2012年5月31日木曜日

留まることのリスク

「たしかに風呂から出れば寒いのだけれど、いつまでも入っていると水風呂の中で死なねばならないことを、頭ではなくからだ全体で知ることが大切だ。」

2010年12月14日のブログ「危機感と行動」でも紹介しました中島義道氏の言葉です。

昨今の社会構造や経済構造の変化は激しいものがあります。
日本国の経済が遠いギリシャの選挙結果に左右される時代に、土地家屋調査士だけが他と切り離された孤高の存在でいられるわけがありません。

土地家屋調査士は個人として団体として、社会に対して意見を出さなければなりません。
特に専門分野に関することについては、しっかり意見を出さなければなりません。
これは国民の皆さんから付託を受けた分野の専門家として当然のことと思います。

確かに私たちの業界は、過去もたくさんの意見を出してきました。
規制改革・・・司法制度改革・・・地方分権・・・不動産登記・・・法人化・・・報酬額・・・ADR・・・筆界特定・・・etc.
しかし、その意見の根拠はどこから来るものでしょうか。誰のための意見なのでしょうか。

その中には、改革推進に見える意見も有りましたし、改革反対に見える意見も有りました。
その変革反対に見える意見が、
「今の体制が変わらない方が、組織として何も考えなくてすむから」
「今の体制が変わらない方が、個人として新たな技術を学ぶ必要も無いから」
・・といったような安易な考えが根底に有るとすれば、世間に説得力がありません。

社会に専門家団体として意見を出すときは、自分たちが存続するだけが目的の意見ではないのか、そもそもその意見は内部で本気で議論しているのか、一度見直す必要があると思います。

また「正論でなければ認めない」と子供みたいなことを言っていても、世の中は正論以外の選択肢で動くこともあります。それは、社会・経済・政治を見ていれば分かります。

土地家屋調査士の価値観から言って最悪な変革でも、変わった世の中でも国民の皆さんを守る使命があるはずです。
そのためには、望まない選択肢の研究もしなければなりません。


世の中は変わっています。
東日本大震災を経て、日本はその変革のスピードを速めたように見えます。

「専門家として国民を守るために存在する」というしっかりと変わらないスタンスを貫くためには、表面の変化には対応しなければなりません。
むしろ変化するのが世の常なら、留まることがリスクになります。
変化を先取りするくらいの意見を出したいものです。








2012年5月30日水曜日

現場のマーカーはノック式に限る

27日は女川町に被災建物調査に行ってきました。
今回の被災滅失建物の調査には、赤・黄・緑の3色のマーカーが必要ですね。

さて、そのマーカーですが、何を持って行ったら良いでしょうか?
私のコレクションのマーカーを並べてみました。

左の三本が、マーカー界で定番のZEBRAのOPTEX CAREです。
中の三本が、PILOTのFRIXIONシリーズのマーカーです。
右の三本が、Pentelのノック式ハンディラインSです。


OPTEX CAREは、さすがに定番品ですから、コンビニでもどこでも手に入ります。
困ったらどこでも買えるというのが強みです。
この中では定価も一番安いですので、清書のときに多くの面積を塗るときには使えると思います。

FRIXIONシリーズは、私が何度も紹介している綺麗にインクが消えるという機能を持ったペンのマーカー版です。このマーカーが新発売のときに買ったのですが、最初は発色が良くなく、ちょっとだけ残念でしたが、今はインクの発色が良くなりましたので、マーカーとして十分使えます。図面にマーカーで色づけしているときに間違ってしまうと、ボールペンなどのインクと比べて、マーカーインクの場合修正が難しいので重宝します。

ノック式ハンディラインSは、ノック式でキャップが無いものです。
マーカーのインクは乾きやすいので、使ったらキャップをすぐ嵌めることが必須です。
しかし、この製品はノックの際にシャッターが取り付けられていて、ノックしないときには先が乾かないような機構になっています。
これも使ってしまうとこの機能が外せなくなると思います。

各々特徴を理解して使い分けると良いでしょう。

現地で被災状況に応じて色分けるのですが、建物の特定が難しいので、間違った色を塗って修正したくなることがあります。
その点で、この業務にフリクションを勧めている方もいます。
でもフリクション大好きな私でも、現場のマークに使うには消極的です。
まず現地でマークするのは、あくまでも下書きでしょうから、間違いを修正した跡が美しくなくても、明確に分かれば良いはずです。
ですから現地調査においては、マークの消去機能に、そこまでアドバンテージがあるとも思えません。
一番問題なことは、フリクションのインクは、摂氏65度を越えると消えることです。
正確に言うと透明になるのです。
あのこすって消すのは、消しゴムを連想させますが、その消去メカニズムはまったく違っていて、フリクションの場合は摩擦熱を起こし、その熱でインクを透明にするのです。
ですから、夏場の現場で、車に資料を放置してしまうと、書いたインクが消えてしまう可能性があります。
私は、この理由で、今回の現場ではフリクションをお勧めしません。

今回の被災建物調査には、やはり推薦するのはノック式です。


この写真のように、ノックしたときだけ、芯が出てきます。
現場でマークするときに、いちいちキャップを外し、マークして、キャップを戻し・・・という手間は、とても面倒です。これを500棟程度見て歩くとすれば、この手間は馬鹿にならなくなります。他に資料も持って歩くので、両手を使うキャップ外しは面倒です。
私は今回の現地調査で、このノック式をとても重宝しました。お勧めです。
被災建物滅失調査以外でも、現場でマーカーを使う場合は、ノック式を試してみてください。

ちなみに、私のコレクションには、他にも大好きなマイルドライナーがありますが、これは今回の業務の指定色と違いますし、また、いくらマーカーインクとは言っても、勿体なくてあのペンは現場に持って行きません。




2012年5月28日月曜日

女川被災建物滅失調査

昨日は被災地建物滅失登記のための調査に行ってきました。
私の担当は女川町でした。

女川町訪問は、石巻支部の先輩を尋ねた昨年の3月26日から4回目です。
女川町も、まだまったく変わっていません。
仮設住宅がいたるところにありました。

下の写真は、海が見える高台です。海まで住宅が並んでいるところです。



がれきが片付いた、といっても脇に積み上げたという状態ですが。
ちなみに下の写真は、瓦礫置き場ではありません。
両側は住宅地でした。(google map: 38.449394,141.446899)
この道路はその中を走る幹線道路です。


海辺の橋です。
迂回路があるので、この修復は後回しです。



とにかく道路にはみ出さないものは、後回しのようです。


女川の町はリアス式海岸の平地が中心ですが、すぐ後ろに山が迫っています。ですから、住宅地は、高低差の大きな場所が多いです。(私も調査のために、朝早くから日没まで上り下りしたので、良い運動になりました。)

