2011年11月30日水曜日

土地家屋調査士開業ガイダンスをします

11月29日は、平成23年の土地家屋調査士試験の合格発表の日です。
このブログをお読みの皆さんのお知り合い、または皆さんご自身かも知れませんが、合格は如何だったでしょうか。
今年の試験は以下のとおりです。

出願者数 6,310名
合格者数   390名(男372名、女18名)
合格率     約6%
平均年齢 39.26歳(23歳~74歳)
*仙台法務局管轄合格者数30名


本当にお疲れ様でした。

合格者の皆さんは、長い勉強期間が報われたでしょう。
また惜しくも不合格だった方も、近年の試験傾向から見て、何が不足していたかを分析できれば何らかの手応えが有ったと思います。

私がいつも新人研修で申し上げておりますが、合格者にとってここからが大切なところです。
合格した皆さんは、今頃世間から褒められていることでしょうが、優秀だったとしてもそれは合格できなかった人の中でのこと。土地家屋調査士の世界に入れば、全員合格者ですから、自分が一番下で有ることの自覚から始めなければなりません。


資格試験合格者は、プロテストに合格したと言うことで、プロで食べていけると言われたわけでは無いと自覚しなければなりません。ここからが、プロとして本当の勉強です。


さて、近年合格したのに事務所開業しない人が多いですね。
どうしたのでしょうか。
何のために合格したのでしょうか。
おそらく不景気なので開業を迷っているのでしょうね。
いろいろ不安なのでしょう。
それはそれで、しっかり判断して入会くだされば良いと思います。

ただし、心配なのです。
その判断をするのに、何を判断基準にされているのでしょうか。
身近の僅か数人の土地家屋調査士を見て、土地家屋調査士全体をわかったつもりで、判断していませんか。
一生がかかる判断をいい加減な情報だけで決めて欲しくないのです。


今の時期開業して良いのか。
開業するにはどのような準備が必要か。
開業したら、具体的に何から始めれば良いか。
それらに答えるために、東北ブロックの会長さん達と相談して、下記のとおり合格者の皆さんのためのガイダンスを企画しました。

東北以外の方でも参加歓迎です。
開業する予定が無い方でも歓迎です。
今年以外の合格者でも、既に開業したけれど聴いてみたいという方も歓迎です。

当日は参加者全員の質問が終わるまで、お付き合いするつもりです。

平成231128
お知らせ
土地家屋調査士試験合格者の皆様
日本土地家屋調査士会連合会
東北ブロック協議会 各会長より
(青森会、岩手会、秋田会、宮城会、山形会、福島会)

前略
 土地家屋調査士試験合格者の皆様、試験お疲れ様でした。
また合格おめでとうございます。
東北ブロックの土地家屋調査士会、各会長より心からお祝いを申し上げます。

 皆様は、これから土地家屋調査士事務所を開業するにあたって、様々な夢や悩みをお持ちと思います。また開業するのか、しないのかを迷っている方も多いのではないかと思います。
 そこで、私たち東北ブロック協議会として、皆様の迷いの解決について少しでもお役に立ち立ちたいと思い、下記のとおり事務所開業のガイダンスを企画しました。
 しばらくの間開業しないと決めている方や、東北以外に開業を計画している方でも結構です。遠慮無くご参加ください。
草々
日時:平成24年1月14日(土)14時~(質問が終わるまで)
場所:宮城県土地家屋調査士会会館
980-0802  宮城県仙台市青葉区二日町183
参加申込み、問い合わせ先:
宮城県土地家屋調査士会  電話022-225-3961 fax 022-213-8485
Eメール info@miyagi-chousashi.jp
以上
  合格してから仙台に集うのも格別な想いがあると思っています。
お気軽に参加していただければ幸いです。

2011年11月29日火曜日

非常時の判断~司法書士会研修会で思う

先日11月19日、宮城県司法書士会の研修会に、講師としてお招き戴きました。
戴いたテーマは、「大震災、大津波と不動産表示登記業務の諸問題」でした。

司法書士の皆さんも、大震災後様々な相談を被災地の方々から受けているようです。
私たち土地家屋調査士が対応する相談でも同じですが、相談者は資格者の守備範囲を正確には分かりません。なんでも相談に来ます。
もちろんそれで良いのです。
困っていらっしゃる相談者に、たらい回しのような対応は、できるだけしないようにしたいものです。

司法書士の皆さんも、様々な相談の中に土地家屋調査士業務も含まれるので、概略だけでも知って相談者に対応したいとのニーズからの研修会でした。

「大震災や大津波により破壊された土地・建物について、土地家屋調査士の分野はどのような判断をし、どのような手続きをするのか」
大変関心のあるテーマだと思います。

この研修会の講師を受けて、研修の構成を考えました。
私の研修会は、いつも構成に時間をかけます。
どのような話の展開が、受講者にとって理解しやすいか。
それには、その受講者の力量や関心の方向をリサーチしなければなりません。
今回も、研修担当者の方ともお話しして、以下の構成にしました。

○本来の平時の土地家屋調査士業務を解説する
・登記総論と手続きの各論を解説する
・筆界論と手続きを解説する
・近時の業界周辺のトピックスを解説する

○震災により何が平時と変わったかを確認する
・要件の確認

○その変化に対応するために登記手続き等がどう変わったかを解説する
・土地、地図、筆界
・建物、滅失

○宮城県土地家屋調査士会の震災対応の考え方を説明する

最初の項目の平時の業務解説の部分は、分かっているようで分かっていない部分です。
これは、土地家屋調査士が司法書士業務を分かっているようで分かっていない部分があるのと同じです。我々も勉強する必要があります。
この部分が理解されないと、今回の震災対応も理解されません。
そこで、リクエストとは違うのかも知れませんが、上記のような構成で講義をさせて戴きました。

