他の執筆者は、岸田庄司(土地家屋調査士)、秋保賢一(弁護士)のお二人です。
江口さんをはじめ執筆者皆さんの想いがこもった良書だと思います。
さて、その江口さんがこの本を出すに当たって書かれた文章が新日本法規出版のHPに載っていて、そこで読むことができます。本人に了解を得たので以下に転載します。
内容は、普段私がガイダンスなどでお話ししている趣旨「土地家屋調査士の幸せ」「土地家屋調査士の矜持」と想いが重なりますので、是非読んで戴きたいと思います。
「資格士業の幸せと矜持」
土地家屋調査士 江口滋
社会が複雑になればなるほど多様な資格士が生まれている。今回「実務必携 境界確定の手引」を上梓し、自惚れではあるがようやく土地家屋調査士業の端緒にたどり着いたと感じたが、同時に、それぞれの資格士業の目的と、資格者・依頼者の幸せについて強く考えるようになった。
遡れば、その一端は新人研修の時、今は亡き大先輩が「どんどん儲けてください。」と仰ったことにあるように思う。当時は「そうか、この資格で儲けられるのか。」と意識し、この先を思って嬉しくなった記憶がある。時はバブルの時代であった。
しかし、そんな気分は最初の業務(境界確定・分筆登記)を終えて一変した。報酬として請求した金額が当時(30年前)のサラリーマン初任給の3、4倍であったことと、事前に見積りを提出していなかったことから、依頼者から「高っ!この仕事でこんなに取るの?」と言われてしまった。
いま思えば、その業務内容は稚拙であったであろうし、当時の法務大臣認定報酬額基準(平成14年撤廃)を見て「こんなにもらえるんだ。」と他人事のように思ってもいた。また、その請求金額に同情していた自分がいたことは大いなる反省点であるし、いまだにトラウマでもある。
ただ、ひとつ言い訳を許していただけるなら、土地家屋調査士の業務は非常に困難であったり簡単であったりと千差万別ながら、共通して言えることとして、業務における精神的な苦渋は常に報酬に表しにくく、また、依頼者に理解してもらうのも難しい実情があるということを付け加えておきたい。
さて、新人資格者として認定された時の知識は最低限であったとしても、開業していざ社会に出たならば、社会から自身に注がれる眼差しは、当然に一定の経験を前提とするものとなる。それに応えるため、足りない経験をカバーするものがあるとすれば、知識と技術の研鑽しかないのだろう。
もっとも、経験さえあればよいというわけではなく、士業で相応の経験年数を経た資格者であっても、知識と技術の研鑽を怠っている者は新人と同様である。
そこでここからは、資格士業の原点について少し考えてみたい。
各種国家資格には、まず第一に「目的」があり、それは依頼者が欲する「利益の成就」、又は「権利の実現」を提供することである。そして、依頼者の利益に対する報酬を資格者が得るという構図になる。
資格とは個人に与えられたものであり、それぞれの資格士業法の目的から社会に貢献する役割を担うわけであるから、資格者の利益は目的に次ぐ二次的なものといえる。
ところが、長年業務を行っていると、その立ち位置を時に間違えたり、最初から考え違いをして、「稼ぎたい」「儲けたい」とする意識を第一に就業する人が中にはいる。もちろん生活として、事務所経営として収入は非常に大切なものである。しかし、利潤の追求を第一の目的としてしまえば、それは単に営利企業の成長戦略と何ら変わらなくなってしまい、資格士業の本質を見失ってしまう。
最近、私の所属する愛知県土地家屋調査士会では会員向けに実態調査アンケートを実施した。その中には、「収入」「やりがい」などに関する質問項目が入っていた。
その結果は、業務の達成感や依頼者からの評価に対して幸福感を感じているとする回答が多く、必ずしも高収入を目的としない回答が多かった。士業としての健全さが見られたようで、非常に心強く思われた。
もっとも、業務の独占化・寡占化により、元々業務受託の少ない会員はそう答えざるを得ない環境にあるということなのかもしれない。
しかし、少なくとも私は、資格士業の矜持として専門業務を通して社会に還元し、その価値観を依頼者と共に共有できたらと願っている。
追記:年齢を重ねると、気力体力の衰えから一般的に人生下り坂と考えがちだが、終生高みに登り続けることを考えると、いつまでも人生上り坂ではないだろうか。楽しみだ。
(2019年12月執筆)