2015年9月14日月曜日

東日本大震災で何ができて何ができなかったか~栃木にて

2011年3月11日東日本大震災から4年半過ぎた9月11日は、歴史的豪雨により栃木県や宮城県などに大きな被害をもたらしました。

また翌12日には東京直下型地震が発生し、東京では震度5弱だったようです。

そして本日14日、熊本の阿蘇山で従来よりも大規模の噴火が起こったようです。
また一方桜島の噴火の可能性は少し減ったようですが、マグマのエネルギーは相変わらず溜まったままのようです。

火山列島の日本で、それに昨今の異常気象が重なってきています。
従来よりも更に気をつけるべきなのでしょう。

日本列島に住んでいる限り、絶対安全な土地はありません。
でも比較的安全に過ごすことはできます。
災害の発生を防ぐことはできません。
でも被災を減らすことはできます。

先週9月7日に栃木県土地家屋調査士会にお招き戴き、以下のタイトルでお話をさせて戴きました。

「震災と土地家屋調査士~東日本大震災で何ができて何ができなかったか~」

確かに震災直後はたくさんの場所でお話をさせて戴きましたが、被災後4年半のタイミングで東日本大震災についてのお話しすることはとても難しいと思っています。
何も変わっていない訳ではなく、復興の工事は着々と進んでいます。
全国から被災地の役所に出向で来てくださっている多くの職員がいて、復興事業応援に頑張ってくださっています。
道路やいわゆる高台移転地造成などの公共事業も真っ最中です。

でも復興は終わってはいません。
まだ仮の住まいにいる方々もいます。
まだ行方不明の方々もいます。
(家族が行方不明に決着を付けることはとても難しいことです)

私は地震学者でもなく、防災の専門家でもありません。
土地家屋調査士が「その専門性で何ができたか何ができなかったか」を正直にお伝えしました。

基本的に土地家屋調査士が専門職能で復興をお手伝いできたのはとても小さな事かも知れません。
法律や行政手続の観点からのお話も、復興途中のこのタイミングでは法的安定の側面から見ると、まだ確定的なことをお伝えするのは難しいことも多いです。

でもお招き戴いたからには、一番お伝えしたいことをお伝えしました。
それは専門家としての言葉ではありません。
単なる被災地の一市民としての言葉です。

「災害は本当に来る」と実感していなければ防災はできません。
それも「いつか来る」と考えるのではなく「今日明日に来る」という準備をしてください。

そのようにお伝えしました。
どうしても自分が被災することは考えたくないので、意識から外そうとします。
少なくても後回しにします。
「そんないつ起こるか分からないことより今日の仕事だ」とおっしゃるのでしょう。
だから皆さんは「必ず来る」という確信で物事を考えないと防災には時間やお金を割くことはしないのです。
でも、それが来たら、家族や自分より今日のお仕事が優先になることは有り得ないでしょう。


宮城も10年以内に90%以上の確率で大地震が来ると言われていました。
それでも私は「来るとしても10年後ぐらいだろう」とか「来るとしても、それ程の問題は起きないだろう」などの根拠のないことを考えておりました。
そして2011年3月11日に東日本大震災を迎えました。
その意味では「想定外」では無かったのです。
とても反省しています。

「想定外」という言葉はとても便利です。
「誰にも責任がないのだ」という意味に使えます。

私はこの反省を全国にお伺いしてお伝えしています。


栃木は過去の統計でも比較的大きな災害が来ていません。
しかし過去と言っても、地球規模の変化で言えばまだ統計が活用できるほど、データは足りていません。まして自分の数十年の経験だけで100年や1000年規模の災害は断じることはできません。

その研修会の2日後に、栃木や宮城に50年に一度という大雨が来ました。
今朝の段階で、関東、東北で死者7人、安否不明15人、まだ3000人程が避難を続けているとのこと。
心からお見舞い申し上げます。



2015/09/15追記
本日現在で安否不明の15人全員が無事だったことが判明しました。
良かったです。


読売新聞より