以前、日本土地家屋調査士会連合会(日調連)の会報で、全国の会長のプロフィールを掲載することがあり、アンケートが来ました。
その中に私の座右の銘とか趣味とかを書く欄がありました。
趣味といえば当然これだと思い「ベガルタ仙台試合参戦」と書きました。
数日後、日調連の事務局が気を利かせて「「ベガルタ仙台試合観戦」ではありませんか?」と宮城会の事務局に問い合わせが来ました。
宮城会の事務局は、私のことを良く知っているので「おそらく「参戦」で良いと思いますよ」と答えてくれたのですが、真面目な日調連の担当者は「念のために確認してください」と納得されなかったようです。
気持ちは分かります。普通は「観戦」でしょう。
でも私のベガルタ愛には「観戦」なんて他人事は有り得ません。
間違いなく毎試合、私も「参戦」しているのです。
日調連会報の宮城会会長の趣味の欄は結局「参戦」で載りました。
さてこのベガルタ仙台のサポーターの何が幸せかと言うと、とにかく毎年消化ゲームがないチームなのです。最後の最後までハラハラさせてくれます。
これはとても大事なことです。
ちょっと並べてみましょうか。
1999年 9位(J2)初めてのJリーグ
2000年 5位(J2)さすがにJ1昇格はないか
2001年 2位(J2)J1昇格
2002年 13位(J1)残留争い
2003年 15位(J1)J2降格
2004年 6位(J2)惜しくもJ1昇格できず
2005年 4位(J2)惜しくもJ1昇格できず
2006年 5位(J2)惜しくもJ1昇格できず
2007年 4位(J2)惜しくもJ1昇格できず
2008年 3位(J2)J1入れ替え戦敗退
2009年 優勝(J2)J1昇格
2010年 14位(J1)残留争い
2011年 4位(J1)優勝争い
2012年 準優勝(J1)最終戦まで優勝争い
2013年 13位(J1)残留争い
2014年 14位(J1)残留争い
2015年 J1残留争い中
前身ブランメル仙台から1999年にJリーグに加入してベガルタ仙台となりました。
その後、毎年最終戦までJ1では「残留争い」J2では「昇格争い」をしています。
2001年にJ1初昇格。あの最終戦の財前のゴールは泣けました。
2008年にはJ2で3位になりました。当時のルールでJ1下から3位のジュビロ磐田と入れ替え戦になりました。0泊2日の貸切バスで磐田に参戦しましたが、残念ながら敗退。帰りのバスの辛い気持ちは、忘れられません。
2012年には最終戦までJ1で優勝争いをしました。
「被災地の希望の光になる」という思いで選手もサポーターも頑張りました。
気持ちが入っているから一歩の歩幅が伸びます。球際に勝てるようになりました。
あの年は負ける気がしませんでした。
私の目の黒いうちに一度で良いから優勝を味わいたいと思っていましたが、「まさかここで来るのか」と思いましたが、さすがベガルタ仙台、そうはいきませんでした。
その後はJ2に落ちる恐怖を身近に感じながら、残留争いを繰り広げています。
確かに弱いチームかもしれません。
でも万年中位の緊迫感の無いチームより、毎試合楽しめます。
というか、試合参戦で疲れ切ります。
今年も残りあと4試合。
まだJ1残留が決まりません。
裏切りませんね。
今年も最後までハラハラ楽しませてくれるようです。