2017年5月29日月曜日

折れないデルガードが折れた!

シャープペンシルの一番の不満は、筆記中に芯が折れることです。
それらを解決したシャープペンシルが各社から出ていますが、折れないシャーペンとして私がとても気に入っているペンが、ゼブラのデルガードです。
このブログでも紹介しましたね。



デルガード Type - Lx
デルガードType-ER 受験生用シャープペンシルか

「絶対折れないから、試してみて」って、ドヤ顔で友人に手渡して試させるのが快感です。
紙に垂直に立てて書く場合は中のスプリングが芯を上に持ち上げて折れないようにし、斜めに当てて書く場合はペン先の金属部分が降りてきて芯を包み込むように守るという、それぞれ別のメカニズムによって「折れない」を実現しています。
芯を折ることを意識してかなり強い筆圧をかけても、絶対に折れません。
このペンは、本当に良くできています。

それが折れました!
折れちゃいました!

えっ、芯が折れたのか?って。
いえ、デルガードの名誉にかけて、絶対に芯は折れていません。

デルガードは、とても気に入っていますから、どこでも持って行きます。
私のメインのペンケースの「ネオ・クリッツ」に入れて、いつも持って歩いていました。



私のバッグは、仕事の資料やMacなどで、いつも満杯で、その隙間にペンケースを入れて歩きます。

ある日、デルガードを見たら、なんかおかしいのです。


良く見たら、折れています。
芯ではなく、ボディが折れていました。


デルガードさん、ごめんなさい。
ペンケースに詰め込みすぎました。
ペン先の透明な部分の接合部に圧力がかかったのでしょう。
さすがに無理でしたね。

このデルガード、持ち手は不安定な部分もあるのですが、この状態でも何とか芯は折れずに書くことができます。

しかも、ここまで曲がっているのに、ノックすると芯が折れずに出てきます。
さすがです。

もう連れて歩かずに、事務所内で使える限り大切に使いたいと思います。



反省)
外出には文具をたくさん詰めて出かけています。
使う必要性だけならこんなに持ち歩きません。
どの子も連れて行きたいだけでした。
今後はみんなを丈夫なペンケースに入れます。(←結局、連れて行くんかい)



2017年5月21日日曜日

三角点標石ふせん

以前このブログで「地面のボタンのなぞ」の本を紹介しました。
当時小学2年生の吉本凜菜ちゃんが書いた物です。

地面のボタンのなぞ 

じめんのボタンのナゾの寄贈


この本の中で、凜菜ちゃんは「もっともっとえらいきじゅん点」という表現で「一とう三かく点」を紹介していました。

境界標、基準点、三角点などの言葉は、私達の業界には昔から馴染みがありますが、小学生の凜菜ちゃん達には「なぞ」ですよね。

さて、こんな「ふせん(付箋)」があります。
地図屋さん(内外地図株式会社)が作ったふせんです。

「三角点標石ふせん」です。えらいふせんです。



どうですか。
このブログを見ている方の半数以上は欲しいんじゃないですか。

一等から四等まで色分けの標石型ふせんですよ。
重要度ごとに一等から四等まで使い分けるのですよ。


ほらほら、欲しいでしょう。

貼るときは丁寧に貼ってくださいね。


こんなに曲がっちゃいけません。




これ低すぎます。


これ出過ぎです。
(昔、出過ぎて「向こうでしゃべってこい」と言われて連合会に行かされたヤツ知っています)

貼るときはこうじゃなくちゃ。


そうそう、標石の長さが82cm、そのうち61cmを地下に21cmを地上に出し、垂直に設置しましょうね。(盤石はないけれど)

この一等から四等のセットの付箋は20枚×4色で756円です。
高い?
何言っているの。
三角点標石は、その辺のDIYで売っているコンクリート杭とは違うのですよ。

もう私たちの業界の標準「ふせん」はこれで決まりでしょう。

試験勉強にも使ってみたらいかがでしょうか。
「杭を残して悔いを残さず」ですし。




追記)
実は一等三角点だけのふせんもあるのです。


潔い白色で孤高の雰囲気がしますよね。


2017年5月16日火曜日

ツールペン 男子ってこんなの好きだよね

男子はサバイバルツールなんか大好きですよね。
1本にいろいろツールが入っているもの。
どこか秘密兵器的な匂いのするもの。

そんな秘密兵器の入っているペン「ツールペン」(マイスター)です。
戦えないけれど(笑)


