2013年9月30日月曜日

続けていくことが大事な時期

見せましょう野球の底力を!

これは、楽天イーグルスの選手、嶋基宏が、2011年4月2日に東日本大震災の復興支援のために行われた慈善試合の前にスピーチした際の言葉です。

自らも被災して、再開も危ぶまれたそれぞれのリーグ戦で、被災地のプロスポーツチームが勝ち続けることは、被災地にとても勇気を与えます。
あれだけ弱かった楽天イーグルスが今年優勝しました

また、ベガルタ仙台が昨年J1準優勝しました
これらの活躍は、被災地全体に勇気と元気を与えました。

今年のベガルタ仙台は、ACLの後遺症も残り、昨年ほどの結果を出していませんが、怪我人も戻りつつあり、ここのところ調子が戻ってきました。
9月中の試合では相手チームに1点も与えない鉄壁の守備が戻ってきました。
攻撃の得点は運による要素も大きいですが、守備は理屈の要素が大きいです。おそらくこれから大崩れすることは無いでしょうから、12月に向けて順位を上げてくるでしょう。

先週末28日はJ1首位の横浜Fマリノスとの試合がありました。
マリノスには近年負けていませんが、今年のマリノスは調子良いようです。
お互いに守備のブロックを作って堅く守り、隙を見て攻撃に移る形です。
90分間緊迫する試合で0対0の引き分けでした。
各々勝ち点1を分け合った試合で、とても見応えのある試合でした。
首位と引き分けたから良いとするか、首位に勝ち点を縮められなかったかと見るか、考えが分かれるところでしょう。

さて、そのマリノスの選手達が、その翌日に東松島市を訪問してサッカー教室を開いてくれました。

これらの被災地支援活動は、横浜Fマリノスだけではありません。仙台と対戦するたくさんのチームが、疲れているのに試合の翌日に被災地をまわってくれています。

憧れのプロサッカー選手が自分の地元に来てくれて、サッカーを教えてくれるのです。
あの中村俊輔が一緒にボールを蹴ってくれます。
仮設の子ども達も元気になります。

(私個人的には敵だけど・・・)
(いいんです。サッカーに関しては心が狭いんです)


東日本大震災後、サッカーに限らずスポーツによる被災地支援は、途切れること無く続いています。
ありがたいことです。
間違いなく、スポーツには大きな底力があります。

俊輔は「続けていくことが大事な時期」と話してくれたようです。

そうなんです。
被災地の人間はいつまでも甘ったれている訳ではありませんが、取り残されている人達もとても多いのです。
最近は報道も減りました。日本中の人達は被災地はもう問題ないと思っているでしょうね。ボランティアの皆さんも、やりきった感があるのかも知れません。

私自身はまったく問題ありません。
でも今がデリケートな時期である方々が確かにいます。


俊輔ありがとう。敵だけど・・・。




2013/9/30神奈川新聞

サッカーJ1の横浜F・マリノスの選手らが29日、東日本大震災で被災した宮城県東松島市を訪れ、子どもたちを対象にサッカー教室を開いた。

 東松島市との交流は震災直後の2011年5月29日から始まり、ことしで3年連続3度目。サッカー教室などで親睦を深めている。横浜F・マリノスはこのほかにも岩手県山田町の子どもたちを公式戦に招くなど、被災地支援を続けている。

 この日は幼稚園児と小学生192人が参加。児童の約半数が現在も仮設住宅で生活しているという。津波で大きな被害を受けた沿岸部の野蒜地区を拠点とする「NARUNO FC」の大槻陽平主将(11)は「いつもテレビで見ている選手とプレーでき、夢のようでした」と目を輝かせ、母の由季さん(41)も「私たちを忘れないで、来てくれることが本当にうれしい」と笑みを浮かべた。

 中村俊輔選手は「続けていくことが大事な時期」と話し、個人的にも被災地の支援活動に取り組んでいる中沢佑二選手は「来年は『優勝できました』と報告ができたらいいね」とうなずいた。





2013年9月27日金曜日

楽天イーグルス優勝!

