そして、本日1月28日はその塩竃支部設立30周年記念祝賀会と総会が開催されました。
私も宮城県土地家屋調査士会会長としてお招き戴いたので、喜んで出席して参りました。
塩竃支部は、動きやすく、お互いに声が掛けやすい理想的な人数の支部として、30年前に仙台支部から独立して新たに設立されました。
設立当初から各種研修会など積極的に開催なされたり、広報活動も意識して作業着の統一化を図ったりされていました。また会員同士仲が良く、支部旅行会なども定期的になされ、他の支部から見て大変羨ましい支部です。
さてその塩竃支部は一番新しい支部として生まれましたが、それでも既に30周年を迎えました。この30年は、設立当初の先輩のご苦労から現在の新人のご努力まで、皆さんの悲喜こもごもが、一杯詰まっている30年なのだと理解しております。
ここ30年は、日本の社会も、その中で専門家として生きる土地家屋調査士も、また塩竃支部も、様々な変化の中で生きて来ました。
塩竃支部が生まれた1981年は、田中角栄の「日本列島改造論」から約9年、オイルショックから約8年、物価と経済が混乱を極めた時代です。
その後、設立4年後のプラザ合意を発端としたバブル経済が、1991年に弾けるまでの右肩上がりの時代に、塩竃支部は最初の10年を過ごしました。
バブル後の失われた10年と言われた1990年代を経て、日本が政治・経済・社会を見直そうと考えた不況と変革の20年が塩竃支部の後半の20年です。
その間に、土地家屋調査士に関連する改革も進みました。司法制度改革や行政改革により資格制度の見直しが為され、各種資格の在り方が整理されました。それに伴い不動産登記法や土地家屋調査士法の改正が行われ、登記や測量の方法も変わりました。
この塩竃支部の30年は大きな変化の歴史でした。変化は悪いことだけではありません。日本が混乱するときに必要なものは、各分野のしっかりとした専門家です。昨今、登記所すらその在り方を問われているときに、私達土地家屋調査士が、新しい時代で果たす役割は大きいと考えています。
そして、その新しい役割に対応することは、土地家屋調査士個人では難しいことです。今後とも宮城県土地家屋調査士としても積極的に情報を取得しお伝えするつもりですが、塩竃支部のような顔の見える組織でその情報に対処してくださることが、最も重要だと考えております。
常日頃、宮城県土地家屋調査士会内で一番新しい支部である塩竃支部の役割は、とても大きいと心から感謝しておりますし、期待している次第です。
新しい30年に向けた塩竃支部の未来を思いながら、帰宅しました。