平時をしっかり把握しないで、非常時は語ることができません。

すべてがそうだと思うのです。
これは東日本大震災という非常時に確信しました。

平時にしっかりと物事を把握して、正確な判断を続けていることが、非常時対応の一番の準備だと思います。

平時では、中途半端にその場凌ぎで暮らしていても、それなりに格好が付くかも知れません。
でもそんな暮らしをしながら、格好の良い台詞を語っていた人達は、非常時では小手先の選択肢に振り回されて、何もできなかったようです。

何が本質で、何が使命で、我々は何をしているのか、普段からそこをブレずに暮らしていると、非常時でも、うろたえないでしょう。

2011年11月28日月曜日

「ファイト新聞」復刻版完成

8月23日にこのブログで紹介した「ファイト新聞」のお話しです。
できたら8月23日のブログをもう一度読んでみてください。

気仙沼の避難所の中で、4人の小中学生による壁新聞「ファイト新聞」が刊行されました。
東日本大震災のわずか1週間後の3月18日から始まったものです。

子ども達がごく自然に始めたものです。それによって、どんなに廻りの大人が励まされたでしょうか。
大人と違って、何かを狙って始めたわけではないはずです。少なくても最初はそうでしょう。
あっと言うまに、全国で有名になりました。

それをまとめて書籍にしたのが先日紹介したものです。
私はあれから、たまに引っ張り出しては眺めています。
いつも嬉しい思いになります。



さてその「ファイト新聞」の複写版が完成したそうです。
壁新聞の大きさのまま全国で巡回展示されるそうです。
私はいつも書籍の縮小版を見ていますので、ぜひ、子ども達の手書きのままの大きさで見たいものです。

このブログをご覧戴いている宮城以外の皆さんの土地でも、巡回展示されたときには、肩肘張らない子どもならではの「ファイト新聞」を是非ご覧ください。
本人達は半分以上遊びのつもりでしょう。
そして、だからこそ、周りの他人を元気にできたのでしょう。

見ながらいろいろな事を考えられると思います。

以下は河北新報で紹介された記事です。



気仙沼の子どもら手作り「ファイト新聞」複写版完成 

宮城県気仙沼市の避難所で東日本大震災の発生直後から子どもたちが手作りした壁新聞「ファイト新聞」の複写版が完成し、製作したセイコーエプソン(長野県諏訪市)から、壁新聞の保存を企画した団体へ24日、引き渡された。全国の巡回展示などに活用される。
ファイト新聞は、避難所となった気仙沼小学校での暮らしを、イラストを交えて明るく伝えた。避難生活が一段落した7月3日の第50号まで続き、避難者を励ました。
マジックや蛍光ペンで書いた文字が薄れたり消えたりしており、復元に約1カ月かかった。担当した中村健三さん(58)は「大変な作業だったが、やりがいがあった」と話した。
複写版は3部あり、1部を気仙沼市内で展示し、1部は国連教育科学文化機関(ユネスコ)に寄託。もう1部を巡回展示などに使う。原本は宮城県の美術館で保管する。
壁新聞の保存は、文化を通した復興支援を目指して写真家やデザイナーが設立した団体「復興博」(東京)が発案した。事務局メンバーで写真家の松田典子さんは「大人たちを元気にしたいという素直な気持ちが伝わる。震災の記憶を残すため活用したい」と語った。

2011年11月25日金曜日

阪神淡路大震災と東日本大震災~神戸支部来仙

あの大震災から8ヶ月過ぎて、全国からたくさんの皆さんが仙台にいらっしゃっています。

先々週末の葉月の会先週末の鳥取会の皆さんに続いて、今週末は兵庫会の神戸支部の皆さんが宮城県に来てくださいました。
今回は支部旅行の行き先に、宮城県と岩手県を選んでくださったとのことでした。

そしてその旅行中の懇親会に、宮城会と仙台支部をお招き戴きました。


神戸支部は、阪神・淡路大震災を経験した支部です。
先日の藤原光栄先生の講演でもお聴きしたように、被災から復興まで頑張った支部です。
懇親会の席でも、当時の阪神の震災の話しをお聞きして、今回の宮城の震災の話をお伝えしました。

同じ大震災のようですが、被災状況がまったく異なります。
これは私が被災当時から主張していたことです。

範囲が違います。今回は南北に500kmです。
被災地域の用途が違います。前回の商業集積地と、今回の海辺の住宅地域・工業地域の違いがあります。
被災については、今回は地震だけでなく津波によるものもあります。
そのため、家を建てたくても大津波が来る虞があるところでは建築制限もあります。
高台移転かどうか政策決定と実行が遅れています。
まだ海辺の鉄道は復興していません。ルートを変える議論があります。

ですから、その復興の方針も、その復興の具体的方法も違いますし、それに伴い土地家屋調査士の動き方も違います。この違いは、とても重要なことです。
建物滅失登記の調査も、大津波によるものなどは、その内容や方法が異なります。
建築制限のあるところで、筆界復元の必要性がどれだけあるのでしょうか。
地図も技術論だけでなく、政策論まで触れないと、本当の復元はできないでしょう。

これらのことは、現地を見ないと実感が分からないでしょう。

復興については、当然、阪神・淡路大震災から学ばなければなりません。
しかし、今回の震災復興するには、阪神から学ぶだけでもいけません。
そこが大切です。

おそらく今後想定される大震災のためには、阪神・淡路大震災を学び、東日本大震災を学び、そしてまた、それだけでもいけないはずです。
これはまた別の機会に書きます。

それにしても、今回の神戸支部の皆さんの来仙は嬉しく楽しいものでした。
被災を経験した支部だからこそ、気楽に来てくださいました。
ありがとうございました。

2011年11月24日木曜日

鳥取会による被災地視察

鳥取会の皆さん19名が、11月19日(土)に宮城に来てくださいました。

鳥取会の皆さんは、前の日18日の夜19時に米子を大型バスで出発し、翌19日の午前10時30分に宮城県土地家屋調査士会の会館に到着しました。
午前中に会館でお話をし、午後に被災地を見ていただきました。
19日に仙台で一泊し、20日にまたバスでお帰りになり、鳥取に着いたのは21日(月)の午前1時、米子に着いたのは午前3時と聞きました。
とてもお疲れになったでしょう。本当にありがとうございました。