この海からの高低差が大きいために、お会いした住民の方々は「まさかここまで津波が来るとは」という感想をお持ちのようでした。
私自身も、どこまで津波が来たかをヒアリングしながら歩きましたが、とても信じられない高さまで、津波が来ていました。
これはニュースで何メートルと聞くよりも、やはり現地で「ここまで来たか」という実感するのは、まったく違うことだと思いました。

今残っている建物も、1階は一度海没したというようなところが多いです。
実際に「2階に逃げたけれど、じわじわと海面があがって1階が没したときには、生きた心地がしなかった。」というお話しもお聞きしました。

そこまでも住民の暮らしを奪った海ですが、
それでも、昨日の女川町の海は、穏やかでとても綺麗でした。





2012年5月26日土曜日

被災建物滅失調査現地説明会

東日本大震災による被災建物滅失調査の2年目作業が始まりました。昨年は仙台以南が調査地域でしたが、今年残りの北半分です。半分とはいえ、大津波による被災が大きかった石巻や気仙沼を含む地域なので、昨年の3倍の調査量が有ります。

さて、昨日5月24日は、一年目作業を担当していない人を対象にした作業の説明会を、仙台市中野の被災地で開催されました。
現地で具体的に建物を見ないと、具体的な論点が理解できないものです。


普段私たちが扱っている建物滅失登記は、所有者が建物を取り壊すという明確な意志を持って取り壊し工事を発注するので、私たちが調査に行っても迷いが少ないのです。
しかし被災地の建物では、壊したくない建物なのに津波で壊されたのですから、その壊れた建物をガレキとして処理するのか、それともなんとか修繕して住むのか、所有者の判断が分かれますので、私たちが調査に行っても明確な判断が難しいことが有ります。


手前の一階部分が壊れています。人は住んでいません。



周辺の建物は公費で解体されています。
でも何故かこの建物は残っています。
所有者が取り壊さないで修繕するという意思を持っているのか、所有者が公費解体の意思表示ができない状態なのか、これだけでは判断できません。
判断できないので、単純に滅失登記をすることはできません。


アパートの一階が大きく壊れています。
でもその奥の建物では洗濯物が干してあります。
生活しているのです。

最近の工法では、ほとんど完全に修復ができます。
また新築に規制がある地域では、取り壊さずに、あくまでも修繕ということで住み続ける意思が有るのかもしれません。
建物の滅失の要件は、建物認定の3要件の裏返しではないのです。
とても難しいものになります。

この調査は、儲かる儲からない、忙しい忙しくない、などと言う問題ではなく、私たち土地家屋調査士がやるべき業務なのですから、皆で協力し合って頑張りたいと思います。






2012年5月24日木曜日

政治連盟についての私の考え

5月22日は宮城県土地家屋調査士政治連盟の平成24年度定時大会が開催されました。
私は来賓としてお招き戴いて、祝辞を述べる機会を戴きました。
全国の会員の政治連盟に対する関心が薄いように見えます。
また動きが見えない政治連盟もあるようです。
政治連盟に関しての私の考えを、祝辞にしましたので、以下のとおり紹介します。


<祝辞>

  本日、宮城県土地家屋調査士政治連盟の平成24年度定時大会が開催されましたことを心からお喜び申しあげます。
日頃は、宮城県土地家屋調査士会に対しご支援・ご協力を頂き、誠にありがとうございます。この場をお借りして厚く御礼申しあげます。

昨年の東日本大震災により、東北は大きな被害を受けました。ただ今、全国のご支援を受けながら、東北は復興の途中であります。この復興が東北の最優先課題であることは、論を待ちません。
一方、国外ではユーロ発信の深刻な経済問題等々、国内では原発をはじめとした復興阻害問題等々、不安定要因が積み重なり、日本の社会経済が不安定になっております。
一度絆のもとに一致団結した美しい日本の国民が、また自分の目先の生きていくことだけに振り回され、本来あるべき姿を各人が見失いはじめているような感があります。

そんな中でも、土地家屋調査士として原点に立ち戻り、日本の不動産登記は、地籍制度はどうあるべきか、日本の未来を語りたいものだと常々思っています。

さて、その日本の不動産の公示制度はどうあるべきかを国会で議論して戴いて出来上がったのが「不動産登記法」であります。そして、その登記という公示制度の中で、私たち土地家屋調査士のどうあるべきかを国会で議論して戴いて、お示し戴いたのが「土地家屋調査士法」であります。
これらは、近年、規制改革、司法制度改革や都市再生、電子政府というキーワードの基に各々改正されました。

本来法律は、改正により良くなるはずですが、実際は良くなった部分だけではなく、我々専門家から見ると大変使い勝手が悪く、国民の負担を増やしているだけの部分も見受けられます。
また昨年までは問題なくても、大震災後、見直すべき問題点も浮かび上がってきました。

国会で決まったことに内輪で文句言っていたり、評論家のように他人事で批評していても、何も変わりません。もっと前から、しっかり議員を選び、しっかり国会の議論を注視し、必要が有れば議員の先生方の議論のお手伝いをし、国会で先生方に、国民の視点に立って議論して戴くことが大切です。

過去、土地家屋調査士会は政治活動が不得意でした。不得意と言うよりタブーとされてきたかも知れません。政治連盟とは、自分たちへの利益誘導だけ訴える組織のようなイメージだったのかも知れません。
でも、私たち資格者は、国民の為の専門家として資格を戴いているのですから、国民の利益になるような専門的意見を国会に届ける義務が有ります。そこを自覚しなければなりません。

今日ここにご列席いただいている議員の先生方は、土地家屋調査士に大変理解のある先生方です。
ですから本日ご列席いただいている先生方に、国会で広い意味での地籍について、活発にご議論していただければ、日本の登記や地図の制度が真に国民のためのものになるでしょう。
また地籍の問題に起因する復興の隘路は減少していくことでしょう。
そういう活動をしていくことが、私たちも資格を与えていただいている国民の皆様へのお返しになると信じております。

宮城県土地家屋調査士会は直接政治活動ができない組織ですが、政治は語りたいと考えております。これからも政治連盟のバックアップをしっかりしていきたいと考えておりますし、政治連盟会員の増加にもご協力させて戴きたいと考えております。

今後ともお互いに情報を交換し合い、一層強固なパートナーシップを構築し、国民のための土地家屋調査士制度を共に目指すことを提言し、祝辞に代えさせていただきます。

本総会のご盛会と、貴政治連盟がますます発展されますことを御祈念申し上げまして、祝辞とさせていただきます。

青森の皆さん、地震お見舞い

青森の皆さん、地震大丈夫ですか?
何か困ったら、我慢していないで、連絡ください。

つい先程の午前0時2分頃、マグニチュード6.0、青森県で震度5強の地震が起きたとのこと。
幸い、津波の心配は無いとのこと。
また、原発関係で新たな問題は発生していないとのこと。
しかし、今後の余震も考えられますので、引き続きお気をつけください。

