あの楽天イーグルスが、そして我らが楽天イーグルスが、優勝しちゃいました。創設9年目でこんな日が来るとは思ってもいませんでした。
2005年に近鉄とオリックスの不要選手の寄せ集めからスタートした球団です。もしかしたら、「仙台ライブドア・フェニックス」になっていたかも知れないチームです。
初年度はプロ野球とは思えない程の弱さでした。
何と言っても、勝率2割8分1厘。
首位ソフトバンクから51.5ゲーム差、5位日ハムとでさえ25ゲーム差という前代未聞の弱いチームでした。
それでも私達のチームでした。
仙台にできたチームです。
怠慢プレーには怒りますが、負け試合だからと言って途中で帰ることは、決してありませんでした。
私達は皆、骨を拾ってやるつもりで最後まで見届けるファンでした。
だって自分の息子の野球試合を見に行ったら、負け試合でも最後まで見るでしょ。
それが私達のイーグルスでした。
自慢の選手の一人は、オリックスに吸収入団を拒否していた岩隈久志。
今はシアトル・マリナーズの岩隈です。
イーグルスの開幕投手でイーグルス史上初の勝利投手。
後に21勝する岩隈も初年度は9勝15敗。
ピッチャー一人ではどうにも勝てないチーム状態でした。
他には、オリックスから自由契約にされた山﨑武司。
私は山﨑武司のファンクラブに入っていて、2007年に打点王とホームラン王の2冠をとったときは、とても嬉しかった記憶があります。
なにせチームが弱いから、楽しみは個人記録でした。
後に嶋や田中まー君など、今の主力が育ってきて、チームらしくなってきました。
監督も、田尾、野村、ブラウン、星野と変わりました。
負け続けでも田尾監督がチームを率いている姿が嬉しかった。
野村監督には感謝以外ありません。
ブラウン監督個人は嫌いでは無いのですが、野村監督の後ではファンも戸惑ったようです。
実は星野監督については好きではありませんでした。
とても古いタイプのリーダーシップが、あの部下の掌握方法が、私には相容れないものです。
そして、どこのチームに行っても大型トレードなどで主力を集めます。
あれだけ選手を集めたら、田尾監督でも結果を出しただろうと思っていました。
私は今与えられた選手で結果を出すのが監督だと思っていました。
しかし、優勝してみて星野監督を改めて考えてみると、あのケチな楽天オーナーからも金を出させたのだから,星野監督は特別の才能があるのかも知れないと思い始めました。
星野監督の船出の2011年のオープン戦の時に東日本大震災が起こりました。
仙台のプロスポーツは野球もサッカーもバスケットもやっている場合ではなくなりました。
その中で良く復活したと思っています。
まあ、そんな分析をしている場合じゃ無いのです。
とにかく我らが楽天イーグルスが優勝したのです。
・・・しかし、優勝したらもっと嬉しいと思っていました。
自分でももっと盛り上がると思っていました。
でも、なんかしみじみ弱かったときのことを思い出しています。
だって本当に弱かったんだから。