<宮城沖で見つかった遺体 震災不明者と判明>
石巻海上保安署は22日、宮城県女川町の沖合で11月に見つかった遺体の身元が、東日本大震災で行方不明になった気仙沼市本吉町の漁業芳賀冨雄さん=当時(79)=と判明したと発表した。遺骨は同日、芳賀さんの次男に引き渡された。
海保によると、11月15日、女川町の江島から東に約17.4キロの沖合(水深約170メートル)で操業していた漁船が底引き網に入っていた頭蓋骨を見つけ、海保に届けた。県警がDNA型鑑定で身元を特定した。
芳賀さんは震災当時、港にあった漁具を確認しようと自宅を出た後、行方が分からなくなった。津波に巻き込まれたとみられる。
県内の震災の行方不明者は1人減の1231人になった。
河北新報 2016年12月23日のニュース
日本中の支援により復興が進んでいる被災地ですが、このような現実もあります。
今年の3月にも以下のニュースがありました。
<震災5年>遺骨の身元判明 感無量の遺族
宮城県の女川湾で1月20日に見つかった遺骨が、宮城県警のDNA鑑定の結果、東日本大震災で行方不明だった宮城県石巻市雄勝町上雄勝、薬剤師杉山寿恵さん=当時(37)=と判明した。遺族は8日、火葬を終えて「これで弔うことができる」と話し、震災から5年となる11日に納骨する。
遺骨の一部は、漁網に引っかかっていたのを漁師に発見された。DNA鑑定で判明したのは今月3日で、寿恵さんの誕生日だった。母親の節子さん(73)=仙台市青葉区=は日付の一致に驚きつつ、「やっと帰ってきた。本当によかった」と目を潤ませた。
寿恵さんは震災当時、石巻市立雄勝病院に勤務。病院ごと津波に襲われ、他の職員や入院患者らとともに流され、行方不明になっていた。
石巻市の石巻斎場で営まれた火葬で、参列した家族らは寿恵さんが生前かわいがっていた愛犬コロの写真も一緒に入れ、弔った。
節子さんは「娘は震災の日も元気で出勤した。しっかり者で頑張り屋だった。仏前に毎日、一日も早く見つかってくれることを祈ってきた」と言う。
姉の志寿さん(47)は「5年もたつので諦めていた。震災前、妹と2人で東京ディズニーランドに旅行したのが、最初で最後の旅行だった」と振り返った。
河北新報 2016年3月6日のニュース
家族にとって、身内に行方不明の方がいることで、いつまでも心が納まりません。
残念ながら、生存の可能性を信じていた時期はとうに過ぎています。
でも、少なくても埋葬してあげたいという気持ちは、いつまでも残ります。
でも、少なくても埋葬してあげたいという気持ちは、いつまでも残ります。
この間は震災は終わりません。
それでも、このように、これからも発見される可能性があります。
芳賀さんは年を越す前に帰ってきたのですね。
この件について、私は何もできないでしょう。
せめて、芳賀さんや杉山さんのご冥福をお祈りいたします。