主役級の役者が6~7名ほど出演し、筋書きがほとんど無い演劇があれば、どんな演劇になるでしょうか。
本当に力のある主役同士がジャズのように緊迫感のあるアドリブの応酬で面白くなることも希にあるでしょうが、それが主役6~7名なら、まずどうにもならないでしょう。
狂言回しの役者まで主役を喰おうと、目立ちはじめたら尚更です。
今までの私が見てきたパネルディスカッションはこのようなものです。
このメチャクチャな内容で成功した例は、初期の「朝まで生テレビ」ぐらいでしょうか。
この番組にしても、ディスカッションの内容よりも、格闘技のような攻撃防御の面白さだけでしたので、今はほとんど飽きられています。
本来、観客がいるときにパネルディスカッションの形式を採る意味は、一方的な講師の説明で終わるより、パネルディスカッションの会話形式で問題点をわかりやすくする効果が期待されるからだと思っています。
そして、これには綿密な筋書きと準備が必要だと思います。
ところが何も考えず、この人達を呼んで、まとめて話させれば何とかなると思っている企画が多すぎます。皆さん主役ですから、主役らしい演技をしたくなります。コーディネーターも主役だと思っている方もいます。もっと始末に負えません。
誰のためのパネルディスカッションなのか。出ている人達の自己満足や、個人的アピール。もっと問題なのは主催者側の安易な企画です。観客を集めて何を見せるつもりなのか、このイベントで何を伝えたいのか、それがほとんど無い企画が多すぎます。
それで私は「パネルディスカッションが苦手だ」と言い続けてきました。
しかし、先週2月3日に開催されました「あいち境界シンポジウム」に参加して、以後「苦手だ」とは言わないことにしました。
やはりしっかり事前に打ち合わせをして、筋書きをつくり、お互いに役割を理解して、個人的に出過ぎずにお互いの役割をしっかり演じることで、一方的な講演では伝えにくい内容がお伝えできることが確認できました。
しっかり準備をした愛知会の皆さん、わざわざ被災地まで足を運んでイメージを共有してくれた愛知会長はじめスタッフの皆さん、皆さんが事前打ち合わせに時間を割いて、ギリギリまで内容を詰めてくださったことで、内容と進行が明確になりました。
特にコーディネーターの赤川美咲さんが、ご自分が土地家屋調査士だから当然知っていることも、知らないふりをしながら質問をしてくれたことで、論点が明確になりました。
プライドの塊のコーディネーターでは、これができません。
またパネラーも、岩手会長と福島会長と私という気心が知れた3名だけだったので、準備と役割分担も上手くいったと思います。
私は前言を撤回します。
パネルディスカッションも悪くない。