2016年8月28日日曜日

避難指示区域解除の小高に行ってきました

福島県南相馬市小高区に行ってきました。
ここは原発事故の放射能汚染により避難指示区域に指定されていた地域です。
それが解除になり7月12日から居住可となったとのことでした。
地元に所縁のない私は、初めて立ち入りました。

東日本大震災から5年以上経ちました。
私もあれから被災地を廻りました。
そして、たくさんの悲惨な被害を見てきました。
しかし、この放射線汚染による被害はまったく別物です。
津波でも地震の被害なら分かりやすいですが、壊れていない建物が続いています。
掃除すれば今にもすぐに入居できそうな建物なのに、誰も住んでいない建物が続くのです。これが放射能汚染の見えない怖さです。

5年前の「ここに住んではいけない」という基準も、今年の「もう大丈夫だから戻ってよい」という基準も、自分では決めていません。
自分ではまったく判断できないからです。
皆、専門家の判断に委ねるしかありません。

他の被災は実際に被害が自覚できて、それを専門家の知見で「危険だから住んではいけません」という言葉で背中を押されるから納得できるのです。
被害が自覚できない中での納得と避難する納得は難しいことだったと思います。

平成23年3月11日までの小高区の人口は12,842人でした。
それが帰還困難区域に指定され、5年後の今年7月12日に解除になりました。
平成28年8月18日現在の人口は430人です。

インフラはあります。
でも商店はまだ少ないです。
まだ430人の住民ですから。
人口が戻らないと店も戻りません。
逆に店が戻らないと人口も戻りません。

故郷に戻りたい気持ちは、皆さん大きいものでしょう。
しかし、あれからすでに5年と半年経っています。
中学入学する直前の子が来年は大学生になる年です。
避難している方々は、当時仮住居のはずの場所がすでに本拠になっています。
また戻りたくても若干の不安も問題もあるでしょう。

復興は簡単ではありません。
箱モノの問題だけではないのです。
皆で我慢して、皆で頑張って、戻って住まないと復興は進みません。

よそ者が言えることは、とても少ないです。
私達に何ができるのだろうか。
そんなことを感じながら帰ってきました。