とても嬉しいことがありました。
4月1日のベガルタ仙台のホームゲーム、対川崎フロンターレ戦でのこと。
いえ、勝ってないんです。
試合の内容は冬でした。(^^;)
そこじゃないんです。
東日本大震災以降初めて、土地家屋調査士のMさんに、スタジアムでご挨拶いただきました。
大震災前、Mさんは年間指定席を買って、毎試合ベガルタ仙台の応援をなさっていました。私もスタジアムでよくお目にかかっていました。
Mさんの事務所は女川町にありました。
女川町はご存知のとおり町の大半が被災した町です。
震災後、私が個人的に、定点観測で通っていた町でもあります。
2011年3月27日「26日女川支援に行ってきました」
2012年5月28日「女川被災建物滅失調査」
2012年6月17日「恵比寿様とお地蔵様にお願いしました」
2015年5月5日「初めての女川観光」 etc.
Mさんは、あの大震災の大津波で事務所も自宅も流されて、しばらく体育館などの避難所で過ごされて、その後「仮設住宅に入ることができた」と喜んでいた方です。
「先日仮設住宅から出ることができて、久しぶりにベガルタに来たんです」
て、おっしゃっていました。
これまでは、不自由な仮設住宅生活という物理的な問題だけではなく、精神的にもスタジアムに足が向かなかったのでしょう。
私のわずかな被災地の経験すら、どんなに言葉を尽くしてもなかなか伝わらないもので、ましてMさんの避難所や仮設住宅で何年も過ごした経験などは、被災地に住む私でも想像できないものがあったのでしょう。
「Mさんとご家族に春が来た」
なんて勝手に思って、嬉しくて、
次回の勝ち試合で、Mさんとハイタッチしたいと思いました。
以下女川町HPより
女川町の被害状況
最大津波高 | 14.8m:港湾空港技術研究所調査 |
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浸水区域 | 320 ha:国土交通省被災状況調査 |
被害区域 | 240 ha:宮城県発表 |
人的被害 | 町人口:10,014名(H23.3.11時点) |
死者:574名(H27.3.1現在) | |
死亡認定者:253名(震災行方不明者で死亡届を受理された者) | |
住家被害数 | 住宅総数:4,411棟 |
(一般的な家屋) | 被害総数:3,934棟(89.2%) |
全壊:2,924棟(66.3%) | |
大規模半壊:149棟(3.3%) | |
半壊:200棟(4.6%) | |
一部損壊:661棟(15.0%) | |
避難状況 | 最大25ヶ所 5,720名(H23.3.13時点) |
二次避難 | 延べ360名 |