2013年12月31日火曜日

忘れるべきことと忘れてはならないこと

ぼうねん「忘年」
年の終わりに、その年にあった苦労を忘れること。としわすれ。(大辞林による)

生きている限り何らかの苦労があります。
そして何らかの喜びもあるはずです。
その苦労より喜びが多かった年を良い年と言うのでしょう。
だから苦労を忘れることができれば、皆良い年になります。
苦労をリセットすることで、新しい年の希望を迎えるのです。

忘年はすべてを忘れるのではなく、苦労だけを忘れるのです。
喜びを忘れないとともに、苦労をもたらした事実も、歴史の中で風化してしまわないように決して忘れてはならないはずです。

フルセイル・コーヒーにて

リセットして 前向きに。
でも、
忘れないことも後ろ向きではないと思います。

NEVER FORGET 2011.3.11

フルセイル・コーヒーで珈琲を飲みながら、この一年を振り返っております。

来年は良い年になるか?ではない
皆で良い年にする!のだ



2013年12月23日月曜日

福島の震災関連死が直接死を上回った

福島県内の「震災関連死」の数が津波等による「直接死」を上回ったとのことです。これは12月19日の各紙で報道されたニュースです。

「震災関連死」とは阪神・淡路大震災の頃から使われ始めた言葉です。建物の倒壊や火災、津波など地震による直接的な被害ではなく、その後の避難生活での体調悪化や過労など間接的な原因で死亡することです。

その災害関連死と認定されれば災害弔慰金が支払われます。その認定は県または市町村の審査によります。しかしこの認定はとても難しいです。

行政側としては、できるだけ多く認定してあげたいと思うけれども、限りある資金を有効にそして公平に使うためにも認定ラインはどこかに引かなければなりません。そしてそれがとても難しいのです。そこにどうしてもトラブルが生じます。

裁判もありました。
被災者側としては、その因果関係の証明はとても難しいのです。

被災地では様々な精神的ストレスが生じます。「被災地だけでなく現代人は皆ストレスを抱えている」と違和感を感じる方も多いでしょう。
しかし、家族を亡くしてまもなく3回目の正月を狭い仮設住宅で1人で過ごす人々のストレスや、未だに不安定な福島第一原発の廃炉作業を見ながら放射能からの恐怖を感じて暮らす人々のストレスは、計り知れないものと考えてください。
実際、そのようなストレスで命を落としているケースも多いです。

しかし、原因がストレスになると、因果関係はなおさら証明が難しくなります。
冒頭のニュースの災害関連死の数字は、認定された人のみの数字です。
認定には、医学的、法的知見も必要でしょうし、政策と行政判断の難しい判断も求められるでしょう。

ただひとつだけ書かせてください。
災害関連死は、震災から一度は助かった命がその後失われてしまう悲劇です。そしてそれは、まだ現在進行形なのです。終わったものではありません。

震災関連死は、皆で救える可能性があります。




震災関連死 福島県1605人に 11月30日現在 (河北新報)












 東日本大震災と福島第1原発事故の避難生活の長期化などで亡くなった福島県の震災関連死の犠牲者が11月30日現在で1605人に上り、津波による直接死の1603人を上回ったことが県のまとめで分かった。

 市町村別では、多い順に南相馬市437人、浪江町309人、富岡町202人、いわき市116人、大熊町、双葉町各99人。原発事故の避難区域に集中した。

 県によると、避難生活の長期化でストレスが高まって命を落とすケースが目立つ。高齢者が原発事故の混乱で適切な治療を受けられなかったり、長距離移動を強いられ病状を悪化させたりして寿命を縮める例も多い。
 関連死は岩手県が428人、宮城県が878人と犠牲者全体の1割に満たず、原発事故を抱える福島県が突出している。
 福島県生活再建課は「福島県は避難者が約14万人と被災3県で最多で、故郷を離れざるを得ない避難者も多く、ストレスが大きい」とみる。
 兵庫県立大の室崎益輝防災教育センター長は「福島県の被災者は放射能ストレスがあり、生活再建の道筋も見えないなど固有の問題を抱える。原発事故と関連死の因果関係を詳しく調べ、関連死の増加に歯止めをかけるべきだ」と指摘した。

<震災関連死> 避難生活のストレスや持病の悪化などで亡くなるケースで、津波などで死亡する直接死と区別される。市町村の専門委員会が震災、原発事故との因果関係の有無を審査し、認定されると災害弔慰金が支払われる。

2013年12月19日木曜日

土地家屋調査士試験合格証交付式にて

本日仙台法務局で「土地家屋調査士試験合格証交付式」が開催されました。

宮城県内の試験合格者に仙台法務局民事行政部長より試験合格証が手渡されました。年末の仕事等でどうしても出席できない人を除いて6名の合格者が出席されました。

宮城県土地家屋調査士会としても私と松田副会長が出席させて戴きました。そこで、合格者の皆さんの長年の努力に深く敬意を表して、心からお祝いを述べさせて戴きました。その後、合格者の皆さんには少し残って戴いて、お話しをさせて戴きました。

そこで気が付いたのですが、合格者の皆さんの中で開業計画の明確な方はほとんどいませんでした。実際に具体的な計画を持っている方は1人だけでした。

土地家屋調査士という資格は独立開業するための資格です。
TOEIC等のように能力を示す資格ではありません。
また測量コンサル等の会社に雇われることは法律で禁止されている資格です。ですから独立開業を目指すための資格です。

であれば、本来「合格したらどうする」といった計画があるはずですが、実際はそうでも無さそうです。
おそらく独立して一人で開業することは、組織にいた人にとって相当の勇気が必要と考えられ、合格の喜びと同時に、やっていけるだろうか、生活していけるだろうか、という不安が当然にあるからだと思います。

もちろん、33年前の私もそうでした。

この開業の決断は、誰でも一度は通らなければならないことで、勇気が必要です。
そしてこの点は、その人の人生がかかっているから、本人が納得しなければ強く勧めることはできません。
もちろん、宮城県土地家屋調査士会としても無理に会員を増やそうとも思っておりません。

ただし、きれい事は言いませんが、依頼事件を良心的に、研鑽してきた知識を十分に生かして処理すれば、自ずから道は開けてくるものだと実感しています。
確かに最初から順風満帆で行くことは難しいです。でも地域社会に感謝して、社会に奉仕する、そんな小さな努力の積み重ねが、立派な土地家屋調査士に育ててくれるものだと思います。
しかも今は、被災地のために身を粉にして働くことにより、収入もついて来ることもあります。

新しい技術や改正された法律、現場の対応の仕方等の研修会はその都度行なわれますし、調査士会としては、会員のレベルアップを、常にサポートしております。
そしてその研修会は、補助者では経験できないものでも有ります。

今日は補助者を数年経験してから独立するとおっしゃった方々もいました。
その方々の気持ちはとても良く分かります。
ではその事務所では何年いたら全部教えてもらえるのでしょうか。
事務所の土地家屋調査士の先生と、具体的に相談された方が良いかも知れません。

どうしても開業が不安であるとか、具体的な事務所開業のノウハウを知りたいとかをお聞きになりたければ、このブログでも何回かご紹介している「開業のガイダンス」にご参加ください。

これは、すぐに開業する人だけの為のガイダンスではありません。
ですから当面開業の計画がない方でも大歓迎です。
少し迷いは晴らすことができると思います。
ご参加をお待ちしております。

皆さんの合格が報われるように私達もサポートしますので、本当に良い土地家屋調査士になられることを、心から願っています。




2013年12月16日月曜日

3.11と弁護士 震災ADRの900日

「3.11と弁護士 震災ADRの900日」
仙台弁護士会紛争解決支援センター編
株式会社 きんざい
2000円+税



仙台弁護士会紛争解決支援センターの力作です。

この本が力作であることは元より、東日本大震災の直後から今まで地域の紛争解決に尽力したからこそ書くことができる本ですから、仙台弁護士会のその点に関しても併せて賛辞と感謝を述べたいと思います。

仙台弁護士会は早々と「東日本大震災紛争解決支援センター(震災ADR)」を立ち上げて、震災に起因するとても多様な紛争の解決のために活躍されました。

震災に起因する紛争は、複合的な問題が含まれています。
だから各専門家が協力して被災者のために動かなければなりません。
専門家の鑑定無しでは法的な話し合いが進まない事例も多数ありました。
その点では私達土地家屋調査士会ADRセンターも少しお手伝いができました。
もちろん、紛争解決の窓口はやはり総合的なものになりますので、弁護士会が震災ADRを立ち上げてくれたからこその被災地貢献だと思います。

また震災に起因する紛争は、文字通り犯人は震災です。
犯人が当事者以外だから解決が簡単な場合もありますが、むしろ解決が難しいことも多いです。
そこに紛争解決の難しさがあります。

この本にはとても具体的な事例が載っています。
被災地の土地家屋調査士や自治体の担当者はもちろん、他の地域の弁護士以外の方々にも、とても参考になるものと確信しますので、私は強く推薦致します。
防災関係の座右の書にしても良いのではないでしょうか。

以下に目次を抜き書きします。
目次だけ読んでも興味が湧くと思いますので。


序 章 震災ADRの概要(阿部弘樹)
 
第1部 震災ADR事例紹介   

第1章 賃貸借関係の紛争   

 1 建物賃貸借の紛争(1):賃料の減額   
ケース1 納戸・窓ガラス破損による生活上の不便と損害額の算定
ケース2 倒壊の危険性による解約
ケース3 台所等の損壊による損害   

 2 建物賃貸借の紛争(2):建物明渡しと立退料   
ケース4 家屋滅失と建物賃貸借契約の解約
ケース5 退去時の原状回復義務および敷金の返還
ケース6 大規模半壊による退去の可否
ケース7 「全壊」と「滅失」の関係および賃貸人の修繕義務
ケース8 全壊建物の明渡請求
ケース9 修繕が不可能な物件における損害の算定
ケース10 修繕が不可能な物件における明渡請求   

 3 土地賃貸借の紛争   
ケース11 建物周囲の損傷における補修義務の有無   

第2章 建設物の倒壊等による相隣関係の紛争   

 1 家屋損壊による紛争   
ケース12 屋外駐車場の自動車への建造物の落下
ケース13 外壁の落下による建築物の損傷
ケース14 余震による落下物防止義務の有無   

 2 土地の液状化などによる紛争   
ケース15 隣地からの流水と液状化   

 3 その他の工作物の倒壊による紛争   
ケース16 ブロック塀の倒壊による損害(1)
ケース17 ブロック塀の倒壊による損害(2)
ケース18 擁壁の倒壊による損害   

 4 漏水事例   
ケース19 閉栓忘れによる漏水による損害
ケース20 水槽の転倒による損害
ケース21 マンション上階からの漏水による損害(1)
ケース22 マンション上階からの漏水による損害(2)
ケース23 地下における漏水の損害   

第3章 津波被害(目的物の消失)の紛争   
ケース24 引渡前の自動車に対するローン
ケース25 引渡後の建築請負工事代金の支払
ケース26 津波による寄託物の流出(1):時計のケース
ケース27 津波による寄託物の流出(2):自動車のケース   

第4章 労働関係の紛争   

 1 内定取消し   
ケース28 震災後の内定取消し   

 2 業務中の災害   
ケース29 津波による業務中の従業員の死亡   

第5章 行政との間の紛争   
ケース30 地方公共団体の復旧作業による漁船の損傷
ケース31 道路の設置管理における瑕疵と過失相殺   

第6章 その他の契約関係の紛争   
 1 震災により瑕疵が明らかとなった事例   
ケース32 耐震性に優れたことを謳った住宅の損害
ケース33 建物付帯設備の転倒による損害   

 2 震災後の補修工事が不完全な事例   
ケース34 震災後の修繕工事における瑕疵
ケース35 被災者生活再建支援事業補助金の取扱い   

 3 債務の減免を求めた事例   
ケース36 保証人死亡時の任意整理   

 4 震災を理由とする解約トラブル   
ケース37 被災マンションにおける賃貸借契約の解約   
 
第2部 震災ADRの現状と課題   

第1章 統計と分析(伊藤敬文)   

第2章 「2.5人称の視点」をめぐって――臨床法学としてのADR(斉藤睦男)   

