できたら8月23日のブログをもう一度読んでみてください。
気仙沼の避難所の中で、4人の小中学生による壁新聞「ファイト新聞」が刊行されました。
東日本大震災のわずか1週間後の3月18日から始まったものです。
子ども達がごく自然に始めたものです。それによって、どんなに廻りの大人が励まされたでしょうか。
大人と違って、何かを狙って始めたわけではないはずです。少なくても最初はそうでしょう。
あっと言うまに、全国で有名になりました。
それをまとめて書籍にしたのが先日紹介したものです。
私はあれから、たまに引っ張り出しては眺めています。
いつも嬉しい思いになります。
さてその「ファイト新聞」の複写版が完成したそうです。
壁新聞の大きさのまま全国で巡回展示されるそうです。
私はいつも書籍の縮小版を見ていますので、ぜひ、子ども達の手書きのままの大きさで見たいものです。
このブログをご覧戴いている宮城以外の皆さんの土地でも、巡回展示されたときには、肩肘張らない子どもならではの「ファイト新聞」を是非ご覧ください。
本人達は半分以上遊びのつもりでしょう。
そして、だからこそ、周りの他人を元気にできたのでしょう。
見ながらいろいろな事を考えられると思います。
以下は河北新報で紹介された記事です。
気仙沼の子どもら手作り「ファイト新聞」複写版完成
宮城県気仙沼市の避難所で東日本大震災の発生直後から子どもたちが手作りした壁新聞「ファイト新聞」の複写版が完成し、製作したセイコーエプソン(長野県諏訪市)から、壁新聞の保存を企画した団体へ24日、引き渡された。全国の巡回展示などに活用される。
ファイト新聞は、避難所となった気仙沼小学校での暮らしを、イラストを交えて明るく伝えた。避難生活が一段落した7月3日の第50号まで続き、避難者を励ました。
マジックや蛍光ペンで書いた文字が薄れたり消えたりしており、復元に約1カ月かかった。担当した中村健三さん(58)は「大変な作業だったが、やりがいがあった」と話した。
複写版は3部あり、1部を気仙沼市内で展示し、1部は国連教育科学文化機関(ユネスコ)に寄託。もう1部を巡回展示などに使う。原本は宮城県の美術館で保管する。
壁新聞の保存は、文化を通した復興支援を目指して写真家やデザイナーが設立した団体「復興博」(東京)が発案した。事務局メンバーで写真家の松田典子さんは「大人たちを元気にしたいという素直な気持ちが伝わる。震災の記憶を残すため活用したい」と語った。
ファイト新聞は、避難所となった気仙沼小学校での暮らしを、イラストを交えて明るく伝えた。避難生活が一段落した7月3日の第50号まで続き、避難者を励ました。
マジックや蛍光ペンで書いた文字が薄れたり消えたりしており、復元に約1カ月かかった。担当した中村健三さん(58)は「大変な作業だったが、やりがいがあった」と話した。
複写版は3部あり、1部を気仙沼市内で展示し、1部は国連教育科学文化機関(ユネスコ)に寄託。もう1部を巡回展示などに使う。原本は宮城県の美術館で保管する。
壁新聞の保存は、文化を通した復興支援を目指して写真家やデザイナーが設立した団体「復興博」(東京)が発案した。事務局メンバーで写真家の松田典子さんは「大人たちを元気にしたいという素直な気持ちが伝わる。震災の記憶を残すため活用したい」と語った。