何かと話題の「永遠の0」
正月映画なのにもう3月の末ですね。
原作があって、それをベースに映画が作成された場合は基本的に原作を読んでから、映画を観ることが原則としていました。
この原作本は持っていたのですが、まったく読む時間が無くて、映画を観るタイミングが難しかったのです。それにしても、そろそろ映画館上映も終わりそうだったので、先に映画を観ることにしました。
ここにこだわって、つい最近失敗したばかりだし。
こういうときは、世間のネタバレ的な批評からできるだけ離れるようにしておりましたが、ここまで引っ張ると意外と情報遮断も難しいものです。それでも今回はほぼ先入観無しで観ることができました。
太平洋戦争末期。天才的な零戦の操縦技術を持ちながら、生還することにのみ執着し、仲間から「臆病者」と蔑まれた男がいた。
主人公佐伯健太郎の実の祖父宮部久蔵である。
佐伯がその祖父がどういう人物であったかを調べようと、祖父を知る人々に会いに行く。
人々が語る宮部のエピソードから意外な人物像が浮かび上がる。
はたして生還することのみに執着した男が最後特攻により帰らぬ人となったわけは何だったのか。
家族に残そうとしたメッセージは健太郎に伝わったのか。
監督の山崎貴氏には「三丁目の夕日」で泣かされたことがあるので、今回も構えていきました。
以前も書きましたが、私は泣きそうな映画は、必ず一人で行き、後ろから2,3列目少し奥目の中程の座席に座り、皆が出てからゆっくりと映写室を出ることにしています。
今回もそのような映画だろうと思っておりましたので、完全無欠なポジションを確保して観ました。
さすがに山崎監督のVFXが素晴らしく、饒舌すぎない演出も良かったと思いました。
でも泣けませんでした。
あまりにも構えていったからかも知れません。
または、どこか腑に落ちなかったからかも知れません。
どちらなのでしょうか。
物語の真相の部分がどうも釈然としません。
先の読みやすい伏線があり、その回収を観客に任せている描き方は悪くないと思います。
この映画は、最大の謎である「あれだけ生きて帰ることに執着していた宮部が何故特攻に踏み切ったのか」を解明する物語です。
この最大の謎の解明も観客に任せています。
ここの自由解釈の部分で戦争賛美や特攻美化との批判の余地が出てくるのかも知れません。
私には、この映画が特攻美化している意図は感じられませんでした。
でも私にはそれではリアリティを持たないのです。
もちろん、これはあくまでも物語ですから、戦時中のリアリティを求めているわけではありません。宮部の気持ちの変化のリアリティのことです。
宮部は本当にそれで納得できたのでしょうか。
宮部はそれで託したことになるのでしょうか。
ネタバレになるので、ここには詳しく書きませんが。
原作を読んでから観れば、そのあたりが腑に落ちるのかもしれません。
時間制限のない原作にはもっと理解を深めるファクターが描かれているのかも知れません。
少なくても、ラストシーンの宮部のあの表情は、置かれた現状の中で納得しているはずですから。
原作を読んでそれからもう一度語りましょうか。
それにしても、岡田准一は本当に良い役者になりましたね。