現在編纂を進めている東日本大震災の記録誌に書いた原稿の一部です。土地家屋調査士会の組織としての視点で書いてみました。
宮城県土地家屋調査士会会館(以下会館)に災害対策本部が設置されたのは、2011年3月13日、あの東日本大震災の2日後でした。
3月11日14時46分に会館では、宮城県土地家屋調査士会(以下宮城会)の会議が開催されていました。その尋常ではない揺れに、会議に出席していた三浦副会長は、会議を中断して事務局も閉じて出席者に早く帰ることを指示しました。その直後から、東北は電話は通じず、電気も水道も都市ガスも皆止まってしまいました。
全国のどの土地家屋調査士会にも連合会のモデル規則を参考にした「大規模災害対策に関する規則」等が有るように、宮城会にも同様の規則があります。
私も実際に東日本大震災が来るまでは、あまり深く考えずにこの規則を見ていました。
この規則第2条によると、災害に備えて宮城会に現地対策本部を常置していなければなりません。そしてその本部長には宮城会会長が就任し、副本部長には副会長が就任することになっています。そして大規模災害発生時には被災地統括班を組成することになっています。その現地対策本部の任務は第3条により次のとおり定められています。
- (1) 会員の被害状況調査
- (2) 会員の救援
- (3) 会員への義援金等の管理及び給付
- (4) 連合会災害対策本部との連絡調整
- (5) その他救援活動に必要な事項
また各班の任務も第4条により定められています。
- (1) 総務班は、現地対策本部の庶務及び会計、連合会災害対策本部との連絡、宮城県災害復興支援士業連絡会との連絡調整、その他の関係機関との連絡
- (2) 調査班は、人的・物的被災状況の把握、災害発生地の被災状況の把握
- (3) 給付班は、被害の程度に応じた義援金等の給付
- (4) 記録班は、各班の活動状況の記録
- (5) 被災地統括班は、現地対策本部と連携し、上記各号に対応する
そしてこの外に災害対策委員会を設置する要項も存在します。
会を動かすためには、そのときの役員の感覚だけで動かれると困るので、当然に規則は必要です。しかし、実際に被災した経験から言えば、この規則どおりに動くことはとても難しかったのです。
まずこれだけの大震災では会長や副会長が生き残っているかどうか分かりません。たとえ生きていたとしても、1週間ほど連絡が取れない可能性があります。また会館まで移動できる手段が無いかも知れません。
もちろん「現地対策本部長に事故有るときは・・・職務代理順に・・・」という条文もあります。しかし、それも集まってみないと分からないことです。
電話やFAXが使えない中、誰がどうやって会議を招集できるのでしょうか。災害対策は初動が重要です。
平常時に作られたこれらの規則を運用するには、よほど普段から意識を持って検討しておかないと、現実感が無いものになってしまいます。
またこれだけの災害をもたらせた東日本大震災では、本人が無事でも、家族や親戚や友人に不幸が起きた人もとても多いのです。
また事務所や自宅に何も無かった人はおそらく誰もいないことでしょう。
対策本部長としてそんな状況が分かっていて、たとえ連絡が付いたとしても「委員として会館に出てこい」という招集はとてもできないことでした。
そんななか、一度も招集しないのに会館に勝手に理事を中心に会員たちが集まってきました。そうして集まってきた人達が中心になって13日に現地対策本部が設置されたのです。
水や食べ物も不自由なときに、文字通り手弁当で集まってくれました。
毎日通ってくれる会員に「事務所も大変な状態なのだろうから、たまに休んでください」とお願いしたこともありましたが、「どうせこんなときに仕事なんか無いですから」と言って頑張ってくれました。
あの苦しい中、被災地の会長としてとても忘れられないことです。
本部長として規則どおり正式に招集したのは4月になってからです。被災時からそれまでの非常時の現地対策本部の動きを報告し、事後承認してもらうためです。
それはすべてのインフラが整備されてから、会館に集まることがそれほど負担を感じなくなってからでした。
この規則だけでなく、実際に被災してみると防災グッズや防災対策についても、非常時には使えないものが多かったです。
とても難しいことですが、平常時にどれだけ非常時のことを想定できるのかがこれらの要諦でしょう。
全国の土地家屋調査士会においては、非常時の行動を規則も含めて再確認をお願いしたいと思います。
次に問題になったのは、「災害対策本部とはどこまで何をやるべきなのか」ということです。
被災会員に対して送られてくる支援物資を「対策本部に集まった人達で手分けして配るべきか」「それは行政のすることで我々がやれることではないのか」という議論があります。
そのときは平時では無いのです。ガソリンもなかなか手に入りません。道路も寸断されています。毎日余震も多いのです。そこで無理して配りに行くことで、もし二次災害になったらという不安も有る中のことです。
そのときの会館に集まってくれた会員は「仲間が困っているのなら」「仲間を助けたい」という気持ちで一致し手分けして動くことになりました。それでガソリンを節約しながら、各地の会員の安否を確認しながら、計画的に支援物資を届けることができました。
これが現地対策本部の正解かどうか分かりません。もし支援中に二次災害に遭ったら、今どう思っているか分かりません。
しかし今回の東日本大震災を経験して、一つだけ確信したことがあります。
「絆」は災害時に発生するのではないということです。
普段から培っていたものが出るのです。
被災地の会長として苦しいことも多かったのですが、改めて全国と宮城県の土地家屋調査士仲間の絆を実感した3年でもありました。
ありがとうございました。