心配を煽るつもりはありませんが、日本全国何が起こるか分かりません。
東日本大震災の余震は100年以上続くとのことです。
昨年の大震災の2日前の3月9日にも震度5弱が来ました

家内事故は小さな震度でも起きます。
取り越し苦労で済めば良いのですから、この機会に不安定な家具などのチェック、コンピュータのバックアップ、避難経路、防災グッズ、飲食物の備蓄等々、再度見直しましょう。

以下昨日の産経ニュースの記事です。
嫌なニュースですが、目をそらす訳にもいきません。
リンクが切れることがあるので、以下に本文も紹介します。

大震災がM8級関東地震早める? 過去にも後続例 防災科研が警戒呼び掛け
2012.5.23 11:35

 東日本大震災とその余震で関東のプレートが刺激され、マグニチュード(M)8級の地震が予想より早く首都圏で起きる可能性があるとの分析結果を、防災科学技術研究所(茨城県)の研究チームがまとめた。
 誘発が懸念されるのは、政府が首都圏での発生を警戒する「関東地震」。M8級の関東地震は過去に2回起きたが、いずれもその約30年前に、三陸沖から房総沖で大地震(延宝房総沖地震、明治三陸地震)が発生した。
 これと合わせ、869年の貞観地震以降、東北の太平洋沖を震源としたM8級の地震は5例あるが、うち4例で30年以内に関東でM7級以上の地震が続いた。
 関東地震の発生周期をコンピューターでシミュレーションすると、二つの地域のこれらの地震が無関係に起こった確率は5%以下。東日本大震災の後続の大地震が、今後30年以内に関東で起きる可能性もあると分析した。



2012年5月23日水曜日

訃報-佐々木孝会員のご母堂様


佐々木 孝 会員(塩釜支部) のご母堂様が5月22日にご逝去されました。
葬儀等は以下のとおりです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


<通 夜>
日 時 平成24年5月25日(金)午後6時~
場 所 「ご自宅」
塩釜市泉沢町11番36号
電話 022-362-7126

<葬 儀>
日 時 平成24年5月26日(土)午前9時~
場 所 「ご自宅」
塩釜市泉沢町11番36号
電話 022-362-7126

<喪  主>
 佐々木  孝  様

南三陸町 再び

本日5月22日法テラス南三陸に被災地相談に行ってきました。法テラスは南三陸町志津川に在りますが、本日は、南三陸町の歌津の平成の森避難所に移動して、相談を受けました。


この平成の森には、たくさんの仮設住宅があります。
歌津の皆さんも我々を待っていて、今日は相談者の数が多かったです。
皆さんのお話では、志津川まで行って相談するのはちょっと敷居が高いとのことでした。
やはり被災地の相談は、待っていないで、こちらから伺わなければならないと確信しました。


前回法テラス南三陸に行ったのは12月6日でした。あれから5ヶ月。今日は、南三陸志津川から歌津へ動きましたが、あの時と何も変わっていません。と言うより、あの大津波の被災から変わっていないと言えます。


ガレキの積み方が変わっただけです。



途中、ガソリンスタンドで車にガソリンを入れましたが、クレジットカードが使えませんでした。未だに通信ができないそうです。周りには大津波で壊れた建物が建ち並んでいます。
ガソリンスタンドも屋根が壊れたままで営業を続けています。



仙台だけ見ている人は、本当に復興のスピードが早いように感じるでしょうが、復興がまったく進んでいないところもまだまだ有るのです。仮設住宅住まいの方々もたくさんいます。
これらの事実を定期的に全国の皆さんに見てもらう必要性を、改めて強く感じました。








2012年5月22日火曜日

Bricolage ブリコラージュ

ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」とも訳される。元来はフランス語で、「繕う」「ごまかす」を意味するフランス語の動詞 "bricoler" に由来する。

ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。

ブリコラージュする職人などの人物を「ブリコルール」(bricoleur)という。ブリコルールは既にある物を寄せ集めて物を作る人であり、創造性と機智が必要とされる。また雑多な物や情報などを集めて組み合わせ、その本来の用途とは違う用途のために使う物や情報を生み出す人である。端切れから日用品を作り出す世界各国の普通の人々から、情報システムを組み立てる技術者、その場にあるものをうまく使ってピンチを脱するフィクションや神話の登場人物まで、ブリコルールとされる人々の幅は広い。(Wikipedia)



我がベガルタ仙台で言えば、今の手倉森監督はエンジニアリング的なチーム作りでしょう。
自分の理想のチームと戦い方が有り、それに合う選手を集めるやり方ですね。
どんな一流選手が来ても、そのやり方に合わない選手は試合に使わないという方法です。
その手倉森サッカーができそうな選手を5年かけて少しずつ取ってきて、今のチームができています。正確にはコーチ時代も含めた9年でしょうか。
ベースがしっかりして、ちょっとぐらいでは崩れないスタイルを身につけました。
私たちも見ていて安心なチームです。

我がベガルタ仙台を、2001年にJ1に昇格させた清水秀彦監督は、まさにブリコラージュ的なチーム作りでしょう。
彼は名門日産自動車(現横浜マリノス)の監督をして、天皇杯を制したこともある監督です。一流選手も見てきました。
しかし、J2のベガルタ仙台を指揮するときに、与えられた選手で、どうすれば勝てるかを考えていました。
この選手が何ができるかを把握して、結果的には自分の理想のサッカーではないけれど、今目先の勝つ方法を見つけてチームを作っていました。
この件については2010年1月31日「勝負師清水秀彦」で書かせて戴きました。

前者の手倉森監督の方法は結果が出るまでに、とても時間がかかりました。しかし、完成に近づけば、チームは崩れません。この方法は、結果が出るまでに時間がかかるので、采配に疑問を持たれ、途中解任される可能性があります。
よほど周りが理解しないと、志半ばで終わってしまいます。
現にそのような動きも3年前に有りましたが、当時はJ2だったことも幸いし、なんとか周りを説得して監督に居座り、今日の成功があります。
彼は筋の通ったプロフェッショナルな監督です。

後者の清水監督の方法は、今日戦って今日勝つことを求められているチームには効果的です。
これも成績が悪ければ契約途中でも解雇されるトップチームの監督としての経歴を重ねてきた清水監督だからできたことでしょう。
とにかく現在の材料だけで、旨い料理を創らせたら、清水監督はとても良い仕事をします。
もちろん、自分の理想とするチーム作りは、以前別の環境でしっかりやっていました。
彼もとてもプロフェッショナルな監督です。


