2015年2月25日水曜日

6歳のボクが大人になるまで

この映画そろそろ上映終了になると聞いて、終わる前に観に行こうと考えていたところにインフルエンザに罹りました。それから風邪を引いたり咳喘息になったりして、映画館での鑑賞は一旦諦めたのですが、この映画アカデミー賞の候補に入ったので、上映の延長がなさました。ラッキーと思いました。
やっと先週末で咳が治まり、レイトショーで観てきました。

「6才のボクが大人になるまで」(原題 BOYHOOD)


6才の子役を12年間かけて、正にタイトルどおり大人になるまで撮影した映画です。
ドキュメンタリーではないのです。本当にドラマなんです。
それに伴い兄弟と父母の役者も、そのまま年を重ねています。

こんな映画が成立すること自体が希有なことと思います。
子供が大人になる過程で、いくら子役だったとしても映画に興味が無くなることもあるでしょう。彼が成長の過程でグレて問題を起こしただけでこの映画は終わります。また極端な話し、彼が大人になるまで生きている保証も無いのです。

本当にリスクだらけです。
制作費は映画が完成したときにしか回収できません。
だから普通は年齢の違う子役を何人か使って、大人はメイクをして年齢を作り、映画を制作するでしょう。
自主制作的な映画なら未だしも、商業映画でこんな企画がよく通ったものだと思います。

監督は、私の好きなあのビフォアシリーズの監督リチャード・リンクレイターです。ビフォアシリーズも同じ配役で9年ごとに3回撮影していますが、あれはその度に1本の完成した映画として成立していますから意味が違います。それでもビフォアシリーズも凄いけれど。そういえば、このブログで観ることができなかったと書いたビフォアシリーズの3作目の作品は、その後観ました。また感想をこのブログで書きます。

さて「6歳のボクが大人になるまで」に話しを戻します。
この映画、12年間毎年夏に撮影しているようです。
特にストーリーに大きな山がある訳ではありません。親の結婚の破綻、不良たちとの絡み、各年代の何人かのガールフレンド、進学、何か起こりそうな気配はあるのですが、それらのエピソードを長く引っ張らずに次の年齢のシーンに入ります。
あえてドラマチックなエピソードを避けているように見えますが、実際振り返ってみると私達の人生も実際こんなもののはずです。

この映画、主人公メイソンの12年間の成長を見ながら、実はその母親や父親など周りの大人の人生も描いているようです。3度の離婚により様々なものを得たり失ったりしていく母親の人生と、定期的にメイソンと会うときの変化から父親の成長も描いているように見えます。

今時の映画ではとても長い2時間45分です。良い映画を観た場合は、「まったく長さを感じませんでした」という感想があるでしょう。この映画は違います。本当に長さを感じました。

手に汗握るシーンはありません。でも退屈する映画でもありません。
もともと寡黙な彼の人生に12年間寄り添い、台詞以外の部分からも私たちはメイソンの成長を見ているのです。小さな本当にかわいらしい子が、だんだん背が伸びて、声が変わってきて、最後にはヒゲも生やします。
メイソンの本当の成長を見ているから、もちろん役者としてのエラー・コルトレーン自身の成長も見ているから、見ている人生に現実感と重みがあるのでしょう。
おそらく観る人によって、感情移入する人物が異なるでしょう。主人公、父親、母親、誰に感情移入しても人生を感じるでしょう。

この映画、母親に人生の過ぎゆく時間の短さを語らせて、その後主人公が大学に向かって車を走らせているシーンで終わっても良かったと、私は思います。
しかし、この映画そこで終わりません。まだ長く続きます。

最後のシーンで、メイソンが今後付き合うかも知れない女性と「一瞬と人生」に語ります。母親に人生の時間について語らせたことと対になって、この映画の主題になるのでしょう。
「我々が瞬間をとらえるのではない、瞬間が我々をとらえる」
こんなことを言いながら、映画は終わります。
この終わり方がリンクレイター監督らしいです。

まだ観ていない人に「おもしろいか」と聞かれたら、「人それぞれだと思う」と答えます。
でも「この映画、観た方が良いか」と聞かれたら、「観るべきだ」と答えると思います。