昔から全国の役員のお話を聞くと、「会員間に温度差があるので」という言葉をお聞きすることがあります。
この場合の、温度差とは、おそらく組織への帰属意識、新しい知識への研鑽意欲、職業倫理等々を指すのでしょう。
お気持ちは分かります。私自身、役員や講師で全国を廻る度に感じることでもあります。
ただし、この「温度差」は「認識した要素」であり、「言い訳」にしてはならないと思っています。
なんでも「温度差だから」と言って諦めるなら、何でも言い訳になります。
それでは、その人は何故役員になったのでしょうか。
役員になりたいだけの人だったのでしょうか。
そんな役員なら、私と「温度差」があります。
「温度差があるから、仕方ない。これは自分のせいでは無い」
そういう言い訳を言うのなら、矢面に出なければ良いのです。
それらの温度差を認識した上で、対処して、温度差を無くす努力をするのが組織の役員のはずです。
「温度差」と言って、多数を切り捨てて、役員の周辺の「ぬるま湯」のお友達とだけ活動をするのなら、それは組織を引っ張る役員とは言えません。
風呂水の温度に温度差があったら、手を突っ込んで、掻き回すべきです。
表面の熱いお湯も一時ぬるくなります。それは過程として仕方ありません。
熱いお湯と水が混ざった場合、どちらの温度が多数を占めているのかで、風呂の温度は決まります。
表面の熱いお湯の部分をある程度増やしてから掻き回すか、それとも最初から掻き回しながら加熱するか、作戦はあるでしょう。それは各自の風呂の構造にもよるかも知れません。
それでも必ず掻き回すときが来ます。
掻き回さなければならないのです。