2011年8月29日月曜日

土地家屋調査士報酬と原価計算

土地家屋調査士など資格業者は、長年「先生」などと呼ばれ、いわゆる武士の商売を長年やってきたようです。
先生と呼ばれる人は、お金の話などするものでは無いのでしょう。
その上、平成15年までは報酬が法務大臣によって全国一律に決められていたために、自ら報酬を算出することの勉強を放棄してきました。
そのため、土地家屋調査士の報酬額については、近年混乱が見られます。

報酬額に関する研修も、以前は「この金額を守れ!」という研修でした。
法務大臣認可の時代ですから、この研修スタイルもある程度仕方ないでしょう。
しかし、あまりにもプロセスを省略して結果だけ追い求める研修会だったので、今の時代どんな研修をすればよいのか迷っている会も有るようです。

最近そのような会に伺って「業務報酬」に関する講義をさせていただいておりますが、会員の皆様とお話をしてみると報酬の組み立てそのものが欠落しているようです。
8月25日のブログ「報酬Q&A」は、その講義で触れる一部の問い掛けですが、合理的な回答は難しいと言われます。
しかし、それは過去の土地家屋調査士報酬に立脚しているからです。
「土地家屋調査士という資格者の報酬」を離れて、一般論として考えれば非常に簡単なQとなります。

すべて原価計算信義則に戻って考えてみてください。
答えは明確になります。

えっ、信義則を知らない?
それは土地家屋調査士をすぐに辞めなければなりませんよ。

なお、原価については、変動費だけ思い浮かべる方が多いようですが、固定費も忘れてはいけません。
ちなみに変動費とは、売り上げに連動して増加する原価で材料費などを言います。
また固定費とは、売り上げに関係なく発生する原価で家賃等を言います。
この2つの原価を考えて計算しなければなりません。

合理的な報酬とは何かを考える上で、最低でも原価計算を身につけてください。
それらによる損益分岐点が言えないと、報酬額に説得力を持ちません。

いつも研修会で申し上げる言葉です。

「40万円で赤字だ。」という人、それならいくらから黒字か言えますか?
50万円からですか?
45万8,342円からですか?
それが言えなければ、「赤字だ。」と言う資格は有りませんよ。

訃報-村井芳子会員

仙南の村井芳子会員がご逝去されました。
以下のとおり告別式等を執り行われます。

<お通夜>

日時:平成23年8月29日(月)午後6時
場所:「大光寺」
柴田郡柴田町船岡南一丁目1-7
電話 0224-55-1173

<葬儀告別式>

日時:平成23年8月30日(火)午後1時
場所:「大光寺」
柴田郡柴田町船岡南一丁目1-7
電話 0224-55-1173


<喪主>
村井康邦様

村井先生は昭和33年に入会された大先輩です。
仙南支部総会などでご挨拶した際の品の良い笑顔が素敵な先生でした。
ご冥福をお祈りいたします。


2011年8月25日木曜日

報酬Q&A

今日は山形会の研修会に講師としてお招きいただきました。
テーマは「事務所経営と業務報酬」です。
大震災のお礼を兼ねて喜んでお伺いしてきました。

土地家屋調査士の業務報酬は、報酬だけ単独で語っても意味が無いのです。少なくてもお客様にとっては、納得できないでしょう。
土地家屋調査士の業務報酬は、土地家屋調査士の制度を考えて、その業務を考えて、はじめて報酬まで語れると思っています。
報酬は事務所の維持に必要なものです。
ただし、ある意味ではお客様と利益双反になるものでもあります。
そのバランスの中で、お客様も土地家屋調査士も納得できる報酬を計算しなければなりません。

難しいでしょうか。そんなことは無いと思います。
資格業の報酬以外、モノの値段はお客様も売り手も納得できる価格で、普通に成り立っているからです。

もちろんベースには原価計算が有るはずです。
それが誰に対しても説得力を持ちます。

今日の研修会の最後で、以下のQ&Aを設定してみました。
以下のQについて、「合理的に」回答してみてください。

イ) 報酬の自由化で、いくら高く請求しても良くなったのですか?


ロ) 報酬の自由化でいくら安くしても良いのでしょう。
  それなのにダンピングって有るのですか?


ハ) 平成15年以前の報酬額表を、今も使っても良いのですか?


ニ) お客様に報酬額が高いと言われましたが、どうしましょうか?


ホ) 新人は安くしないと仕事が来ないので、
  最初だけ安くしても良いですか?