このペン、一本でこんな機能があります。

まず、ペン尻はスマホやタブレット用のスタイラスになっています。


書いてみましょうか。


実際この手のスタイラスを使いやすいと思ったことないけれどね。

そのスタイラスを廻して外すと、中にドライバーが入っています。


プラスのドライバーの反対側にはマイナスのドライバーもついています。


携帯していれば、ドライバーはそれなりに使う場面があるかも知れません。

ペン軸には水準器も入っています。


オフィス内では、ポスターなどのちょっとした傾きを調整するのに使うかも知れません。

何と言っても一番目立つのは、ペン軸のスケールですね。


我々が使う三角スケールのようなものです。
縮尺は1/100 1/200 1/300 1/400 があります。

実はこのスケール、ちょっと使いづらいのです。
普通三角スケールで長さを測るときは、図面等を机において、その上にスケールを当てて測りますね。


このペンで測ってみましょうか。


上からの写真では分かりづらいですね。
このペン軸は6角形の形状なので、そのように測ろうとしても目盛りを図面に密着できないのです。 

「このくらい」という概算のはかり方ならできますが、普段使っている三角スケールのように目盛りは紙に密着させたいですよね。

これがこのペンの最大の欠点だと思います。
いかにもプロユースのツールのようですが、ちょっと甘いです。

じゃあ、何故買ったのかって?
だって男子ってこんなの好きだって言ったじゃないですか。

そうそう、ボールペンにもなるんです(笑)


ローレット加工部分を廻してペン先を出す方式ですから、リフィルのぐらつきはありません。

・長さ:約155mm 
・最大胴軸径:約11.5mmφ
・重さ:約37g
・定価:2700円(税込)

結構格好良いと思います。
この重さと太さは私は好きです。

便利で買う文具もあるけれど、持っていてうんちくを語りたい文具もあります。
私はこのペンのユーザーでなく、オーナーですから。











2017年5月7日日曜日

Mr.ホームズ 名探偵最後の事件

以前からこのブログに書いているように、私は大きくなったら「探偵になる」と決めていました。あれから結構大きくなったのですが、まだ探偵にはなれていません。
子供の頃の私にその決意をさせたのは、あの名探偵との出会いが大きかったようです。
もちろん、私の中で名探偵と言えば「シャーロック・ホームズ」に決まっています。

私シャーロッキアンです。(2010/3/16)

ホームズの物語は、コナンドイルの書いた物語(ワトスンが書いたと言った方が良いかな)以外にも、古今東西パロディも含めると、とても多くの作品が残されていますし、今現在もなお、次々に作られ続けています。
天才的な名探偵に振り回される常識人の助手という組み合わせも、ホームズとワトスンの発明だと思います。だからホームズのパロディでなくても、多くの探偵物語のフォーマットとなっています。

私は、昔からホームズに関する書籍も様々読みましたし、映画も観ました。
もちろんテレビシリーズも全部観ています。
最近の映画では、ロバート・ダウニー・Jr.やベネディクト・カンバーバッチなどもホームズとして映画が作られています。私は納得できていませんが。

私にとって「ホームズと言えば、ジェレミー・ブレッド」ということになりますが、この点については、おそらく多くの方に賛同いただけると思います。

さて、最近の映画で変わり種のホームズ映画がありました。




2015年の「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」です。
ミッチ・カリンの小説の映画化だそうです。原作は読んでいません。
シャーロッキアンの私は、当然に観るべき映画でしたが、忙しかったのもありますが、むしろ私のホームズ像を壊される気がして、当時はどうしても足が向かないものでした。
この連休で思い直して、初めて観ました。


あの名探偵ホームズも93歳となり、家政婦のマンロー夫人と彼女の息子であるロジャーと共にサセックスの農場で、ミツバチの世話をして暮らしていた。
世間では助手のワトスンが書いた「名探偵ホームズ」の虚像が広まっている。(なにしろ本物のホームズは鳥打ち帽もパイプも好まないそうだ)
そのワトスンも、マイクロフトもハドスン夫人も既に他界していて、ホームズは孤独感も感じている。
一番の問題は、頭脳明晰なホームズにしても、最近は老化には勝てず、認知症が進んできていることだ。
30年前に担当した事件がきっかけで、ホームズは探偵を引退したのだ。そしてこの田舎に引っ込んで生活している。しかし、その事件の顛末がどうしても思い出せない。
ワトスンが記録したこの最後の事件の内容も、彼の薄れていく記憶とはどうも違うようだ。
ロジャーと会話しているうちに、次第に事件を思い出していく。


あのホームズが自分の記憶が消失していくという老いと積極的に戦いながら、何故か封印されている30年前の最後の事件の顛末を思い出そうという物語です。

その最後の事件についてはワトスンが記録しているのだけど、その内容が「どうも事実と違う」ホームズはそう思います。では何故ワトスンは事実と違う記述をしたのでしょうか。

