2011年3月18日金曜日

18日志津川の光景

今日は気仙沼方面と志津川方面に3チームを派遣しました。

私は地震対策本部の本部長なので、本当は事務局で連絡や指揮をしなければならなかったのですが、今日だけの支援だけでなく復興支援も視野に入れて、どうしても現地の様子を見たかったので、志津川に行って来ました。

志津川の映像はテレビ等で見ていたのですが、実際にがれきの中に入ってみて、津波の恐ろしさと被害の生々しさに圧倒され、言葉が無くなりました。



上の写真は、河原の写真では有りません。住宅が建ち並んでいた土地の写真です。
散らかっている廃材は、一週間前までたくさんの建物だったものです。
そしてこの光景がずっと続くのです。

私は津波の恐ろしさを、まだ甘く見ていたのだと再認識させられました。
「津波は大量の水が押し寄せて来て、溺れ死ぬんだ。」程度の認識でした。
これほどの破壊力が有るとは考えてもいませんでした。
まさに、空爆後の街を歩いているような光景でした。


これは、僅かに残った建物の残骸です。3階建ての共同住宅ですが、3階まで全ての窓が壊れ、その中にたくさんのがれきが入っていました。
屋上に上がっているのは、車の残骸です。
もちろん波に乗せられたものですから、当然この高さまでは波に飲まれています。

恐ろしい光景が続きました。
あまりにも何も残っていないので地獄図ではないのですが、かえって恐ろしい気持になりました。

これらの写真は、先日から申し上げている志津川高校の避難所から撮影したものです。
避難所では、次々に支援物資が届き、地域のボランティアが炊き出しをし、水汲みをし、文字通り力を合わせ、本当に頑張っていました。
私たちも、全国のご支援に支えながらも僅かですがご協力できました。

避難所で働く皆さんを見ていて、日本人って良いなって思いました。

この仲間がいれば、東北は必ず復興します。