ヘ) 見積りを作ったことがないのですが、必要ですか?


ト) 報酬額はいちいち細かく説明しなければならないのですか?


チ) お客様によって報酬額を変えても良いですか?


リ) 報酬に冬期特別加算や特急特別加算はしても良いですか?


ヌ) 筆界特定申請代理はどのように報酬計算すればよいでしょうか?


ル) ADR代理は始めてみないと分からないのに、
  見積りはどうすれば良いですか?


ヲ) 電話での見積りの質問については、どう対応すれば良いですか?


ワ) 杭打ちだけの依頼については、どう対応すれば良いですか?


カ) 昔自分が調査測量した土地を再度依頼が来たときは、
  立会省略で良いですか?


ヨ) 値引きについては、どう考えれば良いですか?


タ) 受託契約を結ぶべきですか?


レ) 着手金や中間金は戴いて良いですか?


ソ) 境界協議不成立の際の取り決めをしておいた方が良いですか?


ツ) 業務経過報告についてどう考えれば良いでしょうか?


ネ) 請求について注意することは何ですか?


ナ) 登記完了の際はどこまで納品しますか?

2011年8月23日火曜日

訃報ー関孝会員の御尊父様ご逝去

仙南支部の関 孝 会員の御尊父様がご逝去されたとのこと。
ご冥福をお祈りいたします。

告別式等の日程については、以下のとおりお知らせします。

<通夜>

日時:平成23年8月25日(木)午後6時
場所:やすらぎホールしばた
柴田町西船迫一丁目11-64
電話 0224-58-1158

<告別式>

日時:平成23年8月26日(金)午後1時
場所:やすらぎホールしばた

柴田町西船迫一丁目11-64
電話 0224-58-1158

ファイト新聞

子供の持っている力は本当に大きいです。

震災直後、支援に行った避難所で、子供が無邪気に遊んでいるところを見ているだけでも救われた思いをしたことが有ります。

山田町の避難所で小学生が「肩もみ隊」を結成して、お年寄りを廻っていたというニュースが有りました。同じ避難所の中で、子供たちが自分たちでできることを考えて頑張りました。
おそらく、肩をもんでもらったお年寄りは、肩よりもむしろ心を揉み解してもらったのでしょう。
子供たちの凄いところは、この「肩もみ隊」を、辛いボランテリアではなく、楽しい遊びにしているところです。

気仙沼の避難所では、東日本大震災のわずか1週間後の3月18日から、4人の小中学生による壁新聞「ファイト新聞」が刊行されました。マスコミでも何度も取り上げられていたので、皆さんもご存知でしょう。

わたしは手がみや えをかくことが大すきです。
パパやママにかくとよろこんでくれます。♡
ひなん所の人にもあげたかったけど
かわいいびんせんがありません。
みんなしらないひとだし 元気がないです。
白い大きなかみがあったので、
新聞みたいに4コママンガやニュースを
かいて みなさんい 元気になってほしいと
おもいました。
さいしょは吉田新聞にしよーと
おもったけど
元気が出るよーにファイト新聞に
きめました。
よんだ人から、ほめられたり、
えがおではなしを
してくれたから わたしも
げんきになりました。
吉田 りさ

ファイト新聞社初代編集長の吉田理紗さん(小学2年生)の文章です。

3月18日の第1号では
電気ふっ活」が大見出しで、電気がついたときの皆で拍手したイラストが有りました。
そして「きのうおおさかの人たちがとんじるをごちそうしてくれました」という記事が続きます。
毎号、可愛いイラストと楽しい記事が満載で、ファイトが大盛りです。
避難所の皆の楽しみだったでしょうし、書いている子供たちの楽しみでもあったでしょう。

「ボランティアって悲壮な覚悟でやるものではなく、楽しみながらやらなければならない。」と今回の大震災で教えてもらいました。

さて、そのファイト新聞が、河出書房新社から本になりました。


大震災直後から1ヶ月半の新聞をまとめたものです。

大震災と避難所を
「明るく!」
報告している良い資料です。


通して読んでみませんか。


2011年8月19日金曜日

被災者のストレス、支援者のストレス


被災地の人々は、もう震災や飢餓、枯渇などによる死の恐怖からは脱しています。
しかし、死の恐怖から脱した時期だからこそ、将来をいろいろ考える余裕が出て、新たな不安とストレスに陥っている人たちもたくさんいます。夫と家を失って避難所にいて、どんな未来を描けば良いのか、途方に暮れている人がいます。

