昨日はハッピーマンデーによる成人の日でした。
どうも1月15日でないと、どうもしっくり来ませんね。
「国民の祝日に関する法律」による「成人の日」の定義は、
「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」だそうです。
毎年の成人式のニュースを見ても、「おとなの自覚」も「みずから生き抜こう」という意思も捜しづらいところです。
主催者側も成人式が「荒れる」ことを恐れて、ディズニーキャラクターを呼んだり、アイドルを呼んだり、事なかれの企画が散見します。
このイベントが、成人達自らの企画だけでもないので困るのです。
主催者にも「おとなの自覚」が必要かも知れません。
日本全体が幼児化しています。
そして成年にならずに、そのまま老年になっています。
責任を取ろうという「おとな」が少ないのです。
頑張って「おとな」になって、頑張って「おとな」を続けなければなりません。
悪いことが起こると、必ず誰かのせいにしています。
「官僚が悪い」「政治家が悪い」というのは勝手です。
でも選んだのは自分達です。
あらゆることに、当事者意識を持たなければなりません。
震災を持ち出さなくても、日本人全体が「みずから生き抜こう」という強い意志を持たなければならない時代と思います。
土地家屋調査士業界は60年を越えました。
土地家屋調査士が、この日本に必要とされる資格なら、いつまでも頑張って「おとな」でいなければなりません。
以前紹介したウルマンの「青春」を再度紹介しましょう。
「青春」 サミュエル・ウルマン 岡田義夫 訳
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。 苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。