世の中の大半の仕組みや組織はブリコラージュです。

もともと選ばれたエンジニアリングのような人や物の組み合わせではなく、大抵は「このメンバーでこの材料で」何かをやらなければならないことが多いのです。

土地家屋調査士会のような組織は、まさにブリコラージュです。
素材そのものが様々な出身を持ち、個性的な能力を持っています。
ブリコラージュの一番大切なことは、その素材の把握と、本来持っている役割と違う新しい役割ができないか、見極めることです。

何かの分野で標準的なことができない人を、ダメだと決めつけずに、別の役割なら一番できるという能力を捜してやることです。また自分でも他の人が持っていない能力を考えることです。
全員がフォワードをやれるわけではないのですから。

とても難しいことですが、ブリコラージュには、予定調和的なものを越えた新しい可能性も秘めています。
我々が本気で自らの能力を棚卸しし、勝てるチーム作りを考えれば、とても強いチームができそうです。
御託を並べて動かない人が多い業界ですが、理想を述べる前に、今目の前の事柄に勝たなければなりません。
おそらくベガルタ仙台が手倉森監督の結果を待ってくれたようには、世間は待ってくれないはずです。
まずは勝って、勝ち癖を付け、余裕ができた中で盤石なエンジニアリングを考えて行くべきと思います。



2012年5月20日日曜日

ありがとがす

だらだらの汗 日焼けした顔
泥まみれの作業服
おめえ様とすれちがう時
おらは目頭が熱くなるちゃ
宿舎にもどって行くおめえ様の背中に向かい
おらは心の中で最敬礼するのしゃ
おめえ様は仕事だからと実に格好いい
おめえ様にも緑豊かな故里があり
心やさしい家族が待っているべ
ほんでも もうちょっとだけ
おらに力を貸してけねが
おらも精一杯努力すっから
必ず夜の次には朝がきて
泣いたあとには笑うときがくるちゃ
この前テレビでどこかのばあちゃんが
ありがとがすと何回も頭を下げていたのしゃ
おらも同じだ
ありがとがす ありがとがす ありがとがす
おらも精一杯努力すっから
ありがとがす


高橋悦朗氏
岩手県一関市 62歳
作品エピソード
大震災による沿岸部の方々の被災には言葉もありません。
内陸部に住む私の家も、7月解体しました。
連日、支援に向かう多くの方々を見て、せめて詩を借りてお礼申し上げたいと思いました。


「ありがとうの詩」河北新報社  を読みました。
東日本大震災の際の全国からのご支援に対し、感謝を詩にしたものを50編集めた詩集です。そのうち8編には宮城県ゆかりの作曲家が曲をつけて、そのCDも付いています。

人に何かを伝えたいときに、詩という形も良いものだと思いました。
詩以外では伝えにくいことを、詩ならば伝えられると思いました。


読みながら涙が出ました。

おそらく読む人の立場、環境により、受け取り方が違うでしょうし、出る涙の種類も違うのでしょう。

でも、良ければ読んでみてください。
「ありがとう」という言葉の美しさが、心にしみます。



2012年5月19日土曜日

総会お疲れ様でした

昨日は雨の中、宮城県土地家屋調査士会定時総会にご出席ありがとうございました。
お陰様ですべての議案についてご承認戴きました。
また一年、宮城県にお住まいの皆様のために、土地家屋調査士制度と会員のために、頑張って行きたいと思います。
一年間気持ちを忘れないためにも、ここで昨日のご挨拶を書かせていただきます。



会長挨拶

 本日、宮城県土地家屋調査士会第62回定時総会を開催いたしましたところ、仙台法務局長浅井琢児様はじめ、日頃大変お世話になっております多数のご来賓をお迎えして開催することができました。
ご来賓の皆様には、日頃の業務に加えて、東日本大震災からの復興対策でもご多忙の中、ご臨席賜りましたことを、心から御礼申しあげます。本当にありがとうございました。
 また会員の皆様も、震災後の様々な業務等でお忙しいところ、本総会にご参集されましたことに感謝申し上げます。

 昨年3月11日の大震災から1年と2ヶ月経ちました。
 昨年の総会は、本会場であるメルパルク仙台で開催予定でしたが、メルパルク仙台の建物の被災により、急遽別の会場で開催しました。会員の皆様にはご不自由をおかけしましたが、メルパルク仙台もすっかり復旧され、また総会会場としてお願いすることができました。

 会員の皆様も被災された方、支援された方どちらにとっても大変な一年だったと思います。

 宮城県内の土地建物については、少しずつ復興しています。仙台市内の繁華街だけ見ていると、震災があったかどうかも分からないかも知れません。しかし、まだ現位置復興なのか、高台移転なのか、その方針さえも定まらないところもあります。
最終的な復興は、これからも何年も続くことでしょう。

 宮城の住民の方々も昨年の混乱から少しずつ落ち着いてきて、やっと不動産手続き等に眼が向くところまで来ました。私たちの専門性を発揮する場面も増えつつあると感じます。今こそ、普段お世話になっているこの宮城県民の皆様にお返しする必要があります。
更なる会員皆様のご協力をお願いいたします。

 さて、東北は大震災で復興がテーマですが、日本や世界はそれを待っていてはくれません。
土地家屋調査士の周辺だけでなく、社会全体が骨組みから変わろうとしています。東日本大震災を経験して、日本の変化のスピードはより速くなったように思えます。

 我々土地家屋調査士は、今後どう考えて、どうすればよいのでしょうか。
少なくても10年前や20年前と同じテリトリーを守ろうとしているようでは、日本の中で不要な資格となるでしょう。
国民の皆さんのために、アクティブに行動を続けなければなりません。そうしなければ、時代遅れの資格となり、消滅しても誰も気が付かれないかも知れません。

私たちが、やらなければならない分野があります。
私たちでないと、できないはずの分野があります。

 また、「宮城会を今後10年社会の変化に問題なく対応できる組織に早急に変える。」と3年前に申し上げまして、会長に就任しました。

 これらは、宮城会だけでできる問題ではないのですが、宮城会でもできることから始めたいと思います。

 会員の皆様と、総会で様々な議論をしたいと願っていますし、その後の懇親会で楽しく歓談することも願っています。
 本日の総会が、土地家屋調査士の未来に向かう「前向きな方向性」を議論する、意義ある総会になりますことを祈念致しまして、挨拶と致します。






2012年5月17日木曜日

明日へ 前向きな方向性

NHKの東日本大震災プロジェクトとして「明日へ-支えあおう-」という番組があります。
毎週日曜日午前10時05分から10時53分の番組です。
番組内容は以下のとおりです。


未曽有の大災害となった東日本大震災。被災地は、さまざまな課題を抱えながらも、復興への一歩を歩み出そうとしています。
震災の瞬間、人々は何を考えどう行動したのか、それを克明に語る証言の数々。今、被災地の人たちはどのような困難に直面し、何が必要なのか。苦しい中で復興をめざす人々をサポートしようと東北に赴く研究者たち。日本を愛し、被災地を励まし、手を差しのべようとする海外の著名人たち。こうした多角的なアングルで、震災そして復興への道のりをお伝えします。

以下のサイトに紹介があります。
この番組だけでなく、他の関連番組と、震災に関する情報をまとめています。
http://www.nhk.or.jp/ashita/bangumi/

やはりキーワードは「明日へ」でしょう。
支援者も被災者も「明日」という未来を目指さなければ、その場限りの生活用品で終わります。
「私たちはここを目指すから、その間少しご支援戴きたいのです。」という「方向性」を持つ必要があります。

また「あなたも復興サポーター」という1分間の番組があります。
http://www.nhk.or.jp/ashita/supporter/


震災から1年あまり。被災地では復興に向けて、まだまだたくさんの支援を必要としています。
被災地以外のみなさんが気軽に支援に参加する方法を、随時紹介していきます。今日からあなたも復興サポーター!


