2019年3月11日月曜日

8年 絶望から希望に、希望から怒りに、怒りから諦めに

「絶望から希望に、希望から怒りに、怒りから諦めに・・・。
こんな思いを何故分からないのでしょうか。」

これは震災後2年経った3月11日に書いたブログ記事の抜粋です。

今日で震災後8年です。
「東北は復興したか?」と聞かれれば、何と答えるのが正解なのでしょうか。
おそらく長い答えになるでしょう。

復興と見える平穏は、地権者の諦めからきているのかも知れません。

全国からの支援のお陰で、
公共事業的には、ほぼ終わりました。
民間でも住民が衣食住に困っている人は少なくなりました。

でも先祖代々生まれ育った土地を諦めて、他の地域に生活を移したことが復興なのか、仕方ないこととは言え複雑です。
これは福島原発地域だけの問題ではありません。
放射線被害土地以外でも、どうしても高台整備などの時間がかかり、完成の頃には地元に戻らない方々もたくさんいます。
せっかく造成した宅地が埋まらない状況になりそうです。

役所も寝ないで頑張ってきました。
民間もそれぞれの立場で頑張ってきました。

あの余震の続く中、不眠不休の中でなされたそれぞれの議論と判断について、後で評価するのは簡単ですが、彼らを批判するのではなく、すべて今後に活かして欲しいと思います。

私は全国歩いて「防災」と「事前復興」のヒントをお伝えしています。
地震のピンポイントの予知はできません。
そして地震は止められません。
だから被害を最小限に留める「防災」と、復興する時間を短縮するために今のうちにやっておくべき「事前復興」が重要と考えます。
東北を見てもらえば、ヒントはいくらでも得られるでしょう。

伝えることができる人は被災地にいた人だけではありません。
被災地に対して支援してくださった人達も、何ができて何ができなかったという経験を持っているでしょう。
防災の教訓についても、現実感を持って再確認できたと思います。
この時代に生きた者の責任として、我々の子孫のために、これらの事実と知識を伝え続けることが大切なのではないでしょうか。

あの震災があの日でなくて、少しずれていたなら、生死が入れ替わった人々がたくさんいるはずです。
大地震のメカニズムから考えれば、数日なんて単位でなく数年でも誤差の範囲ですから。


以下も震災後2年目の3月11日に書いた文の一部です。
正直、今も同じ思いです。

「私は諦めません。
できることは、たくさん有ると思います。
たまたま偶然で亡くなった人たちの為にも、たまたま偶然で生き残った者として。」