あの楽天イーグルスが、そして我らが楽天イーグルスが、優勝しちゃいました。創設9年目でこんな日が来るとは思ってもいませんでした。

2005年に近鉄とオリックスの不要選手の寄せ集めからスタートした球団です。もしかしたら、「仙台ライブドア・フェニックス」になっていたかも知れないチームです。
初年度はプロ野球とは思えない程の弱さでした。
何と言っても、勝率2割8分1厘。
首位ソフトバンクから51.5ゲーム差、5位日ハムとでさえ25ゲーム差という前代未聞の弱いチームでした。

それでも私達のチームでした。
仙台にできたチームです。
怠慢プレーには怒りますが、負け試合だからと言って途中で帰ることは、決してありませんでした。
私達は皆、骨を拾ってやるつもりで最後まで見届けるファンでした。
だって自分の息子の野球試合を見に行ったら、負け試合でも最後まで見るでしょ。
それが私達のイーグルスでした。

自慢の選手の一人は、オリックスに吸収入団を拒否していた岩隈久志。
今はシアトル・マリナーズの岩隈です。
イーグルスの開幕投手でイーグルス史上初の勝利投手。
後に21勝する岩隈も初年度は9勝15敗。
ピッチャー一人ではどうにも勝てないチーム状態でした。

他には、オリックスから自由契約にされた山﨑武司。
私は山﨑武司のファンクラブに入っていて、2007年に打点王とホームラン王の2冠をとったときは、とても嬉しかった記憶があります。
なにせチームが弱いから、楽しみは個人記録でした。

後に嶋や田中まー君など、今の主力が育ってきて、チームらしくなってきました。

監督も、田尾、野村、ブラウン、星野と変わりました。

負け続けでも田尾監督がチームを率いている姿が嬉しかった。
野村監督には感謝以外ありません。
ブラウン監督個人は嫌いでは無いのですが、野村監督の後ではファンも戸惑ったようです。

実は星野監督については好きではありませんでした。
とても古いタイプのリーダーシップが、あの部下の掌握方法が、私には相容れないものです。
そして、どこのチームに行っても大型トレードなどで主力を集めます。
あれだけ選手を集めたら、田尾監督でも結果を出しただろうと思っていました。
私は今与えられた選手で結果を出すのが監督だと思っていました。

しかし、優勝してみて星野監督を改めて考えてみると、あのケチな楽天オーナーからも金を出させたのだから,星野監督は特別の才能があるのかも知れないと思い始めました。

星野監督の船出の2011年のオープン戦の時に東日本大震災が起こりました。
仙台のプロスポーツは野球もサッカーもバスケットもやっている場合ではなくなりました。
その中で良く復活したと思っています。

まあ、そんな分析をしている場合じゃ無いのです。
とにかく我らが楽天イーグルスが優勝したのです。

・・・しかし、優勝したらもっと嬉しいと思っていました。
自分でももっと盛り上がると思っていました。
でも、なんかしみじみ弱かったときのことを思い出しています。

だって本当に弱かったんだから。







2013年9月24日火曜日

訃報-赤間一秋 会員のご尊父様(奥様のお父様)ご逝去

赤間一秋会員(仙台支部)のご尊父様(奥様のお父様)が、22日ご逝去なさいました。
謹んでご冥福をお祈り致します。
なお、たった今連絡が入ったので、お知らせが遅くなったことをお詫びします。


<葬 儀>
日 時  平成25年9月24日(火)午後1時~
場 所 「仙台泉斎場 清月記」
     〒981-3133 宮城県仙台市泉区泉中央1-30-1
     電話 022-374-5777

<喪 主>
渡辺 祥江 様(赤間会員の奥様のお母様)