逆に、被災地に住んでいる人、イコール被災者ではありません。
被災地には被災者も支援者もいます。
被災地の人は、被災者らしく萎れているか、どこのボランティアの人よりも頑張って支援活動をしているかのどちらかで、普通の生活をしていてはいけないのか、とストレスを貯めている人もいます。


被災地以外の人たちにとって、被災地が落ち着いたように見える今、「いつまで、あの人たちを支援しなければならないのだろう。」という疑問が出るころでしょう。

政府の補正予算も国民の税金です。結局全国の皆さんからの強制的支援とも考えられます。
大震災から眼を離せば、喫緊の経済や防衛問題等々、山積みです。
そこに筋の通った政策が無いだけでなく、権力争いに明け暮れている政治家の状態が見えます。
国民一人一人が自分の生活を守るだけで精一杯で、とても東日本大震災を支援している場合じゃないと考えるのも無理は有りません。

かと言って、大きな声で「いつまで、あの人たちを支援・・・」とは、とても言えない雰囲気です。
日本全国を敵に回す雰囲気があります。
それどころか「私はこのような支援をした。」という話題を聞くと、「何かしなければならない。」という強迫観念を覚える人もいるでしょう。

支援者のストレスもそろそろ目に見える形になりそうです。


「今まで動けなかったけれど、11月なら動けるのだけど、遅すぎますか?」というご連絡を戴きました。
3月23日のブログに「あなたの出番」というものを書きました。また読んでみてください。

皆、無理をしないで行きましょう。
精神的にも、経済的にも、無理をしないで行きましょう。

まず、被災地のことを(日本のことを)思いましょう。
迷ったら被災地のものを買ってください。
それだけでも前進のはずです。

もっと気楽で確実な支援もあります。
たとえば以下のURLをご覧ください。


この「ふんばろう日本プロジェクト」は早稲田大学大学院講師の西條剛央さんが始めたものです。
すばらしい取り組みなので、また別の機会にコメントします。

ここらで、皆、ちょっとだけ肩の力を抜いた方がよいかもしれません。
どの立場でも長丁場には違いないのですから。


2011年8月17日水曜日

訃報ー管野伸夫会員の岳父様、岳母様

管野伸夫仙南支部長の岳父様と岳母様のお葬式が以下のとおり行われます。

通夜なし
亡義父 髙橋幸雄
亡義母 髙橋貞子
  平成23年3月11日永眠

葬儀 
 日時 平成23年8月21日(日)午前11時から
場所 石葬会館 (株式会社石巻葬儀社)
石巻市中里2丁目1-35
電話0225-95-1183

喪主 髙橋幸一(義兄)


やはり東日本大震災で被災されたそうです。
管野さんから調査士会に、以下のとてもつらい連絡が入りました。
何かお声を掛けなければならないのですが、どのような言葉も浮かびませんでした。


私事で恐縮ですがお知らせいたします。
義父(妻の父)が大震災で行方不明となり
DNA鑑定の結果一致し遺骨となって戻って
きました。義母は3月26日に見つかっています。
(被災地では見つかるとかあがるという意味は遺体で見つかる
ことを指しています。)
すぐ目の前の大川小学校74名の児童と、流された
両親の友達等と共に旅立ち、あちらの世界ではさびしくないと思います。
他にも見つかっていない方々が多数いらっしゃいます。

2011年8月15日月曜日

新盆

震災から5ヶ月経ちました。

一見復興しているようで、まだ何も変わっていないようでもあります。
政策方向性未定の問題も有ります。
マンパワーの問題も有ります。
民間資金の問題も有ります。
復興しようという気力の問題も有ります。

公共施設や大手企業の復旧は進んでいます。
でも零細企業や個人の生活は、これらが解決しないと復興できません。


昨日、定期的に見に行っている被災地を一部廻りました。

仙台市折立地区はまったく変わっていません。優先順位は後なのでしょう。

仙台市荒浜地区は、がれきの撤去だけは進んでいました。なおさら何も無い場所になりました。

荒浜の、建物の基礎だけが空しく並んでいる広い土地の一画に、遠くからでもお墓だけが見える場所があります。大津波で流されたお寺の側の墓地だけが残ったところです。
一切の樹木が無い、うだるような暑さの中、そこにたくさんの喪服の家族が立っていました。


