2010年1月5日火曜日

結局、地蔵は動いたのか?

11月14日のブログで「地蔵動いた?法廷で綱引き 仙台地裁支部」という河北新報の記事を紹介しました。

前回もお知らせしたように河北新報から取材として来館され、この事件について調査士会にも意見を求められました。この件は公判中の事件で、しかも私たちが現地を見てもいないので踏み込んだ回答はできませんでしたが、境界と国土調査に関しての一般論をお知らせいたしました。
しかし、この手の事件の取材先として、新聞社が調査士会を思い出すようになっただけでも、正しく理解され始めているなと思っています。

私のブログでは、その際に以下のようにコメントをさせていただきました。
この裁判の論点が本当にこの記事記載の部分(国土調査の際に合意した)であるとすれば、明確な既存判例もあるにもかかわらず、国土調査によってあたかも創設的に筆界が発生するかのように一部で強く誤解されている向きが有ることは、大変嘆かわしいことと感じています。

さて、この第一審判決が12月30日に出ました。やはり、判例どおり国土調査の誤りが認められたようです。この事件の判決までには、宮城会所属の土地家屋調査士A先輩の活躍がありました。

私も役所や地権者の皆さんに機会があるたびに話しているのですが、
とにかく「国土調査には筆界創設的機能は無い」のです。
明確な判例もあるのに、国調担当の役所も測量コンサルも理解できていない人が多いので、裁判になっていないだけで、この事件のような事例が沢山あります。
勝つとわかっていてもこの訴訟のように結論が出るまでに9年もかかるのではと泣き寝入りしている方も多いのです。

今後そのような不勉強な方々に判例を勉強してくれと言うよりも、この河北新報の記事のコピーを見せる事が有効かもしれませんね。

以下12月31日河北新報の記事より
大崎・境内地境界線訴訟「市の市有地登記は誤り」
 延命、子育てのお地蔵さまとして知られ、みやぎ新観光名所・百選(1987年実施)にも選ばれた宮城県大崎市三本木の大豆坂(まめさか)地蔵尊を含む境内地を共同所有する男性が、隣接地を所有する大崎市を相手に、土地境界の位置を争った訴訟の判決で、仙台地裁古川支部は30日までに、市の土地登記の誤りを認め、男性の主張通りに境界を定めた。
市の登記に基づけば、男性側が所有する土地にあるとされていた水子地蔵(84年建立)が、市有地上にあることになっていた。男性は判決を受けて、「地蔵が動くはずはないんだ」と強調した。
判決などによると、旧宮城県三本木町(現大崎市)は85年3月、男性側の土地を分筆して買う際、男性側の土地を303平方メートルと測量した。ところが、町が実施した93年の国土調査で、男性側の土地を225平方メートルとして、95年に登記した。
判決は「測量の結果に基づいて分筆された土地の面積が大きく減少する理由はない。国土調査の手続きで境界は確定しない」と述べ、市の土地行政の不備を指摘した。
旧三本木町は2000年12月、男性からの地図訂正の申し入れに対し、「調査に誤りは認められない」と回答したため、訴訟に発展していた。
男性は「地図訂正の申し入れから9年もかかった。やるべきことに応じなかった行政に憤りを覚える」と語った。
 大崎市は「控訴期限を迎えておらず、コメントできない」と話している。