その事件が、探偵を引退して今の人生を過ごすことになった理由なのに、事実を思い出せないということは、頭脳明晰なホームズだけにつらいものでしょう。

なお、途中の回想で、ホームズが戦後の日本に来て真田広之が扮する梅崎に会うエピソードがあり、原爆直後の広島を歩きます。この部分のエピソードはこの映画に本当に必要なのかちょっと疑問に思いました。原作を読めば理解できるのかも知れませんが。

この映画の中で、ホームズはいくつかの謎を解きます。
そして、その謎解きをなぞることにより、ホームズは過去の悲しみを発見します。

この映画はホームズの明解な推理を楽しむ映画ではありませんでした。
イギリスの美しい田舎の風景の中で、人生を振り返り、老いを生きる物語です。
死が迫っていることを感じ、ホームズは孤独の中で、
「人生でやり残したことはないか」
「目の前の家政婦とその息子にできることはないか」
そんな思いで最後の行動をしているのでしょう。

この物語は、主人公がシャーロック・ホームズだから成立する話しなのだけど、
私は「ホームズの老いなんて見たくない」、
そんな複雑で寂しい思いを持って、この映画を観ました。

皆さんに推薦して良い映画なのか、少し迷います。
シャーロッキアンの方には賛否両論がありそうです。
シャーロック・ホームズの映画としてこだわらなければ、良い映画だと思います。
イアン・マッケランの演技も素晴らしいものだと思いましたし、映画の最後には爽やかに感じる人もいると思います。
どちらにしても「観て失敗した」ということにはならないと思いますが。






2017年5月6日土曜日

ラ・ラ・ランド



「ラ・ラ・ランド」
封切りの頃に観て、ゴールデンウィークで2回目を観ました。
もう語り尽くされている映画でしょうが、1回目ではブログに書く余裕がなかったので、今回書いておきます。

舞台は夢を追う人々が集うLA・ハリウッド。
女優を夢見るミアとジャズピアニストのセバスチャンの物語。
オーディションを落とされ続けている傷心のミアが、ふとピアノの音色に誘われて入った店で演奏していたセバスチャンに会う。しかし、セバスチャンも好きなジャズを弾いたためにクビになったところであり、最悪の出会いになる。
その後パーティで偶然に再会した2人は、お互いの夢を語り、励まし合いながら、惹かれ合うようになる。


第89回アカデミー賞では、デイミアン・チェゼル監督が史上最年少32歳で監督賞を受賞したほか、エマ・ストーンの主演女優賞など計6部門で受賞しました。

久しぶりの「ザ・ミュージカル」と言うべき映画です。
ミュージカルが嫌いと言う人も多いでしょうが、実は私、ミュージカル好きです。映画も舞台も結構観ています。
この映画は、そんな我々が昔から慣れ親しんでいた数々のミュージカル映画を強く意識して作られた映画です。オマージュというか既視感のあるシーンが多いですが、まあ一歩手前で止めているところでOKです。

冒頭の渋滞のハイウェイでの群舞から、私はもう楽しかったです。
この映画に出てくる音楽もダンスも、とても上質なものだと思います。

物語もどこかで見たような気もする展開ですが、いつの世にも存在する個人の夢と2人の愛とのすれ違いでしょうか。
お互いの夢が叶わないうちは励まし合いながら心も一致しているけれど、どちらかが成功しかけるとそこに微妙な歪みが生じてきます。
夢を掴むまでがんばるべきなのか、相手のためにもどこかで妥協すべきなのか、このジレンマも良くわかります。私達の業界でも感じる方は多いでしょうね。

そして、2人が選択した未来は...
2人の夢は叶ったのか...
2人の幸せは叶ったのか...

ツッコミどころはたくさんあります。
たとえばセバスチャンがあんなにストイックにジャズにこだわっている設定なのに、彼から発せられる音楽は、彼の憧れているジャズとは言いづらいものだと思います。
ここは致命的だと思うのですが。
また、ミアの一人芝居の顛末についても、かなり強引なストーリーだと思います。

まあ、言おうと思えばいろいろありますが、ネタバレを避けたいし、この映画ではそんなことは本質的なものでは無いと思っています。
そもそもミュージカルにリアリティを求めても仕方ないと思っていますし、ミュージカル映画はファンタジーであって、その評価は「好きか嫌いか」しかないと思っています。

ええ、私は好きですよ。時間があればまた3回目を観たいと思っていますし、ブルーレイなどが発売されたら買うと思います。
まだ観ていない人は、お勧めです。
ミュージカル嫌いの人でも、そこまで違和感はないと思います。
そろそろ上映期間も終わると思いますが、できればミュージカルは映画館で観た方が良いと思います。

終盤のあのシーンが泣けるという友人がいました。
あそこが泣けるという人は、自分の人生に重ね合わせて泣けるのでしょうね。
「つかんだ幸せ」と「つかめなかった幸せ」ですね。
今度酒を飲んだときに追求してみましょう。




2017年5月5日金曜日

クリード チャンプを継ぐ男

「ロッキー」は好きですか?