2013年9月23日月曜日

過去読んだ本達との再会

東日本大震災後、全国の皆さんのお陰で被災地各地の瓦礫は片付いてきました。
とにかく瓦礫を片付けないと、前向きな復興の工事すら始められないのです。

実は震災と一緒にするのはとても申し訳ないけれど、我が家の唯一復興から取り残されていた場所があります。そうです、書斎とも物置とも言われる私の部屋です。
夥しい書籍や貴重な資料(他人はガラクタと言うらしい)が2年半前に書棚と一緒に崩れてから、部屋に入ることができない状況でした。

震災半年後に、一度入ろうとして断念したことがあります。まあ、単に面倒だったからですが。
必要なものがあれば、その度にそれだけ捜すことにしようと決めて閉めました。
その後今日まで何も必要なかったということは、やはり世間の評判どおりガラクタだったのかも知れません。

さて、まとまった時間も取れなかったので放っておきましたが、さすがに部屋をいつまでもそのままにはしていられないので、この連休の2日間を使って突撃しました。
そこで私の人生で出会った40年分の様々な本に再会しました。

私の本の読み方は以前も書きましたが、趣味の本でも仕事の本でも、同じジャンルを集中的に読み尽くすような読み方をします。
山岡荘八をすべて読んだら半村良をすべて読むなどの読み方です。
学生時代、意味もわからず哲学書だけ半年読んだりしたこともありました。
そんな本にたくさん再会しました。

今思うと古今東西の興味深い本を人生の一瞬で読み終えたことが、勿体なかったかなと思います。一冊の本をじっくりと読むよりも、急いで次々と何でも読みたい年頃でした。
もちろん、読み返すよりも、次の本に向かっていました。
ですから今日整理した本で、とても面白かった印象は残っているのですが、内容を覚えていない本も多かったのです。

今も毎月何冊か新しい本を読んでいますが、実は「はずれ」も多いです。それなら、これからの人生、これら過去感銘を受けた本を読み直すのも良いなと思いました。もう一切新しい本を読まなくても、充分人生を過ごすことができる量の本がありましたし。





2013年9月20日金曜日

東日本大震災から2年半経った折立団地の今

先日2年半経った荒浜地区の写真を紹介しました
その日はあの折立地区にも行きました。

折立地区の被災は私達土地家屋調査士が正面からあたるべき被災地地図の問題を抱えていますので、私が定点観測的に訪問している地区です。
以前からブログにも何度か書かせて戴いています。
平成23年7月11日東日本大震災から4ヶ月

東日本大震災で団地の宅地の一部が地滑りで動きました。
2年半そのままだった土地を戻す為の工事がやっと始まりました。




上記2枚の写真は同じ場所の写真です。
上の写真は平成23年7月、下の写真は今回(9月11日)のものです。
建物は危険なので以前に取り壊されていましたが、土地も含めて工事が始まったのは、ごく最近です。
上の写真で右端に写っている車庫が、下の写真では中心に写っています。
この車庫の前が官民の境界でした。
また、どちらの写真でも見えている奥まで伸びている道路は、震災前はまっすぐの道路でした。
車庫の位置と道路の左側のラインで、震災によりどれだけずれたかが分かると思います。




上の写真2枚も2年前の7月と今回のものの対比です。
仙台市青葉区折立5丁目の6番の街区と7番の街区の間の道路を南から北に向かって撮影しています。昨年の震災報告会で「震災前は公図も現場も直線道路だったんですよ」と皆さんをご案内していた場所です。
今は周囲の建物を取り壊して道路を、以前のように直線の道路にするように工事しています。

この工事に至る前提の境界の相談は土地家屋調査士が担当しています。
震災による境界移動についての隘路は、後日この工事が技術的にも法的にも安定してから書きます。

*このブログを書いている今(9月20日午前2時25分)に福島で震度5強の地震が起きました。日本列島に住んでいる限り地震とうまく付き合うしかありませんね。



2013年9月18日水曜日

東日本大震災から2年半経った荒浜地区の今

9月11日で東日本大震災から2年半経ちました。
東京電力の福島原発の汚染水漏れ等々、この震災は終わった災害ではなく、現在進行形であることを再認識しなければならないはずです。
処理の仕方では震災は収束するのではなく、まだ拡散することさえ有るのです。
政治家は経済への影響等様々なバランスの中で判断するのでしょうが、金を握ったまま死んだら何にもならないということも、再認識して欲しいと思います。