僅かな負担で支援をする方法を紹介していますし、各々のプロジェクトの工夫に感心します。
また支援する方も、自分の支援がどんな人々のどんな役に立っているかが理解できるので、役に立つ実感があります。


支援する方も支援を受ける方も、いつまでもメソメソしたウェットな関係でいる時期ではありません。
むしろ、それを意識しすぎるとお互いに長続きしません。
共通認識による「前向きな方向性」を持って、動くべきです。

支援を受ける側は、遠慮無く支援を受け、その替わり、少しでも早く自分の力で動けるように努力を続け、ちょっと余裕ができたら全国にお返しをする、という気持ちを持っていれば、気が楽でしょう。

大震災からまだ一年で世間の話題から消えかかっている今の風潮で、NHKの継続的なこのような取り組みは本当にありがたいものだと思います。

あのアメリカを旅していたリトル・チャロも今は東北を旅してくれていますし。


明日へ・・・


2012年5月15日火曜日

18日は宮城県土地家屋調査士会の総会です

今週18日金曜日は宮城県土地家屋調査士会総会です。

一年前の総会では、会場として予約していたメルパルク仙台が東日本大震災により被災して使用できなくなり、急遽会場を変更しました。
その後、メルパルク仙台の修繕も終わったとのことですので、今回は会場を元に戻して開催致します。

また昨年の総会では、大震災によるたくさんの被害を考えて、懇親会も自粛しました。
被災地がもう復興したわけではありません。
でも、私たちも元気になる必要があります。
今回は昨年分も含めて、懇親会に予算を取っています。
例年より安い負担金となっていますので、是非ご参加ください。

さて、総会は、宮城会の方向性を皆さんと考える貴重な場です。
宮城会の執行部が、土地家屋調査士を巡る情勢をどう捉えて、それにどう対応しようとしているのか説明したいと考えていますし、会員の皆さんも、遠慮無く、ご質問やご意見をお願いします。

土地家屋調査士だけでなく、社会全体が骨組みから変わろうとしています。
東日本大震災を経験して、日本の変化のスピードはより速くなったように思えます。

我々土地家屋調査士は、今後どう考えて、どうすればよいのでしょうか。
少なくても10年前や20年前と同じテリトリーを守ろうとしているようでは、日本の中で不要な資格となるでしょう。
国民の皆さんのために、アクティブに行動を続けなければなりません。
そうしなければ、時代遅れの資格となり、消滅しても誰も気が付かれないかも知れません。

私たちが、やらなければならない分野があります。
私たちでないと、できないはずの分野があります。

宮城会だけでできる問題ではないのですが、宮城会でもできることから始めたいと思います。

会員の皆様と、総会で様々な議論をしたいと願っていますし、懇親会で楽しく歓談することも願っています。



2012年5月14日月曜日

社会福祉施設職員の精神状態


先日、老人ホームにお勤めの方と直接お話しをする機会がありました。
あの大震災当日の話、その後のライフラインが止まった中での飲食物の確保と介護。そして今現在の利用者の増加への対応・・・。
淡々とお話されていましたが、とてもご苦労されたことは明らかでした。

被災者自身は当然大変ですが、被災地内の被災者を支援してきた人達も大変です。
これが職業であっても、ボランティアであっても同じく大変です。
まじめな方は特に、あの大震災時にも使命感を持って、自分よりも周りを優先し、肉体的にも精神的にもギリギリで働きましたし、一年経った今もあまり変わらない状態で働いています。
おそらく、ここ数年程度で解決する問題ではなさそうです。

被災地外の方々から「問題有りませんか?何か支援することが有りますか?」と聞かれたときに、私はいつも答えに窮します。
その支援はどこまでを考えているのか、それを聞き返すわけにもいかないですし。

「仙台は復興したね」と言われることがあります。
確かに街中のビルを見れば、大震災が有ったことさえ分からないかもしれません。
でも仮設住宅にいる人は、まだまだたくさんいます。
彼らは、寒い季節を耐え、これから暑い季節を迎えます。

「被災地は仕事が増えて良いね」と言われることもあります。
でも仕事が無くなった人もたくさんいます。
「就職活動をすれば良い。1年以上無職のままと言うことは、就職の意欲がないんだ。」という話を聞いたことがあります。
一面ではそうかも知れませんが、事はそんなに単純な話だけではありません。
被災者はいろいろなものを背負っています。被災地に新たな仕事を創らなければなりません。

また仕事が増えたと言われる産業でも、「被災地内で仕事が増えるということが、平時の『仕事が増えて良いね』とは意味が違う。」のですが、これは、被災地で働いてみないと分からないかもしれません。

でも、「あなた達には分からないから・・」と言ったら、そこで話は終わります。
私たち被災地にいる人間は、少しでも、丁寧に実情をお知らせする方法を考えなければならないと思います。
他の地域に、万が一の災害が起きたときの為にも、我々の経験を分かって戴かなければならないし、それが支援を受けた全国への恩返しでもあるからです。


以下は本日(2012/5/14)の河北新報の記事です。

宮城県内の社会福祉施設 震災後、職員の3割精神状態悪化


 東日本大震災発生後、宮城県内の社会福祉施設で働く職員の3割が精神状態を悪化させていたことが、全国福祉保育労働組合(東京)などの調査で分かった。非常事態の中、施設利用者の生命に危険が及ばないよう神経をすり減らしたことや、被災して行き場を失った高齢者らを新たに受け入れたことによる過重労働が心身への強い負担につながったとみられる。
 調査はことし2月、同組合と石倉康次立命館大教授(福祉労働)の研究室が、高齢者や障害者、児童が利用する115施設の職員345人を対象に実施。このうち132人(回収率38.3%)から回答を得た。
 心の状態は、「あまり良くない」が11.9%、「一時、調子を崩したが回復」が17.8%で、震災後に精神的な状態を悪化させた職員は計29.7%に上った。体調は、「あまり良くない」が9.1%、「一時、調子を崩したが回復」が14.9%で計24.0%だった。震災後の勤務状況は、「泊まれる職員は泊まり込んだ」が72.9%。一部施設が避難所になったことなどから、「通常とは別の業務が増えて職員の体制に困った」との回答も26.4%あった。
 施設利用者の変化については、「健康状態が悪化」「心理的に落ち込むことが増えた」「新しい利用者が増えた」がいずれも2割前後だった。
 石倉教授は「利用者の生命を守る責任感や、新たな利用者を受け入れて仕事が増えたことがストレスにつながった」と分析。「非常事態に備え正規職員を増やし、他施設との連携体制を築いておくべきだ」と、人手の確保の必要性を指摘している。