第3章 提 言(仙台弁護士会プレシンポジウム準備運営プロジェクトチーム)   

巻末資料 
仙台弁護士会紛争解決支援センター規則
仙台弁護士会紛争解決支援センター手続細則
仙台弁護士会紛争解決支援センター手数料細則
仙台弁護士会紛争解決支援センター手続細則の特則を定める細則   

あとがき   

コラム一覧   
コラム1 貸している建物が破損したら?
コラム2 借家が壊れた! まだ住めるの?
コラム3 借りた土地・建物の価値はいくら?
コラム4 我が家は「全壊」なのに「半損」?(建物の壊れ具合に関する用語)
コラム5 大震災後はマンション管理のトラブルが多発する?!
コラム6 震災給付いろいろ
コラム7 こんな事例もありました(その1)
 受領後の弔慰金等を親族間でどう分けるか(異順位の者がいる場合)
コラム8 国も賠償責任を負う?
コラム9 お隣さんのブロック塀が崩れてきた! どうしよう…(民法上の不可抗力)
コラム10 こんな事例もありました(その2)
 弔慰金等の手続で誰が代表となるか(同順位の者が複数の場合)



2013年12月12日木曜日

フィンガー・プレゼンター 黒曜石

私昔から研修については、受講するにも、講師をするにも、とてもこだわっている部分があります。

講師がどんなに中身に自信が有っても、受講者に伝わらなければ自己満足です。
貴重な時間を割いて来てくださる受講者の為に、いかに分かりやすくお伝えするかが、講師のすべてだと思っています。

自分たちの学生時代の大学教授の講義を思い出せば思い当たるでしょうが、研究者としての能力と、他人に伝える能力は、まったく別のものだから、講師をする人はそのための別のトレーニングすべきだと考えています。

知識を伝えただけでは「伝達」までです。
「そんな研修も有ったな」というだけに終わります。

噛み砕いて説明するだけでは「理解」までです。
「お前の言うことは分かった。でも俺は違う」ということになるかも知れません。

講義は、できれば「共感」まで行きたいものです。
「本当にそうだよな。俺もやってみるか」
そこまで行けば研修の意義が有ると思っています。

でもこれがとても難しいです。
謙虚さがオドオドしているように見えると知識すら伝わりません。
逆に「俺はこんなに知っているんだぞ」ということに終始する講師では共感は得られませんし、

私は、研修会では当日使うスライドの印刷は絶対に渡しません。講義の展開が見える資料を予め渡すと、当日の講義に集中してもらえません。受講者が「後でこの資料を見れば良い」と考えて、研修会では注意散漫になってしまいます。
お渡しする資料は後で見てもらえば良いのです。むしろ、「研修会後に再度この資料を開く気になるか」そこが研修の要です。

ですから私が講師をするときには、お話しの仕方も工夫しているつもりです。
一回の研修会でお伝えできることは、時間的にも多くは無理です。
だから「最低でもコレとコレ」という具体的目標に絞ろうと考えています。それ以上詰め込むと「俺凄いだろう」という研修会になってしまいます。

重要なことは、研修受講者が研修資料を、講師がコンピュータのディスプレイを、お互いに凝視している中では共感は伝わらないと考えています。
ですから受講者の眼を見ながら、身振りも意識しながらお話しをしています。

そのために私の研修は両手フリーが望ましいのです。
そこで最近愛用しているのが、この指輪です。


「フィンガー・プレゼンター黒曜石」です。コクヨで作った指輪だから「コクヨウセキ」なんでしょう。(ビミョー)

写真をご覧になれば機能が推測できるでしょう。
2.4GHz周波数帯域のラジオ波でコンピュータと接続してページ送り等ができるガジェットです。今までもこの手のガジェットはいくつか使ってみましたが、今のところ一番良いです。
既に何度かの研修会で使ってみています。

しかし誰にでもお奨めするものでもないでしょう。
研修会のスタイルによるでしょうね。
指示棒やレーザーポインターを使うタイプの講師は、ちょっと手持ち無沙汰になるかも知れません。
両手フリーが望ましいと思っている講師にはおそらく一番良いでしょう。そのタイプの講師は一度検討されても良いかと思います。

ここまで書いてしまうと、明日の群馬の研修会で「お前、ブログで書いていることと、実際に今日やっていることが違うだろ」って言われるかも。






2013年12月11日水曜日

土地家屋調査士試験合格者のための開業ガイダンス

このブログで何度も予告していますが、今年度も土地家屋調査士試験合格者のために「土地家屋調査士試験合格者のための開業ガイダンス」を開催致します。
やっと正式にご報告できますので、このブログでもご紹介致します。

このガイダンスは、昨年度から東北ブロック協議会の事業に昇格致しました。主に東北地方の合格者にご連絡致していますが、その他の方でも参加大歓迎です。

合格者の皆さんが、事務所開業について迷う気持ちはとても分かります。
ネットを調べても、匿名の勝手な書き込みがあって、皆さんを迷わせるでしょう。
変な組織に取り込まれてからでは遅いですから、開業前のガイダンスを聞いて見てください。
せっかく合格した資格を大切にして欲しいのです。

開業するには事務所をどう考えれば良いのか。
設備はどこまで準備すれば良いのか。
営業はどう考えれば良いのか。

すべての悩みについて具体的にお答えしたいと思います。

開業数年の先輩も参加します。
彼らの本音もお話ししますので、是非聞いてみてください。

参加される方は下記文書を参考に、宮城県土地家屋調査士会にご連絡ください。



平成251211
土地家屋調査士試験合格者の皆様

日本土地家屋調査士会連合会
東北ブロック協議会長

試験合格者のための開業ガイダンス開催について(お知らせ)

前略
 土地家屋調査士試験合格者の皆様、試験お疲れ様でした。
また合格おめでとうございます。
東北ブロックの土地家屋調査士会、各会長より心からお祝いを申し上げます。

 皆様は、これから土地家屋調査士事務所を開業するにあたって、様々な夢や悩みをお持ちと思います。また、すぐ開業するのか迷っている方も多いのではないかと思います。
 そこで、私たち東北ブロック協議会として、皆様の迷いの解決について少しでもお役に立ち立ちたいと思い、下記のとおり事務所開業のガイダンスを企画しました。
 しばらくの間開業しないと決めている方や、東北以外に開業を計画している方でも結構です。遠慮無くご参加ください。
草々

日時:平成26年1月18日(土)
   14時~17時頃(質問が終わるまで)

場所:宮城県土地家屋調査士会会館
980-0802  
宮城県仙台市青葉区二日町183

参加申込み、問い合わせ先:
宮城県土地家屋調査士会
電話022-225-3961 fax 022-213-8485
Eメール info@miyagi-chousashi.jp
以上
  合格してから仙台に集うのも格別な想いがあると思っています。
お気軽に参加していただければ幸いです。








2013年12月10日火曜日

改正被災マンション法初適用

10月3日のブログで紹介した改正被災マンション法ですが、早速この改正法に基づく敷地売却の決議が仙台市内のマンションでなされました。

そのマンションは「東仙台マンション」です。
このマンションは2011年8月3日のブログの写真の下3枚で紹介していますし、私も各種シンポジウム等で被災マンション法の改正を訴えてきた具体例でした。

東仙台マンションは2011年3月11日の東日本大震災で被災しました。
そのときは大規模修繕の方向で決議して、各自お金をかけて修理を始めました。しかし、その矢先の同4月7日の余震で、東仙台マンションは全壊状態になりました。

それからの解体決定と、工事までのご苦労と、敷地を売却できないもどかしさを傍で見てきました。
今回の改正被災マンション法により敷地売却の道が開け、実際に買い手もついたようですが、様々な費用を引くと、権利者にはほとんど残らないような金額です。
大変お気の毒ですが、法的には決着がつきました。


12月18日追記

本日関係者の方から「本ブログの表現では誤解が生じる可能性がある」とご指摘を受けました。
もし私の文章表現でどなたかにご迷惑をお掛けしたのなら、大変申し訳なく思います。
以下に本文の趣旨の説明と訂正をさせて戴きます。

「様々な費用を引くと、権利者にはほどんど残らないような金額です」の部分です。
これは「費用を引いたから残らない」という意味ではありません。今回の被災問題解決のための費用をできるだけ抑えることで、関係者はたいへんご苦労されていることは聞いております。
私の文章の趣旨は「全体で1億9000万円余りを140の所有者で単純に割ればでてくる金額が、住まいを無くした住人の方々にとって、とても少ないな」という単純な思いからの感想でした。
もちろん中古マンションの相場も知っています。その相場と比べて安いと言っている訳でもありません。売買価格や諸費用は妥当なものでしょう。
「お気の毒」と書いたのも、単純に被災者は皆お気の毒と思っているからです。何も無ければそのままお住まいになれたのですから、お気の毒と思っています。
そう思わなければ、私もこの1000日被災地支援に駆け廻ることはありません。

私の文章の表現能力の問題で関係者に不快な思いやご迷惑をお掛けしたのなら、心からお詫び致します。私の趣旨はこのとおりですので、ご理解をよろしくお願いいたします。



以下12月8日のNHKのニュースです。

「被災マンション跡地 法改正後初の売却へ」

東日本大震災で被災したマンションの敷地の売却について、必要とされる同意が法律の改正で所有者「全員」から所有者の「5分の4以上」となったことを受けて、8日、法律改正後、初めて仙台市のマンションで跡地の売却が決議されました。

このマンションは東日本大震災で全壊した仙台市宮城野区の「東仙台マンション」です。
8日、宮城野区の集会所にマンションの所有者およそ30人が集まり、委任状を提出していた所有者と合わせて9割以上の同意を得て、跡地を売却することが決議されました。
東仙台マンションは140の個人や法人が所有し、震災で全壊しましたが、被災マンション法では敷地の売却には所有者全員の同意が必要で、震災前から2人の所有者が行方不明だったことから、売却できない状態となっていました。
しかし、法律がことし6月に改正され、所有者の5分の4以上が同意すれば跡地が売却できるようになったことを受けて、8日、決議が行われました。
この結果、マンションの跡地は仙台市の医療法人に1億9000万円余りで売却される予定だということです。法律の改正後、マンションの跡地の売却が決まったのは初めてです。
東仙台マンションの所有者の代表、土谷信也さんは「法律のレールがないなかでの初めての取り組みだったので、まずは一安心だ。今後、ほかのマンションにも参考にしてもらいたい」と話していました。





2013年12月8日日曜日

震災から1000日

2013年12月4日で東日本大震災から1000日が過ぎました。

マスコミの報道も少なくなりました。
ニュースは前の日と違うからニュースになります。
何も変わらない被災地はニュースになりません。

そんな折の先週6日、仙台市の復興事業局生活再建支援部の担当の方が、宮城県土地家屋調査士会館にお見えになり、今後の協力関係についてお話しを戴きました。

被災地ではまだ仮設住宅に多くの被災者が住んでいます。
仙台市だけでも9500世帯がまだ仮設住宅にいるそうです。
その中の1000世帯はプレハブの仮設住宅にお住まいですが、その他の方々はみなし仮設住宅(民間賃貸)とのことです。

それが復興支援する役所の立場としてはとても大変なようです。つまり被災者の皆さんがバラバラにお住まいだから、個々の意向や悩み事のヒヤリングにとても時間がかかるそうです。個々のヒヤリングの内容もお聞きしましたが、とてもきめ細かなヒヤリングをしています。

これから仙台市の復興5年計画のうち、大きく動く26年度27年度にかかります。
仙台市では被災者の個別のヒヤリングが終わり、これから具体的な復興支援が本格化するそうです。

宮城県土地家屋調査士会としても、今後も専門家の立場で、法務局や法テラスなどと同様に仙台市の要請にも対応して、被災者の相談に対応できるように頑張りますので、会員の皆様の更なるご協力もお願い致します。



2013年12月1日日曜日

認定土地家屋調査士の将来像を考える

東北ブロック協議会の今年度の事業計画は以下の5項目です。
1.認定土地家屋調査士の将来像を考える座談会
2.ADR担当者会同
3.日本土地家屋調査士会連合会事業計画と連動する事業
4.新人研修会の開催
5,調査士試験合格者のための開業ガイダンス

