2012年11月8日木曜日

調整役に思う

世の中には、調整役という役割があります。

ある組織やコミュニティで意見がまとまらなくなり膠着状態になりそうなときに、それぞれの利害関係者の意見や事情を理解し、その間に入り調整し、再度議論を進める大事な役だと思っています。
表立った争いを好まない日本の文化には、特に必要な役なのでしょう。

たとえば、調整役は議論でも勝ち負けを作らないで物事をまとめる役ですから、ある意味我々のADRと同じ機能であると理解しています。

ですからこの調整役を全うする為には、調整すべき複数の対立者の立場や意見をすべて理解して、調整を始めないと無理だと思っています。

調整役の一番の能力は、ADRと同じで、その人の意見がどんな背景から出ているのか、そこまで理解する能力を要求されます。
誰も自分の意見を理解できていない人から調整されるつもりは無いからです。

ですから、すべての個人的な意見や立場を理解する能力が、調整役の最低の能力です。
その後、各対立者に得心させる能力も必要です。ここもADRの能力に近いものでしょう。

日本の自称調整役にはこれらの能力を有しない人が多く、とても残念です。
むしろしっかりした自分の意見が無い人が、自分の居場所を相談役という無難な?役に求めるようにも見えます。
逆に自己顕示欲の高い、ある意味自分が主役になりたい人が調整役を始めると、それは調整ではなく、結局自分の立場を押し付けることになります。
どちらにしてもそんな人たちが動くと、結局調整できないか、一時的に調整できたように見えて、後から覆されることが多いですね。
しっかりした理論としっかりした人間力を持った調整役が欲しいものです。

被災地のコミュニティには本当の調整役が各地にいます。勉強になりますよ。

余談ですが、私は各種会議においては、安易に調整役が出てはいけないと思っています。
会議は意見を述べ合う場です。
ろくに議論もしないうちに調整を始める人がいる組織には違和感を持ちます。
もっともその前に、調整役が欲しくなる程しっかりした議論を闘わす構成員も必要ですが。