(それ以来私はヘアバンドに弱いのです)
009オフィシャルサイトから |
これは以前も書きました。
ということで、子供の頃漫画で一番好きだったのは、当然「サーボーグ009」でした。
その009の新作映画が出ました。
攻殻機動隊の神山監督によるものです。
大好きだったサイボーグ達のキャラクターデザインがまったく別人に変わったことに納得できず、「絶対に見たくない」という気持ちと、「でも、私が009の新作を見ない訳にはいかないでしょ」という気持ちが錯綜しました。(3分だけ)
で、結局いつものレイトショーで見に行きました。
かつて、世界が危機に陥るたびに、人々を救った 9人のサイボーグ戦士がいた。
その役目を終え、各々の故国へと帰っていたゼロゼロナンバーサイボーグ達は、生みの親であるギルモア博士からの呼びかけによって、再び集結しようとしていた。一方、ゼロゼロナンバーサイボーグのリーダーである日本人、009こと島村ジョーは、過去の記憶を消し、東京・六本木でひとり、暮らしていた。
サイボーグ戦士最後の切り札であるジョーは、ギルモア博士によって 30年間、3年に一度、記憶を リセット され、高校3年間を繰り返していたのだ。
あれからジョーは、高校生を長年に渡って繰り返していたのですね。
今度の映画は、その昔からのファンと、これからの新しいファンとの、どちらにも受け入れられるものを作ろうとしたのでしょう。実際に映画館に行ってみると、確かにそのどちらの世代も入っていました。
私たち昔からのファンには、旧作へのオマージュが散りばめられていて、懐かしいシーンもありました。最後の月の裏のシーンも009の世界ですね。
成層圏からジェットとジョーが流れ星になるシーンは、往年の名シーンへのリスペクトですし、子供の頃に涙ぐんだシーンでした。
しかし、そんなサービスシーンに喜びながらも、私には違和感が一杯でした。
この違和感は何なのでしょうか。
映画自体は品の良くスピード感のある3Dアニメです。音楽も良かったと思います。
私の違和感は、少なくてもキャラクターデザインではないはずです。それは既に覚悟し、織り込み済みだし。
では何か。今度の映画のストーリーは、以前の009の世界観に思い入れがあり、且つ自分が大人になっていないと意味が分からないかもしれません。もう1つ、この作品に愛情があり、細かいところに突っ込まない寛容な心が必要と思います。そして私は良くも悪くもその大人になっていたようです。
でもそれ以外の人たちに、この映画はどう見えるでしょうか。
説明には時間が足りません。
少なくてもこの映画、キャラクターだけでも001から009それにギルモア博士の10人は各々見せ場を書かなければならないでしょう。それぞれの特殊能力を発揮しないと、各キャラクターの存在価値も理解できないでしょう。ピュンマに至っては、まったく特殊能力を発揮する場面がありませんでした。もしかしたら、ジョーの活躍が、あの加速装置によるものであることさえ、伝わっていないかも知れません。
ストーリーはどうでしょうか。
今回の映画は、石ノ森章太郎の未完のテーマ「天使編」「神々との闘い編」を扱っています。石ノ森章太郎の遺稿ノートを検証して、今回のエピソードをまとめたとのことでしたが、テーマが大きいので、実際にはまとめ切れていません。
2時間弱の映画で複雑な伏線を入れて、その内いくつかは回収できていません。
続編を作るつもりでも、あの終わり方をしてしまったら、伏線の必然性はあるのでしょうか。
私の気持ちは、初めて見た人たちに009を嫌いになって欲しくないという思いなのかも知れません。
いいんですよ。私は。
寛容な大人になっているのですから。
顔は違っていても、彼らは確かにゼロゼロナンバーのサイボーグ戦士達でしたし。
ダニエル・クレイグのジェームス・ボンドを見たような感覚ですが。
違和感はあるけれど、続編が出たらまた見に行くのでしょうね。
違和感はあるけれど、続編が出たらまた見に行くのでしょうね。
でも、ただ1つだけ言わせてください。
セクシーな003フランソワーズは見たくない。
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