東北は復興など忙しいこともあり、今年はなるべくまとめて開催しようと計画しました。
ということで上記1、2、3をこの週末に仙台で併催しました。

「認定調査士の将来像を考える座談会」
「ADR担当者会同」

他では「認定土地家屋調査士活用研修会」を推奨されることも有るようですが、東北では別の考え方をしていました。「認定調査士活用研修会」が、実際にADR代理業務の依頼が来たときにどう動くべきか等のノウハウの研修会であれば、ブロック協議会としてはその前にやることがあると思っていました。

今年、ADRセンターが全国50会全部に設立されました。
このADRセンターと認定土地家屋調査士を法施行当時の制度設計に立ち返って研究し、これからのADRセンターと認定土地家屋調査士との関係がどうあるべきかを、根本から議論することが重要と考えていました。

その方針で昨年は制度設計に立ち返って研究するために、九州大学の七戸教授と制度制定時の日調連会長だった西本孔昭先生をお招きして研修会を開催しました

実際に認定土地家屋調査士の活用として、全国では各種相談の相談員や、筆界調査委員や様々な推薦をするための内部基準に使っていることがあるようです。確かにそれらの配慮は、認定土地家屋調査士自身の為になることも有るでしょう。しかしそれは、法が予定している認定土地家屋調査士の本質的な活用になっていないと思っていました。

それに関して私は、以前から千葉会の取り組みが参考になると思っていました。
千葉会の場合、センターに関する相談は、原則的に専用の研修を受けた認定土地家屋調査士が各々の事務所で受けることになっています。そのやり方が、ADRの相談にいらっしゃったお客様にとっても、本当に役に立つシステムになっています。

たとえば、裁判を検討する際に、裁判をすべきかとかその見通しはどうか等の相談は弁護士事務所に行くでしょう。裁判所に相談することがあるとすれば、それは裁判手続に関することでしょう。そんな感じで捉えてみると分かりやすいかもしれません。

千葉の場合、相談を受けてみて、その事件がADRよりも筆界特定に向いていたり、一般業務で処理すべき事件であれば、そのまま相談を受けた認定土地家屋調査士が担当しても良いのです。これもセンター組織として相談を受けているのではないから、一番その事件に向いている解決方法を提案しやすいのでしょう。

東北ブロックとして、今年は千葉会の「センターちば」の高橋一修先生をお招きして研修会を開催し、この千葉の制度等の説明をお聞きしました。
そしてその後、東北のADRの担当者が集まって議論しました。
担当者会同は、得てしてそれぞれ担当者の愚痴のはけ口になりがちですが、今年の担当者会同は将来に向けて良い議論ができたようです。




2013年11月26日火曜日

オルノ olno トンボ鉛筆

トンボ鉛筆のシャープペン、オルノシリーズです。
今年の5月5日に「使ってみる」とこのブログで書いてから、半年使っているのですが、その感想を書いてみます。



以前も書きましたが、
このペンの特徴はノック方式に有り、シャープペンの芯出しの方式の一つのボディノック式と言われるものです。

一般的なシャープペンは、ペン尻の部分にノックが付いていて、それを押すことにより芯が出ます。
また軸を回転させることにより、芯が出る機構もあります。

このボディノック式と呼ばれるペンは、軸の中程にノックボタンかそれに代わる機構を備えていて、それにより芯を出すもので、1970年代に流行ったものです。
当時も私はボディノック式のシャープペンを持っていました。

一般的なシャープペンは、芯を出すときに一度書いている手を止めて、持ち替えてペンの頭をノックします。
このボディノック式のシャープペンは、その持ち替える手間を省き、書いている手の形のまま、ノックして芯を出すことができるというメリットがあります。

でも私は、当時からこれらのペンを、あまり好きではありませんでした。
軸の真ん中ノックボタンが出ているタイプは、そのボタンが邪魔ですし、そもそも美しくないです。

このオルノシリーズのように軸を折るようにノックするタイプは、ノックボタンは無いので見た目はスッキリです。
しかし、ペン軸の中程を折るようにノックすることで芯を出す機構ですから、その軸が途中で折れる構造が握ったときに不安であるという感覚と、以前は壊れやすかったという印象があったので、好きでは無かったと思います。
(ちなみに、このネーミングは「折るの」でしょうね)

この半年間使ってみて、私は違和感が消えませんでした。
やはり好きでは無いという印象です。

写真で言うと、黒いラバーの部分と,その上の透明なスリットの境目が、丁度折れる機構です。
ですから、少し長めに持つと、親指と人差し指の付け根の力加減で、持ったままノックができます。
ただし、その持ち方だと軸が曲がるのですから、筆記は不安定になります。(当社比ですよ)

それをさけるには、もう少し短く持つべきです。
黒いラバーのグリップ部分だけでも十分な長さがあり、そこだけを握れば安定はします。
しかし、それならばノックするときはグリップを長めにずらさなければならず、結局持ち替えなくてもノックできるというメリットを生かせません。

製品は、間違いなく当時のモノとは比べものにならないくらいしっかりできていると思いますし、トンボ鉛筆は、私愛用のエアプレスやZOOMなど、世界に誇る製品をたくさん出している好きなメーカーの一つで、このペンもチャレンジしていると評価はしています。

あくまでも私の個人的な嗜好として、ボディノック式はちょっと違う、という印象だけですので、ペンを強く握らない人には良い機構ですし、一度は試されても良いかと思います。










2013年11月25日月曜日

研修ライブラリについて

日調連の研修ライブラリをご存じでしょうか。
私が以前日調連研修担当理事の頃に提案して作ったものです。
どうも当時のコンセプトが今に伝わってなくて、あまり稼働せず、残念な思いをしています。
あの研修ライブラリを再度有効活用できるようにするために、少しここで当時のコンセプトを紹介させて戴きます。

全国の土地家屋調査士の世界では、とても多くの研修会が開催されています。
土地家屋調査士会、支部、青調会等の任意団体、ブロック協議会等々の研修会を合わせれば、どこの会に所属していても年間5〜10回の研修会は開催されているのではないでしょうか。

それでも私が新人の頃を考えれば、それではとても足りないくらいに研修会が必要でした。また自分の所属会だけではなく、他の所属会で開催されている研修も聞いてみたいと思っていました。

そこで考えたのが全国の研修を集積させて、その中からいつでも自己研修ができるようにする仕掛けです。
全国の土地家屋調査士会で一年間に開催される研修会を、支部等を併せて少なくても5回と考えても、50会あるので、最低年間250回の研修会が開催されています。
それを日調連の研修ライブラリに登録していくのです。それを土地家屋調査士なら誰でも、事務所からネットで検索して、閲覧研修できるようにする仕組みでした。

当時、日調連で私の提案がとおり、実際にライブラリを作ってくれたのは兵庫会の光川会員でした。
ライブラリに登録するには、もちろん講師の承諾が必要です。講師によって、動画まではNG、レジュメはOK等々、様々な制限はあると思います。それでも良いんです。
極端に言えば、「いつ、どこで、誰が、どんなテーマで」というデータだけでも勉強の切っ掛けになるはずです。また研修会を企画する担当役員のヒントにもなるはずです。

あれから10年、そのまま順調に稼働していたら少なくても2500回の研修会のライブラリができていたはずです。このライブラリのデータベースは、個人の勉強にとって力になりますし、組織的にも対外的に説得力を持つはずです。

残念ながら今まであまり稼働していなかったのは、当時ネット事情が今ほど潤沢ではなくて、動画などを閲覧するには回線スピードなどの問題もあり、少し時代が早かったという問題と、このライブラリのコンセプトが日調連内部でまったく引き継がれていなかったことが問題だと考えています。

できれば、再度日調連の研修ライブラリを充実させて欲しいと考えています。
私が個人的にサーバーを準備して、研修データベースを勝手に集めることもできますが、やはり組織的に集める方が全国の会員の為になるでしょう。
これから各会が支部や青調会なども含めて、ここ2〜3年の研修会のデータをライブラリに登録しただけで、簡単に1000件程度の研修会データベースができるのですが。





2013年11月21日木曜日

会議の方法 加筆

2011年5月25日のこのブログで、「私が考える会議の方法」について少し書きました。
2年以上前の記事であることと、最近会議の方法と、議事録の書き方について質問がありましたので、再度ここで「私が考える会議の方法」を書いてみます。

各土地家屋調査士会の理事は、各々の所属する土地家屋調査士会を、どこに持っていくかを議論するのが一番の使命だと思うのです。それなら一番重要な仕事は理事会等の会議のはずです。それなのに、どうも会議については、皆ウンザリしているようです。
意識の無い人は役員をやっていないでしょうから、ウンザリするとすれば会議の方法が悪いのかも知れません。ちなみに万が一、意識の無い人を役員に選んでいる組織があれば、それは選んでいる人にも責任があります。

さて、どうすれば会議がウンザリしないで、なおかつ効率良く議論を尽くすことができるか、これを考えてみましょう。
その際に重要なことは、過去の会議方法を一度疑ってみることです。皆さん、何も考えずに毎年ウンザリする会議を続けていませんか。会議の参加メンバーが替わっているのだから、今の参加者が納得する方法で運営すれば良いのです。

さて、会議のストレスは以下のようなものではないでしょうか。
・何を言ってもどうせ答えが決まっているんだろう。
・他の部が準備してきた議案をここだけで反対はできないし。
・ああ、いつ終わるんだ。
・こんな会議なら俺がいなくても同じだから、遅刻しても良かったかな。ちょっとトイレに行って、電話でもしてこようかな。

会議は、議題について判断して結論を出すことが目的です。
この最終目的を実現するには、どうすれば良いのかを考える必要が有ります。
日本の伝統的な会議方法は、聖徳太子の17条憲法の精神「和をもって尊しとなす」を曲解するあまり、ダラダラと時間を取られる会議が多いと感じていました。

私が4年前から宮城会で実施している会議の方法を以下に紹介します。

1.会議は開始時刻だけでなく、終了時刻も宣言する
 開始時刻だけでなく終了時刻を宣言することにより、拘束時間がハッキリし、その後の予定が入れられます。いつ終わるか分からないから、その前に仕事を入れたくなり、遅刻者が増えます。
「遅刻者がいなければ確実に終了時刻が守れる」との共通理解があれば、遅刻者は無くなるはずです。
 もちろん、会議終了予定時刻が延長になりそうなことが有ります。
その時でも、できるだけ終了時刻を守る努力をし、それでも「建設的な」議論が尽きなければ、再度参加者の了解を得て、終了時刻を再宣言します。

2.途中休憩時刻も予告して、それをできるだけ守る
 会議中見られる光景として、参加者が携帯電話で中座したり、トイレで中座したりすることがあります。これも途中「何時ごろに休憩を入れる」と最初から宣言すると、参加者もそれまで待てます。いつ休憩になるか分からないから、中座したくなるのです。
宮城では基本的に1時間に1度の休憩を入れています。このインターバルなら携帯電話やトイレは我慢できるはずです。
 そのかわり余程のことが無い限り中座は認めません。会議では参加者全員がいないと議論はできませんので。

3.資料はできるだけ事前に配布する
 会議は勉強する場でもなく、ダラダラつぶやく場でもないのです。会員のために決断をする場所です。
 資料はできるだけ事前に配布し、参加者は当然に目を通し、会議に参加するときには、既に意見を持って会議に参加してもらいます。
  宮城でもなかなか間に合わないことがあるのですが、どうしても当日配布せざるを得ない場合には、その提案者は配布しながら丁寧な解説を一緒にすべきです。一番大切なことは採決の前に理解です。

4.議論よりもまず報告に力を入れ、共通理解のベースをつくる
 議論がまったくかみ合わないときは、意見が違うのではなく、共通理解のベースが違っているのです。
 普段から私たち土地家屋調査士周辺の状況や社会経済の状況などに気を配っておいて、理解のベースを同じにして、はじめて同じ土俵で議論ができるのです。議論が長引くとすれば、議題によるとは思いますが、ある意味参加者同士の勉強が足りないのかも知れません。
 私が会長に就任した最初の1年間の会議の冒頭では、たくさんの時間を戴きました。
30分以上、当日の会議に必要な基礎知識である資格周辺事情や日調連の方向性など、研修会のように会議の冒頭で説明しました。最近は理事の皆さんが理解されたので、この説明はしなくて済むようになりました。
 同じ理由で、私が主催する会議では、参加各人の報告事項に力を入れています。
よく「報告事項は資料を見てください」と処理されることも多いようですが、それは間違いです。私は「報告はしっかりと、しかも背景まで含めて報告(解説)するように」と、報告者にはお願いしています。つまり「何をしたか」「何をしたいのか」だけの報告ではなくて、「何故そう考えたのか」まで報告を求めます。
 共通理解のベースが一致していれば、大抵の議題で建設的な反対意見は出ても、不毛な議論にはならないはずです。土地家屋調査士会の議題は、参加者が基本的な勉強していれば答えはだいたい決まるはずです。
 場合によっては、会議と別に「役員研修会」を一度開催しても良いと思います。
その後の会議が早く終わるなら、理解する日を一日入れても、皆さんの為になると思います。