原稿執筆はポメラを持って喫茶店へ

最近は毎日何らかの原稿執筆に追われています。
30分程度で終わるものや、少なくても半年はかかるもの…等々、いろいろ有ります。
何かしっかり考えたいときは、私は喫茶店に行くことが多いですね。
学生時代や資格試験受験時代は勉強のために、今は何らかの原稿を執筆するのに、喫茶店を使っています。

事務所や自宅の方が参考図書は有るし、ネットは有るし、静かですし、本来は便利なはずです。でも、私ははるかに喫茶店の方が良いのです。
お客さんが多少うるさくても良いのです。むしろ静かすぎると落ち着きません。

実は、私の心の問題なのです。
事務所や自宅は、他の用件の資料や、趣味の文房具などの集中力を削ぐアイテムが多いのです。喫茶店なら持って行くもの以外は当然眼に入らないので、集中するしか無いのです。
ですから喫茶店には、できるだけその日やるべきものだけ、持参すべきなのです。

同じ理由で最近気に入っているのがポメラDM100です。
これはメモしかできないキーボードと言っても良いものです。
テキスト入力に割り切っています。
技術的には何の問題も無いのにネットにも繋ぐ機能が有りません。
この潔さが、私にはとっても貴重な機能となります。
(ネットサーフィンの機能は要らないから、Eye-Fiで画像をネットに送るように、テキストをクラウドに送ることだけはできても良いと思いますが)

ノートコンピュータで原稿を書いていると、資料をネットで検索しているはずが、ネットサーフィンし始めて、別の仕事を始めたり、次の研修会のスライドを作りたくなったり、集中できなくなることが多いです。

紙のノートに太めのペンでガシガシと書く方法も悪くないのですが、乗り物の中では振動で手書きは難しいので、やはりキーボードが欲しいところです。

iPadにブルートゥースのキーボードを繋いで書いたことも有りますが、キーボードそのものは使えたのですが、iPadの日本語入力が、長文を書くにはいまいちでした。

ポメラはとにかく入力しかできません。でも入力のためには最強ガジェットです。
適正な大きさのキーボード、必要充分な辞書、なんと言っても日本語入力にATOKが採用されています。私にとって、ATOKはMS-DOSの頃から親しんでいますので、このアドバンテージはとても大きいです。

前からポメラは気になっていました。
以前のポメラのあのキーボードを折り畳むギミックが、探偵志望の私の心にとても響いていました。ただし、すばやくメモすることが目的なら、本当はあのキーボードを開く作業が邪魔になるはずです。
また、更に普段持ち歩くバッグを考えると、小さくて厚い固まりよりも、大きくても薄い形状の方が持ちやすいと思います。そこで今回のDM100のモデルチェンジ、つまりストレートのキーボードの採用で、やっと使う気になりました。他のグッズに比べれば高価なものでもないのでケースにも入れず、すぐに取り出すことを優先しています。

これで、他の雑念を払って、原稿に集中できる環境を手に入れました。
喫茶店でポメラです。
もう大丈夫です。副会長の皆さん。〇〇出版さん。

えっ、だったらブログ書いている暇に、原稿書けって・・・。






2012年5月11日金曜日

売れ続ける理由 さいち

私たちのような専門家と呼ばれ、お客様から先生と呼ばれる仕事をしていると、自分たちでいろいろ勘違いしてしまうことがあるようです。サービス業に違いないはずなのに・・・。

先生と呼ばれて満足している仕事をしていると、日々変化する社会の中で取り残されてしまいます。「本人が良ければ良い」のではなく、日々研鑽を続けないと、その土地家屋調査士の事務所に来てくださるお客様に失礼になります。

「それではダメでしょ」と、全国で実力をつけようと努力している土地家屋調査士の仲間がいます。とても良いことです。でもその勉強の目的が自己満足になっていませんか。
誰も知らない技術を身につけることはとても気持ちのよいものです。
でも、私たちはお客様のために努力するはずです。

全国で法人化や合同事務所への動きがあります。これも土地家屋調査士代表が、直接お客様の現場に行かないようになるシステムなら、お客様のためはならないと思います。

「あらゆることはお客様のため」という気持ちで動き、小手先でない正直な事務所経営なら、自然とお客様も支持してくれるはずです。

仙台市太白区秋保町の「さいち」をご存知ですか?
人口4700人の町の80坪弱の小さなスーパーマーケットですが、地元だけでなく、日本中から固定客が来ます。

また全国600社から視察研修依頼が来ています。その中にはあのイトーヨーカドーなどの全国展開の企業も含まれています。それらのライバルにもタダで企業秘密を教えます。
何故そんなことが起こるのでしょうか。

その「さいち」の本「売れ続ける理由」を読みました。




目次を紹介しましょう。
プロローグ 人口4700人の町の小さな店に、なぜ、全国600社超から視察研修依頼が殺到しているのか?

第1章 瀕死のどん底から、おはぎが1日2万個売れるようになった理由

第2章 同業他社でなく、「家庭の味がライバル」という非常識な商品ルール

第3章 「惣菜をつくる姿勢」をつくれ! さいち式・レシピなしの人づくり

第4章 売上・客数がぐんぐんアップする門外不出の「アナログ閻魔帳」の秘密

第5章 チラシなしでも、家族の絆があれば、お客様がひっきりなしに押しかけてくる


この本には示唆に富んだ言葉がたくさん有ります。
小手先のビジネス指南書ではなく、正直な実践を通した良い言葉です。

さいちのお惣菜の原価率は60%。普通のお店よりずっと高いが、ロスゼロを実現しているので、40%は利益になる。

いまでこそ「甘さ控えめ」が喜ばれるが、当時はまだそんな時代ではない。それでも専務は、「ひとつ食べたらたくさんではなく、なんとしても2つ食べていただくようなものを」「お腹がすいているときには何個でも食べられるものを」と心に決めていた。

専務はお客様にほめられたときは、「この子がつくったんですよ」と言って、そのお惣菜をつくったスタッフをお客様のもとに連れていく。すると、その従業員はものすごい感動を受ける。