さて、その原発地域以外の被災地についての報道は、かなり減りました。これだけ減っていれば、全国の皆さんはまさか政令指定都市の仙台市内が復興していないはずがないと思うでしょうね。

確かに仙台の中心部は他所から来た人が見れば、震災など何も無かったと思うでしょう。
さすがに2年半経てば中心部の経済活動は動き出しています。
しかし仙台市内でさえも、何も変わっていない地区はたくさんあります。

9月12日に金沢から来た友人と仙台市内の被災地を廻りました。
以下はその際の仙台市若林区「荒浜地区」の画像です。


荒浜小学校の遠景です。
東日本大震災被災後は、東宮城野小学校の一部を借りて授業をしています。
今は広い荒れ地に見えますが、震災までは小学校の周辺は住宅地でした。
瓦礫はもうありませんが、他の建造物も何もありません。


EGAOせんだい」と「IRODORI(彩)せんだい」のプロジェクトです。


 震災前の荒浜地区の残っている写真を地元の人の協力で集めて掲載しています。
これだけの生活があったことを改めて考えされられました。 


荒浜地区の残った防風林です。
向こうに見えるのは「東日本大震災の慰霊の碑と観音像」です。
この地区の東日本大震災における犠牲者190人の名前が刻んであります。
半年前の3月11日に三回忌の法要と観音像の開眼式を行いました。


荒浜地区のセブンイレブンです。仮設店舗です。
友人とアイスコーヒーを買いました。

仙台中心部から車で30分程。
他所から仙台に来ることがあれば、行ってみてください。







2013年9月17日火曜日

東日本大震災復興支援 被災三県打合せ会議

9月11日は東日本大震災から丁度2年半経過した日です。
その日に、日本土地家屋調査士会連合会(以下日調連)からの菅原副会長、石野社会事業部次長、鈴木泰介理事と、被災三会からは各会会長はじめ担当役員の各会3~4名の構成で、平成25年度 東日本大震災復興支援 被災三県打合せ会議」が宮城県土地家屋調査士会館で開催されました。

会議では、まず2年半という月命日にあたるということもあり、全員で黙祷から始まりました。
最初に、東北ブロック協議会会長としてお礼と報告をして、それから被災三県から各会の復興事業の状況を報告し、その後日調連から法務省との打合せの経過の報告がありました。
内容は被災における土地家屋調査士が担当する復興事業についてです。
被災地の地図をどうすべきか、そのためにはどのような段取りにすべきか、担当官庁や関連官庁に今どのように協議しているかということです。
これらについては今後の方向性と継続打合せの確認もできました。
昨年度に各組織間で上手くいかなかった連携を再確認できた会議でした。

また東日本大震災の記録誌の打合せもしました。
昨年の東日本大震災の報告会「被災地からの発信」を中心に記録をまとめる作業です。
被災地からのアーカイヴとして何らかの記録を残そうというものです。
被災地では、なかなか時間が無いところですが、これは被災地の義務だと感じております。

その後、日調連から今年の社会事業部の重点事業である国土調査法第19条5項指定の件について説明がありました。
この法律の趣旨がもともと大規模な測量を想定しているので、手続等で不便なところがあるのですが、工夫次第で新しい地図の作り方が開けるかも知れません。

今回の会議では、様々な意見が出ましたが、私達の意気込みだけでは何もできません。
行政だけでも何もできません。
政府も変わりました。
日調連も変わりました。
政治と行政と日調連と被災単位会が「復興業務は被災地のため」という強い意識があれば、必ず良い流れになると思います。
政府も含め各組織に強いリーダーシップが求められます