5.議題は「○○について」ではなく「○○をこのように処理する件」と提案する
 議題の提出の仕方だけでも会議の段取や内容が変わります。
「○○について」という提案だと、ダラダラと関係ない話題にもなりがちです。
会議ではなく、なんらかの勉強会ならそれも意義が有りますが、会議は何かを決める場です。
 提案者は「○○をこのように処理したい」という意思を明確にして、皆さんの意見を聴取すべきです。

6.議事録は会議中に作成し、会議終了時に参加者に内容を確認する
 議事録がいつまでもできてこない組織があります。
 そんな組織では、会議で決まったはずなのに、いつの間にか覆されたということも聞きます。会議の基本は、会議が終わる前に何が決まったか参加者で内容を確認することです。
 宮城会の常任理事会では会議中に議事録を作成しています。その入力を会議中にリアルタイムにプロジェクタで映しています。会議しながら内容をチェックすることもあります。
 議事録の最終版は後日としても、基本的な議事録は会議終了と同時にできあがっています。






2013年11月17日日曜日

パイロット万年筆キャップレス

これだけには手を出さないようにしていた万年筆。それがパイロットのキャップレスです。
何故って、だって万年筆なのに便利だからです。


キャップレス 絣


万年筆は本来扱いづらいものです。
キャップを外しているとペン先のインクが固まり、メンテナンスが必要になります。
だから書き終えたら必ずすぐにキャップをします。
書くときはそのキャップを両手を使ってクルクルと外し、ペン軸のお尻に挿します。
キャップをペン尻に挿すことにより、持ったときのペンのバランスが良くなる設計のペンが多いからです。

典型的な万年筆 ペリカン・スーべレーン


書き始める前にこんなことをしなければならないのだから、立ったままメモをするには万年筆は不適です。
落ち着いて机の上の上質な紙に向かい、心をおちつけてキャップをクルクルと・・・。
それが大人の文具の流儀ですから。


キャップレスのペン先と軸のクリップ

それなのに、パイロットはワンノックでペン先が出てくる「キャップレス」シリーズを1963年から作っているのです。
このペンは、普通のノックの位置がボールペンなどと逆で、普通ペン先が出る方にノックボタンがあり、クリップの付いている端からペン先が出ます。
握ってみるとそのクリップが邪魔にならないだけでなく、握ったときの指のガイドになったように絶妙です。
ペン先がとても小さいので、万年筆の一番の魅力であるペン先のたわみが少ないだろうと思いましたが、ペン先だけでなくおそらくこのペンと一体のユニット自体のたわみも加わって独特の書き味になっています。悪くありません。
そしてとんでもないことに、キャップが無いのにシャッターによりインクが乾きません。

ペン先はF 18金

これなら立ったままのメモにも最適です。
パイロットキャップレスの長年の歴史により、完成度も高まっています。

だから私には微妙なんです。
万年筆は不便だから大人の文具なのです。
作法が必要だから大人の文具なのです。
だから私はキャップレスには手を出していなかったのです。

文具は理屈だけで使ってはいけないのです。
えっこの写真? いや、だから・・・





2013年11月13日水曜日

祝!土地家屋調査士試験筆記試験合格

本日は平成25年度土地家屋調査士試験の筆記試験合格者発表の日でした。東北六県を管轄する仙台法務局管内では、合格者は21名でした。

合格した皆さんはこれから口述試験に進むことになります。
おそらくその口述試験には余程のことが無い限り合格すると思います。
問題はそれからどうするのか。
何かビジョンがあるのか。
そこが心配です。

補助者経験のない方、心配しなくても良いです。
ただ勉強すれば良いだけです。
その勉強のノウハウはこのブログの過去の記事を拾い読みしてください。分からなければ直接ご連絡戴いても結構です。

皆さんにとって一番心配なことは、土地家屋調査士法違反のような就職をすることです。
それでせっかく取得した資格が一生ダメになります。

土地家屋調査士事務所開業の心配をしている方、心配しなくても良いです。
土地家屋調査士会東北ブロック協議会では、今年度も「土地家屋調査士開業ガイダンス」を準備しています。
参加者は今年の合格者に限りません。
開業する前提でなくても結構です。
また東北ブロック以外に開業する予定の方でも結構です。

開業時にすべてを揃えることは難しいです。
それなら何が必須で、何が後でも良いのかを説明しましょう。
開業後の事務所運営の方法も教えましょう。

以下開業ガイダンスの予定です。
これは日時も含めて予定ですので、確定したらこのブログで再度お知らせ致します。

日時:平成26年1月18日(土) 午後1時から5時頃
場所:宮城県土地家屋調査士会館


以下は、昨年11月19日のブログです。
再度掲載しますので、試験合格者は読んでみてください。


土地家屋調査士筆記試験を突破し、口述試験を受けた方々、来月発表ですが、なにも心配有りません。安心して日々を過ごして良いと思います。
常識人であれば、口述試験では落ちないはずです。
みなさんは間違いなく合格予定者です。

ただし勉強を止めてはいけません。
まだなにも解決していません。この試験はお稽古事の試験ではありません。プロの専門家の登竜門です。
みなさんは言わば就職試験に合格した程度、専門家として国民のみなさんの為に登記制度に携わるには、あの資格試験程度の勉強ではどうにもなりません。

お客様は分筆登記だけ建物表題登記だけで完結する仕事をお願いしているのではないのです。なぜ分筆するか。なぜ表題登記を依頼するか。その後の何らかの法律経済活動が有るからなのです。

添付書類や図面の書き方を知っているだけでは、まったくだめなのです。
不動産利活用の相談も受けるでしょう。建築相談も法律相談も税務相談も受けるでしょう。別に弁護士法違反や、税理士法違反などをしなさいと言っているのではないのです。みなさんに業務を依頼する地権者は結構勉強しているのです。その依頼者のレベルにも達していない人は、相談の価値がないと判断されてしまうはずです。

みなさんが受験で学んだのは登記手続きだけです。みなさんが補助者の時代に担当していたものも、大半は登記手続きの事務だけでしょう。
でも資格者としてお客様に会ったときには、もっと広範囲の質問を受けます。それに答えられないと、本来の土地家屋調査士の仕事にも結びつかないでしょう。この部分は皆さんが勤めていた事務所の土地家屋調査士が答えていたはずです。

これから勉強することはたくさんあります。
ですから勉強する癖は消さないでください。
この業界は実はとても単純です。勉強を重ねて説得力を持つと、つまらない営業をしなくても仕事は来ます。これは嘘ではありません。
勉強したくない人が、結果的に回り道の営業をしているのです。

おまえの言うことは分かった、でも開業資金と開業度胸が無いとおっしゃる方がいれば、遠慮なく宮城会に相談ください。
世間が言うほど開業資金はいらないと私は思っています。
そこは考え方でどうにでもなります。固定費はできる限り圧縮してください。詳細は説明します。
無理にだましてまで会員を増やす気はありませんから、ご安心ください。
よろしければ、ほとんど開業資金がなくて開業した宮城の新人も紹介しますよ。
もちろん、結果的に宮城会に入会しなくて良いですから、遠慮なく相談してください。

また昨年宮城で開催した合格者開業ガイダンスを、近々東北ブロック全体に広げて開催する予定です。
合格者には何らか連絡したいと思いますが、合格者全員に連絡できるか分かりませんので、このブログもたまに見てアンテナも張っていてください。




2013年11月12日火曜日

葉月の会 in 札幌

11月9日と10日に「葉月の会」が、札幌で開催されました。

葉月の会は以前も説明しましたね
葉月の会は全国7会の会長同士の情報交換の会です。会務における様々なテーマについて、7会の会長を中心にした役員がフリートークします。
会議は毎年持ち回りで開催します。
宮城は2010年2011年に開催担当しています。
昨年は福岡で、今年は札幌で、来年は愛知で開催されます。

結論を出す会議ではないので、かえって本質的な議論ができるとても良い会です。
会議のテーマは事前に募るのですが、今年はとても多くのテーマが集まりました。
お互いに葉月の会で何をするかが浸透してきたからでしょう。

○単位会・ブロック協議会・連合会の役割について
○入会手続、入会者の審査について
○苦情相談について
○職務上請求用紙の使用について
○土地家屋調査士の非違行為に関する調査委嘱について
○大規模災害時の会員の安否確認のための緊急連絡システムの導入について
○会長立候補の条件について
○札幌会が測量会社を調査士法で刑事告発した経緯について
○建築基準法42条2項道路の分筆・地目変更の推進について
○融資実行時の境界確定の必要性について
○報酬額の低廉化と入札制度について
○報酬の低廉化について
○愛知会作成「土地家屋調査士の受託業務Q&A」について
○不正業務会員の指導について
○官民業者の名義貸しの排除について
○各会におけるセンターの運営状況について
○ADR認定調査士活用について
○会費の徴収方法について
○特別会費について
○CPD活用について
○CPD不足会員について
○無料相談会において相談員が事件を受託することについて
○広報活動の実情と効果的な広報の展望について
○寄付講座について
○資格取得を目指す受験者の合格前実務研修について
○広報グッズのアイデア及び活用方法と実例の共有について

かなりの量でしょう。
これら1項目だけでも半日語ることができる内容です。それでも各テーマについて結構議論できました。役員はこれらについて、いつも問題意識を持っていますので、キーワードを交換するだけで充分理解できるからでしょう。
必ず各会の運営に役立てられる議論だったと思います。

全国会長会議も決議機関では無いのだから、このようなフリートークで意見交換できればもっと充実するのだけど、なんて思ったりしました。





2013年11月7日木曜日

筆界調査委員研修会

筆界特定制度とは,土地の所有者として登記されている人などの申請に基づいて,筆界特定登記官が,外部専門家である筆界調査委員の意見を踏まえて,現地における土地の筆界の位置を特定する制度です。

これが法務省のHPによる「筆界特定制度」の説明です。

平成18年に不動産登記法の中で施行されたもので、7年経ちました。宮城では震災の影響も有り、最近申請件数が多くなっていると聞いています。

さてこの筆界特定制度における「外部専門家である筆界調査委員」として、現在宮城県土地家屋調査士会から推薦された32名の委員が現在活躍しています。

この筆界調査委員は、法務局の委員であって土地家屋調査士会の委員ではないので、委員のノウハウが平準化しているのか、仕事の段取りや報酬などでなにか困り事はないのか、実のところ調査士会としては把握ができません。
また委員同士の意見交換もする機会が無い状況でもあるので、本日は筆界調査委員を対象に研修会と意見交換会を開催しました。主催は境界鑑定委員会です。

この研修会は、以前から開催されていたのですが、震災後はなかなか集まることが難しかったので開催できませんでした。今回は無理をして集まってもらいましたが、とても有意義だったと思います。

本日の研修会は、前副会長の千葉三郎会員による講義で、「筆界特定から境界確定請求事件へ」というものでした。実際に有った事例の研究で、筆界特定された事件を不服とした関係人から訴訟を起こされた事例です。

何が問題で筆界が不明になったのか。
それを解決するのに、どんな資料を集めてどんな評価をしたのか。
一度筆界特定された事件に対して境界確定等請求を起こしたのは何が問題だったのか。
結局、何が決め手でどう決着したのか。

とても良くまとまった講義であり、これからの筆界特定事件に対応する調査委員にも示唆に富むものだったと思います。内容もさすがに実例ですから説得力があり、よく調べてありました。