新盆です。

あの震災後初めて被災地を訪れた遠くの親戚もいるでしょう。
お墓参りの前に、お墓のある情景を見ただけでも特別の感情が湧くでしょう。

また、行方不明者の身内を、死亡届を出さずに待っている家族もいます。世間が何を言おうと、納得するまで出す必要は有りません。

あらゆる被災者にとって、初めてのお盆です。

鎮魂




2011年8月12日金曜日

被災建物滅失調査業務説明会

会員の皆様には、本日暑い中、「東日本大震災倒壊建物の滅失調査作業」説明会にお集まりいただきありがとうございます。
私の冒頭のご挨拶にも申し上げましたとおり、あの大震災から5ヶ月が経ちました。

今までの5ヶ月は本当に皆で走り回ってきた5ヶ月でした。
最初は会員の安否確認、同時に会員はじめ地域の住民の方々の生活支援の毎日でした。その後、立ち直った会員の皆様と一緒に、登記や境界に関する無料相談会を、避難所や地域の役場を廻り開催しました。電話相談も会員の皆様に協力を願いました。

復興業務関しては、がれきの判定は業務にはなりませんでした。
しかし、それより良い方法を行政が考えたことは、地域のために良かったと考えています。

震災に関して境界をどう考えるのか、地図をどう考えるのか、被災マンションをどう考えるのか、提言するために様々な検討をいたしました。これについては、日調連の指導も戴きました。

さて、そのような中、大震災による倒壊または流失した建物を法務局が職権で滅失登記をするという事業が始まります。そして、その調査業務が発注になりました。

この業務は、被災建物が不動産登記法上の滅失状態にあるのかどうかを調査する業務です。
建築基準法上の滅失建物かどうかという問題ではなく、構造上、社会経済上建物であるかという不動産登記法上の判断が必要です。これからが土地家屋調査士の腕の見せどころです。

本日の説明会でも申し上げましたとおり、建物が倒壊して一変した現地で、確実に現場に辿り着けることができるのは、現地宮城の土地家屋調査士に限ります。宮城の義務だと考えています。

また報酬の面では若干安いとは思うのですが、それでも地元の土地家屋調査士事務所の復興の一助になればと思い、宮城会会員全員でこれに当たれれば良いなと思っていたところでもありました。

今回の法務局の発注は、宮城県公共嘱託登記土地家屋調査士協会(以下公嘱協会)が落札しました。入札の形式になっておりましたが、他所のハイエナのような団体に落札しなくて、本当に良かったと思っています。

本日の説明会については、宮城会会員全員でこれに当たるという趣旨で開催しました。
公嘱協会が落札したので、本来は公嘱協会社員のみで処理すべき案件でしょう。
しかし、宮城県では被災直後から、宮城会と公嘱協会が連携して対策本部を設置してきました。
組織を超えて「チーム宮城」として事に当たると決めてきました。短期間に大量の調査をするには、非社員も全員で復興業務の補助をすることが必要だと考えています。
そのような背景があり、岩渕理事長をはじめとする公嘱協会のご理解のもと、今回この説明会が開催されたことを報告いたします。

チーム宮城として「権利も義務も公平であれ」と思っています。
この業務を皆でこなすことが、義務でなく権利だったと感じられるのは、これからの工夫次第だと思っています。よろしくお願いします。

2011年8月10日水曜日

8月常任理事会

昨日8月9日に、8月の常任理事会が開催されました。

東日本大震災の復興のために、あまりにも様々な動きがあります。
それらに対応するために、会員の皆さんにも協力して戴いていますが、各役員も皆手分けして働いています。
普段でも事務局職員が2人だけの宮城会役員は、その分もいつも忙しく働いていました。
そこに震災関連の動きまで加わったので、皆ギリギリで働いています。
今回の常任理事会では、役員各々の動きを、皆で再確認しました。

報告事項では震災関連だけでも、
被災マンション視察の件
宮城県災害復興支援士業連絡会の件
建物滅失調査の実務研究の件
中古機器支援の件
地籍問題研究会報告の件
法テラスの拠点事務所の件
仙台法務局「東北一斉法務なんでも相談所」開設の件
などが報告されました。
これらの詳細は別途お知らせします。

協議事項では
様々な上記企画に対応するための具体的段取りを協議しました。

また義援金の処分について協議しました。
義援金は、総額が確定した訳ではありません。
しかし総額が確定してから処分等を考えるのでは、本当に困っている人たちに役に立ちません。そこで、この時点で再度義援金をお渡しする基準を協議しました。
地域復興対策のための活動費を除き、事務所を流失または倒壊した会員を中心にお渡しする方針です。この義援金の配分はまもなくお知らせします。
また義援金精算の詳細は、もう少し復興業務を執行してから、総会で報告いたします。