お新香は、長い物を1本買っても少人数の家庭では余ってしまうので、最初は「ひと切れ10円」で売った。

お惣菜の「惣」の字には「心」という字が入っている。お惣菜は「心の入ったもの」。お惣菜づくりにおいては、お客様を思う心が第一。心を忘れては絶対にダメ。

問屋の原価を値切らない方が利益が上がる。私の問屋さんとのおつき合いの原則は、「価格交渉はしない」。問屋さんに言うのは、「納得のいく商品を、おたくとの信頼関係においてお願いします」ということだけ。

スーパーコンビニは共存共栄の仲間。

何も無い私はブレようがない。


お客様への姿勢、従業員への姿勢、同業者への姿勢、仕事への姿勢。
このような他の業界の話が、勉強になります。
私も秋保方面に行く際には、いつも立ち寄り、おはぎや煮物を買います。
ですから、私は、この本の話を実感として理解できます。

土地家屋調査士のような専門家こそ、事務所経営の参考に読んで欲しい本です。





2012年5月10日木曜日

細切れの時間を集める


15分の空き時間が有っても、何もせずに過ぎてしまうことが多いでしょう。
でも1時間の空き時間があれば、いろいろできますね。
ですから、散らばっている15分の空き時間を、4つ集めれば良いだけなのです。


時間管理の話をもう少し書きます。
昨日のブログに以下の文を書きました。

「空き時間をできるだけ一カ所に集める工夫をします。
45分の空き時間が午前と午後に1カ所ずつあるのなら、どうにか予定を移動して、1カ所に集めて90分の空き時間を作るのです。90分の空き時間はとても貴重なものになります。空き時間はまとまればまとまる程、できることの可能性が広がります。」


もう少し具体的に書いてみましょう。
10時に他人とお約束をするとします。内容は30分で終わり、移動に10分かかるとします。でも、もしかしたら少し挨拶等で延びるかもしれないから、次の約束を11時に入れるのが普通です。でも本当に30分で終われば、移動を入れても20分がロスタイムになります。細切れの時間が一日のうちにたくさん散らばることがとても無駄なのです。

こういう場合に、私は敢えて10時45分にアポイントを入れることがあります。
10時のお約束の相手には、「申し訳ないけれど10時45分にお約束が入っているので」と言えば、間違いなく30分で終わるでしょう。
11時ではない10時45分という中途半端な時刻でお約束した相手は、心理的に遅刻できない気分になるはずです。こういう約束方法は、遅刻のロスタイムが減ります。

この浮いた15分を11時の相手との約束の後に廻せる訳です。
相手に迷惑をかけずに自分でコントロールできる予定は、積極的にこの時刻で良いか考えるべきです。
それによって、もう少し時間が生み出せるはずです。

人間「ぼーっ」とするような無駄な時間も必要です。
でもそれは突然に現れた15分では「ぼーっ」もできません。
しっかり「ぼーっ」とするためにも、まとまった時間が欲しいですね。


2012年5月9日水曜日

予定は空きが重要

昨日のブログで、
「予定は、予定そのものよりも、空きが重要です。何事も自分で生産的に動くためには、空き時間をいかに作るか、それをいかにまとめるかが問題です。ジャンル分けしていると、動かし得る予定かどうかが把握しやすくなります。」と書きました。
少し補足します。

手帳を予定で次々に埋めていくことは、ある意味とても充実した気持ちになります。
私も、開業当時まったく暇な頃、手帳を予定で埋めることに憧れていました。
その思いが残っているのでしょう。

その予定そのものに着目すれば、予定表はピンポイントで検索できるデジタルの予定表が便利です。予定管理は携帯電話だけで十分で、予定のために紙の手帳は持たないという人も多いようです。

でも実は、予定表は予定が入っていない空き時間の方が重要なのです。
予定そのものは、どんな性格の予定なのか重要です。
具体的に言うと、その予定は誰が決めたのか、どうしても履行しなければならないものなのか、自分の人生にとって納得できる大切なものなのか、そこの分析が重要です。

毎日忙しい思いをしながらも、自分の人生が納得できるものになるのかは、人生の手帳がどんな予定で埋められているかによります。

社会に生きている以上、他人のために予定は埋まります。
その空き時間を、自分が納得する人生を歩むために使うのです。ですから、その空き時間の確保と、その際に何をするかのリストが、とても重要です。

リストについては、30分空いたら何をする、60分空いたら何をする、2日空いたら何をする・・・、などを普段から考えておくべきです。
この準備が無いと、突然の空き時間ができても、何もせずに過ごしてしまいます。

その貴重な空き時間を、なるべく集めて、まとまった時間を作ります。
具体的には、まず、重要でもないけれど他人との関係で動かせない予定と、動かせるけれど絶対にやらなければならない予定と、誰からも催促されないけれど自分の人生にとってやりたい予定を区別します。それを理解して予定表に配置します。
その上で、空き時間をできるだけ一カ所に集める工夫をします。
45分の空き時間が午前と午後に1カ所ずつあるのなら、どうにか予定を移動して、1カ所に集めて90分の空き時間を作るのです。90分の空き時間はとても貴重なものになります。空き時間はまとまればまとまる程、できることの可能性が広がります。

そのような空き時間確保の工夫については、紙の手帳が良いでしょう。
紙を使うと、予定の空き時間をビジュアルで把握できるようになります。
私は、動かせない予定はインクで書き込んで、動かせる予定は付箋に書いて手帳に貼込み、手帳上で移動させながら空き時間を生み出す工夫をしています。
この付箋の幅は、手帳の時間目盛りの幅に合わせた付箋を使います。
つまり60分かかる予定は、60分時間目盛りの幅と同じ(厳密には少し狭い)付箋を使います。
同じことは、予定管理のアプリケーションでもできそうですが、自分では紙の手帳の方がイマジネーションが湧くのです。

この時間確保の問題は、昔からのテーマの一つですので、書きたいことが多いです。
ブログでは説明が難しいですね。詳細は、別にまとめて書きましょう。

2012年5月7日月曜日

ペンの色分けとインク切れ対応

数種類のペン各々に役割を与えて、仕事をこなすと、仕事の効率がとても上がります。
たとえばノートや手帳に記載する文字を、用途に分けて色を変えると、とても見やすく効率が上がります。

この色分けには、様々な効果が有ります。

一番分かりやすいのは、手帳の予定をジャンル毎に色を変えることです。
私は、業務関係はブルー、会務関係はグリーン、講師関係はスカイブルー、調停関係はピンク、会計関係はブラウン、プライベートはレッド、ベガルタ仙台関係はベガルタゴールドetc.と色分けをしています。私の場合、ベガルタ仙台だけで一ジャンルを形成しています。(笑)
かなりびっしり書いている予定を一目で見るには、この色分けはかなり有効です。

