2014年12月31日水曜日

柳沢敦とオフ・ザ・ボール

柳沢敦が引退した。
日本で不世出のフォワードである柳沢の引退を我がベガルタ仙台で見ることができたのは、ある意味幸せと感じている。

サッカー好きの間で、日本の歴代トップのフォワードが誰であるかという問いがあれば、意見が分かれると思う。
キングカズ、釜本、高原、ゴン中山、ドラゴン久保......
この問いなら、柳沢の名前は挙がらないかも知れない。

しかし、「オフ・ザ・ボールの動き」でその後の日本のスタイルに影響を与えたフォワードとして、日本のサッカー史にその名を残す選手だと思う。
「点を取るだけがフォワードの仕事じゃない」という彼のスタイルは往々にして誤解されやすい。
逆にフォワードとして点も取って見せないと、このスタイルも受け容れられにくい。だから柳沢は観客から批判を受けることも多かった。

それでもサッカー界では高く評価され、日本代表としてキャリアも長く、日韓およびドイツの2回のワールドカップを経験している選手である。

鹿島アントラーズから、イタリアセリエAのサンプドリア、メッシーナ、京都サンガを経てベガルタ仙台に来たのは彼のピークが過ぎた2011年であった。
仙台在籍4年間で先発は少ない。その間リーグ戦で取った得点は7点。多くはない。

サッカーにおけるオフ・ザ・ボールの動きとは、プレーヤーがボールを持っていない局面で、ボールの予測をして如何に動くかということである。
試合全体と味方も相手も含む全選手の動きを理解して、ボールが来る前の動きで試合をコントロールするのである。
たとえば、味方のボランチが相手からボールを奪取した瞬間に、味方のシュートコースを作るためにいわゆるダイアゴナルランをして相手ディフェンダーを混乱させるとか、柳沢はとても上手かった。

このようにオフ・ザ・ボールで言う「プレーヤーがボールを持っていない局面」というのは試合中のことを言うであるが、柳沢の場合、試合以外の広義の「オフ・ザ・ボール(ピッチ)」の動きも素晴らしかった。

ベンチ入りをしても試合に出られない日も多かったが、練習から絶対に手を抜かない。僅かな時間の出場でも全力でプレーを見せる。仙台のチームに与えた影響はとても大きかったと思う。

また彼が移籍してきた2011年は、仙台にとって東北にとってとても大きな意味を持つ年だ。ホーム開幕を翌日に控えた3月11日に東日本大震災が来た。
あの被災の中、Jリーグがいつ再開できるか分からなくなり、多くの選手がそれぞれの地元に帰ったが、柳沢は残ってボランティアをしていた。
それも柳沢と名乗らずに、ボランティアセンターに並んで1個人としてボランティアをしていたようだ。とてもありがたく、頭が下がる姿勢である。

柳沢の最後のゴールは、11月2日のガンバ大阪戦での終了間際の同点弾である。
17年連続ゴールという本人が持つJリーグ歴代記録の更新をしたゴールでもある。
出場時間はわずかだったが、前線から積極的にボールを奪いに行き密集から抜け、角度の無いところからの素晴らしいゴールであった。これでガンバ大阪と引き分けに持ち込んだが、もしこのゴールが無かったら清水エスパルスに抜かれていて、最終的に今期のJ1残留は厳しかったと思う。

まだまだ若手が敵わない能力を持っているはずで、もっとベガルタ仙台のユニホームで活躍する柳沢を見たかったが、現役を引退する感覚は本人しか分からない。
ここはお疲れ様と言いたい。


さて「オフ・ザ・ボールの動き」サッカーだけでなく、とても重要と思う。

私の知っている「ある業界」は、ボールが来てから慌てている人が多いように見える。もしかすると、ボールが来ないとすでに試合中であることすら分かっていないのかもしれない。普段から何をイメージしているのか。

皆を、もう少し柳沢の試合に連れて行けば良かった。


よいお年をお迎えください。