2025年3月11日火曜日

3.11 黙祷

本日は3月11日です。まもなく14年前のあの時間になります。

あの日のあの時間を境に、私の人生や考え方が相当変わったようです。

14年前の東日本大震災の年に、私は宮城県土地家屋調査士会の会長でしたので、そのまま災害対策本部長にスライドしました。

被災地では死亡者や行方不明者が2万人程度出て、避難者の数も数十万人という単位でした。

本日現在でも、まだ3万人弱の避難者がいます。

大半の産業が一時的に止まり、業界全体の業務が無くなり、土地が最大で6mも移動して過去の座標も使えなくなりました。

土地家屋調査士では、宮城会会員の死亡者はいなかったのですが、11人の事務所が津波で流されました。

それらに伴い、各役所や連合会との連絡調整が頻繁にあり、会員の安否確認と情報伝達と支援をできる限りして、毎日いただく全国からの支援物資と支援者との調整もあり、とにかく即時対応することが無数にありました。

それからの数年間は、公私ともに震災対応の濃密な時間でした。

以前も書きましたが、それらは膨大な記憶として私の中に全部残っていますが、振り返ってみるとそれらに現実感がないのです。その記憶の数々は、私の心を大きく揺さぶった記憶のはずでしたが、今は感情抜きの記憶として残っています。

記憶から感情を省いていくことで、人間は生きやすくできているのかも知れません。


私は運命論者ではないけれど、やはり生かされたと思っています。

そして、生かされた者の責任は感じています。

地震に関しては、被災地からの実体験を持った語り部として、まだできることがあると思っています。

また私のできる範囲で、今後も関わった周囲の人達のために全力で役に立ちたいと考えています。


黙祷