その後に開催された意見交換会でも、実際に仕事に携わっている委員の生の意見がたくさん出て、とても有意義だったと思います。
言いっ放しのものは意見ではなく、愚痴にしかなりません。
これらをまとめて次に生かすことが重要と思っています。

今後も筆界調査委員対象の研修会や意見交換会を開催するつもりです。
早速来月12月11日にも仙台法務局から講師をお招きして研修会が開催されます。

また、まもなく新しい筆界調査委員の任期が始まります。
筆界調査委員に興味のある方はお問い合わせください。
最初はベテランの先生と組んで戴きますので、良い勉強になると思います。




2013年11月4日月曜日

確かにスポーツは被災地に勇気を与えた

楽天イーグルス日本一から一日経ちました。
ちょうど昨日は雨の中、1球1球を見逃さないように集中していました。
前日160球投げたばかりの田中が、最終回にマウンドに向かうときのスタジアム中の地鳴りのような声援で涙が出ました。そして田中の最後の投球で日本一が決まった瞬間には、東北全体が吼えました。



被災地にスポーツが勇気を与えると言いますが、「本当か?」と思う気持ちも皆さんにあるでしょう。「スポーツはその場の楽しみであって、復興へ向かう勇気まで言及するのは大袈裟だ」と思っていませんでしょうか。被災直後の私自身も良くわからなかったのです。
でも本当です。あの弱かった楽天イーグルスだから、被災地の人々はなおさら勇気をもらいました。そう私は実感しています。

以下は東日本大震災とスポーツについて触れた私のブログです。
そのときそのときの私の正直な気持ちで書いています。

スポーツは被災地に勇気を与えるか 2011年3月31日木曜日

ベガルタ仙台レディース 2011年10月14日金曜日

東北の躍進 2012年6月14日木曜日

続けていくことが大事な時期 2013年9月30日月曜日

また逆に、選手は被災地から力を得たと言ってます。
実際に被災直後は、選手にも「スポーツをやっていて良いのか」という葛藤があったようです。
楽天イーグルスの選手だけでなく、ベガルタ仙台や仙台89’ers(BJリーグ)の選手も同じ思いでした。彼らは、練習の合間を見てボランティア活動を続けました。
残念ながら一時解散を余儀なくされた仙台89’ersの選手達も、自らの明日も分からないときに、被災地でボランティアを頑張りました。
あの元日本代表ベガルタ仙台の柳沢敦も、名乗らずにボランティアセンターに通ったようです。

そして彼らはスポーツを一生懸命続けることが、被災地の為になるという結論に至ったようです。その「誰かの為に」という気持ちになった者は、とても強くなれます。
あのイーグルスが、あのベガルタが、とても強くなりました。

東北にスポーツが有って良かったです。
楽天イーグルスやベガルタ仙台の躍進は、被災地では本当に力になりました。
昨日の楽天イーグルスの日本一を得て、東北は更に復興が加速すると思います。



楽天イーグルス日本一!

東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になりました。





先日パリーグ優勝したときにもブログを書きましたが、9年前、本当に弱いチームでした。
仙台育英や東北高校の方が強いかもと言われていたチームでした。

東日本大震災直後は、東北は何もかも止まってしまいました。
東北のプロスポーツなんかどうなるのか、という状態でした。
それでも東北のプロスポーツチームは各々頑張りました。
被災地支援をしながら練習を続けました。

見せましょう野球の底力を!
これは、楽天イーグルスの嶋基宏が、2011年4月2日に東日本大震災の復興支援のために行われた慈善試合の前にスピーチした際の言葉です。

そして今日、巨人と日本シリーズ第7戦までもつれて、なおかつ勝ってしまうチームになりました。
我がチームは本当に強かった。

今日はもう書くことはありません。
ただただ感激しています。

ひとつだけ、私の愛媛の友人、平塚さんのコメントを紹介します。

今日は11月3日、あの日と逆に今日が東北の皆様の新たなる希望の始まりの日となって頂けることを信じています。







2013年11月1日金曜日

私の情報端末遍歴

私は過去どれだけのコンピュータにどれだけのお金をつぎ込んできたか、考えると恐ろしくも楽しい記憶です。
私のコンピュータ遍歴は富士通のFM7からです。
嬉しかったですね。basicで毎日プログラムを書いていました。

私は今考えてみると、所有してきたコンピュータに3つのストリームがあります。
第1のストリームとしては、ビジネス用デスクトップ。
主にビジネス用途でNEC98シリーズのMS-DOSを経由してwindowsに至っています。
CADやオンライン登記申請のためにはwindowsは捨てられません。

第2のストリームとして、プライベート用Mac。
classicⅡを振り出しに今に至ります。
MS-DOSでコマンドを入力していた頃に、Macはウィンドウを開いてマウスで絵を描いていました。Macに出会って感動した瞬間の記憶は今でも忘れられません。
プライベートではWindowsは使っていません。

私の中で一番重要な3つめのストリームが「モバイル」用途の情報端末。
このモバイル情報端末に、今までどれだけ小遣いをつぎ込んできたか。昔から私はいつでもどこでも情報を持ち歩きたかったのです。

個人業は結局、公私の区別なんてできません。
365日24時間で、自分の公私をこなすしかありません。

ちょっと脱線しますが、よく手帳をオフィシャル用とプライベート用と2冊持つという人の話を聞きます。2冊で日程調整などしたら混乱するはずで、本当に混乱しないのなら、その人はもともと2冊も手帳がいらない人だろうと思ったりします。

怒られそうなので話しを戻して、個人業は結局どこでもいつでも仕事をしなければならない強迫観念があります。その強迫観念から超然と距離を置くか、積極的に浸かってしまうかです。
私は後者です。だから移動中も仕事ができる装備が欲しいのです。
実は私の手帳好きも情報端末の一つです。システム手帳などを工夫してモバイルツールにしていました。

PDA情報端末としては、
カシオの電子手帳からはじまり、シャープのザウルスシリーズ。
初代電子手帳は電話番号とちょっとしたメモが記憶できましたが、とても画期的でした。
ザウルスはさすがに日本メーカーらしく、ソフトや周辺機器が秀逸でした。

パーム社のPalmPilot。
このPalmPilotは大好きで、かなり使い倒しました。
これに使いやすいデータベースソフトやデータそのものがたくさん流通していて、とても便利でした。私もたくさんのデータベースを入れて歩きました。主な用途の事件簿も入れてましたが、併せて全国ラーメンデータも入れていました。
電子書籍のはしりの青空文庫などはこの端末で読みました。
このグラフィティという独特の手書き入力は素晴らしく、今でも使いたいと思います。

ソニーのパームトップ(誰も知らんだろうな)。
暇な人はググってください。これはとても格好良かったです。いかにもソニーです。20万円弱ですが、どうしても欲しくて買いました。
いまやっと実用化し始めた手書き変換入力を当時やっちゃった機器です。
なにしろホテルから手書きのFAXができたのですから、とてもナウい機器でした。

モバイルコンピュータとしては、
以前もこのブログで書いたポケットコンピュータ
いろいろ買いましたが長く使って思い出があるのはシャープのPC1261です。
まだコンピュータが一般的に買える時代では無い頃、私のプログラムで測量計算や報酬額見積計算をしていました。宮城会会員55名が導入したという恐ろしいソフトでした。

持ち歩ける98、ラップトップ9821Ts。
持ち歩くことができると言われて11kg超のコンピュータを持ち歩いていましたね。
とにかく重くて、私はラップクラッシュ98と呼んでいました。

小さくなって世界初ノートPC東芝DynaBookとそれに続くPC98note。
アイビーエムのウルトラマンPC。
この辺りからのノートは数限りないですね。その時々の一番小さなまたは薄いコンピュータは、今に至るまでほぼ使ってきました。
このあたりのコンピュータ一台一台にコメントを書きたくなったけれど、それはまたの機会にします。

今はこれらの3つのストリームが収束してきて、MacBook AirとiPadとクラウドで大抵のことはこなすことができるようになりました。

今までこれらの情報端末にどれだけの投資をしてきたか。
これは計算しない方が良さそうだけど。
まあ、その時代時代で一番効率の良い仕事をしてきたと満足してますよ。

さて、ここまで書いて何を言いたいかというと、
今日iPad Airを買っちゃった言い訳でした。






2013年10月31日木曜日

ブログカウンター60万回

このブログのカウンターが60万を数えました。
ブログを始めたのは2009年9月30日でした。あれから4年経ったのですね。ブログの記事は1002回を数え、60万回超えの閲覧を戴いたのですね。ありがたいことです。

以前から、ブログは自分の日記を人に晒すようなものだから、ブログを書いている人の気が知れないと思っていました。それなのに、まさかの自分が書き始めて、そして書き続けられたのは、自分でも驚きです。
おそらく不特定多数に向けて書いている訳では無いからでしょう。
明確にお伝えしたい皆さんがいて、確実にお伝えしたいことがあるから続いたと思います。

お伝えしたいことは山ほど有ります。
それでも、私が想定外の方々も読んでいるブログです。
だから、物事についてどこまで書くか、いつも判断に迷います。

また、毎日説教がましいことを書いても読んでくれないだろうなと思い、その間に書籍や文具やスポーツのネタを入れたりしています。
そうしたら文具ネタだけ拾い読みしてくれる方もいるようです。
「会長、こんなペン知っている?」って、自分のペンを見せてくれる会員がいます。若干私のブログ執筆趣旨と違うけれど、それはそれでとても嬉しいです。

東日本大震災直後は、このブログで現地の対策本部の報告も兼ねました。まさかこのブログが、こんな記事を書くことになるとは思ってもいませんでした。
あれから、このブログで被災地から発信しているつもりで、実はたくさんの支援の心を受信することができました。ブログを開設して良かったと思いましたし、皆さんにはとても感謝しています。

会長という役職は、正直この3期目で勘弁して欲しいと思っています。ですから会長ブログとしては、あと1年半だと思います。
これから何回の記事を書いて、のべ何人の方が読んでくれるのでしょうか。書きたいネタはまだまだ有ります。よろしければもう少しお付き合いください。





2013年10月29日火曜日

全国青年土地家屋調査士大会 inOSAKA

19日(土)に「全国青年土地家屋調査士大会 inOSAKA」が開催されました。
この全国大会については、何回か過去のブログでも紹介しています。

たとえば震災直後の「全国青年土地家屋調査士大会in福島」を読んでみてください。

いわば、全国の自称青年土地家屋調査士が年に一度一堂に会しての情報交換をする場とでも言えましょう。


全国から、頼まれもしないで、誰も旅費を出してくれないのに270人の土地家屋調査士が集まりました。
270人と言えば一つの単位会の人数ですね。

青年と言っても年齢制限はありません。
自分が青年だと思っていれば良いのです。
だから私も第1回から毎年参加しています。
ちなみに私は土地家屋調査士を廃業するまで青年と決めました。

変な組織でもありません。単位会と対立する組織ではありません。
だから全国の調査士会の役員も多数参加してます。
宮城の会員なら分かると思いますが、いわゆる青調会ですね。

仕事がないと言って嘆いている会員の皆さん、
一度で良いからだまされたと思って参加してみてください。
飛行機のパックを使えば、北海道から沖縄まで宿泊付きで数万円で往復できますよ。

昭和の時代の成功を個人も組織も引き摺っていて、先が見えているはずなのに見ないふりして動かないあなた、全国を見てください。仲間が何を議論しているかを。
サラリーマンで無いのですから、自分の力をつけるのは自分で動くしか無いのです。
参加すれば、おそらく調査士人生が変わるかも知れません。

来年の全国大会は岡山です。
興味の有る方はお問い合わせください。







2013年10月28日月曜日

筆界調査は調査士の基本で王道です

かなり書きたい記事が溜まっています。遅ればせながら少しずつ書いていきます。
さて、18日(金)に宮城会の研修会を開催しました。今回も多数の参加者がありました。

研修タイトルは
「筆界特定制度について」
  蝦名貴保氏(仙台法務局総括表示登記専門官)
「法務局備えつけ地図公図の成り立ちとその特性及び留意事項」
  江口 滋氏(日調連制度対策本部委員・愛知会)

蝦名氏も江口氏も、とても得がたい講師です。
秋晴れの測量日和の中で、測量に行かずに室内の座学を選んでくれた会員に後悔させない研修会だったと思っています。

毎年全国流行の研修会もあるけれど、やはり土地家屋調査士が何度も何度も継続して研修すべきものはこれです。
筆界調査は、土地家屋調査士のすべての基本であって、とても奥が深いものです。
日常業務の土地の登記はもちろん、筆界特定、境界鑑定業務も、すべての業務は、この筆界調査能力が必須です。
そして私達の測量能力や法律能力は、この筆界を判断するためのツールであって、目的でないことも再確認してください。

会員の皆さんは、日常業務でいつでも触れているから、この調査技法については分かっているつもりでしょう。でも私はまだまだ甘い部分があると思っています。

14条1項地図の地域の会員は、復元だけに頼っていませんか?
14条4項地図(いわゆる公図)の地域の会員は、立会だけに頼っていませんか?

