2017年10月30日月曜日

ブレードランナー2049

「ブレードランナー2049」


1982年制作の映画「ブレードランナー」の続編です。
35年前の映画のリメイクでなければ、オマージュでもなく、本当に続編です。

好きな映画の続編を観ることは怖いのです。
同窓会で好きだった子に会うような。
観たいような観たくないような。
でも結局観ないわけにはいかないのです。

ブレードランナー(前作)は1982年(35年前)の映画です。
有名なSF映画で、ここで紹介するまでもないのかも知れませんが、さすがに35年前の映画ですから、一応書いておきます。
この映画は、たとえばスター・ウォーズやETなどのアッケラカンとしたSFと違って、世界観が暗く、映画自体もわかりづらくできていたので、好き嫌いに分かれるようです。

舞台は2019年のロサンゼルス。(なんと2年後?)
環境破壊により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は酸性雨が降りしきる無国籍文化の雑然とした都市で生活している。過酷な宇宙開発の労働は、遺伝子工学の成果であるレプリカントと呼ばれる人造人間を従事させていた。レプリカントは人間と見分けが難しく、数年経つと感情が芽生え、人間に反抗する事例があったので、安全装置として寿命を4年と設定されている。
しかし、それでもレプリカントが脱走し地球に逃れる事件が多発するので、そのレプリカントを始末(解任)する警察の担当者がブレードランナーである。
事件が起きた。ブレードランナーを退職していたデッカードが呼び出された。
デッカードは情報を得るためレプリカントの開発者であるタイレル博士と面会し、彼の秘書のレイチェルもレプリカントであることを見抜く。
レイチェル自身はレプリカントである認識がなく、アイデンティティが揺さぶられる。そんなレイチェルにデッカードは惹かれていく。

これが前作、この前作の描く世界観は全世界に衝撃を与えました。未来は単純に明るいわけではなく混沌としていて、それまでの他の映画で描く未来とはまったく違う未来の映像が続きます。それでいて妙にリアリティがあるもので、その後のSF映画などに多くの影響を与えたものです。

この映画では、丁寧な説明は省かれていて、なおかつ謎のまま終わらせた要素も多く、テーマの深さに加え、映画を観た後にすっきりしない気持ちがたくさん残る映画でした。
だからこそ、これらの謎について、カルト的ファンの間で35年間の議論が続いています。

これらの前作の世界観を踏まえて、前作の30年後の世界を描き、カルト的熱狂ファンも満足させる続編を創るのは最初からとても難しいものだと思われました。

では、今回の続編は何を描いたのでしょうか、

2049年、ブレードランナー「K」は、ある事件の捜査中に、人類とレプリカントの間に存在する不安定な秩序を揺るがす大きな謎にあたる。どうも、レプリカント開発のウォレス社に巨大な陰謀があるらしい。謎を解明しようと行動する中で「K」自身のアイデンティティがわからなくなる。その過程で、この謎の鍵となる男にたどり着く。
30年間行方不明になっていたブレードランナー、デッカードだった。
彼は何を知って、何を守り続けてきたのか。

前作の世界観を壊さずに、前作の謎に答えながら、情感溢れる素晴らしい映画に仕上げています。

AI登載のホームオートメーションシステムの「ジョイ」が「K」の恋人です。「ジョイ」はキュートな女性の姿をしたホログラフィーで現れるが、自らの意思も感情も持っています。
そのAIである「ジョイ」や、前作のレイチェルや今作の「K」を含めたレプリカント達のアイデンティティを表現することで、この2作の映画は「人間とはなんなのか」「何を持って人間とするのか」を提示しています。

確かにテーマもストーリーも難しいかも知れないけれど、今作は前作のカルト的な趣は残しながらも、アクションもあり、涙もあり、前作の謎を回収していて、むしろわかりやすくなりました。

ネタバレしないで、この映画の本当の面白さを伝えるのは難しいのです。
だから、観て欲しいです。
前作を観ていないなら、できれば前作を観てからにしてください。
それが無理なら、今作を観た後でも前作を観てください。
ストーリーや世界観がわかるだけでなく、今作の底に流れる情感が理解しやすくなるでしょう。