2013年9月11日水曜日

近江商人に学ぶ

近江商人の「三方良し」
これは滋賀県土地家屋調査士会の元会長加古先生から教えて戴いたお話しです。

近江商人の商いは
まず「売り手に良し」
次に「買い手に良し」
そして「世間に良し」

売り手だけが良かったという取引ではダメ。
お客様からも良かったと言ってもらえる取引でなければなりません。
その上で、その取引が世間にも良くなければならないのです。

最近は日本でも「自分だけ良ければ」という商売が目に付きます。
期限切れの商品の日付を変えたり、強度不足の建築設計をやったり、お客様の命さえどうなっても良いという商売があります。
困ったものです。

私達土地家屋調査士の仕事を振り返ると、まさに公共性を持つ仕事であるので、特にこの最後の「世間に良し」を肝に銘じて仕事をしなければならないと思っています。

この「近江商人の三方良し」は、私の新人研修でもお伝えしている言葉です。

さて話変わって、ご存じのとおり私はApple信者です。
毎年Apple製品を、とりあえずお布施のように買い続けることが最低のミッションです。
その信者の楽しみは、年に2~3回ある発表会という名の布教活動です。
今朝11日未明の午前2時、そのApple教のミサが開催されると言うことでした。
今回のミサでは、あのdocomoもついにApple教に転ぶという報道も有りました。
私は聖地クパチーノ方向に向かって正座して、そのお告げを待つつもりでした。

そんな日の前日10日の18時頃に私のau iPhone に電話が来ました。

au「もしもし、こちらauですが、お客様にとって、とてもお得な携帯プランがあるんですが・・・。数分お時間よろしかったですか?」

私「(よろしかったって過去形?)。今、このタイミングの提案ですか。私はiPhoneについて今晩の発表を待つつもりですが」

au「えっ?」

私「今晩2時からの発表会で新しいiPhone5sを見て、それから通信各社の乗り換えプランの発表を待つつもりです。auにそれほど電波の優位性が見られないし」

au「そうなんですか・・・」

この電話のアルバイト君は本当に知らないかもしれません。
しかし会社として、新型iPhoneとdocomo参入の発表の8時間前に、新しい縛りをかけようというのはフェアでは無いと思います。
この電話による提案は、auにとって「とてもお得な提案」であり、断じてお客様にとって「お得」な提案では無いはずです。
せめて発表の報道があった1ヶ月前程度の電話なら大目に見ますが。

通信会社のサバイバルがかかっていることは充分に理解できます。
しかしお客様に対する誠実さを失ったらサバイバルはできないと思います。

この電話を指示した会社の上司(と、我が業界の一部)は近江商人に学ぶべきだと思います。




2013年9月10日火曜日

ブログ更新が滞っています m(_ _)m

以前は毎日更新していた私のブログですが、ここのところ更新の頻度が減っています。
「毎日チェックしているよ」とお伺いすることも多いので、申し訳なく思っております。
「鈴木もネタが無くなったか」とお思いの方もいらっしゃるでしょうね。
いえいえ、そんなに推敲に推敲を重ねた重いブログでもなく、思っていることを書き連ねているだけなので、ネタはいくらでもあります。
文具ブログでよろしければ、おそらく毎日書くネタがあります。

ただ申し訳ないのですが、ここのところイベントや会議が多く、イベント等が多ければ書くネタには困りませんが、その分時間が無くなっております。
イベント等が多くても、自分の仕事は土日や深夜までの365日24時間をフルに使ってこなしています。私個人のお客様に迷惑をかけられないので、これは当然のことになります。
ちなみに私個人の意見ですが、「役員は実務現場の最先端にいなければ会員指導は曖昧なものになる」と思っています。ですから「会長をしているから・・・」は誰に対する言い訳にもならないと思っています。