「ロッキー」と言えば1976年のボクシング映画です。
アカデミー賞作品賞も取った映画で、シルベスター・スタローンを一気にスターに押し上げた映画作品です。観てない人も知ってはいると思います。
スポ根世代の私には、感情移入しやすい真正面の映画でした。
その後の仲間内のトレーニングのBGMは「ロッキーのテーマ」でした。あれは燃えます。

人気の映画ですから、続編が次々に出ました。
「ロッキー5/最後のドラマ」で終わったと思ったら、その後「ロッキー・ザ・ファイナル」が出て、「まだやるの?」て思ったりしました。

このロッキー・シリーズに「更にまた続編が出た」と昨年聞きましたが、さすがに食傷気味になっていたので、昨年は観なかったのです。
しかし、実は少し気になっていまして、このGWにやっと観ることができました。



「クリード/チャンプを継ぐ男」です。

結局観て良かったと思います。
今回は、さすがにロッキー自身がリングに上がって戦うのではないのですが。
今更ですが、私と同じように観ていない人のために、ちょっと感想を書きます。

あのロッキーのライバルで後の親友であったヘビー級チャンピオンアポロ・クリードに息子がいた。アポロが亡くなってから生まれ、なおかつ非嫡出子であった息子、アドニス・ジョンソン(ドニー)は、自分の父があのアポロだったことも知らないで育った。
その後、父を知り、自分に流れている血も知り、ボクシングを始める。
しかし、父のいたボクシングジムでは、満ち足りた生活をしているドニーをハングリーなボクシングには向かないと思っていて、ドニーは相手にされない。
どうしても強くなりたいドニーは、フィラデルフィアに行って、父のライバルであったロッキーを尋ねて、トレーナーになって欲しいと願い出る。
ロッキーは心身ともに歳を取っていて、ボクシングに戻るつもりはない・・・

こんな感じです。
今回の主人公はドニーです。

もちろんロッキーはトレーナーとしてドニーを育てます。ロッキーも主人公です。
父を知らないドニーにとってボクシング以上のものを与えます。

ドニーの
偉大な父を持つ息子の葛藤...
名前を隠して戦おうとする気持ち...
その後、偉大な名前「クリード」を背負って戦う決意...
そんな精神的な成長も描いています。

あとは、想像どおりの物語と、想像どおりの興奮と、想像どおりの感動が待っています。
それでいいんです。
この映画は間違いなくロッキーの続編です。
そしてドニーの最初の物語です。

シャドウ・ボクシングで、鏡の前の自分に向かっているドニーに、ロッキーが言います。
「そこにお前を睨んでいるヤツがいるだろう。最強の敵だ」
「おまえがリングにあがるたびに、そいつは立ちはだかってくる」
「それは、ボクシングでも人生でも同じだ」

それほど深いことは言っていません。
でも、いいですねぇ。
いかにもスポ根的な台詞です。

私達がロッキーで観たいところは、ちゃんと用意してくれています。
常連客のニーズを満たしながらも一見の客にも満足させるお店のような気配りが隅々までなされています。

ロッキーに対するエイドリアンのようなドニーに対するビアンカの存在や、アポロの妻でドニーとは血の繋がらないメアリー・アンによる愛情なども、ロッキーシリーズには欠かせないものです。

もちろん、ボクシングのシーンは長回しのとても迫力があるもので、ロッキーとアポロの死闘を勝とも劣らないものだったと思います。
「今回は別の音楽で、ロッキーのテーマは無いのか」と思っていると、「ここで来たか」というシーンで流してくれます。やはりこの曲を聞くとテンション上がりますね。
そして「早朝のフィラデルフィア美術館の階段」のシーンです。
「そうそう、これを見たかったんだよ」そんな満足感でした。

筋は単純ですよ。想像できます。
でも想像どおりだから嬉しいのです。
こんな映画が好きですねぇ。




2017年5月3日水曜日

今日できないことは問題ない

今日できないことは問題ない
でも、明日もできないなら問題だ



今日できないことは問題ないと思います。
だって、誰にでもできない時代があります。
そして、あなたは今、それに気がついたのだから。


自分で気がつけば、できるようにするだけだし。
やるべきことが分からなければ、アドバイスももらえるでしょう。


しかし、できないと気がつきながら、しかもやるべきことが分かっていながら、「今日は時間が無い」「今日は調子が悪い」などの言い訳を頭に浮かべて、何年もできていないとしたら、あなたは一生できない人だと思います。
早いうちに、目標を変えるべきなのかも知れません。


世間がGWと言っているこの時期、チャンスかも知れませんね。