私は初日から二日続けて観てしまいました。

それにしても「ジョイ」、かわいいね。
彼女に会えるなら、あと30年待っていようか。



2017年10月22日日曜日

ポジティブにやめること

このブログで、何回かにわたり、人生の分岐点で私が決断する方法をお伝えしてきました。
「迷ったらやる」    2010年7月27日
「15分で結論を出す」 2010年5月25日
などです。

私は、人生で迷う時間がもったいないと考えています。
迷うという場合、実は最初から話にならない選択肢は入っていないはずです。
だから、どちらを選んだとしても、その結果は想定内のはずです。最初からどちらもリスクを含めて理解しているはずですから。
だから、迷ったら「やる」と決めています。その方が後から納得できるのです。
「やって」失敗した場合、「ああ、馬鹿だった。」と反省すれば良いのです。自分のやった事なので、それが重い決断だったとしても、意外と笑えたりしますし、その失敗に納得ができるのです。
すくなくとも経験値が増えるので、その反省を糧に次には納得できる結果を望める可能性もあります。
もし「やらない」と決めて、本当にやらなかった場合、後日「あの時にやっていれば良かった。」という反省が残ります。その反省は決して取り返しがつかないので、後悔だけが残ります。

だから、大抵の問題も15分でも答えが出せるのです。
「15分で答えが出せないものは自分の能力の範疇ではない。」という考え方でもあります。その場合は、さっさと他の方にお願いすることです。
それでも私は、「自分の引き出しから答えが出るものしか、世の中から課題は与えられない。」とも思っています。何でも知っているという意味ではないのです。
「あの人に尋ねれば答えが出る。」という判断も一つの答えです。また「あの本を調べれば答えが出る。」という判断も一つの答えです。
 そう考えると、15分で答えが出ないということは、「自分で選択したくない(やりたくない)結論になるのが目に見えているので先送りしている。」と言うだけで、実は答えは出ていることが多いと思います。


さて、後輩の皆さんから「私の話やブログを通じてポジティブな気持ちになった」という嬉しいメッセージもいただきます。
最近、それに加えて、その人達に伝えたいことがあります。

「ポジティブにやめること」です。

何かを始めて、道を誤ったと感じても、やめられない人がいます。
趣味でも仕事でも、何かを始めたら、そこから撤退することがネガティブに感じるのでしょう。
「やる」という行動にはポジティブなイメージがあり、「やめる」という行動にはどこかネガティブなイメージがつきまといます。
または、単に世間体を考えているだけなのかも知れません。

物事は途中でやめて良いのです。
合わないのなら、むしろさっさとやめることです。

だからこそ、やるときは中途半端ではなく、人生をかけてやるべきです。
中途半端な行動で「自分に言い訳の余地」を残してはいけません。その自分への言い訳の余地のために人生を誤りますから。
一生懸命にやって、自分の人生で「もう良い」という答えがでたら、堂々とやめれば良いのです。世間はあなたのことをそれほど考えていません。

「これだけ投資したから、やめるのはもったいない」という人がいます。
趣味でも仕事でも、そこまで投資しなければ、それを続ける価値があるか、わからなかったかも知れません。だから投資には意味があったのです。

実際、もったいないのは人生の時間の方です。
次の人生のためにポジティブに撤退するのです。

「やめるかどうかの迷い」の場合、「迷ったらやる」の進む行動は「やめる」になります。




2017年10月17日火曜日

ブログ更新していないのは余裕が無いだけです

ここ2週間ほどブログ更新できていません。
Facebookでも、ほぼ反応していませんでした。

ある方から、鈴木は病気か、死んだか、とご心配いただいて、ご連絡をちょうだい致しました。
大変申し訳ありませんが(大変残念かも知れませんが)死んでいません。
忙しいだけです。
書きたいネタはたくさんあります。
特に文具ネタは結構たまっています。
まもなく更新しますので、よろしくお願いいたします。

 m(_ _)m

2017年10月3日火曜日

何も理解しないで行動しても未来はない。どんなに理解していても行動しなければ未来はない

私は、地元の研修会を企画する立場と、全国の研修会に講師で伺う立場と、どちらも長年経験しています。その経験の中で、研修会についてとても感じていることがあります。

このブログでも何度も似た話をしていますが、私達の業界の研修会は教養研修ではありません。今若しくは近い将来に必要な知識や考え方を学ぶところです。
そして受講したら、それらを身に付けるためにもすぐに行動すべきものです。

