2015年5月14日木曜日

Apple Watch は時計だった

Apple WatchについてはApple社による詳細発表の5時間前に書いたブログで書きましたとおり、当然に買いました。
今も私の左手首に位置しています。

Apple Watchが「必要か、不必要か」という議論は、とても難しいです。
少なくても3月まではこの世に存在しないグッズです。
それがなくても世の中は動いてきました。
だから無くても問題はありません。

私の場合は、もう半月以上使っていますので、今無くなったらちょっと不便に感じるかも知れません。しかし、スマホと出会って、今更スマホ無しの生活は考えられないという程の便利さではありません。

結局、正解は「欲しいか、欲しくないか」ということに尽きると思います。

世の中にはApple信者と呼ばれる人達がいます。
Apple様が授けてくれるなら、何でも受け容れたい。
定期的にお布施をして、その御札のように神がかったグッズを手に入れなければならない。
そんな人達を言います。
私も今までそんな行動をしています。
大抵のApple製品は初日に入手しています。

実は、それでも今回はちょっと購入を迷いました。
何故なら、前回も書いたように、それが時計だからです。

最近は時計をしない人が増えてきました。
携帯を持っていれば正確な時間が分かるからということです。
しかし、私達世代で腕時計無しは少数派です。
私は手首に何も無いと、むしろ不安な感じすらあります。

そして、この年齢まで生きてきますと、好きな時計も数個持っています。
それらをお蔵入りにして左手首を明け渡すほどの美しい時計をAppleが用意できるかどうか。
しかもそれはビジネスでも使える品の良さも必要としています。
私にとってのApple Watchのライバルは、他のスマートウォッチではなく、既存の時計です。

ですから、この時点で私はWatchの機能を問題視していません。もちろん世間が言うバッテリーの持ちなども、さほど気にしていませんでした。
私の関心はAppleが創るWatchはどれほど美しいのか、そこ1点が問題でした。
四角いフラットな形状は、正直私の時計の好みからは外れています。
写真で見る分には、Apple Watchはやはり「ガジェット」であって、私の中の「時計」ではないと思えました。























それでも結局買ったのです。
私はスーツに合わせるために、黒革ベルトの38mm Watchモデルにお布施をしました。

実際に手にしてみると、その形状は確かに時計として大好きな種類ではありません。
しかし思ったよりは、はるかに工業製品として質が高いです。造形はとてもきれいです。
形状としては大好きではないけれど、嫌いではない、少なくても私の左手首に有っても悪くないと思います。

最初Apple Watchは時計じゃないのだから、そこは仕方ないだろうと思っていました。
液晶ディスプレイは当然四角形でフラットが合理的なものですし。
でも、使ってみてわかりましたが、やはりこれは「時計」なのです。
Apple社に言わせれば「時計の再発明」なのでしょう。
現代人のライフスタイルの中の「時間と人間関係に関わる部分を再度掘り下げて再構築した時計」なのだと思います。

使ってみて分かりますがiPhoneとの連携が高度に考えられています。
iPhoneをバッグ若しくはポケットにしまっているとして、腕に巻いているWatchに何を通知して、何をさせて、どの場面でiPhoneを取り出すのか、この作業はどちらでやらせれば良いか、そんなことが本当によく考えられています。

Watchで始めて実現した機能もあります。しかし私の使い方からするとそこは大した問題ではないです。むしろ連携が重要です。

その掘り下げた部分の機能や使い勝手ですか?
それは他のブログでいくらでも書いているでしょうから。
そちらを参考にしてください。

ここでは、「欲しいか、欲しくないか」だけで書いていますから。






文字盤をミッキーにするときはいつか?って、
「ほーら、Apple Watchだよ」って、ドヤリングするときです。