最初、鳥取会の永美会長からご連絡を戴き、「一日しか宮城にいられないのだが、皆でボランティアをしたい」と言ってくださいました。
とても、ありがたいことだと思いました。
わざわざ遠くの鳥取から来てくださって、ボランティアをするというお気持ちが嬉しく思いました。

もちろん一日だけでも、体力が有っても無くても、様々なボランティアの仕事は有ります。
まだまだ被災地は困っています。
しかし、私は鳥取会の皆さんに以下のお願いを致しました。

もちろん、1日だけのボランティアの仕事は有ります。
それも大変助かります。
でも皆さんがよろしければ専門家として被災地を見てくださいませんか。
一日のボランティアで1カ所だけ見るより、廻れる範囲で多くの被災地を見てください。
テレビで見ている大津波による被災だけでなく、大地震による被災も多く存在します。
専門家として見て、専門家として聞いて、専門家として考えて戴きたいのです。
専門家として
事前に何ができるのか。
震災時に何ができるのか。
震災後に何ができるのかを考えてください。
被災地に支援も戴きたいが、東北の被災を見て、万が一鳥取が被災地になったときのために役に立てて欲しいと思います。

ということで、鳥取会の皆さんに、一日詰め込みのような行動をして戴きました。
午前に、被災時に宮城会の対策本部は「何を指針に何をしたのか」を中心にご説明致しました。
午後に、大津波による被災地と大地震による被災地を、それぞれ見ていただきました。

鳥取会の皆さんは、本当にお疲れになったでしょう。
ありがとうございました。

2011年11月23日水曜日

福島会志賀正弘ご夫妻NHK全国放送に出演

NHKのラジオ番組で「ラジオビタミン」という番組があります。
この番組に福島県土地家屋調査士会会員の志賀正弘さんご夫妻が出演します。
明日24日午前10時から11時の一時間、全国放送です。
志賀さんは私も知っている方です。
穏やかな優しい笑顔にご挨拶した記憶があります。
以下は福島会のお知らせと、志賀さんを紹介した朝日新聞からの抜粋です。


急な話ですが、時間を調節できるなら聴いてみてください。
ちなみにNHKラジオは今インターネットでも聴けます
私のiPhoneのアプリの中にも有ります。




号外 平成23年11月22日
会員各位
福島県土地家屋調査士会長

お知らせ

 今般、いわき支部より、志賀正弘会員が11月24日(木)のNHKラジオ全国放送ラジオビタミンという番組に生出演するとのことで、下記の通り連絡ありましたのでお知らせいたします。 
24日(木)午前10時から11時までの1時間の出演です。是非耳を傾けてください。


当支部会員の志賀正弘会員が24日(木)のNHKラジオ全国放送ラジオビタミン という番組に生出演します。(毎日9時から11時50分までの番組)
11月2日の朝日新聞を見たNHKラジオから出演依頼があり、24日生放送で出演します。
 (後期参照の記事は「朝日新聞 人脈記」に載ったものです)
 骨髄移植から、知り合った奥さんと結婚し、土地家屋調査士への道へ。
里親という選択をした後に、今回の震災で宮城県気仙沼市在住の身内を亡くした奥 さんという、まるでドラマのような人生途上の志賀会員夫妻のお話が、NHKの放送 にのります。
本人は業務外連絡と言っていますが、調査士という仕事を選択した時点で、その仲 間の人生です。 何もできないかもしれませんが、応援できることがあればやりたい ものです。


 放送局  NHK ラジオ第一放送
 日  時    平成23年11月24日(木)
                     午前10時~11時 
 番組名  NHK ラジオビタミン
                     (月~金曜 午前8:30~11:50分)
 予 告  http://www.nhk.or.jp/vitamin/index2.html 



11月2日(金)付 「朝日新聞 人脈記」 より抜粋 

<棺(ひつぎ)の中の母に生前の面影はほとんどなかった。4月半ば、順番がやっと回ってきた宮城県気仙沼市の火葬場で、志賀(しが)としえ(40)は人目をはばからずに泣い た。
3月11日の東日本大震災。父と母は自宅近くの高台にある緊急避難所に逃れた。そこに も津波が襲いかかる。両親が一瞬で消えてしまった。

としえは22歳の時、急性骨髄性白血病を発症した。1年後、骨髄バンクで白血球の型が ほぼ一致する提供者が見つかる。だが、移植を受けたら、子どもができなくなるだろう、と医 師に告げられた。病室で一晩中泣いた。
1995年に移植。治療の副作用でのどがはれ、眠れなかった時、母はずっと手を握って いてくれた。その後、同じように骨髄移植を受けた正弘(まさひろ)(46)と出会う。2001年 に結婚し、福島県で新生活をスタートさせた。

里親になることを提案したのは、正弘だった。同級生から子どもの運動会の話などを聞く うちに、自分も育てたいと思うようになった。
血のつながっていない子を愛せるだろうか。としえは最初、自信がなかった。でも、3人の 子がいる姉が思春期の子育てに悩む姿を見て思い直した。血縁があろうがなかろうが、い ろいろなことを乗り越えてつながっていくのが家族なんだ。

夫婦は昨年、児童養護施設にいた3歳の男の子を里子として引き取った。初めは表情が なく、としえを「てんてい(先生)」としか呼べない。それが1カ月もすると、笑顔で「おとうちゃ ん、おかあちゃん」と抱きついてくる。大きな余震がきた時は、床をさして教えてくれた。「ここ のしたに、かいじゅうさんがいて、あばれてるんだよ」

今、としえは思う。何があっても乗り越えられるように、両親が逝く前にこの子を授けてくれ たのかもしれない。これからも一緒に笑ったり泣いたりしながら、彼を守っていきたい。両親 が私を守ってくれたように。 > 






2011年11月21日月曜日

全国青年土地家屋調査士大会in福島

土地家屋調査士は災害時、復興時に何ができるのか?何をしなければならないか?