それなら土地家屋調査士は不要です。
復元だけだったら、測量コンサルでもできるでしょう。
立会だけだったら、資格がなくても誰でもできるでしょう。

我々が調査判断した筆界は、裁判でも覆されてはなりません。
書証・物証・人証を丁寧に検証して、土地家屋調査士の能力により総合的に判断して筆界が浮かび上がります。

新人の皆さんは特にこの技法は疎かにしないでください。
復元だけや立会だけに頼っていませんか?
あなたの補助者時代に勉強した事務所の技法が王道かどうか、そこから検証してください。
私達が判断した筆界が、裁判等で覆されることがあれば、もう専門家とは言えませんので。

宮城会では、しつこいくらいにこのテーマの研修会を、多角的に企画して開催し続けます。






2013年10月23日水曜日

全国会長会議で日調連役員の選出方法を考えた

10月16日と17日の2日間で平成25年度第1回全国会長会議が開催されました。
全国会長会議については過去にも何回かブログで紹介しました。
全国50会の土地家屋調査士会の会長が一堂に会して、土地家屋調査士が抱える問題について議論する場であり、通常年に2回開催されています。
以前は日調連総会までの地ならし、またはガス抜きの場として使われているように思えましたが、会長の中から変化を求める声が上がり、少しずつ形式も変わってきました。
私自身も本来総会等の決議機関ではないのですからこそ、自由な議論が必要だと主張しておりました。

今年の会長会議ですが、あの全国に被害をもたらした台風26号の中で開催されました。
当日の交通機関の麻痺が予想されたので、急遽会議の前日に東京に入ることを、日調連から勧められました。私も前日18時頃まで仕事が有ったのですが、結局夜に東京に入りました。
飛行機や新幹線が動かない中、全国の会長はやはり前日入りしていたようで、一人も欠席無しの中会議が開催されました。大したものです。

さて今回は、新しい日調連役員による初めての会長会議です。
6月の総会後、各部が組成されてから3ヶ月半です。
そして日調連の会長や副会長が変わっていますので、会議で話しを聞いていると、部にもよるのでしょうが、おそらく前年度の引き継ぎからやっと動き出したところのようです。
私が日調連理事だった頃と同様に、前役員からの引き継ぎも十分ではなさそうでしたから、はじめから勉強をし直しているのかも知れません。

会長会議の雰囲気も変わってきたので、今回の役員には期待しています。
それでも、このような引き継ぎや組織の始動では制度の議論は難しいと思っています。
誤解しないでください。今の役員の資質について批判をしているのではありません。
理事が2期4年でリセットされるこの暗黙のシステムを何とかしなければならないと思いました。
そうでないと誰が役員でも難しいと思いました。

単位会は10年20年継続している役員がいるものです。そうでなくても常に近くで顔を合わせているから、比較的役員変更後のタイムラグは少ないはずです。
そんな観点からも日調連の役員の選び方を再検討する必要が有ると思っています。

日調連の理事は各ブロックに選出人数の割り当てがあります。関東ブロックの7名以外は各ブロック2名の推薦になります。東北ブロックでも6県から2名が選ばれています。
各ブロックでも後が遣えているような意識が出るからなのでしょうか、能力があっても長く理事に留まることは難しいようです。

また逆に、どうせ先が無いと思うせいか、腰を落ち着けて勉強を重ねることをせず、他の部に関心がなく制度を語ることができない日調連理事もいたように思えます。
能力の無いと思われる人は1期で交代してもらうことも当然考えなければなりません。

各ブロック選出人数を半分(たとえば東北ブロックは1名)にして、残りの半数の一部は会長指名、その残りは全国から選ぶ方法に変更しても良いと考えています。
能力が有り勉強する覚悟のある方は、長く我々の制度のために働くことができる環境を作るべきだと思っています。

このような話しも今後議論したいと思っています。



2013年10月22日火曜日

忙しいけどね。仕事はできますよ。

先週はさすがに忙しかったです。

13日(日) 東京会多摩支部被災地視察
  被災地の案内と土地家屋調査士の視点による説明
15日(火) 全国会長会議の前日
  台風の関係で急遽夜に東京に移動
16日(水)~17日(木)全国会長会議
  新しい日調連役員による初めての会長会議
18日(金) 宮城会研修会
  筆界特定、境界鑑定に関する考え方と技法
19日(土) 全国青年土地家屋調査士大会 inOSAKA
 全国の自称青年土地家屋調査士が年に一度一堂に会しての情報交換

先週は特別に会議等が重なったのですが、まあ年中忙しいです。
先週の会議等についての報告は、遅くなりますがいずれ書きます。

さて、こんな状態ですので「会長はいつ仕事をしているのですか?」って聞かれることが多いです。
私に確かに絶対的な時間は少ないですが、当然仕事をしています。お客様に迷惑をかけるようなら、とっくに事務所は無くなっていますから。そして仕事をしなければ土地家屋調査士でいられません。
また自分で調査士法違反していたら、会員に本気で指導なんてできません。

問題は仕事のやり方でしょう。
私に質問する人は「仕事の段取りは常にこういうものだ」と思い込んで、毎日仕事をしているのではないでしょうか。 昭和の時代のノウハウをそのまま継承していませんか。
仕事の質。お客様の意識。仕事のツール等々、今はかなり変化しています。

お客様とはお会いしてしっかり打ち合わせしたら、その後は、可能ならできるだけメールで連絡を取らせて戴きます。 今はお客様の方も普通にメールをする時代です。お仕事で忙しいお客様ならむしろ喜ばれます。移動しながらでも丁寧な仕事ができますし、言った言わないのトラブルも無くなります。

オンライン申請の時代です。
モバイルしながら移動中でも仕事ができます。
基本的な閲覧調査ならオンラインでできます。
六法、先例、判例等を常にネットで調べられるようにしています。
そして過去の業務情報も含めて、私はクラウドに保存しておきます。そうしておけば、コンピュータが手元に無いときでも、必要ならiPhoneで過去の図面も閲覧できます。
事務所にいなくても業務の問い合わせに答えられます。

いつも添付情報は入手できた順からスキャンしてクラウドに置いておきます。
先日は大阪から仙台の物件のオンライン登記申請をしました。
この件は、出張前に現場を終わらせ、新幹線とホテルでネットを使いながら作業したものです。その後委任状等オンラインで送付できないものだけ、レターパックで大阪から仙台法務局まで送りました。何の問題もありません。

時間の調整で言えば、私は365日24時間、公私混同で段取りを考えます。
個人業ですから、オンもオフも自由に調整できるのですから、固定で考えていません。
そして1ヶ月にどれだけ時間を取れるかを考えて、仕事を調整します。
仕事を減らしても、工夫すれば、仕事の水準を下げずに利益は確保できるはずです。

土地の仕事であっても、現場調査よりもはるかに内業の割合が多いはずです。
内業なら休日でも夜でもできます。だから時間は工夫次第です。
まず動かせない土地境界立会等の日程を決めて、全体工程を考えます。

ここまで読んでも「俺は時間があるから、そこまでは不要だ」と思っている人も多いのでしょうね。もしそうであっても、いろいろ工夫すれば、あなたにはもっともっと時間ができますよ。



2013年10月16日水曜日

交響曲第一番 佐村河内守

あまりにも凄まじい。

佐村河内守(さむらごうち まもる)の「交響曲第一番 闇の中の小さな光」を読みました。NHKのドキュメントなどで彼の存在も彼の曲も知っていました。
交響曲第一番を初めて聴いたときは、鳥肌が立ちました。
しかし、彼がここまで凄まじい人生を送ってきたことは、書籍を読まないと実感できませんでした。



ご存じの方も多いでしょう。被爆二世として広島に生まれ、4歳から母にピアノを師事し、10歳で「ソナタ」をすべて制覇、その後音大を拒否し、独学で作曲を学びました。35歳で全聾になり、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り響く頭鳴症と破壊的偏頭痛の発作に悩まされながら、絶対音感だけで作曲を続けました。
彼はしばらくの間、全聾であることを隠し続けていました。全聾の作曲家と言われることが、良くも悪くも作品への正当な評価をされないからです。
何度も挫折しながらも交響曲第一番「HIROSHIMA」を完成し、その直後自殺未遂をします。その後も発作と精神喪失(本人は発狂と書いている)を繰り返しながら創作活動を続けています。この交響曲第一番はクラシックとしては空前の大ヒットをしています。

この本を読んで、改めて佐村河内の交響曲第一番を聴いています。
聴きながら、彼の肉体的にも精神的にも闇の世界の中で、凄まじい苦悩の先に見えた「小さな光」を感じています。
以下は彼の本からの抜粋です。

自分を闇に突き落とした憎むべき相手と、真理への感謝を捧げる相手と、苦痛から救われるために祈る相手ー。その三者は「同一の存在」だったのです。

その三者が同一の存在だったと気づいたとき、私が”神”と呼んできたものの、その存在の大きさを嫌というほど思い知りました。
最終的に私が得たものとは、その大きな存在(神=運命)に身を委ね、ただ祈るほかないということでした。

運命に身を委ね、苦痛を忍び、祈りながら、「闇の音」を紡ぎつづけるほか道はないと知るばかりです。

誰にでもお奨めする曲でないかも知れません。
まして誰にでもお奨めする本ではないかも知れません。
辛すぎるからです。

でも興味があるのなら、一度読んでみてください。
また一度聴いてみてください。
「闇の音」が聴こえるかもしれません。



追伸)
フィギュアスケートの高橋大輔の今年のショートプログラムで、佐村河内守の曲「ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調」が使われます。
注目してください。

2013年10月15日火曜日

東京会多摩支部被災地視察

10月13日に東京土地家屋調査士会多摩支部の皆さんが被災地の視察旅行にいらっしゃいました。
東京会には東日本大震災の際にもご支援を戴いております。宮城会会長としてお声をかけて戴いたので、喜んでご案内させて戴きました。

宮城の滞在時間の関係で、多くを廻ることができませんでしたが、単なる被災地訪問では無く、不動産登記と地図の専門家である土地家屋調査士の観点から、大震災が起こった際に何が起きるかを見てもらいたいと思い、その視点でご案内させて戴きました。

私の定点観測の地、仙台市青葉区折立地区を見てもらいました。
(写真の指は気にしないでくださいね)

もし多摩地区に震災が起こったら、津波よりもこのような災害を想定していた方が良いかも知れません。防災は難しいからこそ事前のリアルな想定が重要です。


仙台市若林区荒浜地区も見てもらいました。
以下は大津波で被災した住宅地です。



何も無い海岸付近の原野を歩いているように見えるでしょうね。
この周辺の瓦礫はほぼ片付けられていますので、初めての訪問なら大震災以前の形を想像できないと思います。

このような被災地を歩くときは古い住宅地図を持って歩くと、まったく違う印象を持ちます。この写真は以の住宅地図の赤い道路を左から右方向に歩いているところです。
この住宅地図では拡大しないと分かりにくいかもしれませんが、この赤い道の真ん中辺りの「駐在所」付近です。

私達土地家屋調査士の専門家としての被災地復興の視点は、地図や基準点や境界標をどう取り扱うべきか、不動産登記をどう考えれば良いのか、まずはこの点を語らなければならないと思っています。なぜなら土地家屋調査士以外、この点の問題を正確に把握できないからです。
写真を見ているだけでは分からないでしょうが、実際に歩くと雑草の生い茂った中に、住宅地の区画も道路側溝も基準点も境界標も見つかります。これらの物証をどう扱えば良いのか。実際に見て、時間があれば測量してみて、考えて戴きたいのです。
現地も見ないで勝手な論を展開しようとしている文章を見ました。まず見に来てください。


