話題の映画「セッション」観ました。
アンドリュー・ニーマンは、偉大なジャズ・ドラマーになるという野心を抱いて、全米トップのシェイファー音楽院に入学した。友達も不要、音楽だけを考えていた。ある日有名なフレッチャー教授の目に留まり、彼のバンドに移籍するように言われる。ミュージシャンとして成功を約束されたも同然と喜ぶ。人生に自信が出てきて前から気になっていたニコルにデートを申し込む。しかしバンドに参加してみると、そこにはプレイヤーを恐怖で支配するフレッチャーのレッスンが待っていた。テンポがずれていることで椅子を投げられ、罵声を浴びせられ、ビンタでリズムを矯正され、ショックを受ける。悔しくて、裂けた手の肉に次々に絆創膏を貼りながらもドラムの練習を続ける。
更にフレッチャーはアンドリューを追い詰める。
フレッチャーの鬼気迫るレッスンにニーマンはついていけるのか。アンドリューとニコルの関係はどうなるのか。そしてアンドリューはドラマーとして成功できるのか。
私はできるだけ先入観を持たないように映画前に情報を入れないようにして行きます。ただし、たまに映画館に行くので、その際にどうしても予告編は観ることになります。その予告編を観て「セッション」は勝手にこんな感じの映画だろうと考えていました。
つまり、
スポ根もので、鬼コーチに鍛えられ次第に強くなっていく主人公、最後にお互いにわかり合える...そんな展開で想像して観に行きました。
確かに大きな意味では間違っていないのだけど、詳細はまったく違っていて、ストーリーはすべて事前の想像を超えていました。良くも悪くも驚きと違和感はあります。
終始緊張感の映画でした。
あのフレッチャーの完璧を求める指導、狂気さえ感じさせます。
私もアマチュアながら20年程楽器を吹いて来た時期があり、観ている間、完全にあのレッスンを受けている気分になりました。
でもこのレッスン、少し分かる気がします。あれは極端だとしても、あんな感じの指導は有ります。
音楽の練習や指導は良くも悪くも体育会系の要素は多いですから。
もちろん、今の「ボクって誉められて伸びるタイプなんです〜」という世代には信じられない指導でしょうけどね。
こんな音楽指導は、実はもう少しレベルの低い段階の指導だと思います。
あれはテクニックやフィジカルを鍛えていくだけの練習で、曲としては形になるでしょうが、音楽そのものを作ることにはなっていないだろうし、少なくてもこの映画の設定であるジャズのトップバンドのやるべき練習ではないと思います。
ただし、そんなことを言ってはすべての映画はつまらなくなります。ここを否定したらこの映画は成り立たなくなりますので。
さて、この映画で大抵のことは目をつぶって観るとしても、どうしても納得できない部分が終盤にありました。
ネタバレしないようにギリギリで書いてみます。
あのフレッチャー教授の鬼気迫るレッスンは良くも悪くも音楽の追究だったはず。
そしてフレッチャー教授は皆が認める著名音楽家です。
たとえ理由が何であれ、本番のステージであの様な形で曲を壊すことをするでしょうか。
この部分は、どうしても私には受け入れられないストーリーでした。
それでもJ・K・シモンズ(フレッチャー教授)の鬼気迫る演技で一気に持って行かれます。そしてラストのマイルズ・テラー(アンドリュー・ニーマン)の素晴らしいドラムシーンがすべてを開放します。
もうすぐ上映が終わりそうですが、興味があったらDVDではなく映画館のドルビーサウンドで、このラストのドラムを聴いてみてください。
このドラムを聴くだけで、映画鑑賞料を払う価値があると思います。