2016年11月7日月曜日

秒速5センチメートル

先日「君の名は。」について書いたときに、以下の様な書き方をしました。

『しかし、私はこの結末でない方が物語として良かったと思うのです。
あの「誰そ彼どき」からの余韻のまま、「秒速」のような終わり方でも良かったのではないでしょうか。』

この「秒速」とは、同じ新海誠監督の「秒速5センチメートル」(2007年)のことです。
ある程度の割合の方はご存じかと思って書いたのですが、私の周りの人が意外とこの映画を観ていないことが分かりました。(まあ、おじさん達は観ないか)

そこで「「君の名は。」を気に入ったのなら、この映画を一度観てください」という気持ちで紹介します。



「秒速5センチメートル」は、新海誠氏の作品の中で私が一番好きな作品です。
何度も観ています。

一人の少年「遠野貴樹」を軸にした三作の連作アニメーションです。

秒速5センチメートルとは、桜の花びらが舞い散る速度のこと。

『桜花抄』
中学生になった貴樹が、小学校の同級生で転校して文通を続けている篠原明里に会いに行く。電車で向かうが、大雪で止まり、明里との約束の時刻を大幅に超えていく。明里は待っているのだろうか。

『コスモナウト』
種子島の高校生になった貴樹を慕う後輩の澄田花苗からの視点で描く。優しいのにどこか遠くを見ている貴樹。貴樹は時々誰かに携帯のメールを打っている。誰に打っているのだろうか。

『秒速5センチメートル』
社会人になった貴樹。理紗とも付き合うが、いまだに魂は彷徨っている。
貴樹は会社も辞め、何かを捜して街を彷徨う。


過去の感情を整理できないまま人に触れ、人を傷つけ、そして自分も傷ついている貴樹。
山崎まさよしの"One more time, One more chance"が流れる中、映画終盤で貴樹が街を彷徨うシーンがとてもせつないです。

誰にも覚えがあるような感情ですが、そのままトラウマになるのか、いつ立ち直るのか、皆通った道かも知れません。


この「秒速5センチメートル」はピンと来ないと言う人と、心を鷲掴みにされ泣けてたまらないと言う人がいます。

この映画のストーリーだけ話しを聞いても、おそらく泣けません。
ストーリーだけなら大した話しではないと思います。
ただし、映像と音楽と総合力で観客の情感に訴えてきます。

そのときに泣けるのは、この貴樹と明里や花苗や理紗の物語に泣けるのではなく、この映画を観る人自身の過去の物語が甦り、そのときの想いが甦るからでしょう。

過去は忘れることができなくても、整理をすることは必要です。
その過去を思い出に整理できるまでの期間は、人それぞれでしょう。
また、長い期間をかけて無理やり整理できたつもりにしている人もいるでしょう。
この過去を思い出にする作業は、心にとってどれだけの辛くて負担なのか、誰にでも覚えがあることだと思います。

この映画を観た人が、貴樹のように過去を整理できずにいる人や、過去を整理できたフリをして生きている人の場合は、否応なしにその感情を突きつけられる辛い映画なのかも知れません。
もう観たくないというかもしれません。

過去を整理して思い出にできている大半の人が観れば、その当時の感情が蘇ってきて、辛すぎない範囲であの頃の切なさを思い出し、心が揺さぶられ泣けるのかもしれません。

逆に、自分の過去を思い出にする辛さがまったく無かった人なら、この物語を見てもピンと来ないでしょう。


貴樹の彷徨については、「君の名は。」でも似たようなシーンを見ますが、そのエンディングの描き方が違います。そこを前回の「君の名は。」のブログに書いたのです。

「君の名は。」と同様に新海誠氏の映像の美しさは素晴らしいです。

「君の名は。」の大ヒットのお陰で、この「秒速5センチメートル」が、今、仙台チネ・ラヴィータでも上映中です。
長い期間上映しないと思いますが、「君の名は。」を気に入った人なら時間を捻出して是非観て欲しいと思います。