私が小学生の頃に海水浴に来た深沼海水浴場です。
曲がった鉄柵を気にしなければ、海は靜かでまったく美しい色をしています。




2013年10月10日木曜日

気仙沼の佐々木宏明会員再入会

元気仙沼支部の佐々木宏明会員が再入会されました。
本日登録証交付式でお会いしました。

佐々木さんは、体調を理由に五年前に退会されました。
その後はお会いしていませんでしたが、あの東日本大震災で被災されたとのことでした。
退会された後ではありますが、すべての事務所設備や測量器具を流されたそうです。
そして今も、みなし仮設住宅にお住まいだそうです。

佐々木さんによると、地元気仙沼では復興を急ぐ反面、役所も民間も技術者不足で、地図や境界が分からないままに事業を進める状態が散見されるようです。
たとえば区画整理でできた地図と地籍調査でできた地図の違いも分からずに、物事を進め、余計に復興の妨げになっていることを見たそうです。

命が懸かっているときは、境界より何より行動がすべてです。
しかし、これからは新たな町を作るステージです。
復興事業は、法的にも安定させなければなりません。

佐々木さんはこれらの問題に関して個人的に相談を受けたものも有ったようですが、土地家屋調査士の登録をしていないと発言もできず、本格的に地域の復興に貢献するためにも再入会を決意されたとのことです。

私としてはとても嬉しい再会でした。
この五年間のブランクを埋めようと、研修に対しても前向きな姿勢を見せて戴きました。

佐々木会員には体調にお気を付けて、再入会されたからには長く会員を続けて、気仙沼をはじめ地域の復興にご活躍されることを祈念致します。



2013年10月9日水曜日

プロスポーツとプレイオフについて考えた


この一球は絶対無二の一球なり

やり直しのきかないその瞬間瞬間に、己の技術、体力、精神力の限りを尽くすから、スポーツは美しいと思っています。

さて、楽天イーグルスは9月26日にパリーグ優勝し、昨日10月8日は田中将大の年間負け無し24連勝というとんでもない快挙に浸っています。
これからクライマックスシリーズに臨みます。
このクライマックスシリーズについては、興行としての収益増と、ファンにとってはより多くの試合を楽しめるというメリットがあるのでしょうが、私はもともと反対でした。
本来リーグの1試合の重みを減らすものだからです。やり直しがきくのです。
クイズバラエティの 最後の問題で、突然配点を100点にするようなものです。
広島に恨みは無いけれど勝率5割行かないチームが、日本一になる可能性もあるシステムですから、納得できません。

優勝したから言うのではありませんよ。楽天イーグルスはどちらにしても日本一になるのですから。
プロ野球は、セパ交流戦は有るにしても、ほぼ一年間戦う相手が5チームしか無いというのに、年間144試合もあるのだから、もともと試合数が多すぎます。だから選手もファンも1試合負けてもどうってことないのです。日本プロ野球についてはいずれ書きたいと思っています。

またJリーグに目を向けると、年間1シーズンで戦っていたところを、2015年から前期後期の2シーズン制に戻すことに決定していまいました。
こちらもシーズン後にプレーオフをすることになるようです。前期の優勝チームと後期の準優勝チームが戦い、後期の優勝チームと前期の準優勝チームが戦い、その勝者同士が戦い勝った方が、前後期を通じて一番の勝率を得たチームと日本一を争うようです。
1回読んでわかりました?スッキリしませんでしょ。
私は毎日でもサッカーを見たい人間です。たとえば我がベガルタ仙台がシーズンを終えてもまだ試合があることは、正直嬉しいと思います。まして惜しくも優勝を逃した我がチームが復活できる可能性があれば、サポーターとしては力が入るかもしれません。
でもやはりスッキリしません。
前期優勝したチームは、後期は怪我しないように無理しないように試合をすれば良くなります。極端に言えば最下位でもプレイオフに備えれば良いので、試合の緊迫感は無くなります。

確かにJリーグは収益が伸び悩んでいます。だからサッカー協会はこんなことを考えて拙速に決めてしまいました。これは短期的な収益しか考えていないように見えます。
こんなことをしたらリーグ戦の1試合1試合の重みが薄れてしまいます。
一瞬のボールの不規則な弾み方で、とても不運な1回の誤審で、年間の優勝が逃げていくことがあるからこそ、サポーターは瞬きも惜しいほどに一瞬も見逃さないように試合を見ます。
この刹那的な緊迫感がスポーツの醍醐味です。
サッカー協会が目の前の小さな収入に目を奪われ、本来持っているスポーツの魅力を減少させ、かえってプロスポーツの将来を見失うように思えます。

こんなことを考えていたら、目先だけ見て将来ビジョンを見失いそうなあの業界の組織を思い出しました。

2013年10月6日日曜日

事前にシミュレーションすること

本日は他会の新人Oさんから相談を受けました。
相談の主要な部分はこのブログでは書きにくい部分がありますので割愛しますが、相談では無い部分で気になる部分がありましたので、ここで書かせて戴きます。

Oさんは先日お客様から測量の仕事を受けたのですが、測量図を描くことに慣れていなかったそうで、完成がとても遅くなって叱られたそうです。
遅くなった理由は、隣接者がどうのこうのでは無くて、個人のCADの操作慣れの問題のようです。

前から私の研修やこのブログでも言っていますが、この資格業界は仕事を受託してから調べたりする人が多すぎます。
どんな業界でも修行に修行を重ねて、お客様にお出しできる技を身に付けてから暖簾を出したり、メニューに加えます。
我々も、様々な依頼が来ることを予想して、事前にその仕事のシミュレーションをしておくべきです。むしろして準備しておかないと、その仕事の依頼は来ません。

今日のOさんのようにたまたま仕事が来たとしても、その仕事でお客様にダメ出しされたら、二度と仕事は来なくなります。後でどんなに仕事ができるようになっても、もう声はかけて貰えません。
彼に限らず仕事が来てから調べている人達は、何を甘ったれているんでしょうか。
おそらく合格率1桁の土地家屋調査士資格合格の成功体験に浸っているんでしょうね。
世間に褒められて、もう専門家になっているつもりなのでしょうか。
入会してみれば、土地家屋調査士は全員合格者ですから、ただの人なんですけどね。
そこを謙虚に捉えて、毎日トレーニングをしなければなりません。

Oさんのように図面を描くのが遅いなら、自分だけの問題ですから、毎日CADの練習すれば解決することです。以前から紹介しているように、入会したばかりの私のように、仕事の依頼が無くても毎日近所を測量して、毎日図面を描けば良いのです。
私は毎日公園を測量していました。
そのときの私は測量そのものがテーマでした。
たとえば「今日は偏心補正で」などのテーマを決めて、毎日練習していました。
もし彼のようにCADに慣れていなくて図面を描くことが遅いのならば、様々な現況を入れた図面を「毎日タイムを計って」描いてみることも必要でしょう。

もしOさんが筆界特定申請をやったことが無いのなら、シミュレーションしてみましょう。
自分の分筆などの資料を見て、「もしこの場所に境界トラブルが有ったとして、自分が筆界調査委員ならどんな意見書を出すか」を考えてみましょう。
そして実際に意見書を書いてみましょう。
筆界に関する意見書は、普段からトレーニングをしていなかったら、そうそう書けるものではありません。

新人の皆さん、まずはシミュレーションとトレーニングです。
仕事が中途半端な内に営業に行っても、自分で唯一のチャンスを潰すことになります。もう取り返すチャンスも貰えません。

Oさんも焦らなくて良いんですよ。
仕事ができるようになれば、必ず仕事は来ますから。



2013年10月3日木曜日

改正被災マンション法

本日「改正被災マンション法」の説明会が仙台で開催されました。
改正被災マンション法は、正確には「被災区分所有建物の再建等に関する特別措置法の一部を改正する法律」と言います。(平成25年法律第62号)講師は法務省民事局参事官中辻氏と同局付川副氏です。

被災マンション法については、2011年8月3日のブログで少し紹介しました。
もう一度整理してみます。

一般的にマンションを建て替えるには、区分所有者の5分の4以上の賛成者がいれば良いのです。反対者の権利も配慮することが前提ですが、全員の合意が無くても立て替えは進められます。

平成7年に阪神・淡路大震災が起きました。たくさんのマンションが破壊されました。
これはマンションが全部滅失する状態ですから、マンションの所有者は区分所有者の立場では無くなり、単なる敷地の共有者という位置づけになります。
そうなるとその敷地に新たな区分建物を建てる場合は、民法で言う共有物の変更行為になりますので、共有者全員の合意が必要となります。
しかし、何百人もいる共有者全員の合意を取ることは、現実問題不可能に近いのです。
これは反対者が多いというだけの問題ではありません。被災マンションですから、各権利者に簡単に連絡が付かないのです。実際にお亡くなりになった方もいるかも知れませんし、少なくとも皆さんどこかに避難しているでしょう。
このままでは、何もできなくなってしまいます。
そこで平成7年に制定されたのが「被災マンション法」です。
建物は実際に滅失しているのですが、マンションの区分所有者だった人達の5分の4以上の同意で再建が進められると言う特別措置が定められました。

東日本大震災では、完全に倒壊したマンションはありません。ただし、これらの建物は、被災していつ倒れるか分からないマンションだから、大変危険であり、すぐにでも全員撤去して取り壊さなければならない建物であるものも多いのです。
しかし、古いマンションの住民には、終の棲家として購入した高齢者も多く、簡単には引っ越すことができない実態が有るようです。また建物を取り壊して建て替える意思は無く、むしろ敷地を売却して終わりたいという希望が有るようです。今から再建するための資力に乏しく、融資も受けられない年齢であるということが理由のようです。

被災区分法はあくまでも建て替えるためのものです。マンションを壊して、敷地を売るための措置ではありません。ですから、全員の合意を得なければ一部倒壊しているマンションを取り壊すこともできません。これでは、近隣住民に対しても、都市経済的にもとても問題が生じました。ですから東日本大震災では、新たな別の特別措置が必要になりました。

あれから2年間、私は、あらたな特別措置の必要性があることを、シンポジウムなど機会ある度に訴えてきました。
その後、政権交代など様々な要因もあったようですが、今年6月26日に「改正・被災マンション法」がやっと公布・施行されました。
共有者の5分の4以上の同意で被災マンションの取り壊しや、その敷地の売却が決定できることになったのです。

これはとても重要な法律です。詳細は条文を当たってください。
被災地の土地家屋調査士の皆さんは何かと相談を受けるはずですから、この法律も丁寧にチェックしておきましょう。





2013年10月2日水曜日

気仙沼さんま寄席

古典落語「目黒のさんま」を知っていますか。
「さんまは目黒に限る」という落ちの噺です。
まあ皆さんご存じでしょうね。

その噺にちなんで毎年秋に東京・目黒で「目黒のさんま祭」が開催されています。
そのさんまの全国的に有名な漁港と言えばご存じ気仙沼です。
そこで「目黒のさんま祭り」には、毎年気仙沼市の費用でさんまが提供されていました。
東日本大震災後も同じく提供するための費用を作りたいという気仙沼市長の相談を受けた糸井重里氏が提案したのが「気仙沼さんま寄席」です。
「慰問としての落語会ではなく、気仙沼の人がしっかり稼ぐイベントにしましょう。」という提案です。
気仙沼まで行っても是非聴きたいという寄席を企画して、全国からお客様を気仙沼に呼ぶツアーを企画するのです。
とても良い考えです。
昨年に第1回が開催され、今年が第2回目です。

先週末29日、その「気仙沼さんま寄席」に行ってきました。
出演者は、実力と人気を備えた立川志の輔師匠。
今、一番チケットの取りにくい噺家です。
まくらは、師匠得意の小咄を次々に重ねるもの。
小咄の落ちを知っていても毎回笑わせられます。
そして演目は「猿後家」と「新・八五郎出世」でした。

この「新・八五郎出世」は「妾馬」とも言います。
大工の八五郎の妹の鶴が殿様に見初められお世継ぎを生みます。
その八五郎が殿様に招かれるのですが、がさつな言葉使いで、案内してくれた田中三太夫をハラハラさせます。この部分が笑わせる部分ですね。そんな八五郎の態度が返って殿様に気に入られ、士分に取り立てられすのです。その後、侍となった八五郎が馬に乗ってまた一騒動起こすのですが、大抵は士分に取り立てられるところで噺が終わります。
そこで、この噺を「妾馬」と言わず「八五郎出世」と言うことがあります。
志の輔師匠の噺では、八五郎は士分に取り立てられることも断ります。出世もしません。
そこは泣かせる人情噺に仕立てられています。
志の輔師匠はさすがに聴かせました。

これなら新幹線や飛行機に乗っても聴きに来たくなります。
遠くからいらっしゃるお客様は、宿泊して、気仙沼で朝ご飯を食べて、気仙沼の海産物等のお土産を買ってもらいます。
糸井氏の「慰問ではなくしっかり稼ぐイベント」という発想は、とても素晴らしいと思います。






2013年9月30日月曜日

続けていくことが大事な時期

見せましょう野球の底力を!