このテーマは阪神・淡路大震災から土地家屋調査士が抱えているテーマです。
被災地の土地家屋調査士が何ができるのか、被災地以外の土地家屋調査士が何ができるのか。
大きなテーマです。
しかし、小さなことを積み上げることしか、達成できないテーマかも知れません。

阪神の際も今回も、土地家屋調査士は頑張っています。
でも全国の動きとしては何ができるのでしょうか。

これらを含めた様々なテーマを、全国の若手土地家屋調査士が福島に集まって議論しました。
毎年開催される「全国青年土地家屋調査士大会」で、今年は11月19日に福島で開催でした。
昨年は愛知で一昨年は兵庫で、その前は福岡で開催されました。



昨年の愛知の大会で、今年の福島開催が決定したのですが、まさか大震災の年の開催とは誰も想像していない決定でした。
「どうしようか。」「福島で開催は無理か。」「皆来てくれないのではないか。」
そんな葛藤の中で福島青調会は、開催を再度決定したと聞いています。
この葛藤については「福島青調会の気持ち」を読んでください。

福島青調会は本当に頑張って良い大会を開催してくれました。
そして全国の仲間はそれに応えて、よく集まってくれました。
ことしも150人を超える若手土地家屋調査士が集まりました。
地域も役職もまったく関係のない一調査士として、本音で土地家屋調査士の役割を議論しました。

そして、その後の懇親会です。
先日書いたように、私はこの懇親会からの参加でしたが、いつも大変意義のある懇親会になります。本気の意見のぶつかり合いの中で、お互いに信頼が生まれ、仲間意識が生まれます。


私は、沖縄会の伊波さんから戴いたあの「福島産の米で造った泡盛」を持参して、全国の皆に飲んでもらいました。この日のために飲まないでいたものです。
このような支援も皆さんに紹介したかったのです。



個人業を志向する人間は純粋な者が多いのです。
それを組織として縛ろうとすると、まとまらないのです。
権威なんかにペコペコするなら、サラリーマンで居られたのですから。

この青年土地家屋調査士の集まりは、組織ではありません。
組織もなければ、会長もいません。
皆同じ土俵で、まっすぐな議論をしているから、本当の世界が開けるのです。

3月11日の東日本大震災で、東北の土地家屋調査士はこの仲間達に助けられました。
どの組織より早く行動をはじめ、ネットで連絡を取り、多くの物資を24時間体制で送ってくれました。
震災は1分1秒の行動がとても重要です。
この全国の仲間が無かったら、宮城会の会員の安否確認や物資運搬も数日は遅れたでしょう。

今回の福島開催の決定は、運命に定められたものだったのでしょうか。
福島が東北が、全国の仲間に力をもらい、
福島が東北が、全国の仲間に元気を発信しました。

来年は札幌開催と決定しました。
来年近くなったらまた紹介します。

2011年11月19日土曜日

いいわけ

震災後の日程はタイトです。
通常の会長の日程と自分の仕事の日程の調整に、震災関連のスケジュールの調整が加わり、綱渡りのような日程です。
対人関係でももっと丁寧に対応したいのに、なかなか難しい状態です。

本日は盛岡で岩手県土地家屋調査士会工藤城士名誉会長の黄綬褒章受賞を祝う会に出席しました。申し訳ないけれど2次会は欠席しました。明日の研修会準備のためです。

明日は、朝に鳥取県土地家屋調査士会の皆さんが19名いらっしゃいます。宮城県内の被災地を視察してくださいます。午前中にお会いして、鳥取会の皆さんに宮城会の被災後の取り組みを説明しますが、昼食やその後の被災地視察は同行できません。これは副会長にお願いしました。せっかく遠くからいらっしゃるのに心苦しい思いです。

午後に宮城県司法書士会の研修会の講師を致します。研修タイトルは「大震災、大津波と不動産表示登記業務の諸問題」です。本日の盛岡出張の新幹線往復と、仙台に帰ってから今までかかって明日のスライドを完成しました。泥縄です。

その後、福島県郡山市に移動して、青年土地家屋調査士全国大会in福島に参加します。
と言っても、司法書士会の研修会が終わってから参加ですから、会議には間に合わないと思います。おそらく懇親会のみの参加になります。
全国の若い土地家屋調査士と未来を語りたいのですが、仕方ありません。
まあ、この会は、全国から土地家屋調査士が集まって、皆宿泊するので、懇親会がメインみたいな会ですから、十分お話はできると思いますが。

毎週このような状態ですが、皆さん懲りないでお付き合いくださいね。

2011年11月17日木曜日

訃報-小松陽一会員の奥様のお母様ご逝去

小松陽一会員(仙台支部)の奥様のお母様がご逝去されました。
告別式等は以下のとおりです。

小松会員については、ご不幸が続きました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


<通夜>
日時:平成23年11月12日(土) 午後6時~
場所:「葬祭会館 観音樹」

<告別式>

日時:平成23年11月12日(土) 午後6時~
場所:「葬祭会館 観音樹」

<喪主>
島津武寛様

提言「14条1項地図の位置づけの変更」

今回の震災で一番大きく水平地殻変動したのは女川町江島二等三角点 「江ノ島」で、 東南東方向へ 5.85m移動しました。水準点の上下方向で一番大きく変動したのは、石巻市鮎川浜 電子基準点 付属標「牡鹿」 で1.14m沈降しています。この変動量は、阪神淡路大震災のそれの1桁上の変動でした。

南北に500km以上の範囲の地殻がこれだけ移動したので、すべての土地の境界がその点間距離と角度を精密に保ったまま移動できたはずがありません。実際に境界点間の相対位置が変動した箇所を現地でもたくさん見ています。
このような現実において、パラメータ変換処理だけで、以前の地図を生かすことは難しいと思います。
本来は全部測量調査すべきですが、その予算とマンパワーは膨大なものになるでしょう。