また、まだ発表できないけれど、来年発刊予定の新刊書も締め切りを気にしながら並行して書いています。
そんな訳で、今はブログを書く20分〜30分の時間の捻出が難しい状況です。

9月のブログネタになりそうなイベント等を書いてみましょう。
・東北ブロック協議会事務引き継ぎ
・仙台法務局と筆界特定及びADRの連携打合せ
・境界鑑定委員会
・広報部会
・支部長会
・常任理事会
・日調連と被災三会打合せ会
・全国ブロック長会同
・黄綬褒章祝賀会
・東北ブロック理事会
既に終わったり、これから決まっている9月の会議がこれだけありますね。

それに
・東京オリンピック決定
・ベガルタ仙台天皇杯参戦
・ベガルタ仙台リーグ戦展望
・楽天イーグルス優勝への道
こんなネタは書きたいですね。

また
毎日のように個人的に来る相談についても一般論的なものについては書きたいし、
図面描きながら聴いている桂枝雀全集についても書きたいし、
今晩深夜に発表されるはずのAppleの新製品についても書きたいし、
当然文具についても書きたいネタが溜まっています。

少しペースが落ちるかも知れませんが書き続けますので、懲りずにまたご覧ください。




2013年9月6日金曜日

タイムストッパーを知っていますか

スーパージェッター、大好きなテレビドラマでした。
ジェッターは、30世紀の未来から来たタイムパトロール隊員です。
悪者ジャガーをタイムマシン(流星号)で時空間追跡中に衝突してしまい、20世紀に落ちてしまいました。その際に流星号の時空航行機能が故障してしまい、30世紀に戻ることができなくなったジェッターは、20世紀の世界で国際科学捜査局に協力することになります。

私はマッハ15で空を飛ぶ流星号も大好きでしたが、やはりタイムストッパーに憧れていました。あのスーパージェッターが腕に装着していた時計型のスーパーギアです。
(ちなみに私の大学生時代に買った初めての車を流星号と名付けていました)

タイムストッパーは流星号を呼び出すための通信機能を持っていました。竜頭部分がアンテナになっていて、それを引っ張り出して、話しかけます。
音声を電波を飛ばし、流星号の電子脳がジェッターの言葉を音声認識で命令コマンドに置き換えるのです。憧れです。何しろ携帯電話が身近になるなんて誰も考えてもいない時代ですから。
この竜頭を引っ張っていかにも通信しているぞ感が、とてもカッケーものでした。
タイムストッパーの一番の機能は自分以外の世界の時間を30秒間止めるというもの。水戸黄門の印籠のように、ここ一番に使う機能です。

当時タイムストッパーがマルミヤのふりかけの景品になりました。
私は当然母親にふりかけをせがんで、応募して当たったときの興奮は今でも覚えています。
学校から帰ったのに、左腕に付けてまた小学校に戻って、竜頭を引っ張り「流星号、応答せよ、流星号」と呼びかけたものでした。

私も大人になって、時計は機械式に限ると言いながらも、実は心の底ではタイムストッパーが欲しいと今でも思っていたのです。

さて、9月4日にサムスンがGALAXY Gearを発表しました。
そして時を同じくしてクアルコムがQualcomm Toqを発表しました。
それらはスマートウォッチというジャンルです。
どちらも時計と言うより、時計型の情報端末ですね。
両者には若干機能が違うようですが、モバイル端末との連携ができ、電話の着信やメッセージ、スケジュール通知や音楽プレイヤー等々、前者はカメラ、歩数計まで付いているようですし、時計に話しかけて連携しているモバイル端末の情報を表示させることができるとのこと。

そうです。時計に話しかけるんですよ。
タイムストッパーぽいですね。
これは私のために開発してくれたのでしょう。
会長をやっている場合では無くなってきました。

即買いでしょうか。
いやいや、まだまだタイムストッパーほど格好良くないのです。
腕時計もタイムストッパーも格好良くなければなりません。
スペックだけではない、ここがウエラブル端末の難しいところでしょうね。