これからは、公嘱協会が取ってくれた被災建物の滅失登記調査業務の対応もあります。
会員の皆さんも、暑い中、体力的にも、時間的にもギリギリの状態でしょうが、権利も義務も公平に分担しながら、今までお仕事を戴いていた地域住民の皆様のために頑張りましょう。

2011年8月9日火曜日

福島産新米泡盛

本日、沖縄県土地家屋調査士会会員の伊波学さんから贈り物が届きました。
なんだろう?と開けてみると、何と「福島産新米泡盛」と書いてあります。
「がんばれ福島」との添え書きも有ります。
大変嬉しくなりました。

この泡盛は「ヘリオス酒造株式会社」が醸造したものです。限定1万5千本とのこと。
元々泡盛はタイのインディカ米を使用しているのですが、ヘリオス酒造がこのインディカ米を日本で栽培できないかと考えて、福島の吾妻農園に依頼し、昨年から福島で栽培を始めたそうです。その昨年秋収穫した米を、初めて仕込んだ泡盛がこのお酒とのことです。

その最初の泡盛を販売する準備をしていた矢先に、あの東日本大震災が有りました。
そこで、風評被害等で困っている福島県の復興に協力するため、この泡盛を「復興ボトル」として売り出し、その一部を義援金にするそうです。


義援金もありがたいですが、東北の素材を使って「福島産・・・」のように明示してくださるだけでも、直接的にも間接的にも支援になります。
皆さんで、このような話題を広めてくだされば、それも支援になります。

この泡盛を造ってくださったヘリオス酒造に感謝。
送って、教えてくださった伊波さんに感謝。



2011年8月7日日曜日

誰も自分が今日被災するとは思わない

 昨日は大分県土地家屋調査士会にお招きいただきまして、「東日本大震災と土地家屋調査士の課題」というテーマでお話を致しました。

 大震災からまもなく5カ月が過ぎようとしています。
私たちは、毎日忙しく震災に対応していました。
ただし私たちは。土地家屋調査士という専門資格者として立ち向かったというよりも、どちらかといえば地元の被災地支援団体という立場で動いておりました。
 もちろん登記や境界についての無料相談は、被災後継続して続けていますが、その相談の内容は必ずしも土地家屋調査士の分野ではないものが半分という段階でした。
 不動産登記の専門家として出番は、もう少し先かと思われます。
 このようなこの時期に、「大震災と調査士の関わり」をお話しすることは、少し難しいことでした。

 私をお招きいただいたということは、大分会の皆さんも防災に関心があるのだろうと思いました。
そこで、「あの大震災に遭った宮城会が、鈴木個人が、何を考えて何を行動したのか。」、
「事前にこういう準備をしておけば良かったと実感していること」などを具体的にお伝えしました。
これらをお伝えすることは被災地責任と思っています。
 その中で一番伝えたかったことは、以下の言葉です。
「誰も自分が今日被災すると思わない」

 防災はこの実感がないと、適当な準備になります。
 宮城県沖地震や東海地震など10年以内に発生する確率90%以上などという研究も発表されています。10年以内に90%以上などという確率は、起こらないと考えることが難しい確率です。
そして10年以内なら今日起こってもおかしくないのです。
 でもそれは、誰の気持でも受け入れられません。
「そのうち有るかも知れないけれど、絶対今日では無い」と思っています。
その人は「絶対明日も無い」と思うはずです。
そうして準備もなく「その日」を迎えるのです。

 先人の残した各種のメッセージ
たとえば「波分神社」や「石碑」などの明確なメッセージを見ても「迷信だ」などと実感できないとすれば、それは「自分に厄災は訪れない」とどこかで思っているからでしょう。

 日本にいる限り、大震災は今日来るかも知れないのです。
その覚悟が防災の一番重要な一歩です。

2011年8月5日金曜日

仙台空港にて

大分県土地家屋調査士会に研修会講師にお招き戴きまして、只今仙台空港待機中です。
震災後、初遠征です。
東日本大震災で全国にお世話になったので、これから私のできる僅かな恩返しをするつもりです。
えっ、「お前の講義では、恩を仇で返すことになる」って?