そこで提案です。
新たな測量成果が揃うまで、震災により誤差が多くなったと思われる法務局備え付けの14条1項「地図」を、同条4項の「地図に準ずる図面」に位置づけを変更するのです。
14条1項地図は、復元性が高い資料です。パラメータ変換だけでこの位置づけのままなら、震災が落ち着いた頃に民事紛争が起こることも容易に想定できます。しかし「地図に準ずる図面」の位置づけなら対応の仕方を工夫することができます。

実は、震災前からこの議論はありました。
地図に誤差が有る箇所が全国各地で指摘されていましたが、その事実が確認できない、または1項に指定された図面を4項に落とす手続きが存在しない、という理由で、そのままにされていました。

100歩譲って過去はそのとおりだとしても、今回の震災では事実を確認して欲しいのです。
手続きが無いのなら、創れば良いだけです。手続きは国民のために有るものですから。
地図に誤差を生じさせた犯人は、今回は東日本大震災です。
誰も悪くありません。誰も傷つきません。
動くなら今だと思います。

2011年11月16日水曜日

葉月の会

11月12日、13日は葉月の会が開催されました。
葉月の会についてはこちらでも説明しましたが、全国7会の会長同士の情報交換の会です。

会を重ねて、今年は第11回になりました。
一昨年は高知会が開催担当で、昨年は宮城会が開催担当でした。ローテーションでは、今年札幌会の担当でしたが、葉月の会の皆さんの合意で、3月の東日本大震災の支援のために、今年も宮城県で開催することになりました。

一日目は、大津波で沢山の建物が流失した蒲生地区等を廻りました。
以下は大津波で建物がすべて流され、基礎だけ残った写真です。




その後、大震災で地盤が崩れた折立地区や西花苑地区を視察しました。
以下は地盤と一緒に滑り落ちた建物の写真です。




やはり、遠くでニュース画像を見ているだけではわからない被災を実感したとのお話がありました。


二日目に、宮城会としてこの大震災に際して、何を判断基準に何をしたのかを報告しました。
具体的には、震災時の各自の行動と、震災直後の対策本部の組成と行動指針、会員の安否確認と生活支援、被災者への各種支援、無料登記相談と復興支援業務等々、をお話ししました。

葉月の会の参加者の皆さんの地元も、日本列島にいる限り、いつ被災するかもしれません。
事前の備えや、被災時の心構えや、組織の行動について、お考えになっているようでした。

二日目の後半では、いつもの葉月の会のテーマについてお話ししました。
お互いの会が、今年何を考えて事業を進め、何に関心があり、何に困っているのかを発表しあいました。
参加各会は、会員数も違えば、会費収入も違います。
そのお互いの環境の中で、それなりの悩みが有るのです。
それを時間を取ってフリートークできることが、この会の強みです。
何かを決めるための会ではないし、ただダラダラ雑談するのでもありません。
フリートークと言っても、座長がいて議論を整理していく形式ですから、意味があります。

今回話題になったのは、以下のキーワードでした。

定額会費と比例会費について
報酬額指導について
公嘱協会と入札について
調査士法違反者対応について

まあ会長が代わっても、毎年毎年同じ悩みかも知れません。



2011年11月14日月曜日

子供たちとつくる未来

11月9日に、七ケ浜町の議場で、子どもたちが議員になって東日本大震災からの復興策を提案する「震災復興子どもゆめ議会」が開かれました。

議会には、町内の小学校と中学校の代表16人が参加しました。
中学生が議長になり、各小学校と中学校から3人ずつ議員となり、復興策を発表して、渡辺善夫町長らに町側の見解を求めました。
以下が子供たちによる提案の一部とのことでした。
  • 町民交流の場や避難施設を兼ねた「防災映画館」を建設する(亦楽小)
  • 校内アンケートの結果を踏まえて「支援してくれた人に感謝の手紙を送る(亦楽小)
  • 全国の支援に感謝する太鼓演奏会や祭りを開催する(松ケ浜小)
  • 小学生でもできるボランティア活動の機会を増やす(松ケ浜小)
  • 「節電タイム」の設定など学校で実践できる節電対策をする(汐見小)
  • ストーブの温度を調節して節電を心掛ける(汐見小)
  • 震災前からの「避難所体験」を生かした中学生の防災組織を作る(七ケ浜中)
  • 町内の避難所や避難経路の看板を作る(向洋中)

震災を経験して、私たちはいくつかの反省をし、価値観も少し変わりました。
そして子供たちは、反省する過去が無い分、私たちよりもっと大きく成長しています。
彼らは、私たちが考えているよりも、ずっと大人で、震災をしっかりとらえています。

避難所で震災から1週間後から始まった壁新聞の「ファイト新聞」や、小学生による「肩もみ隊」がどれだけ、周囲の大人を元気づけたでしょうか。
ボランティア登録をした生徒が103人いる七ヶ浜中学校をはじめとして、たくさんの子供たちは、できることから、「当たり前に」人や地域や日本を助けています。

「最近の若者は・・・」と眉をひそめられていた被災地の若者たちは、その批判していた大人が何もできないうちに、地域のために汗を流しています。
7月26日の「本音でライトな優しさを持った日本の未来」というブログに書いた若者たちや、その下の小中学生たちは、私たちの日本を間違いなく引き継いでくれると確信しています。

彼らと本気で向き合って、日本と郷土の未来を語りたいと思っています。



2011年11月13日日曜日

気仙沼つばきマラソン

以前も書きましたが、私は以前マラソン大会やトライアスロン大会に参加していた時期があります。
本気でタイムを狙って参加する大会、本当に完走できるかという冒険心で臨む大会、そして観光も含めて楽しみで参加する大会がありました。
私の場合は、最後の観光がてらの参加が多かったような気がしますが。

さてその観光がてらの楽しい大会の一つが気仙沼大島で開催される「気仙沼つばきマラソン」でした。気仙沼から船で気仙沼大島に渡り、民宿で一泊して翌朝レースに臨むのです。