特にピンポイントで予定を捜すなら、グーグルカレンダーで良いのですが、予定間の空き時間を見るにはやはり紙の手帳が便利なので、色分けしながら併用しています。
ちなみに予定は、予定そのものよりも、空きが重要です
何事も自分で生産的に動くためには、空き時間をいかに作るか、それをいかにまとめるかが問題です。ジャンル分けしていると、動かし得る予定かどうかが把握しやすくなります。


読書により勉強する際にも色分けをします。

読みながら、結論らしい部分をブルー、その理由らしい部分をグリーンのマーカーでチェックします。気になるフレーズや後で使えそうなフレーズはピンクのマーカーです。
2回目を読むときにはとても短時間で読むことができます。

以前は、読みながらマークしていっても、最後まで読んで全体を掴むと、さっき引いたラインマークが的確な箇所で無いことに気がつき、消したくなることが多かったので、マーカーを使わない時期もありました。
しかし今はフリクションにマーカーがあるので、それを使うことが多くなりました。


長い文章を書くときは、論旨毎に色をつけることがあります。
一目で論旨のバランスが分かりますし、自分のクセが分かります。


このように色分けはとても効果が有るのですが、その文具が手元に無かったり、ペンのインクが切れた時が問題になります。
 ルールに基づいた美しく効率的な仕事がこなせなくなります。
そのためにはペンケースを常備しています。
特に使う色はインク切れのために2本持っていたりしていました。
それにしてもペンが多くなり大変です。

そこで多機能ペンを数本持ちしています。
たまにインクのチェックをして、インク切れになりそうな色は、同じ多機能ペンにスペアの同じ色1本入れていることも有ります。これでインク切れ対応も間違いなく安心です。

4色入る多機能ペン一本に、4本とも同じ色芯ばかり入れたら、最強だろうなぁ。
まあ、まったく意味は無いけれど。



2012年5月6日日曜日

復興は徐々に

震災復興は、とても時間がかかるものです。
そして、どこまで戻ったら復興なのか、これも定義が難しいものです。

日本人の生真面目さから、100%に近く元に戻らないと復興できたと言えない人もたくさんいるでしょう。
でも、被災地の大半の人間はそこまでは考えていません。
なにしろ「命が残っただけ幸せ」という思いなのです。
私自身、ここまで災害を身近に感じたことは無かったし、今日自分の命が有るのは偶然かも知れないという実感が有ります。
ほんの一日あの地震が遅ければ、私の命が無かったかも知れないのですから。
「すべてを失った訳ではない」と考えて、「現状がすでにプラスである」と考えれば良いのです。
復興も焦らずに、できる範囲から進めれば良いと思います。

あの仮設のコンビニを見たときは、とても嬉しい思いでした。
店主にとっても、地域にとっても、大きな復興でした。

今日の河北新報に気仙沼の老舗ホテルが再開というニュースが有りました。
一時は再開絶望かと聞いていたホテルです。
このホテルの「最低限の設備だけでも再開する」という判断に、心から拍手を送りたいと思います。


気仙沼・被災の老舗ホテル「一景閣」
15日再開、急ピッチ(河北新報 5月6日)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市弁天町の老舗ホテルが、15日の営業再開に向け急ピッチで復旧工事を進めている。同市で営業している宿泊施設は震災前の半数以下にとどまるが、復興事業の工事関係者の宿泊需要は高い。ホテルは約130人の宿泊が可能で、経営者は「復興の一翼を担いたい」と意気込む。

 再開するのは1916年創業の「ホテル一景閣」(6階建て)。現在は被害を受けた調理場や電気設備の修繕を進めている。15日の再開を前に、13日には関係者がテープカットを行って再開を祝う予定。
 客室は43部屋で、当面は主に道路工事や住宅建設の作業員らを中心に宿泊してもらう。価格は震災前の半額程度、1人1泊(朝食付き)5000~6000円に設定する。
 気仙沼湾から約200メートルの海沿いに位置するホテルは、地元の海産物やフカヒレを使った料理が自慢で、観光客に人気があった。震災時、津波は2階まで到達し、上階の客室に周辺住民約70人が避難した。
 市観光課によると、市内にあったホテルや旅館など88施設(収容約4400人)のうち、営業しているのは約4割の38施設。宿泊できる人数もほぼ半分の約2400人にとどまっている。
 市観光コンベンション協会の会長も務める斉藤徹ホテル一景閣会長(73)は「宿泊需要は依然高く、再開は急務。最低限の設備を整えるだけだが、先代がホテルを築いた場所に早くあかりをともしたい」と話している。
営業再開に向け工事が進むホテル一景閣。周辺は住宅や水産加工場の土台だけが残り、復興は進んでいない

2012年5月1日火曜日

舟を編む

「舟を編む」三浦しをん 光文社 を読みました。本屋大賞だそうです。


私はこの本屋大賞の選び方には少し疑問を持っていました。過去も何故この本が選ばれたか分からないというものが、いくつか有りました。もちろん私の感性がひねくれているのかも知れませんが。
でもこの本は、編集者の友人も良いと言っていたので、期待しない程度で読んでみました。

これは、大手総合出版社の玄武書房の辞書編集部の15年に渡る辞書「大渡海」の編纂の物語です。そして、その編纂に関わる人間の関係と、それぞれの15年を描いています。

辞書編纂という誰も手を付けていない分野を舞台にしたことが、私にとってとても新鮮でした。辞書というものはこんな工程で作られるのかという知的興奮を得られました。またそれが、現代においても、極めて人間的で気の遠くなる人海戦術でしか到達できないという世界を確認できて、とても共感する思いでした。

「言葉の達人でありながら、周りの人とのコミュニケーションに言葉を使いこなせていない」馬締光也をはじめ、登場人物は皆どこか不器用で、愛すべきキャラクターです。その各々の15年の成長物語でもあります。
そして言葉に関する拘りに多くのエピソードを割いています。
「辞書は言葉の海を渡る舟だ」という想いを込めて、名付けられた「大渡海」という辞書、
これには三浦しをん自身の言葉に関する拘りも込められているのでしょう。

この地味なコツコツとしか進まない題材、ある意味ドラマチックにはしづらい題材を、ここまで魅力的に描いた三浦しをんにも敬意を払います。

どう考えても物語的に完成するに決まっていると思って読んでいって、まったくヒネリも無く、そのとおり「大渡海」が完成したにも関わらず、私は感動しました。
ヒネリも無く、人生をかけてまじめに長い間続けることが、どれだけ素晴らしいことなのか。

この共同作業に感情移入もできますし、とても共感できました。
そして、自分の世代で完成を見るかどうか分からない大きなプロジェクトに、人々がここまで自分を捧げていることに素直に感動しました。

個人的には、熱い思いだけで安易に書籍を書いて、読み返そうともしていない自分に、反省もしました。

興味が有ったら読んでも良い本だと思います。
そして、読み終われば、間違いなく、すぐに手元の辞書を見たくなるはずです。