そういう視点で業界を見れば、専門知識に「もう、これで良い」という究極の知識は存在せず、一つを学べば次々と身に付けるべき課題が果てしなく現れてくるはずです。
これらを独学で身に付けることは、時間的にも経済的にもとても大変なので、組織で効率よく学ぶ機会を作るのが研修会です。

世の中は急速に動いています。5年後も10年後も日本の専門家でいたいのなら、急流の先を見ながら、たえず泳ぎ続けなければなりません。
急流の方向を見定めることと、泳ぎをやめないことの、どちらかでも止めると溺れることになります。

まずは目指すべき「グランドデザイン」「目標」があり、
そしてその目標に対して、現在の我々に何が不足しているか「検証」し、
その目標に不足している能力を身に付ける「手段」が研修です。
研修会は「目的」ではないのです。

ですから、研修担当者が何を企画して良いかが分からなかったら、その方は業界の今後に目標が無い人なのでしょう。
また、受講者が研修会を受講して「良い研修を聴いた」と満足して動かなかったら、やはりその方も自分の事務所は関係ないと思っている方なのかも知れません。

私の研修会のリピーターが「先生、今日受講して、目から鱗が落ちました」と言ってくださることがあります。リピートしてくれるのは正直嬉しいですが、「あなたは何枚鱗があるのですか?」と聞きたくなることがあります(笑)。

忙しいのは分かります。
私達のような資格者の事務所は、忙しくなければおかしいのです。
皆さんも忙しい事務所を目指してきたのでしょう。
だから、忙しい時間調整の中で、行動するしかないのです。

研修会で何か感じることがあれば、身に付けるために、すぐに動きましょう。
皆さんのお客様と事務所経営のためになるはずですから。


何も理解しないで行動しても未来はない
どんなに理解していても行動しなければ未来はない


以下3年前に書いたブログです。

「Next Innovation」2014年11月27日木曜日

週末は岡山に行って来ました。
第11回全国青年土地家屋調査士大会in岡山参加し、なおかつ基調講演とパネルディスカッションのパネラーをさせて戴きました。
基調講演でリクエストを戴いたテーマは「Next Innovation」




'innovation' 改革、革新語感としても格好良いですね。
では何のどの部分をどのようにイノベーションするのでしょうか。
そこをしっかりと考えずに安易にイノベーションと言うのなら、目的と手段を取り違えていることになります。
イノベーションそのものが目的ではありません。
グランドデザインを想定して、その上で現実を把握分析して、そのギャップを埋めるために戦略・戦術を共有しながらイノベーションするのです。
イノベーションは手段です。

まずは簡単にイノベーションと言わずに、まず過去から現在までの状況を調査し、分析し、理解します。そこにどんな問題があるのかを考えます。
歴史に淘汰されて来たやり方には何らかの意味が有るはずですから。
まずはそこをしっかりと理解しなければなりません。
その上でのイノベーションでしょう。

そして世界の潮流がどんなメカニズムでどのように動いているのか、それを理解しないで自分たちの勝手な正義を振り回しても、変化する世界に対する現実的な対応になりません。



それらを理解した上で、更に適切に行動しなければイノベーションにはなりません。
居酒屋で改革を一晩語っても何も変わりません。

ドラスティックな改革も揺り戻しが多いものです。
それでは自分が気持ちよいだけで、本当の改革にならないことになります。
自分が改革の旗手になるという名前を残したいと思うから性急な行動になるのでしょう。
それは改革の旗手になることが目的になっているからです。

目的と手段
グランドデザインと戦略・戦術
理解と行動

それらを再度確認した上で、具体的各論をお伝えしたつもりです。
次の世代を担う青年達には特に「目的と手段を取り違えない」ように願っています。