ということで、やはりアップルの出番を待つべきでしょうね。
開発中と言われているiWatchならもっと美しいスタイルになるでしょう。
そしてアップルならどんな機能があるのでしょうね。
願わくは時間を止める機能を付けて欲しいです。10秒で良いですから。




2013年9月5日木曜日

飛んで火に入る夏の虫

近年の日本の異常気象は収まらず、異常ではなくて通常になってしまうのでしょうか。
今日も各地で荒れた天気になったようです。

確実な天気予報も期待できない昨今では、本当に半日後の天気も分かりません。
先が読めないと、私達の業界では現場の段取りが困りますね。
しかし、今日の西日本のような災害に直結する程の天候では無理でしょうが、ちょっとの雨程度で現場を躊躇していたら、次いつ行くことができるか分かりません。

今日行きたい現場は、比較的短時間で終わる建物の調査だったので、雨でも当然に現場に行きました。
私、基本的に晴れ男でして、今日も現場に着いて調査する時間だけ晴れました。
「超ラッキー」と思いましたが、実は落とし穴がありました。

雨上がりの建物の裏の草むらで、何カ所も蚊に刺されました。
分かっていたのです。雨上がりの蒸し暑いあの草むらで、飛んでいる蚊も見えていました。蚊達にとっては最高のシチュエーションだったのでしょう。
しかし、私は入るしかありません。虫除けスプレーを持ってきませんでしたが、所詮蚊ですし。スズメバチでもないし・・・。

蚊程度で大袈裟な振る舞いはできません。大人ですから。
でも痒いものは痒いです。
液体ムヒを使ってみましたが、効きません。体質かもしれません。
2,3日我慢です。痒み止めで良い薬は無いものですかね。

今日は「飛んで火に入る夏の虫」と、夏の虫が思ったでしょうね。


2013年9月3日火曜日

三遊亭竜楽独演会

本日は三遊亭竜楽師匠の独演会に行ってきました。

竜楽師匠の独演会を聞くのは今日で2回目です。
5代目三遊亭圓楽の弟子で、最近は7カ国語落語でも知られています。

演目は、まず「ふぐ鍋」でした。いわゆる滑稽話ですね。
今日は最初から演目を決めずに始めて、客席の様子を見ながら演目を決めたようです。
最初の枕を聞いていると、どうも怪談話に持っていくはずと思いましたが、観客の様子で急遽変えたように見えました。さすがです。

そしてその後は、人情噺の「浜野矩随」でした。
とても素晴らしい芸でした。

この噺の浜野矩随は江戸後期の実在の彫金家です。その彼が先代と比べられながら、どのように名人になったかという噺です。
古くは志ん生、近年では圓楽、志の輔でしょうが、私は圓楽のものは聞いていません。
矩随の母親は、立川志の輔の噺では一命を取り留めるのですが、圓楽も含めて主流は母親が絶命する噺になります。今日の竜楽師匠の話でも、母親は絶命します。この噺の母親の絶命のくだりは、私にはどうも違和感があります。この違和感は私だけでは無いと思います。おそらく昔の信心と現代の私達の感性がかなり違っているからでしょう。
この違和感をどこまで感じなく受け容れさせるかが、噺家の腕でしょう。
そういう意味では、今日の竜楽師匠の噺はとても良かったと思います。

竜楽師匠の芸を見ていると、物事に対する向き不向きを改めて考えさせられます。
師匠は顔立ちも芸もとてもまじめな方です。
近年コメディ芸人から落語家になる人達も多くなりましたが、師匠はまったく雰囲気が違います。着物を着ていなければとても落語家とは思えない雰囲気です。昔は噺家には向いていないと言われたそうです。
だからこそ、キャラに頼らない稽古の積み上げの芸がそこにあります。

