「はじまりのうた」(原題:BEGIN AGAIN)を観ました。
私のブログでも紹介した「once ダブリンの街角で」のジョン・カーニーの作品と言うことで、楽しみでした。
ミュージシャンのデイヴ(アダム・レヴィーン)と恋人のグレタ(キーラ・ナイトレイ)は、二人で作った曲が映画主題歌に抜擢されて、ディヴがメジャーデビュー。スターなっていくディヴとすれ違いの日々が続き、結局分かれることになる。失意のグレタは行くあてのないまま街をさまよい、旧友でミュージシャンのスティーヴ(ジェームズ・コーデン)の家へ転がり込む。スティーヴは自分が登壇する小さなバーのライヴにグレタを連れて行き、そこで気の進まないグレタをステージに上げ歌わせる。観客に歌は全く受けなかったように見えたが、目を輝かせたホームレス風の男、ダン(マーク・ラファロ)が近づいてきて、自分が音楽プロデューサーだと明かし、一緒にアルバムを作ろうと持ちかける。
ダンもかつては敏腕はプロデューサーだったが、自分が設立した会社をクビになり、家庭も妻や娘と別居状態で、やはり失意の中、このバーで飲んでいたのだ。
ダンもグレタも、スタジオやミュージシャンを用意する金が無い。そこでニューヨークの街角で喧噪すらバックにして歌を録音することにした。このレコーディングを通して彼らの心が再生していく。
レコーディングの結果は。グレタと別れたディヴとの関係は。そしてダンの家族は。
最後に誰も予想できない決断をグレタがする。
やはり音楽って良いなって思います。
人々を再生する力があると思います。
あのニューヨーク街頭のライブセッションのシーンは良かったです。
次々に人を巻き込んでセッションを始めます。
皆楽しそうです。
他人と一緒に音楽を作ることがどんなに楽しいことか、どんなに元気になるか、個人的な話しですが、学生時代のセッションを思い出しました。
グレタが留守番電話に歌を吹き込むシーンも良いですね。
また、グレタとダンが二人で会話もせずにイヤホンで同じ曲を聴きながらニューヨークの街を歩き回るシーンも好きなシーンです。
以前このブログで紹介した「ビフォア・サンライズ」の二人が、ウィーンの街を休みなく会話を続けながら歩き回るシーンと対比して語るべきかもしれません。
「ビフォア・サンライズ」の二人が休みない豊富な会話でお互いの理解を深めていったことに対して、今作品は、お互いに無言でいるようですが、音楽とそのプレイリストが雄弁にお互いの理解を深めていきます。
この監督は音楽をしっかり聴かせることで感情の表現をしています。これは前作「once ダブリンの街角で」でも見られたことです。
監督は、話しの筋を追うことのために音楽を細切れにはせずに、むしろ音楽を映画の中心に置いています。
ですからその曲の出来次第で映画の出来が左右されますが、さすがに、この LOST STARS はとても魅力的な曲です。アカデミー賞の歌曲賞にノミネートされました。
もちろんキーラ・ナイトレイがとてもステキです。
過去の映画(たとえばパイレーツ・オブ・カリビアンなど)とはまた別の魅力があります。
まあ話しとしては、ツッコミしたいところはありますよ。
グレタの酒場でのあの歌が、敏腕プロデューサーの心に本当に響くのだろうかとか、
敏腕プロデューサーなのに身近な人のギターの腕も分からなかったのかとか、
あのセッションのメンバーはほとんど場当たり的な素人の寄せ集めで、それでダンは本当に最高の音楽を創ることができると考えたのかとか。
でもこの映画、リアリズムを追求する映画では無いはずです。
音楽で登場人物も観ている人も皆幸せになるファンタジー映画と考えるべきです。
個人的には
余韻を残す前作「once ダブリンの街角で」の方が好きだけど、これもお勧めです。
私も時間が有ったらまた観に行くかも知れません。
映画を観たいというよりも、正確にはキーラ・ナイトレイを見たい、あのセッションを聴きたい、と言うべきでしょう。
*2015/04/24 加筆