東日本大震災の発生から3月11日で11年となりました。
今年もテレビやラジオで特集が組まれ、各地で多くのイベントが開催されました。
「震災を風化させない」「記憶をつなぐ」
とても大事なことです。
十年一昔と言いますが、東北でも一昔を超えて風化が始まっています。
その反面、まだまだ故郷に帰ることができない地域もあり、農業漁業では風評被害が収まっておらず、災害は継続しているとも言えます。
今被災中の人のためにも、そして今後起こりうる災害対応のためにも、決して忘れてはいけない教訓として、機会を捉えて、皆で語り継ぐべきだと思います。
大震災の直後から、家族も財産も奪われて下を向いている人々に何ができるのか、各界から様々な工夫がなされた支援やイベントが催されてきました。それらもずっと継続してくれています。被災地に住むものとして感謝しています。
正直に言えば、東日本大震災がらみのイベントや番組の中には、違和感を覚えるものもあります。でも、私は「やってくれるだけありがたい」と思うようにしています。
それすらやらなくなったら、震災は本当に忘れられてしまうからです。
ご存じの方も多いでしょうが、私は「ベガルタ仙台」の長年のサポーターです。
私は、あれだけの災害を受けた地域が立ち上がるための精神的な支えとして、スポーツも役に立ったと思っています。
特に震災後最初の試合となったアウェイの川崎フロンターレ戦では、試合内容だけではなく、試合前から川崎のサポーターがベガルタ仙台のチャント(応援歌)を歌い続けてくれて、涙が止まらなかったことを覚えています。
その川崎との試合も、その年の試合(J1四位)も、次の年の試合(J1準優勝)も、劣勢の中でも最後の1秒まで諦めずに前を向いて攻めていく姿勢が、被災の中で負けそうになる住民の心を奮い立たせる「希望の光」となったことは間違いないと思います。
さて、3月12日には、ともに被災地を拠点とするサッカーチームの「ベガルタ仙台」と「いわてグルージャ盛岡」による「震災復興応援試合」が開催されました。
この「震災復興応援試合」は毎年必ずこの時期に開催され、その相手は同じ東日本大震災の被災地を拠点とする「鹿島アントラーズ」や、阪神淡路大震災の被災地を拠点とする「ヴィッセル神戸」などと試合が組まれていました。
今年はJ2リーグなので、初めて岩手を拠点とする「いわてグルージャ盛岡」との試合が組まれました。
サッカー界も震災をなんとか忘れないように、風化させないようにしてくれているのだと思います。私はもちろん毎年観戦しております。
しかし、これにはずっと違和感がありました。
負けそうになっても最後の1秒まで戦う選手達の姿勢が被災地に勇気をもたらせていました。これがスポーツの力です。
ところがこの震災復興応援試合は、必ず被災地どおしの対戦が組まれています。試合だから被災地のどちらかは負けます。
スポーツは「負けそうでも最後まで諦めない」という考え方が力になるのだと思いますが、どちらかに「結局負けたのね」という結果を見せつけることにもなり、「これもどうかな」と思ってきました。
また、選手のほとんどは、東北出身でもなく震災を経験していない人たちです。その人たちに「決して負けられない」などと被災地の想いを背負わせすぎているとも思っておりました。
被災地で毎年この日を迎えるのにナーバスになっているから、こんなひねくれた考え方になるのでしょうか。
10年過ぎて初めて言います。
NHKより |