7カ国落語で世界をまわっている人です。
通訳無しで現地語で落語をしています。
日本語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、英語、ポルトガル語、フランス語ですよ。凄いですね。もともと外国語に堪能だった訳でも無いようです。日常会話ができる訳でも無く、努力で現地語落語を完成させたそうです。

面白い個性の人が必ずしも噺家で大成するとは限りません。
むしろ努力できる人が噺家として大成するのでしょう。
物事の向き不向きは、皆そうなのかも知れません。






2013年9月2日月曜日

公嘱協会通常総会での祝辞

以前も書きましたが、総会等にお招き戴いた際の来賓の挨拶はとても苦手です。
会長も3期目、5年目に入りましたが、まだまだ慣れません。
研修会なら何時間でも話し続けることができるのですが、どうしても挨拶は慣れませんね。

何故かと言うと、研修会は私の個性でお話しができますが、総会等のオフィシャルな挨拶は、必ず守らなければならないルールが有るからでしょう。
自己紹介、お招き戴いたお礼、表彰受賞者への祝辞、組織同士のご挨拶、調査士会の活動紹介、お祝いの結び等々・・外せないフレーズが、いくつか有ります。

これから何か落とすととても失礼になります。ここが緊張するところです。

それでも他の組織での挨拶は、あまりお会いしていない人達が多いので、現在の土地家屋調査士会の方向性をお話ししたりすることで、とりあえずクリアできます。
実際に総会で来賓の挨拶を楽しみにしている人は、おそらく一人もいないはずですし。
しかし、そうは言っても、誰も聞いていないからとあまり適当な挨拶だと、私だけでなく宮城の土地家屋調査士全体が馬鹿にされます。そんなことを考えて挨拶を作ります。

一番難しいのは身内の総会の挨拶です。

来賓の祝辞なのに、あまり自説を述べるのも控えるべきです。とは言っても、いつも会っている人達の前で、改まって定型的なフレーズだけをお話しするのも今ひとつです。
やはり無難なメッセージも入れるべきだと思っています。

そんな中、先週8月30日「公益社団法人 宮城県公共嘱託登記土地家屋調査士協会」の通常総会が開催されました。
協会の総会の祝辞も5回目ですね。毎回同じようになってしまうのも、どうでしょうか。
さて、そんなことで苦しみながら、こんな祝辞を述べました。

それにしても、そろそろ挨拶ネタにも困っているので、次の会長にお願いします。

 (前略)
 東日本大震災からの復興事業や公益法人制度改革、入札制度等、貴協会を取り巻く環境は一層厳しくなって来ました。それにもかかわらず、貴協会は前向きな姿勢を崩さずに、公益社団法人に移行され、東日本大震災からの復興事業の困難な業務にも積極的に取り組み成果を上げていることや、通常の嘱託事件においても役員はじめ社員の皆様が真摯にご努力されている姿勢に心から敬意を表します。

 さて、東北が東日本大震災に全勢力を振り絞っている間にも、日本の制度や産業経済は世界のうねりの中で変化を余儀なくされています。
それに伴う規制緩和や資格制度改革の更なる変化も、まだ先のことと傍観はできる余裕は無く、待ったなしの対応を求めています。
このような時代の専門資格者は、制度を後追いすることは許されません。常に最先端に位置し、実践していなければ、国民の皆様のお役に立てません。

宮城県土地家屋調査士会も情報の伝達や研修等に工夫をして、この時代に即応していくつもりです。

 貴協会についても、社員の皆様が自己研鑽を重ね、専門資格者としての能力向上をはかり、委託者の一層の信頼を得ることが業務拡大の王道と考えますが、そのために調査士会もできる限りのご協力をさせていただきたいと考えております。

 貴協会と土地家屋調査士会は良好で機能的なパートナーシップを築いて現在に至っております。そして、このような関係は積極的に協力・協調して共に制度の発展を図ろうとする双方の強い意志の表れと認識しております。今後、意思の疎通を更に密なものにし、より一層良好なパートナーシップを築くことを希望いたします。
(後略)