大崎市三本木の大豆坂地蔵尊を含む境内地の境界をめぐり、周囲の土地を共同所有する男性と、隣接地を所有する大崎市が仙台地裁古川支部で争っている、というもの。
自分の土地内に建てたはずの水子地蔵が、 国土調査の結果、市の所有地にあることになったとのこと。男性の主張によると、この原因は国土調査で杭を1ヶ所見落とした事のようです。そこで男性側がその修正を申し入れたところ、市は「母親立会いの下で合意して境界を確定した。」と主張しているとのことでした。
本件は係争中であり、しかも調査士会としても現地を見ていないので本件についての具体的コメントはできません。過日、宮城会も新聞社から意見を求められましたが、以上の理由で事件に関連する判例等を紹介し一般的な理論に限って、担当役員が丁寧にご説明致しました。
しかし、この裁判の論点が本当にこの記事記載の部分(国土調査の際に合意した)であるとすれば、明確な既存判例もあるにもかかわらず、国土調査によってあたかも創設的に筆界が発生するかのように一部で強く誤解されている向きが有ることは、大変嘆かわしいことと感じています。
また、国土調査だけでなく我々の登記前提の境界確認作業の中でも、隣接者の立会後作成した図面に対する印鑑は「合意印」ではなく「確認印」のはずなのですが、このあたりも整理ができて無い方が官民どちらにも存在するのも、かなり問題だと思っています。
【地蔵動いた? 法廷で綱引き 仙台地裁支部】 延命、子育てのお地蔵さまとして知られ、みやぎ新観光名所・百選(1987年実施)にも選ばれた宮城県大崎市三本木の大豆坂(まめさか)地蔵尊を含む境内地の境界をめぐり、周囲の土地を共同所有する男性と、隣接地を所有する大崎市が仙台地裁古川支部で争っている。男性側の土地にあるとされていた境内の水子地蔵が登記上、市有地に移っていることが判明し、男性は「地蔵が動くとでも言うの?」と土地行政に不信を抱いている。 訴えによると、水子地蔵は男性の母が84年に建立。85年の実測に基づく地籍測量図では、地蔵を含む303平方メートルが男性側の土地と確認、登記され、旧宮城県三本木町(現大崎市)が4カ所に境界を決めるくいを打ち込んだ。 町が国の委託を受けて95年に実施した国土調査に基づき、男性側の土地は錯誤を理由に225平方メートルとして登記され、地蔵は町の所有地にあることになった。男性によると、1カ所のくいが無視されたためだという。 男性は大崎市に地図の訂正を申し入れたものの市側が受け入れず、訴訟に発展。市は「国土調査の際、母親が現地立ち会いの下で合意して境界を確定した。その後、異議は出なかった」などと反論している。 古川支部で28日にあった証人尋問には土地家屋調査士が出廷し「町が85年に隣接地を測量し、買収した時に境界が決まっている。所有者同士の合意で法定の境界を変えることはできない」と証言した。 宮城県土地家屋調査士会は「市町村の調査には間違いがあることも散見され、完ぺきではない。トラブルを避けるためにも調査時に専門家の意見を聞くなどしてから地籍調査票にサインしてほしい」としている。 (10月29日 河北新報)