2014年8月18日月曜日

パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト


音楽史上、これほどスキャンダラスな伝説をまとったヴァイオリニストが存在しただろうか。ニコロ・パガニーニ──聴衆を驚愕の嵐に巻き込み、「悪魔に魂を売り渡して手に入れた」と恐れられた前代未聞の超絶技法、派手な女性関係、ギャンブル・・・尽きることのない逸話の影には、彼の人生を変えた知られざる二人の人物がいた。一人は、パガニーニを一大スターへと押し上げた敏腕マネージャー。もう一人は、生涯ただ一度の"純愛"の相手──。

不世出の才能に恵まれながらも、破滅型の異端児だったパガニーニがいかにしてヨーロッパ随一のアーティストへと上りつめたのか?そのカリスマ性に群がる女性たちと放蕩の限りを尽くしていた男が、なぜ一人の女性に魂を奪われたのか?そして純粋すぎる愛の思いがけない行方とは?いま、パガニーニのドラマティックな生涯に秘められた真実が明かされる──!(公式サイトより)

この映画を観ました。
ちょっと引っ掛かるところがあって、もう一度観てからブログを書こうかと思っていましたが、なかなか時間がとれないので書いてしまいます。誤解があったらご指摘ください。

芸術家の天才と狂気、放蕩と純愛。
その周辺の俗人により天才は蝕まれていく。
あまりにもステレオタイプなストーリーですが、音楽が飽きさせない。
そんな映画でした。

史実とちょっと異なるにしても、パガニーニは伝説の多い音楽家ですから創作はしやすかったでしょう。
私はパガニーニの親戚でも無いので、そこにはこだわりません。ただし映画としてのストーリーに整合性と説得力を求めているだけです。

パガニーニは、上記公式サイトにも書いてあるように「悪魔に魂を売り渡して手に入れた超絶技巧」と評判の立った人物で、悪魔抜きに語ることのできない人物です。

この映画の中のジャレッド・ハリス扮するウルバーニとは、敏腕プロデューサーという役割だけではなく、この映画では実在の悪魔を象徴しているのでしょう。
ウルバーニが現れたり行動する際のBGMはいかにも不穏な曲ですし、ウルバーニがパガニーニに迫った契約書のくだりはまさに「悪魔との契約」です。
この契約によりパガニーニの名声と破滅が始まりましたから。

この映画では、パガニーニの放蕩三昧の中にも純愛を入れたり、良い父であろうとする面を入れたりしているけれど、これもパガニーニの持てる負の面はすべてウルバーニのせいであるとしたかったのでしょう。

ただこの演出があまり上手くいってないように見えます。

息子とのシーンに唐突感がぬぐえません。
この映画で息子とのシーンは本当に必要だったのでしょうか。彼は演奏旅行中にシャーロットに会いたいとしきりに言っていたけれど、息子に会いたいとは一言も言ってなかったと思います。それでいながら「もう離れない」なんて息子に言ったりします。
それなら少し父性の部分をもっと入れておけば良いのでしょうが、そこを協調すると、今度は彼の放蕩性が薄まってしまいます。
そこが薄まっては、純愛とのコントラストが希薄になります。

実はシャーロットに感じるその純愛にしても、ちょっと唐突に感じました。
さんざん放蕩を繰り返してきたパガニーニが、何故シャーロットだけに純愛を感じたかが描かれていないと思いました。
もちろんこの映画で、この純愛まで否定すると何も残らず、映画そのものが成立しないでしょうが。
ここも放蕩相手の他の女性に対する感情とシャーロットに対する感情とどこが違うのか、もう少し丁寧に描いても良いと思いました。
たとえば「それまで何も感じていなかったけれど、シャーロットのアリアを聴いて天啓を得た」ぐらいの何か切っ掛けが欲しかったと思います。


さて、この映画でパガニーニを主演して本当に演奏しているのが、現代の鬼才ディビッド・ギャレットです。とにかくカッコ良いです。もちろん演奏が素晴らしいのは言うまでもないです。

またアンドレア・デック扮するシャーロットの歌うアリアがとても美しいのです。これはパガニーニのヴァイオリン協奏曲第4番第2楽章の曲に歌詞を付けたものですね。

ストーリーは別にしても、あのバイオリンと歌声を聴きに行こうかというつもりで、再度観に行きたいと思う映画です。そういう意味でもお勧めの映画です。