2012年9月23日日曜日

現実的になった夢

昨日ヴィッセル神戸に逆転勝ちして、我がベガルタ仙台は2位をキープしています。1位サンフレッチェ広島に勝ち点2差。残り8試合。サポーターも気合いが入ります。

私が長年応援しているベガルタ仙台は、本当に弱いチームでした。
いつかJ1リーグで戦うベガルタ仙台を見たいという途方もない夢を見てきました。

その夢が叶えられたのが、2001年清水監督のときです。
前節山形に抜かれ、最終節アウエーvs京都戦に、3位で臨みました。
京都が一位で抜け、山形、仙台、大分の三つ巴の戦いでした。
後半終了直前、岩本輝雄の左サイドからのクロスを山田隆裕が折り返し、財前のボレーシュートが京都ゴールに突き刺さったときに、新しいステージが開けました。
奇跡的逆転昇格に、涙が止まりませんでした。

昨年、東日本大震災で練習場もクラブハウスも被災して練習できず、加わったばかりのエース、マルキーニョスも帰国してしまい、チーム存続すら心配しました。
その中で自主的にボランティア活動を始め、チーム再開を待った選手もいました。
Jリーグの再開と、その川崎フロンターレ戦が決まりました。簡単に応援に行ける様な交通手段が無い頃です。その中サポーターも頑張って応援に行きました。仮設住宅住まいから苦労して応援に行ったサポーターもいるようです。
あの試合も太田吉彰のギリギリのトウキックで勝利し、その感激で涙しました。

昨年は結果的に過去最高順位4位という結果で終わりました。
しかし、今年の開幕前、各評論家の皆さんはベガルタに高い順位を与えてくれませんでした。降格候補にも挙げた方もいます。
まあ仕方ありません。
日本代表選手もいないし、派手な選手移籍も無かったし、ベガルタ仙台は長年弱いというイメージを作っていましたので。

今年も世間に期待されない中、手倉森監督だけは優勝を目指していました。
技術的には、長年の弱い中でもぶれなかったチーム戦術が、チーム全体に身に付いたことが大きいでしょう。
精神的には、今年も練習合間にボランティア活動に行くことが、結果的に選手を強くしているようです。
被災地で「頑張って!優勝してね!」と逆に励まされ、強い決意を持って帰るようです。
別に浪花節の世界を書くつもりではありません。
心身ともにキツい試合終盤の一歩に、この精神力がとても影響します。
選手が勝手に使命感を持っているだけでも良いのです。

試合結果で、被災地は一瞬でもすべてを忘れて歓喜します。
被災地はサッカーなんか見てて良いのか、という考え方があるかも知れません。
そういう方は仮設住宅に来てみてください。
被災地ではサッカーに一喜一憂でさえ、意味が有るのです。

今年の12月1日に3度目の涙を流したいと、現実的になった夢を見ています。