さて震災後、初めて仙台空港から出発しますが、周囲の民間駐車場がほぼ壊滅状態ですね。
いつも車をお願いしていた駐車場のオジさんやオバさんは、ご無事なのでしょうか。
親切な笑顔を思い出しながら、震災当時海の中だった駐車場を歩きました。

そろそろ、出発です。

2011年8月3日水曜日

被災マンション視察

「被災マンション法」をご存知でしょうか。正確には「被災区分所有建物の再建等に関する特別措置法」と言い、阪神・淡路大震災の際に制定された法律です。
従来の「区分所有法」では、建物の一部が壊れたときの復旧や建替えの手続きが定められています。しかし大災害等で区分建物の一棟全部が壊れた場合、専有部分に対する所有権も消滅するために、区分所有法の適用外になります。
 そうすると区分所有者達は単なる敷地の共有者の関係になります。ここでマンションを再建するためには共有物の変更となりますので、その共有者全員の同意が必要になります。
しかし、実際に全員合意を得ることは大変難しいことです。
 そこで大規模な火災、震災その他の災害で政令で定めるものにより区分建物が滅失した際には、この「被災マンション法」が適用され、敷地の共有者の議決権5分の1以上の再建の集会を開くことが認められて、議決権の5分の4以上の賛成により再建が決議できます。実際に阪神・淡路大震災ではたくさんの事例を解決した法律でした。

 さて、今回の東日本大震災では、区分建物の状況はどのようになっているのか、被災マンション法の適用はどのようになるのか、などを確認するために、先週仙台市内のマンションを見てきました。
 報道は大津波などのセンセーショナルな映像に集中しがちで、地震による被害の報道が少なく、津波地区以外はほぼ無事だろうと思っている方が多いようですが、そんなことはなく、仙台市内の建物は大なり小なりの被害があります。



上の写真は被災したマンションの外観です。大変危険な状態でもう誰も住んでいません。左側の建物と右側の建物の間を見てください。上に行くに従って開いていることが分かるでしょうか。

敷地の地割れです。敷地全体がこのような状態でした。

1階壁の外側の被害です。壁の穴から中が見えます。

これは、別のマンションのロビー内です。 このマンションにはまだ人が住んでいます。

廊下の袖壁の支柱です。


専有部分の内部です。床が完全に傾いています。とても危険な状態で全員退去が求められています。

実際に管理組合にもヒアリングをしました。
この建物は、被災していつ倒れるか分からないマンションだから、大変危険であり、すぐにでも全員撤去して取り壊さなければならない建物であることをお聞きしました。
しかし、古いマンションの住民には高齢者も多く、簡単には引っ越すことができない実態が有るようです。また建物を取り壊しても被災マンション法を適用することは無く、敷地を売却して終わりたいという希望が有るようです。今から再建するための資力が無く、融資も受けられない年齢構成であるという問題が理由のようです。
ただし、敷地の売却では全員の合意という民法の規定に戻りますので、その合意の取り付けも難しく、処理にお困りのようでした。

建替えが無理な建物では、建替えを目標とする被災マンション法では解決ができません。
更なる特別の法律でも無いと解決が難しいと感じました。

2011年8月1日月曜日

ネームプレート発見!

塩竈支部の星章夫先生の事務所は、七ヶ浜町の菖蒲田海水浴場のすぐ側に有りました。
いつもなら今頃は夏休みの子供たちが海水浴に訪れて、楽しい歓声を聞いている頃でしょう。
その事務所は、今回の東日本大震災による大津波で全部流されました。
お気の毒に何も残らなかったと聞いています。

先週、私の測量会社にいる友人が、この写真のネームプレートを渡してくれました。

測量の仕事中に、七ヶ浜町役場から続く道の脇に泥にまみれてあったものを、発見したそうです。土地家屋調査士の職名が有ったので、私なら分かるだろうと、拾って奇麗にしてくれていました。




以前お知らせしたように、震災で消失したネームプレートや会員証等の土地家屋調査士を続ける上で必要なものは、宮城県土地家屋調査士会から無料で提供致しました。
でもこれは、そんな問題ではありません。
この発見したネームプレートは、もちろん裏の金具が汐で錆びていて、使えるものでは有りませんでした。


しかし、このネームプレートは、星先生の土地家屋調査士人生のある部分を一緒に行動していたものです。
その思い出が詰まったネームプレートが、事務所から離れた場所で、3月11日から4ヶ月以上発見されるのを待っていたのです。見つかる確率は非常に低く、しかも発見者が他の人だったら拾わなかったかと思うと、この偶然になんかとても嬉しい気持ちになりました。