当時私たちの中で流行った準備に「カーボローディング」という食事の摂り方が有ります。「マラソンは最後は肝臓にどれだけグリコーゲンを貯め込めるか」が、レース終盤のエネルギー枯渇対策であるという理屈からの技術です。

具体的にはレース前2週間から1週間までの間に炭水化物を減らした食事をします。そうすると身体が炭水化物を欲しがります。そこでレース前一週間を炭水化物中心の食事に切り替えます。
身体は炭水化物を枯渇していたので、大量の炭水化物を身体に貯め込もうとします。
大雑把に言うとこれがカーボローディングです。

私たちアマチュアのレベルでは、そんなことを考えている暇があったら、本当はもっと練習をすれば良いだけなのに、そんなことに拘ってレースに臨んでいました。

ところが、この「気仙沼つばきマラソン」には大きな落とし穴が有るのです。
民宿の食事が旨いのです。マグロのカマ焼きを部屋の真ん中に置き、それを皆で食べるのですが、これが旨い!
飯は進むは、酒は進むは・・・・。2週間かけたカーボローディングが台無しになります。
寝るときには、次の日のレースなんかどうでも良くなります。
恐ろしい大会です。

会長を辞めたら、またマラソンを始めたいなと思っていたら、この「気仙沼つばきマラソン」が震災の影響で来年も開催ができないという河北新報のニュースが届きました。
いろいろなところで東日本大震災の影響が続きます。

ということで、再来年の第30回「復興記念大会」に皆で参加しませんか?
レースは、5km、10km、ハーフ、フル、と走力に合わせて参加できますし。
2013年4月です。




気仙沼つばきマラソン 来春も開催断念 13年大会に全力

宮城県気仙沼市の大島を会場とする「第29回河北新報気仙沼つばきマラソン大会」の実行委員会は11日、市内で会合を開き、来春の大会の中止を決めた。
コースを調査した市陸上競技協会によると、東日本大震災で被災した島内の道路が復旧しておらず、選手の走行に危険を及ぼす恐れがある状態だという。人数を絞って開催する案や「復旧工事の推移を見極めてはどうか」という意見もあったが、例年通り春ごろの開催を前提にした場合、準備期間が足りないため、開催を断念した。
ことし4月に開催予定だった同大会は震災直後のため中止を余儀なくされており、2年連続の開催見送りとなる。実行委は次回の第30回を「復興記念大会」と位置付ける。2013年の再開を目指し、全力を挙げて取り組むことで一致した。
4月の大会の申込者で、参加料の返金分を「次回大会の経費に使ってほしい」と辞退した人が約180人おり、実行委はこの分の約50万円を予備費として繰り越す。

2011年11月12日土曜日

2011年11月11日金曜日

座談会「東日本大震災と土地家屋調査士」

11月9日、「月刊 登記情報」の金財主催の座談会に出席してきました。
山野目章夫早稲田大学大学院教授と、岩手、福島、宮城の各土地家屋調査士会会長の4名による座談会です。テーマは「東日本大震災と土地家屋調査士」でした。

以前も書きましたが、私は座談会やパネルディスカッションが嫌いです。
最初は3会の司法書士と3会の土地家屋調査士の6名の座談会と聞いていました。
司法書士と土地家屋調査士では、語る論点が違うので、明らかに企画者には、この座談会の絵が描けていないと思いました。
ですからこの企画を断ろうと思っていました。

しかし、パネラーが土地家屋調査士だけになったことと、座長が山野目先生であることで、思いとどまりました。山野目先生は、私が唯一まとまったと思ったパネルディスカッションのコーディネーターを務められた方ですので。

今回の座談会は、さすがに山野目先生がまとめてくださったので、ストレス無く座談会が進行したと思います。

建物や土地、区分建物の諸問題、また地図について議論しました。4人だけで3時間お話ししたので、それなりにテーマに沿って、議論を網羅できたと思います。
震災がらみの不動産登記関連の論点だけでもたくさん有ります。

建物滅失登記の要件
被災区分建物の処理
海没した土地の土地滅失登記
水平地殻変動と筆界
地図の修正
等々

ここで議論の内容は書けませんが、よかったら想像してみてください。
内容は「月刊 登記情報」の2月号に掲載されるそうです。退屈な記事にはならないと思いますので、発刊されたら是非読んでみてください。

訃報-髙橋幹夫会員のご母堂様

石巻支部 髙橋幹夫会員のご母堂様がご逝去されました。
ご冥福をお祈りいたします。


通夜

日時 平成23年11月12日(土)午後7時~
場所 メモリアルホール菩提樹矢本
住所 東松島市矢本字上河戸140番地1
電話 0225-83-3353

葬儀

日時 平成23年11月13日(日)午後0時30分~
場所 メモリアルホール菩提樹矢本
住所 東松島市矢本字上河戸140番地1
電話 0225-83-3353

喪主 髙橋幹夫 様

11月常任理事会

11月8日に11月の常任理事会が開催されました。

伝統的に宮城会の常任理事会の開催時刻は14時であり、終了は17時となっております。
しかし、震災以降、役員は皆公私ともに忙しく、平日の日中が会議で潰れることに日程調整の難しさを感じておりました。そこで今回は実験的に16時開催で18時30分終了で会議を開催してみました。
16時開催だと、午後も少しフリーな時間ができるので、皆助かると言うことになりました。

そんなことで段取りを進めていたら、研修部会をその後の18時30分から開催したいと意見が出ました。
確かに午後18時過ぎに帰ろうと、21時頃帰ろうと、その後の夜の予定にあまり影響が無く、むしろその前の午後の予定が助かるという発想です。

それに加えて、広報部会が13時30分から16時に開催したいという話が来ました。
私は広報部会だけは欠席させてもらったのですが、菅澤副会長はこのすべての会議に出席したので、13時30分から21時頃まで会議でした。
結局彼の午後の時間は潰れたのですが、3日に分けて会議が開催されるのなら、1日で終わった方が良いでしょう。