これは、楽天イーグルスの選手、嶋基宏が、2011年4月2日に東日本大震災の復興支援のために行われた慈善試合の前にスピーチした際の言葉です。

自らも被災して、再開も危ぶまれたそれぞれのリーグ戦で、被災地のプロスポーツチームが勝ち続けることは、被災地にとても勇気を与えます。
あれだけ弱かった楽天イーグルスが今年優勝しました

また、ベガルタ仙台が昨年J1準優勝しました
これらの活躍は、被災地全体に勇気と元気を与えました。

今年のベガルタ仙台は、ACLの後遺症も残り、昨年ほどの結果を出していませんが、怪我人も戻りつつあり、ここのところ調子が戻ってきました。
9月中の試合では相手チームに1点も与えない鉄壁の守備が戻ってきました。
攻撃の得点は運による要素も大きいですが、守備は理屈の要素が大きいです。おそらくこれから大崩れすることは無いでしょうから、12月に向けて順位を上げてくるでしょう。

先週末28日はJ1首位の横浜Fマリノスとの試合がありました。
マリノスには近年負けていませんが、今年のマリノスは調子良いようです。
お互いに守備のブロックを作って堅く守り、隙を見て攻撃に移る形です。
90分間緊迫する試合で0対0の引き分けでした。
各々勝ち点1を分け合った試合で、とても見応えのある試合でした。
首位と引き分けたから良いとするか、首位に勝ち点を縮められなかったかと見るか、考えが分かれるところでしょう。

さて、そのマリノスの選手達が、その翌日に東松島市を訪問してサッカー教室を開いてくれました。

これらの被災地支援活動は、横浜Fマリノスだけではありません。仙台と対戦するたくさんのチームが、疲れているのに試合の翌日に被災地をまわってくれています。

憧れのプロサッカー選手が自分の地元に来てくれて、サッカーを教えてくれるのです。
あの中村俊輔が一緒にボールを蹴ってくれます。
仮設の子ども達も元気になります。

(私個人的には敵だけど・・・)
(いいんです。サッカーに関しては心が狭いんです)


東日本大震災後、サッカーに限らずスポーツによる被災地支援は、途切れること無く続いています。
ありがたいことです。
間違いなく、スポーツには大きな底力があります。

俊輔は「続けていくことが大事な時期」と話してくれたようです。

そうなんです。
被災地の人間はいつまでも甘ったれている訳ではありませんが、取り残されている人達もとても多いのです。
最近は報道も減りました。日本中の人達は被災地はもう問題ないと思っているでしょうね。ボランティアの皆さんも、やりきった感があるのかも知れません。

私自身はまったく問題ありません。
でも今がデリケートな時期である方々が確かにいます。


俊輔ありがとう。敵だけど・・・。




2013/9/30神奈川新聞

サッカーJ1の横浜F・マリノスの選手らが29日、東日本大震災で被災した宮城県東松島市を訪れ、子どもたちを対象にサッカー教室を開いた。

 東松島市との交流は震災直後の2011年5月29日から始まり、ことしで3年連続3度目。サッカー教室などで親睦を深めている。横浜F・マリノスはこのほかにも岩手県山田町の子どもたちを公式戦に招くなど、被災地支援を続けている。

 この日は幼稚園児と小学生192人が参加。児童の約半数が現在も仮設住宅で生活しているという。津波で大きな被害を受けた沿岸部の野蒜地区を拠点とする「NARUNO FC」の大槻陽平主将(11)は「いつもテレビで見ている選手とプレーでき、夢のようでした」と目を輝かせ、母の由季さん(41)も「私たちを忘れないで、来てくれることが本当にうれしい」と笑みを浮かべた。

 中村俊輔選手は「続けていくことが大事な時期」と話し、個人的にも被災地の支援活動に取り組んでいる中沢佑二選手は「来年は『優勝できました』と報告ができたらいいね」とうなずいた。





2013年9月27日金曜日

楽天イーグルス優勝!

あの楽天イーグルスが、そして我らが楽天イーグルスが、優勝しちゃいました。創設9年目でこんな日が来るとは思ってもいませんでした。

2005年に近鉄とオリックスの不要選手の寄せ集めからスタートした球団です。もしかしたら、「仙台ライブドア・フェニックス」になっていたかも知れないチームです。
初年度はプロ野球とは思えない程の弱さでした。
何と言っても、勝率2割8分1厘。
首位ソフトバンクから51.5ゲーム差、5位日ハムとでさえ25ゲーム差という前代未聞の弱いチームでした。

それでも私達のチームでした。
仙台にできたチームです。
怠慢プレーには怒りますが、負け試合だからと言って途中で帰ることは、決してありませんでした。
私達は皆、骨を拾ってやるつもりで最後まで見届けるファンでした。
だって自分の息子の野球試合を見に行ったら、負け試合でも最後まで見るでしょ。
それが私達のイーグルスでした。

自慢の選手の一人は、オリックスに吸収入団を拒否していた岩隈久志。
今はシアトル・マリナーズの岩隈です。
イーグルスの開幕投手でイーグルス史上初の勝利投手。
後に21勝する岩隈も初年度は9勝15敗。
ピッチャー一人ではどうにも勝てないチーム状態でした。

他には、オリックスから自由契約にされた山﨑武司。
私は山﨑武司のファンクラブに入っていて、2007年に打点王とホームラン王の2冠をとったときは、とても嬉しかった記憶があります。
なにせチームが弱いから、楽しみは個人記録でした。

後に嶋や田中まー君など、今の主力が育ってきて、チームらしくなってきました。

監督も、田尾、野村、ブラウン、星野と変わりました。

負け続けでも田尾監督がチームを率いている姿が嬉しかった。
野村監督には感謝以外ありません。
ブラウン監督個人は嫌いでは無いのですが、野村監督の後ではファンも戸惑ったようです。

実は星野監督については好きではありませんでした。
とても古いタイプのリーダーシップが、あの部下の掌握方法が、私には相容れないものです。
そして、どこのチームに行っても大型トレードなどで主力を集めます。
あれだけ選手を集めたら、田尾監督でも結果を出しただろうと思っていました。
私は今与えられた選手で結果を出すのが監督だと思っていました。

しかし、優勝してみて星野監督を改めて考えてみると、あのケチな楽天オーナーからも金を出させたのだから,星野監督は特別の才能があるのかも知れないと思い始めました。

星野監督の船出の2011年のオープン戦の時に東日本大震災が起こりました。
仙台のプロスポーツは野球もサッカーもバスケットもやっている場合ではなくなりました。
その中で良く復活したと思っています。

まあ、そんな分析をしている場合じゃ無いのです。
とにかく我らが楽天イーグルスが優勝したのです。

・・・しかし、優勝したらもっと嬉しいと思っていました。
自分でももっと盛り上がると思っていました。
でも、なんかしみじみ弱かったときのことを思い出しています。

だって本当に弱かったんだから。







2013年9月24日火曜日

訃報-赤間一秋 会員のご尊父様(奥様のお父様)ご逝去

赤間一秋会員(仙台支部)のご尊父様(奥様のお父様)が、22日ご逝去なさいました。
謹んでご冥福をお祈り致します。
なお、たった今連絡が入ったので、お知らせが遅くなったことをお詫びします。


<葬 儀>
日 時  平成25年9月24日(火)午後1時~
場 所 「仙台泉斎場 清月記」
     〒981-3133 宮城県仙台市泉区泉中央1-30-1
     電話 022-374-5777

<喪 主>
渡辺 祥江 様(赤間会員の奥様のお母様)

2013年9月23日月曜日

過去読んだ本達との再会

東日本大震災後、全国の皆さんのお陰で被災地各地の瓦礫は片付いてきました。
とにかく瓦礫を片付けないと、前向きな復興の工事すら始められないのです。

実は震災と一緒にするのはとても申し訳ないけれど、我が家の唯一復興から取り残されていた場所があります。そうです、書斎とも物置とも言われる私の部屋です。
夥しい書籍や貴重な資料(他人はガラクタと言うらしい)が2年半前に書棚と一緒に崩れてから、部屋に入ることができない状況でした。

震災半年後に、一度入ろうとして断念したことがあります。まあ、単に面倒だったからですが。
必要なものがあれば、その度にそれだけ捜すことにしようと決めて閉めました。
その後今日まで何も必要なかったということは、やはり世間の評判どおりガラクタだったのかも知れません。

さて、まとまった時間も取れなかったので放っておきましたが、さすがに部屋をいつまでもそのままにはしていられないので、この連休の2日間を使って突撃しました。
そこで私の人生で出会った40年分の様々な本に再会しました。

私の本の読み方は以前も書きましたが、趣味の本でも仕事の本でも、同じジャンルを集中的に読み尽くすような読み方をします。
山岡荘八をすべて読んだら半村良をすべて読むなどの読み方です。
学生時代、意味もわからず哲学書だけ半年読んだりしたこともありました。
そんな本にたくさん再会しました。

今思うと古今東西の興味深い本を人生の一瞬で読み終えたことが、勿体なかったかなと思います。一冊の本をじっくりと読むよりも、急いで次々と何でも読みたい年頃でした。
もちろん、読み返すよりも、次の本に向かっていました。
ですから今日整理した本で、とても面白かった印象は残っているのですが、内容を覚えていない本も多かったのです。

今も毎月何冊か新しい本を読んでいますが、実は「はずれ」も多いです。それなら、これからの人生、これら過去感銘を受けた本を読み直すのも良いなと思いました。もう一切新しい本を読まなくても、充分人生を過ごすことができる量の本がありましたし。





2013年9月20日金曜日

東日本大震災から2年半経った折立団地の今

先日2年半経った荒浜地区の写真を紹介しました
その日はあの折立地区にも行きました。

折立地区の被災は私達土地家屋調査士が正面からあたるべき被災地地図の問題を抱えていますので、私が定点観測的に訪問している地区です。
以前からブログにも何度か書かせて戴いています。
平成23年7月11日東日本大震災から4ヶ月

東日本大震災で団地の宅地の一部が地滑りで動きました。
2年半そのままだった土地を戻す為の工事がやっと始まりました。




上記2枚の写真は同じ場所の写真です。
上の写真は平成23年7月、下の写真は今回(9月11日)のものです。
建物は危険なので以前に取り壊されていましたが、土地も含めて工事が始まったのは、ごく最近です。
上の写真で右端に写っている車庫が、下の写真では中心に写っています。
この車庫の前が官民の境界でした。
また、どちらの写真でも見えている奥まで伸びている道路は、震災前はまっすぐの道路でした。
車庫の位置と道路の左側のラインで、震災によりどれだけずれたかが分かると思います。




上の写真2枚も2年前の7月と今回のものの対比です。
仙台市青葉区折立5丁目の6番の街区と7番の街区の間の道路を南から北に向かって撮影しています。昨年の震災報告会で「震災前は公図も現場も直線道路だったんですよ」と皆さんをご案内していた場所です。
今は周囲の建物を取り壊して道路を、以前のように直線の道路にするように工事しています。

この工事に至る前提の境界の相談は土地家屋調査士が担当しています。
震災による境界移動についての隘路は、後日この工事が技術的にも法的にも安定してから書きます。

*このブログを書いている今(9月20日午前2時25分)に福島で震度5強の地震が起きました。日本列島に住んでいる限り地震とうまく付き合うしかありませんね。