2011年3月3日木曜日

祝!開業30周年

昭和56年3月3日に、日本一何も分からない土地家屋調査士が開業しました。
彼は補助者経験が無く、法学部出身でもなく、測量技術者出身でも有りません。

「そんなに分からなければ、開業しちゃ駄目でしょ」という基本的なことすら分からなかった彼は、無謀にも開業してしまったのです。

当然仕事もできず、依頼も来ない。もの凄く暇な日々でした。

彼の初仕事は、開業1ヶ月後に来ました。公図を写す仕事です。

当時はオンラインで公図を取得できる時代でも無く、それどころか法務局にコピー機なども無く、トレーシングペーパーと三角定規を持って行って公図を閲覧謄写するのです。
その下書きを半日掛けて芸術作品を作る思いで和紙に墨入れして製図しました。
その最初の報酬は1500円でした。
学生時代のアルバイトよりも安いその報酬に、彼はとても感激しました。

彼は暇だったので、毎日公園を測量していました。
測量経験が無かったので、仕事が来たときの練習です。
彼は暇だったので、法律の本も頑張って読みました。
法学部出身でも無いので、仕事が来たときの準備です。

彼は資格者をプロスポーツ選手と同じようなものと捉えていました。
資格を取ったのは、プロテストに合格しただけ、それを職業にしても良いと言われただけ、だからといって誰も年収を保証はしてくれないこと、それは心から感じていました。
練習して実力が付くから出番が来る、そう思っていました。
他の新人はプロの試合に出て、それで練習するつもりの人もいたようですが、彼はまったく実力がなかったので、とにかく毎日練習していました。

そんなことをやっていたので、徐々にですが仕事ができるようになりました。


彼は、最初から大儲けは目指していなかったようです。
良い土地家屋調査士になりたいと思ったのですが、彼のイメージでは「良い調査士=大儲け」とはならなかったようです。
「自分でまったく動かずに誰かにやらせて、自分は預金通帳を眺めている。」そんなイメージは、彼の目標とする土地家屋調査士像とは違っていました。
それなら他の職業を目指した方が割り切れるからです。

彼は過去何回もこの仕事を辞めようと思いました。

正確には「辞めたくはないけれど、このままなら続けられないかも知れない不安」という言う方が正しいでしょう。
開業当時は経済的にとても不安定でした。
でも何故か分からないけれど「もう駄目かも」と思ったときに、たまたま大きめの仕事を受託できて、結果的に助かったという事が、過去何回かありました。
結局何が良かったのか、それとも偶然かも知れないけれど、彼は今も土地家屋調査士を辞めずに済んでいます。

彼は相変わらず金持ちではありません。でも彼は土地家屋調査士の仕事が好きです。
好きだから胸を張って土地家屋調査士のバッジを着けています。

彼は「日本で一番分からない土地家屋調査士がどうやって生きてきたか」このことについては、正直に話ができますので、それをライフワークのように後輩に伝えています。


今日、その彼の開業30周年の記念日でした。