会議は実質的に議論ができて、結論が出れば良いことであり、時刻には縛られるものではないと考えていました。今回の試みは出席者に評判が良かったので、これからも、役員の皆さんと打ち合わせして、会議負担が少ないような運営を心がけたいと思っています。


さて、今回の常任理事会から少し報告を。

この時期、個人や団体を問わず、全国からたくさんの土地家屋調査士の仲間が仙台入りなされます。
今週末の葉月の会、来週の鳥取会、再来週の神戸支部等々、震災の際に本当にご支援くださった方々が、いらっしゃいます。
震災後8ヶ月を経た今、被災地はどのような状態なのかを見にいらっしゃいます。
できるだけ効率よい移動をしていただけるように準備を致しました。

10月2日に開所した「法テラス南三陸に続いて、12月1日に「法テラス山元」が開設されます。そして来年は「法テラス東松島」が開設される予定です。
法テラスからは宮城会のADRセンターに相談員の派遣要請が来ています。南三陸同様に認定調査士かつ相談員登録している方に、法テラスの相談員をお願いしています。
ご協力をお願いします。

筆界調査委員の任期満了により、新たな筆界調査委員を募集しています。先輩の委員と一緒に調査にあたることは、土地家屋調査士としてスキルアップのチャンスでもあります。遠慮無く応募してください。

2011年11月10日木曜日

仙南支部ボランティアセンターに登録

今、会員の皆さんにご協力戴いている被災建物の滅失調査業務について、納品締め切りも迫り、ご苦労をお掛けしています。本当にお疲れ様です。

この被災建物滅失調査業務は、地域毎に担当者を決めています。
仙南支部の皆さんは山元町を担当されています。

その業務で、仙南支部の皆さんが現地に調査に行き、山元町の被災の状況をご覧になって、滅失調査業務以外にも、何かしなければならないとお考えになったそうです。
そしてその結果、「仙南支部として山元町のボランティアセンターに登録した」とお聞きしました。

お聞きして大変嬉しく思いました。
土地家屋調査士個人でボランティアをしている人は知っています。ただし、土地家屋調査士の組織としてボランティア登録されたことには大変意味があると思います。
山元町のボランティアセンターでは喜んだそうです。

現地では、まだまだニーズがあります。一日だけでも良いと思います。重労働だけではなく、様々なニーズがあるはずです。
私たちも皆で、無理をしない範囲でちょっとした空いた日に、気楽にお手伝いをしても良いかと思います。

仙南支部では、支部会員21名の中、管野伸夫支部長以下12名の皆さんがボランティアに行くそうです。
管野支部長にお聞きしたところ、「これは皆さんに内緒で進めていたんですけれどね。」っておっしゃいました。
内緒で進めていたという奥ゆかしいことをおっしゃいましたが、私が知ってしまったので、このブログで皆さんに広くお伝えしちゃいます。

管野支部長、ごめんなさい。口が軽くて。

2011年11月9日水曜日

被災放置車両に男性遺体

あの大震災からもうすぐ8ヶ月。

その本日11月9日の河北新報の記事に下記のニュースがありました。
8ヶ月間車の中に・・・。
ご遺族の皆さんの皆さんのお気持ちを考えると、何もコメントができません。
ご冥福をお祈り申し上げます。




被災放置車両に男性遺体 津波で行方不明、家族発見 釜石

東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県釜石市片岸町で今月2日、被災し放置された車の中から、津波で行方不明になっていた同市の男性(35)の遺体が見つかったことが8日、市や岩手県警への取材で分かった。
車はがれきの撤去作業に伴い、一時的に数台を寄せ集めて積み上げた下の部分にあった。市から連絡を受けた家族らが重機で上の車を取り除き、遺体を発見した。これまでの県警と自衛隊による現場周辺の捜索でも、男性の遺体は見つかっていなかった。
市廃棄物対策室は「車の所有者や連絡先の確認に時間がかかった。もっと早く遺体を家族の元に返せたかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちだ」と話す。県警警備課は「今回のことを踏まえ、捜索は今後も最善を尽くす」としている。
市によると、市内に放置された被災車両は約3700台。そのうち約1000台について、所有者らの連絡先が分かっていない。岩手県内では現在、約1400人が行方不明になっている。

2011年11月8日火曜日

立冬ですね

今日は暦の上では「立冬」です。
冬が始まるのですね。
確かにいつの間にか気温が低くなってきました。

近年の温暖化のせいか、冬を迎える実感がまだ湧きません。
今日も最低気温が10.3度でした。

また、今年は季節感を味わう間もなく、過ぎてきました。

3月11日のあの日は、寒い日でした。
余震でドアが開かなくならないように、寒いのに服を重ね着して、玄関でドアを開けながら夜を過ごしました。玄関でなかなか繋がらないネットで全国に無事であるという発信をしていたことを思い出します。

数日後、避難所を廻ったときも、雪が風に舞っていたことを覚えています。
とても寒い日が続きました。毛布にくるまっている避難した皆さんをとても気の毒に思いました。

これから被災地にも本当の冬が来ます。
避難所から仮設住宅に移り住んだ人々にも冬が来ます。
避難所から移ることができて良かったねという問題ではないのです。
仮設住宅は所詮仮設なのです。

自分の家を建てる資力と気力と体力が残っているのか。
住まいと稼ぎ頭の息子を同時に失った老人は、孤独をしみじみと感じる季節になります。
これから特に、心のふれあいの支援が必要です。

政治によるすべての雪を溶かす真夏のような大きな支援を望みながら、私は小さくても温かな春のような支援を継続したいと考えています。

2011年11月4日金曜日

路線価調整率と政治判断

今週国税局が公表した路線価は、阪神淡路大震災に次いで2度目の「調整率」が適用されました。
阪神淡路の際は最大で25%減だったそうですが、今回は女川で80%減と遙かに大きく、福島第一原発周辺は100%減(価値0)との調整がなされました。

