2014年4月29日火曜日

岡山劇場 声は届き、やがて力となる。

震災の直後の2011年3月29日に、サッカー・チャリティマッチ「日本代表 vs Jリーグ選抜」の試合が開催されました。まだ新幹線も復旧していなかった時期です。
日本代表の試合では本来単独チームのチャント(応援歌)は歌われないルールですが、この時だけは被災地東北を応援しようと、スタジアム全体でベガルタ仙台のチャント「ツイステッド」が試合中歌われました。それをテレビで観て聴いて私は涙が出ました。
私の周りも泣いたと聞きました。
大震災から18日目、悲嘆と失望と疲労と不安の中で、日本中のサポートを感じたからでしょう。
この時に、ベガルタのコールリーダーとスタジアム中をツイステッドを教えて廻ったのが、ベガルタ仙台の元選手・岡山一成でした。

その岡山の本が出ました。
「岡山劇場 声は届き、やがて力となる。」



4回の戦力外通告を乗り越え、18年間プロサッカー選手にしがみついた男の、歓喜と葛藤。
選手、チーム、サポーターを巻き込み、各地で熱狂を起こしてきた「岡山劇場」とは何だったのかを本人がはじめて振り返った一冊。

岡山一成
戦力外も含めて10チームを渡り歩いた選手です。
FWもDFもこなしていたはずなのに不器用な選手です。
でもその所属チームにとても大きな影響を与えた選手です。

岡山選手はベガルタ仙台にも2007年の途中から約1年半所属しました。
ヘディングが得意な選手ですが、ディフェンダーとして定位置を確保したとは言いがたい選手でした。
でも彼はサポーターを変え、スタジアムの雰囲気を変え、チームを変えました。
試合後トラメガを持ってサポーターに向けて、アホをやりながら想いを伝えました。
これが「岡山劇場」と呼ばれたものです。
彼は「岡山劇場」により、所属していたチームに多くの影響を与えてきた選手です。

彼が来る前は、ベガルタ仙台でも、試合内容によっては一部のサポーターが荒れて、あばれたり選手のバスを囲んだりしたことも有りました。
ブーイングは場合によっては有っても良いと思いますが、私はあれでは絶対に応援ではないと思っていました。
しかし彼は「岡山劇場」により最初の1年でサポーターの心を完全に掴んで、選手とサポーターとの最高の関係を作りました。彼がベガルタ仙台を去って6年目ですが、あれから選手とサポーターの関係は良好なままです。彼には感謝しています。

チームにはフォワードもディフェンダーも各ポジションが当然必要ですが、岡山は唯一無二のポジションでした。

岡山一成は、今奈良にいます。関西サッカーリーグ1部の「奈良クラブ」に入団し「選手兼奈良劇場総支配人」という肩書きでいます。
おそらく奈良も変え、最後には日本のJリーグ全体の雰囲気を変えることになるでしょう。

興味があったら読んでみてください。
本の帯には以下のコピーが書いてあります。

今、「必要とされない」と悩んでいるあなたへ。