2010年1月31日日曜日

勝負師清水秀彦

昨日(1/30)はベガルタ仙台J1昇格記念ドリームマッチが開催されました。今年、生ベガルタを見ていない私たち夫婦は、当然聖地仙台スタジアムに行きました。

ドリームマッチとは、新加入選手を加えた新生「ベガルタ仙台」と昔仙台に所属していた選手達で構成された「ドリーム宮城」のフレンドリーマッチです。昔と言っても、ついこの間まで所属していた選手から昔ベガルタ仙台がブランメル仙台と言っていたころの選手まで、まだ他所で現役を続けている選手から体型もスポーツマンとは見えない選手?まで本当に懐かしい顔が集まり心から楽しめた試合でした。

キャンプ明けの筋肉に乳酸が貯まりまくったベガルタの選手達とは言え、昔の身体が動けない選手達では当然相手にならないと誰もが思って見ていました。

そこに一人だけ勝負にこだわっていた人がいました。
ドリーム宮城の監督、2001年にベガルタ仙台をJ1にあげた生ける伝説、清水秀彦氏です。

この人はその後も何かと仙台と縁がきれず、世界のユースの大会である仙台カップで、東北選抜を率い、2007年の大会では日本代表に勝ち、ブラジル代表に勝ち、フランス代表と引き分けてしまうとことを、やってのけた人でもあります。
この大会は招待された海外の2チームと日本代表と東北選抜との4チームの総当たり戦です。
ちなみに仙台カップは親善試合という位置づけですが、参加選手は世界へ売り込むチャンスと言うことも有り、結構本気です。この2006年の仙台カップには、ブラジル代表でパト(ACミラン)やデニウソン(アーセナル)などが参加し、ここから巣立って行きました。

清水氏は与えられた戦力でどう闘うかを常に考える人で、明らかに戦力の劣る東北代表で勝つ方法を考えてしまえる人なんですね。
2001年のベガルタ仙台もまだJ1に昇格するには力不足だったのですが、清水秀彦監督の神通力で昇格してしまいました。仙台では清水大明神と言われているわけです。

さてこの清水大明神が久しぶりに仙台スタジアムに降り立って采配を振るったわけですが、このドリームチームでの闘い方を良く考えていました。
動けない選手がほとんどなので交代選手は何度でもピッチに出られるという特別ルールが認められていたのですが、そのルールを最大限に使って采配をしていました。
選手が疲れきらないうちにどんどん交代し、しかも効果的に機能するよう連携できる複数選手を一緒に交代してスタミナのハンディを克服していました。
ドリームチームはもともと一流選手の集まりなので、センスやテクニックがあるので、この考え方ならそこそこ闘えるのです。
ドリームチームでは阿部敏之のスルーパスや高桑大二朗の好セーブなど、さすがという見せ場を作り、結局3対3引き分けという結果でした。
この親善試合で、最後のロスタイムまで攻撃的選手を交代させた清水監督の勝ちへの執念に感心しました。

勝負事は、力が足りなくても、自分達の力を客観的に判断してどうすれば勝てるか一生懸命考えれば活路が見出せると、再度清水大明神から教わりました。