これにより被災地の路線価を大幅に落とし、相続税や贈与税等の納税額を減らす効果がでます。

今回の東日本大震災において、死者と行方不明者を併せて2万人程を数えます。
私たち宮城県土地家屋調査士会で、実際に被災地を廻って相談を受けていると、確かに相続の問題の件数が多いです。
身内の方を亡くした相談者は、大抵不動産や動産も失っています。大変気の毒な状態で、物心両面の支えがないと復興できないと思います。
その観点では、この調整率適用は、この方々にとって大変助かることと思います。

路線価は実際の不動産価格を反映させなければなりません。ですから、現状では取引の対象にもならない被災地の不動産は、路線価評価をさせたら大幅に減額されるのは自明の理です。

ただし、この不動産の路線価は他の大きな役割も担っています。
この路線価は、地域経済の下支えであり、地域経済の根拠でもあります。
この公的な発表は、地域経済の更なる鈍化を招く恐れがあります。
経済的復興が遠くなる可能性が大きいと思うのです。

行政は間違っていません。この調整率適用は正しい措置だと考えます。
ですから、ここでは政治が考えて欲しかったと思います。
路線価をここまで落とさずに、相続税や贈与税等については、他にも多く見られる特別な措置で対応しても良かったと思うのです。

被災地が復興するためには特区創設も含めた政治判断が必要です。
平時のルールでは対応できないことが多いのです。

被災地だけ助けることが、他の地域の人々から不公平に思えるかも知れませんが、いつまでも被災地に日本経済が引っ張られていたら、日本全体がダメになります。
政治が早めに手を打つことが、日本全体の為になるはずです。

ギリシャ経済の破綻が、遠い日本に大きな影を落としそうな状況を考えて欲しいのです。


以下河北新報の記事2011年11月02日水曜日です。転載します。

路線価調整率 沿岸部の下落顕著 内陸も5~30%減額


仙台国税局が1日公表した路線価の調整率によると、商業地、工業地を含む県内の宅地は0.20~0.95で、路線価は最大で80%減額された。調整度合いは津波に見舞われた沿岸部が大きく、内陸の市町村の路線価は5~30%の減額となった。


県内市区町村別の調整率(宅地)の適用幅は表の通り。このうち女川町は鷲神浜や尾浦町、黄金町、寿町などが県内で最も低い0.20となり、インフラや経済的影響も含めた津波被害の大きさが反映された。
次いで路線価の減額が目立ったのは南三陸町。歌津、志津川、戸倉などでそれぞれの中心部のほぼ大半が調整率0.25となった。
このほか、東松島市の新東名1~4丁目、野蒜、矢本、山元町の坂元、高瀬なども0.25。仙台市宮城野区の岡田、蒲生、港1~5丁目、若林区の荒井、荒浜、今泉や、気仙沼市の朝日町、魚市場前、多賀城市栄1~4丁目、岩沼市押分、石巻市大街道南2~4丁目などが0.30となった。
7月に公表された県内税務署別の最高路線価(1平方メートル当たり)との比較では、東北最高の184万円だった仙台市青葉区中央1丁目の青葉通が調整率0.85で、156万4000円に減額された。
ほかは気仙沼市本郷の県道26号通り(調整率0.30)が5万円から1万5000円に、石巻市鋳銭場の石巻駅前通り(調整率0.60)は4万9000円から2万9400円に下がった。ともに津波で冠水した。
調整率は丁目、大字などごとに設定しているが、大字では震災の被害程度によって異なる場合がある。詳細な調整率は国税庁のホームページや各税務署などで閲覧できる。

2011年11月1日火曜日

「ガイダンス土地家屋調査士報酬」発刊しました



以前のブログでも報告させていただいたので、何度も「しつこい」とお思いかも知れません。
申し訳ありませんが、もう一度だけ報告させてください。

日本加除出版から「ガイダンス土地家屋調査士報酬」が発刊されました。
私が長年研究と研修に取り組んでいた「土地家屋調査士の業務報酬」についての書籍です。
そしてこの本は、私と志を同じくする仲間との共著です。

業務報酬についての研修は、報酬部分だけ切り取って説明しても、効果がないと考えておりました。
それでは、報酬の組み立てはわかるかも知れませんが、即行動には移ることができないと思います。
聴いている受講生は、「それは、あの講師だから言えるのだ。俺のお客さんはそんなこと言っても無理だよ」と言うのかも知れません。
報酬の研修は理論を理解していても、どう実践するかまで伝えないと意味がありません。
この報酬の研修は、得てして講師の自慢話に陥りやすい分野です。
研修会で講師のそれが見えたら、それ以降受講生はまったく聞く耳を持たないものです。

土地家屋調査士業務報酬の講義は、土地家屋調査士制度を理解して、土地家屋調査士業務を理解して、はじめて業務報酬までたどり着きます。
それが身についていないと丼勘定の報酬計算になります。

ですから、この本では、土地家屋調査士そのものの説明に魂を込めたつもりです。
個々のお客様への対応方法も書きました。
けっしてお客様に高値を吹っ掛けず、かといって意味のないダンピングにも陥らない報酬の説明の仕方を書いたつもりです。

土地家屋調査士の報酬は、お客様にとっても土地家屋調査士にとっても「適正な報酬」でなければなりません。
よろしければ読んでください。



最後に一言、
本来は6月頃に出版するスケジュールで書いておりましたが、東日本大震災の対応で大幅に遅れました。お待ちくださっていた方々には、申し訳なく思っています。
実は私自身、震災で一度この本の執筆から気持ちが離れたことがありました。
事務所や自宅を失った方々を見ました。
避難所にいる先輩の土地家屋調査士を訪問したときも、復活するのは大変なご苦労だなと感じました。
地域の経済は止まりました。
私自身も2ヶ月間はまったく土地家屋調査士の仕事が止まりました。
そんな中にいると、「業務報酬どころじゃないだろう」という思いも正直ありました。

その際に、一切催促しないで、私が書き出すと宣言するまで待っていてくださった日本加除出版の担当者の皆さんと執筆仲間に感謝しております。
お陰様でこの本が完成いたしました。