭ってみると、全国に様々な支援団体が有り、様々なアイディアでご支援くださっていることが良く分かり、改めて、皆様に感謝しております。

さて、以下は、神奈川会の佐々木健会員からの情報です。


 ロータリークラブの会員からなる「ロータリー東日本大震災青少年支援連絡協議会」(上野操委員長)が、震災遺児の大学生らを支援する「ロータリー希望の風奨学金」の奨学生を募集している。


 協議会は、震災で肉親を亡くした大学生や専門学校生が金銭的理由で学業を断念するのを防ごうと、昨年10月に発足。全国34地区のうち、東京都や千葉県など10地区のロータリークラブの会員らから寄せられた義援金の一部を活用する。


 1人あたり毎月5万円を卒業まで給付。返還の必要はないが、留年や退学をしないことが条件。通学する大学等の所在地は岩手、宮城、福島の被災3県以外も可。すでに3月1日現在で、26人が給付を受けている。県別の内訳は岩手16人、宮城10人。学校別では大学生15人、短大生2人、専門学校生9人となっている。同協議会の織田吉郎副委員長は「授業料や生活費など、使用用途は学生に任せている。多くの人に制度を知ってもらえれば」としている。問い合わせは同協議会(03・5250・2050)へ。



私も被災者を支援する立場で動いています。
その際に支援のアイディアが空振りすると残念な気持ちです。
ですから、このような支援には、遠慮は無用だと思います。
該当者がいらっしゃれば、ご自分もしくは周りの方が、問い合わせしてみましょう。



2012年3月4日日曜日

私の名刺整理方法

皆さん、名刺の整理をどうしていますか?
最近私と名刺交換した方々から、私の方法に興味を持っていただく事が多いので、ちょっと紹介してみます。

私の場合、昔からこの名刺の取り扱いに試行錯誤しておりました。
戴いた名刺をどう保存するか。
氏名の50音順か、所属団体毎か、名刺を戴いた日付に従って時系列順か。
どれにも一長一短があります。

一時は名刺を3枚にコピーして、50音順と時系列順と所属団体順に、別ファイルで保存する事もやっていました。でもこれも面倒です。

コンピュータのデータベースソフトで名刺を管理するチャレンジは何回も挫折しています。入力の面倒さがあり、出先で気軽に検索できる環境が無かったからです。

あらゆるPDAも使ってみました。
しかし、名刺に限らずあらゆるデータベースは、入力の面倒さに見合う検索のメリットが無ければ、長続きしません。

そこで、近年は、デジタルを止めて、基本的に時系列で名刺整理帳に保存していました。
自分のスケジュールと合わせると間違いなく検索はできます。
また手帳は基本的に1日2〜4ページのモノを使っていたので、その日のページに名刺を縮小コピーしたものを貼込んでいました。持ち歩けるもの(昔は紙しか無かった)にデータが無いと困るからです。

その後、ここ1、2年は、とりあえず名刺の写真を撮っています。
研修会や会議等で他の会員とお会いする際には、当方が1人で戴く名刺が20〜30枚になりますので、もらっても誰の名刺か分からなくなります。
そこで名刺交換の相手に了解を得て、携帯カメラで顔写真を撮らせてもらい、その後で戴いた名刺の写真を撮ります。
最近のデジタル写真には日付だけでなく、位置データも含む事ができるようになりました。
この方法だと、名刺交換の日時と場所、相手の顔まで名刺データと一緒に保存されます。
この段階で基本的な整理は終わっています。

また、最近流行の名刺用OCRソフトは敢えて使いません。
OCRでテキストデータに変換する段階で、また別のデータベース構築を考えたくなるからです。できるだけ簡素にすべきです。

その顔写真と名刺写真を、時間のあるときにまとめて縮小印刷して、手帳のデイリーに貼ります。
またEvernoteにもアップしておきます。そうすると勝手に写真をOCRしてくれます。
しかも、携帯(私の場合はiPhone)のメモリ容量に余裕がある限り、消去せずにそのまま保存しておきます。写真をスクロールすると時系列的に、顔と名刺が順番に表れます。
これがとても便利で、結局私のメインの名刺検索方法になっています。ノートコンピュータを立ち上げる事もなく、手元でデータを検索できますので。

顔写真を撮らせてもらうときには、「あなたを忘れたくないから」という思いで撮らせてもらうので、拒否された事はありません。
ただし、この写真撮影は土地家屋調査士の仲間内の話であり、初めて会った仕事のお客様に「写真を撮らせてください」とは、なかなか言えませんが。